クリシュナムルティ『愛について、孤独について』


はじめに

 インド生まれのユニークな思想家・教育者、クリシュナムルティ(1895〜1986)。

 14歳で「神智学協会」に見出され、その後「星の教団」の教祖様に祭り上げられてしまう。

 数万人の会員を有する国際組織「神智学協会」は、かねてより世界の主要な宗教の統合を掲げ、またそれを可能にする「世界教師」の出現を予言していた。

 クリシュナムルティは、神智学協会の人びとからその「世界教師」だと考えられたのだ。

 ところがクリシュナムルティ自身は、そんな自分の役回りや協会の考えに徐々に疑問を持つようになる。

 そして1929年、彼はついに、真理は「組織」によって体現されることはないとして、教団の解散を宣言する。

 カリスマ的宗教指導者が、多くの信者たちの前で自ら一切の宗教組織を否定したのだ。

 その後の彼は、一介の思想家として、世界中を旅しながら人びととの対話を重ねるようになる。

 本書は、そんな彼が「愛」と「孤独」について語った記録を集めたものだ。

 さすが、その言葉には人の心を震わせる力がある。そして、愛についての底まで届いた洞察がある。

 もっとも、哲学徒としては、あともう一歩だけ踏み込んで言葉を紡いでほしかったと思わなくもない。しかしここは、クリシュナムルティ自身の「言葉は愛ではありません」という思想を尊重しておこう。

 生粋の「哲学者」は、物事の本質をどこまでも言葉にすることに力を注ぐ。

 しかしその一方で、その明晰な概念使用は、それゆえにある意味では「ありがたみ」に欠ける。

 その意味では、クリシュナムルティのようなカリスマ的精神的指導者には、哲学者とは異なったいくらか「含み」のある言葉の方が、よく似合うと言うべきだろう。


1. 愛は快楽(思考)ではない

 クリシュナムルティは、まず次のように愛と快楽とを峻別することを説く。 

「愛は快楽ではありません。快楽の重要性を理解してください。快楽は思考によって支えられており、したがって、思考は愛ではありません。思考は〔中略〕愛を生み出したり、つくり出したりすることはできません。」    

 「快楽は思考によって支えられる」とは少し理解が難しいが、おそらく次のようなことを意味している。

 私たちは、自分にとっての快楽は何か、さらなる快楽は何かと、常に思考を通して快楽を求めている。

 しかし愛は、そのような快楽を求める思考によっては得られないものだ。そうクリシュナムルティは言うのだ。

「思考が快楽について検討し熟慮熟考し、快楽の支えとなるイメージや映像をつくり出し、快楽に養分を与えているのです。」

 なぜ人は快楽を求めるのか? クリシュナムルティは問う。

「私はそれが正しいとか、悪いとか言っているのではなく、ただ、そう訊ねているにすぎません。 」   

 クリシュナムルティによれば、その答えは次のようだ。

「私たちの人生は多かれ少なかれ機械的であり、毎日同じことの繰り返しです。〔中略〕それゆえ、それとは別の行為がきわめて重要になるのは当然です。もし、私たちが、知的な面において自由で激しい情熱をもち、熱狂的な人生を送っているならば、セックスはそれなりの存在意義を得て、それほど重要ではなくなります。」    

 退屈な日常の繰り返しからの自由。私たちはこれを求めて快楽に走るのだ。

 しかし、愛はそのようなある種の逃避とは本質的に異なったものだ。

「求めていないのに知らずのうちに見出したり出会うもの、それこそが愛と呼ばれるものであり、その時には愛以外に何もありません。」    

 本当にそうかな? と、私たちは自らに問うてみる必要がある。

 エーリッヒ・フロムは、名著『愛するということ』において、愛はそれにふさわしい相手がいれば自動的に可能になるようなものでは「ない」と言う。

 恋やエロティシズムであれば、それにふさわしい相手がいれば私たちは簡単に落ちることができる。でも、愛はそのようなものではないとフロムは言うのだ(フロム『愛するということ』のページ参照)。

 フロムによれば、愛を可能にするには、まず相手を「知る」必要がある。そして何より、ナルシシズムを克服する必要がある。

 つまり、人を愛せるようになるためには、私たちには「思考」や「意志」の力が必要なのだ。

 それに対して、クリシュナムルティは、愛は「思考」ではなく「知らずのうちに出会うもの」であると言う。

 フロムとクリシュナムルティとは、一見正反対のことを言っているように見える。

 でも私には、これは同じことを異なった角度から表現したにすぎないように思われる。

 フロムが言うように、私たちが人を「愛せるようになる」ためには、確かに思考や意志の力によってナルシシズムを克服する必要がある。

 これについては、クリシュナムルティもほぼ同じようなことを次のように言っている。

「野心家は愛することができません。家族に愛着を覚えている人は愛を欠いています。嫉妬も愛とは何の関係もありません。」    

 でも、そうして誰かを愛した時、私たちはきっと、「知らず知らずのうちに愛に出会った」と思うに違いない。

 その時私たちは、私はこの人をこれこれこういう理由で愛している、などと「思考」することはない。

 誰かを愛している時、私たちは、それを思考しているのではなく感得しているのだ。

「愛は気づきではないと言えるでしょうか。気づくことが愛なのです。私たちは一体であると気づかせてくれるのが愛ではないでしょうか。それは香りのようなものです。私たちは香りを解剖し、分析することはできません。愛は素晴らしい香りですが、分析をはじめたら消失してしまいます。」    


2. 愛は所有も比較もしない

 それゆえクリシュナムルティは次のように言う。


「愛に関して、所有することは障壁をつくり出すことにならないでしょうか。もし私が、あなたを所有し、「もつ」とすれば、それは愛でしょうか。

また、心とは比較の道具ではないでしょうか。私たちは、これはあれよりいいと言ったり、自分よりもっと美しい人や、もっと賢い人と自分自身を比較します。

「心が比較を行なっているかぎり、そこに愛は存在しません。心は、弱点を見つけようとして絶えず評価し、比較し、計測しています。したがって、比較のあるところに愛は存在しません。父と母がわが子たちを愛するとき、彼らを比べたりはしません。一人の子供を他の子供と比べたりはしません。いずれもわが子として愛しているのです。」

 誰かを愛している時、私たちは、この人は自分の所有物であり、あの人やこの人より優れているために愛しているのだ、などと「思考」することはないのだ。


3. 孤独について

 続いて孤独について、クリシュナムルティはまず次のように言う。

「神という概念にせよ飲酒にせよ、逃げ込もうとしている対象には変わりありません。孤独から逃れているという点では、神の崇拝とアルコール中毒との間に根本的な違いはありません。社会的には両者の間に違いはあっても、神の探求を通じて自分から、自分の空虚さから逃れている人は心理的には酔っ払いと同じレベルにあります。」   

 重要なことは、孤独から逃れることではなくまずこれを理解することであるとクリシュナムルティは言う。

 では孤独とは何なのか?

 クリシュナムルティによれば、それはただ心が作り上げたにすぎないものだ。

 私たちに孤独を感じさせるもの、それは私たち自身の「自意識」なのだ。

「孤独は自己孤立化のプロセスの極地です。自己自身についての意識が強くなればなるほど孤立化は深まっていくのであって、自己意識は孤立化のプロセスなのです。」

 自意識に捉われなくなった時、私たちは孤独を感じることもなくなる。

 むしろ私たちは、「孤独」とは本質的に異なったものである「単独」を、もっと大切にしようではないかとクリシュナムルティは言う。

「単独とは外部の影響や記憶という内部の影響、そのすべての影響がすっかりなくなった状態のことです。心がこの単独状態にあって初めて、心は不減なものを知ることができるのです。」    

 「孤独」に不安を覚えるのではなく、「単独」になって心を安らげよ。クリシュナムルティはそう言うのだ。


(苫野一徳)


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キルケゴール『反復』


はじめに

 キルケゴールは、その全著作を通して、ほぼ2つのテーマだけを、ただひたすらに、ねちねち、ねちねちと、繰り返し書き続けた。

 1つは、キリスト者としての「罪」の念と、それに対する恐れ。

 そしてもう1つは、レギーネ・オルセンへの恋と、その挫折。

 本書は、特に後者に焦点が当てられた作品だ。

 1837年、24歳のキルケゴールは、当時14歳だったレギーネに恋をした。そしてその後、1840年には婚約にまでこぎつける。

 ところが翌年、彼は自らその婚約を破棄してしまう。それも、レギーネへの愛が失われたからではなく、「愛ゆえに」と言って。

 この婚約破棄の理由は、その後も研究者たちによってずっと議論が続けられているが、はっきりとは分かっていないようだ。

 もっともキルケゴールは、破談後、もうそれは気持ちが悪いほどに、ねちねち、ねちねちと、レギーネへの思いを本に書き続けた。本書にも、その思いがこれでもかというほど書き綴られている。

 ところがその書き方がいくぶん謎めいているために、彼の気持ちをはっきりと理解するのは難しい。

 ただ、一つだけはっきりしていることがある。

 キルケゴールは、何だかんだでレギーネとよりを戻したかったようなのだ。

 それが、本書のタイトルでもある「反復」という思想に表れている。

 キルケゴールは言う。「追憶の恋」は不幸だが、「反復の恋」は幸福である、と。

 「追憶の恋」とは、失われた恋を思い出し、悲しみ懐かしむ恋のこと。

 それに対して「反復の恋」は、あの恋がもう一度繰り返されることを確信する恋である。

 実際キルケゴールは、レギーネとの再婚約を考えていた。

 そこで彼は、コペンハーゲンからベルリンへ遊学に出かけた際、わずか2週間で本書を書き上げた。

 本書を通して、自分が「反復」を求めていることを、彼はレギーネに伝えたかったのだ。

 ところがコペンハーゲンに戻ってみると、なんとレギーネは、幼かった頃の家庭教師フリッツ・シュレーゲルと婚約してしまっていた。

 キルケゴールの思いは、結局果たされなかったのだ。

 ……と、こう見てくると、キルケゴールは、何と言うか自分の気持ちに翻弄されっぱなしの、ちょっと情けない人のように思えてくる。

 本書で彼は、「これからの新しい哲学は、人生が反復であることを教える!」などと力強く説くのだが、それも結局は成就せず、またまたウツに陥ってしまう、何だか滑稽なほど哀しい人でもある。

 でも、それでもなお、キルケゴールの言葉には何か不思議な魅力がある。

 とことんメランコリックで、とことん情けなくて、哀しくて、うじうじしたキルケゴール。

 でもそんな彼だからこそ、まるで一点突破するかのように、人間のある種の普遍性を描き出すことができたのではないかと思う。
 

1.人生は反復である

 古代ギリシア人は、あらゆる認識は「追憶」であると言った。

 しかし新しい哲学は、「人生は反復である」と教える。

 キルケゴールはまずそのように言う。

 古代ギリシアにおける「追憶」とは、おそらくプラトンの「想起説」のことだろう。

 人はなぜ、「美」を「美」と認識することができるのか?

 それは、人は生まれる前、天上界において「美のイデア」を見ていたからだ。その美のイデアを想起して、人は美しいものを「美」と認識するのだ。

 これがプラトンの想起説だった(プラトン『メノン』のページ参照)。

 それに対して、キルケゴールは人生は反復にほかならないという。

 それはいったい、どういう意味か?

 キルケゴールは言う。

反復と追憶は同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけの違いである。つまり追憶されるものはすでにあったものであり、それが後方に向って反復されるのに、ほんとうの反復は前方に向って追憶される。」    

 追憶は過去に向かう運動だ。それに対して、反復は未来へ向かう。キルケゴールは続ける。

追憶の恋のみが幸福だ、と或る作家はいった。〔中略〕実をいえば、反復の恋だけが幸福なのである。反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待の不安がない、探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。」    

 追憶の恋は、結局のところ失われた恋を悲しんでいるだけのものだ。

 それに対して反復の恋は、あの至福がまた再び繰り返される(反復される)ことを確信している。

 そうして彼は次のように言う。

反復を選んだものだけがほんとうに生きるのである。    


2.追憶の恋の不幸

 ここでキルケゴールは、ある青年との出会いについて述べる(この青年はおそらくキルケゴール自身のことではないかと思われる)。

 青年は激しい恋に燃えていた。

 しかし彼はとてもメランコリックな男で、それゆえその恋は、その最初からすでに「追憶の恋」に堕していた。

 要するに、恋のはじめから、青年はその終わりを追憶していたのだ。

メランコリックな男は恋をしてみるといい、そしたらなにもかも消し飛んでしまう、とよくひとは揚言する。しかし彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとってなによりも重大なことがらを彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶する状態にある。つまり、彼の恋愛関係はすでに全く終っているのである。    

 恋が恋である以上、私たちがそのようなメランコリックでセンチメンタルな気持ちに陥るのは、ある意味で当然のことだ。

 しかしキルケゴールは言う。

「まことの恋にはそのほかにこの気分を利用することのできるアイロニカルな弾力性がなくてはならぬ。これが彼には欠けている。」    

 また、すべての恋がそうであるように、彼の恋もまた、恋人を自分の中に吸収してしまういわばエゴイスティックなものだった。

彼はつねに彼女をただあこがれていただけだった。彼女は彼自身のなかに吸収されてしまったのである。彼女の想い出はいつまでも生々しく残るだろう。彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕あげてしまったのだ、だからつまり彼女は自分自身の死刑判決文に署名してしまったのだ。    

 そのような恋は、いつか当然終わることになる。青年もまた、その恋の終わりを予感していた。


「時の経つのにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。〔中略〕それは彼女に向って、あなたではもの足りなくなった、私はもうあなたでは間に合わない、私にはもう上に昇るための踏み台はいらない、と告げるにひとしかった。」

 そこでキルケゴールは、青年に次のようなアドバイスをする。

「一切をぶち壊してしまいなさい、女をからかったり欺いたりすることしか楽しみにしないような軽蔑すべき人間に君は転身するのです。」

 なぜそのような話になるのか、このぶっ飛び方がいまいちよく分からないが、キルケゴールはさらに次のような計画まで立てる。

「私はある流行品店で私の求めているものを見つけた。たいへん愛嬌のある若い娘で、私が将来の面倒をみる約束をしたので、私の計画に加ってくれた。彼はどこか公の場所で彼女と一緒にいるところをひとに見られるようにし、彼女と情交があるということについて疑いの余地を残さぬような時刻に彼女を訪ねなくてはならぬ。」    

 ところが、最後の最後で青年は躊躇した。そして計画は頓挫することになる。

 それからしばらく、青年とは音信不通状態になる。


3.絶頂と絶望

 本書の中盤では、キルケゴールのメランコリックな心模様がさまざまに描かれている。

 まず彼は言う。

「人間にはその一生涯を通じてほんの半時だけでも、無条件に、あらゆる点で満足したなどということはありうるものでない。」    

 彼がそのように思うようになった背景には、次のような経験がある。


私はかつてほぼそれに近い状態に達したことがある。或る朝のこと起き上ると珍しく気持がよかった。この快感は午前のうちに比類がないほど増して行った。かっきり一時に、私は絶頂に達して、眩暈がするほどの極限にいるのを予感した。それはもはや快感の尺度では、詩の寒暖計でさえも、表示されないほどの高度であった、身体は地上的な重さを失っていた、身体をもっていないような気さえした。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身を、また全体との調和を楽しみ、また一つ一つの脈拍は有期待全体を打ち震わせて瞬間の快楽を想い出させそれを感じさせるばかりだったから。

そのとき突然、私の一方の眼が少し痒くなりはじめた。それが睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、私は知らない。しかしこの瞬間に私が絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。これは、私と同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも用意に理解できることであろう。それ以来、私はいつか絶対的にそしてあらゆる点で満足を感じてみたいという希望をすっかり棄ててしまった、いつまでもというのでなくせめて数瞬間だけでも絶対的に満足を感じてみたいというかねての希望までも放棄してしまった。

 躁鬱、あるいは鬱気質の人の心象風景が、見事に描かれている。


4.破約と後悔

 本書後半では、再び例の青年が登場する。

 彼からしばしば手紙が届くようになったのだ。

 恋人とは破約した、しかし後悔の念から逃れられない。

 手紙にはそうあった。

彼を捉えているものは乙女の愛らしさではなくて、彼が彼女の生活の邪魔をして彼女にたいし不正を犯したということについての後悔なのである。彼は彼女に無思慮に近づいたのである。彼は自分の恋が実現できないことを確信している、彼は彼女がいなくとも彼也に幸福になることができるのだ、ことにこういう新しい景物を手に入れたからには。そこで彼は破約する、しかし不正を犯したということを忘れることができない    

 どのような意味で、青年(=キルケゴール)が「彼女にたいし不正を犯した」のかは、いまいちよく分からない。

 恋という、いわば彼女を「自分自身に吸収してしまう」罪を犯したことなのか。

 恋の成就の後に、彼女のことが一瞬でも飽きたと思ってしまったことなのか。

 そのあたりのことははっきりとは分からないが、キルケゴールはともかく、彼女との恋における自らの過ちを後悔したのだ。

 しかしその上で、彼はレギーネとの恋が「反復」されることを願った。

 人生が未来へ向けた希望ある「反復」であることを、キルケゴールは祈るように願ったのだ。


(苫野一徳)


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ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』


はじめに


 資本主義を生み出した最大の要因は、ヨーロッパの宮廷における「奢侈」である。そしてその動機は、宮廷内の「非合法的恋愛」にあった。

 これが本書におけるゾンバルトの主張だ。

 要するに、ヨーロッパの大金持ち貴族たちが、愛妾たちに貢ぐためにさまざまな奢侈品を購入し、これを扱う商人たちが潤って、彼らが資本家へと発展していったとゾンバルトは言うわけだ。

 現代では、このゾンバルト説は多くの研究者によって否定されている。

 たとえば、現代アメリカの歴史学者ポメランツは、当時のヨーロッパ程度の奢侈なら、中国や日本にもあったと言って、ゾンバルト説を一笑に付している(ポメランツ『大分岐』のページ参照)。

 ポメランツによれば、ヨーロッパに資本主義が勃興した最大の理由は、端的に石炭、原材料、貴金属をヨーロッパが獲得できたことにあるのだ。

 私も、ゾンバルトの奢侈説にはやや無理があるように思われる。

 しかしそれでもなお、本書を読めば、それが資本主義の一翼を担ったのは間違いないのではないかと思わされる。

 それにしても、従来の資本主義起源説は、やや単一起源説に傾きすぎなのではないかと私は思う。

 よく知られているように、マックス・ヴェーバーは、プロテスタンティズムの禁欲精神が資本主義の土台になったと言う(ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のページ参照。もっとも、この説も現代ではかなり否定されている。たとえばブローデル『交換のはたらき(2)』のページを参照。本書ではゾンバルトも批判されている)。

 ブローデルによれば、資本主義の根本要因は「特権階級」の登場にある。

 ポメランツによれば、それは石炭、原材料、貴金属。

 しかし、これらのどれが決定的な第一要因かと問うのには、あまり意味がないのではないかと私は思う。

 それぞれがそれぞれに、相互作用を起こして資本主義が発展したはずなのだ。

 それはともあれ、本書は、読み物としても超一級の面白さを誇る名著だと思う。話の展開、文章の見事さ、どれをとっても非常に読み応えがある。

 以下、本書の骨格を紹介していこう。


1.宮廷

 ゾンバルトによれば、「近代的宮廷」のはじまりはフランスのアヴィニョン宮廷だった。

 近代的宮廷の最大の特徴、それは、宮廷に奉仕する「貴族」と「美女」たちの存在にある。

「おそらくフランスのアヴィニョンが最初の近代的宮廷であったろう。なぜならこの宮廷に、その後の数世紀、宮廷社会と呼ばれるものを形づくり、その社会に基調を与える二群の人々が顔をそろえたからである。その一群は、宮廷の利益に奉仕する以外なんの職ももたぬ貴族たち、他一群は美女たちである。」 

 その創始者は、フランソワ一世(1494〜1547)。

 彼のあとを、偉大なルイ諸王たちが継ぐことになる。


2.新貴族の登場

 ところで、中世初期には「富裕な市民」などというものは存在しなかった。

 金持ちと言えば、大地主としての貴族のみ。

 ところが、中世末期頃から「富裕な市民」が登場し始める。

 1314世紀イタリア、1516世紀ドイツ、17世紀フランス、イギリスにおいて、大商人たちが現れるのだ。

 彼ら新興成金は、やがて「新貴族」になっていく。

「一六〇〇年から一八〇〇年にいたる二〇〇年間に、まったく新しい社会層が生まれた。そしてこの社会層の中核は新興成金であったが、その外皮は、当初はいぜんとして封建的生活様式を保っていた。換言すれば、新興成金の大部分が貴族に列せられたということだ。」

「他方では、古い名門の貴族の一部は彼らの家族に往時の輝きを与えるために新興成金層の前に身を屈し、結婚という方法を通じ、必要不可欠な何百万という金を入手するようになった」 

 たとえばイギリスでは、バラ戦争によって古い家柄は29にまで減ってしまった。

 そこで、戦後政権を掌握したテューダー王朝は、まず彼らの権力と富を復活させ、恩を売ることによって政権を盤石なものとした。

 さらに、ヘンリー七世ヘンリー八世は、それまで貴族ではなかったジェントリーたちを多く新貴族に取り立てた。ジェームズ一世にいたっては、貴族の称号を売り出しさえした。

ナイトの位階が買えるというならわしは(一〇九五ポンド払えばよい)ジェムズ一世が一六一一年に導入したものである。気前よく金を払ったおかげでナイトになった者は従男爵と呼ばれたが、彼らは旧来のナイトよりも上席にあり、貴族についで偉いということになっていた。この種の従男爵が、十七世紀および十八世紀を通じて何百も誕生し、十九世紀の半ばにはその数は七〇〇に達した。    

 しかし、人びとはこれら新興成金を軽蔑する傾向があった。それゆえ成金たちは、ますます貴族への憧れを強めることになる。

 特にフランスでは、この貴族への憧れが切実だった。

「なぜなら、フランスでは、貴族は政治的にもきわめて優越した立場におかれており、貴族に属することは、たんに社会的利益ばかりでなく、物質面でもかなりの利益を享受できるという事情があったからである。」    


3.大都市

 16〜18世紀にかけて、ヨーロッパには大都市が出現する。

 消費の中心地が、大都市へと変貌していったのだ。

「初期資本主義時代の大都市も(否、この時期にこそとくに)完全な消費都市であった。大消費者は周知のように王侯、僧侶、高官であったが、それに新たに追加された主要なグループは大資本家であった。」    


4.男女関係の変化

 この時代、男女関係にも大きな変化が現れていた。

 中世において、神によって浄められない男女関係は「罪」だった。

 ところがこの考えに、徐々に変化が現れはじめる。


「愛の本質について根本的に違った考え方がミンネザンク〔中世の恋歌〕が起こった世紀にまず広範囲の人々の間に浸透した。〔中略〕十一、二世紀、「嵐の海に静かに、明るく輝く島」と形容されたプロヴァンスで、はじめて自由で地上的な恋愛の調べが、一〇九〇年に発足し、十二世紀の中葉から十三世紀のなかばまで全盛期をむかえた吟遊詩人の歌の中によみがえった。

これらの詩は、恋人を天上にまつりあげ、一方おのれは憔悴して呻き声をあげ、酔いしれ、祈りに明けくれる正真正銘の青春期の性愛の表現である。

 恋愛(ロマンティックラブ)は12世紀ヨーロッパに始まったと言われるが、まさにこの時代、一種の自由恋愛の気運が高まり始めるのだ。

 とはいえ、貴族にとって、家と家とが結びつく結婚制度はきわめて重要なものである。

 したがって夫婦間に、恋愛感情は基本的に存在しない。

 そこで、この新たな男女関係において男たちの恋の対象とされたのは、誘拐された良家の娘か、姦通する女、そして娼婦たちということになる。

 こうした女たちを手に入れることは、若者にとってはもはや「名誉」の問題でさえあった。

「これができない青年は、同じ年頃の仲間から軽蔑されて不幸であった。やがて、若者たちはこの優雅な冒険に対し、熱病にかられたような渇望を抱きはじめた。彼らにしてみれば、肉欲を充足させることよりむしろ名誉を得たいという気持が先立った。」


5.高等娼婦と愛妾経済

 やがて、由緒正しい婦人と娼婦との中間存在が登場するようになる。

 宮仕えの「高等娼婦」たちである。


「教会貴族のまわりにいる婦人たちは高位高官の男性と純粋に精神的な交わりを結ぶことから一歩踏み出すやいなや(そうしたケスは珍しくなかった)、つねに愛妾に化していた。このように、まったく外面的根拠からしても、宮仕えの女は高等娼婦に変わっていったにちがいない。」

「彼女たちのうち、(公式に)一人の男だけに愛をひさぐ者は、「囲われ女」、大勢の男に媚を売る者はコケットと呼ばれた。」    

それに、その頃古代の復活が歓迎されていたため、昔のへタイラ、つまり遊び女も再現されてもいいだろうという気運もみなぎっていた。都市が巨大化するとともに、その頃は世間がまったくおおらかな気持になり、もちろん少数えりぬきの女たちとはいえ、いかがわしい女たちのまわりに、エリート意識で鼻高々となった男たちが群がるようになった。

 貴族たちは、こぞって宮廷の美しい女たちとの「非合法的恋愛」に興じるようになったのだ。

 こうして、「愛妾経済」とゾンバルトが呼ぶ時代が始まった。

「女をかかえるために必要となる経費は〔中略〕相当の財産家の予算内でも最大の額を占めた」    


6.贅沢の展開

 新興貴族たちは、女のために贅の限りをつくすようになった。

「中世が終わったあとの数世紀にはとてつもない奢侈がまかりとおり、それが十八世紀末期には無限といってもよいほどの贅沢にまで高まった」    


 たとえば、ルイ14世の愛人ラ・ヴァリエール。王は彼女のためにヴェルサイユ宮殿を建てた。

 ルイ15世の愛妾ポンパドゥル、そしてルイ16世の妃マリー・アントワネット

「マリー・アントワネットはフランス宮廷を支配し、奢侈のための消費増大に(一七八〇年代の初めまで)これをつとめた最後の偉大なるはすっぱ女である。」

 事態はイギリスでも同じだった。

「イギリスでも、宮廷の奢侈はとりもなおさず、愛妾たちの、そして王妃たちのための奢侈であったことは、イギリス宮廷の内幕の歴史が教えてくれる。イギリスに宮廷ができて以来、王には愛妾がかならずおり、彼女たちがはなやかに生きていこう、はでに暮らそうという傾向があったこともよくわかっている。」    


7.奢侈と女

 ゾンバルトによれば、当時のヨーロッパの奢侈に女たちが密接に関わっていたことは一目瞭然である。

 奢侈の発展傾向を、ゾンバルトは次の4点描き出す。そしてそのいずれの傾向も、きわめて「女性好み」なものだったと言う。

 1つめの傾向は、屋内化。

「往時は(ルネサンスの頃でも)、贅沢といえば、馬上槍試合、はなやかな戸外の催し物、行列、野外の宴会であった。それが家の中にひきこもった。」

 この点については、特に飲食の奢侈が目立つとゾンバルトは言う。

「これは、十五、六世紀、イタリアで、他の学術諸芸とならんで料理術が発生したときに形をなすようになった。それ以前には、たんに、たくさん食べる贅沢があったばかりであったが、このころになると飲食の楽しみも繊細化し、量より質が重んぜられるようになった。


「一つだけいまでもはっきりしていることは、甘味品の消費と女性優位との関連である。

初期資本主義期に女が優位に立つと砂糖が迅速に愛用される嗜好品になり、しかも砂糖があったがために、コーヒー、ココア、紅茶といった興奮剤がヨーロッパで、いちはやく広く愛用されるようになったからだ。」

 2つめは即物化。

「かつては贅沢といえば多数の家臣や従者を動員することであり、たとえば祝祭日に彼らを集めて飲食させ、楽しませることであるとされた。だがいまや有益な品物をどしどし奢侈のために使ってゆくことが本命となり、従者の多いことは、これにともなう副次的奢侈となった。私はこうした過程を即物化と名づけているが、この即物化はまたしても婦人の関心のまとであった。なぜなら、すばらしい衣裳、住み心地のよい住宅、高価な装飾などとちがって、召使いが大勢いることは、女にしてみればさほどありがたくはないからである。」

 3つめは感性化。

「この頃の芸術作品のすべて、手のこんだ手工業の製品のすべてから、実際に女の勝利が光り輝いていることがわかる。窓と窓の間の鏡、リヨン製クッション、網目になった白絹のカーテン、空色の絹地でつくられたベッド、淡青色ペティコート、灰色の絹靴下、バラ色の絹地衣裳などから、また白鳥の羽毛のついたお色気のある化粧着、あるいはダチョウの羽毛やブラバントのレース、さらにロココの時代相を描写した人としては不朽の存在であるムーテルのような教父――以上の諸例はすべて彼の文章からとったのだが――がこの時代の特徴として述べたすべてのものから、サロンの交響曲がなりひびいた。」

 4つめは時間の圧縮化。

「かつては年中行事のように時期をきめて行なわれていた贅沢な催し物が常設され、年一回の祭りが原則的に年がら年じゅう行なわれるものに変わり、祝祭日の行進が毎日の仮装舞踏会となり、特別の日にだけくりひろげられた大宴会や飲酒の集いが毎日のディナーやごちそうに変わったことでもよい。さらには、(この点をとくに強調したいのだが)使用者がより迅速に手に入れることができるよう、より短い時間内に贅沢品が生産されることでもよいわけである。」


8.奢侈からの資本主義の誕生

 以上から、ゾンバルトは資本主義を生み出したのは貴族たちの奢侈であったと結論づける。

 従来、資本主義は、植民地等販路の拡大によってもたらされたと考えられてきた。

 しかしゾンバルトは、この販路拡大は、そもそも奢侈への動機から起こったものだと主張するのだ。

「ブラジルの金がパリ、アムステルダム、それにロンドンの相場師のふところをいっぱいにしはじめた一七〇〇年頃〔中略〕、商人たちが富者の奢侈需要を充足させるために、従来の手工業段階ののんびりした行き方を改め、資本主義的なコースに駆りたてられたもようは、はっきり認めることができる。」    

「ヨーロッパ各国がかかえるほとんどすべての植民地の産物が高価な贅沢品であったことは、まず第一に、植民地の商業があつかったものが何であったかについておおよその見取図を示してくれる。なぜなら、こうした贅沢品は、その大部分が海外各地の農業生産物であったからである。本書が重視している商品、砂糖、ココア、木綿(十八世紀の中頃までは贅沢品であった)それにコーヒーはすべてアメリカの植民地で生産された。また香料は東アジアの植民地の主な産物であった。」 

   こうしてゾンバルトは、資本主義の起源を次のように結論づける。

「支配的な意見の代表者は次のように答えている。地理的な販路の拡大のおかげで、資本主義は、工業労働に対して権力をふるうようになったのだと。私はまったく逆の回答を出したい。より重要であったのは、強大な奢侈消費の形成が工業生産組織に与えた影響だということだ。」    

 奢侈工業こそが、資本主義的組織に発展していく最大の力を持っていたのだ。

 ゾンバルトによれば、その理由は主に4つある。

 1つは、奢侈製品を作るためには、遠方から原料を取り寄せる必要があったこと。

 そのため商人たちは、常に多額の資本を手もとに置いておく必要があった。

 2つは、奢侈品を購入する貴族が、現金で即払いする習慣を持っていなかったこと。

 貴族には、金銭などにとらわれない鷹揚さが必要だったのだ。

 そのため奢侈品商人たちは、やはり多額の資本を手もとに置いておく必要があった。

 3つは、外国人の新興奢侈品業者の存在。彼らはそもそも、従来のツンフトから独立していた。それゆえ彼らは、容易に資本主義的組織へと発展することができたのだ。

 4つは、奢侈品と違って、より価値の少ない商品はそもそも大量販売しようという動機を生まないこと。

 以上4つの理由によって、奢侈品工業・商業こそが、資本主義を生み出す最大の要因となったのだ。

 ゾンバルトは本書を次のような言葉で結ぶ。

「こうして、すでに眺めてきたように、非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を生み落とした。」



(苫野一徳)


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