ブレツィンカ『価値多様化時代の教育』


はじめに

 『教育科学の基礎概念』において、教育学を「科学」たらしめんと試みたブレツィンカは、やがてそれだけではだめだと気づいたようで、『教育学から教育科学へ』においては、教育哲学教育科学実践的教育学の相互補完性について論じることになる(ブレツィンカ『教育科学の基礎概念』『教育学から教育科学へ』のページ参照)。

 そして本書では、ついにより実践的な教育の「価値」についてが論じられることになる。

 しかし、本ブログではこれまでもブレツィンカの著作に対しては批判的な紹介・解説をしてきたが、本書もまた、残念ながらわたしの考えではきわめて不徹底だ。

 というより、「教育科学」を論じていた時はまだそれなりに「学問」性があってよかったかもしれないが(それでもわたしは原理的にいって批判されるべきだと考えているが)、「価値」を論じ始めたブレツィンカの教育論は、保守的などこにでもいる「おじさん」の価値観の披瀝にすぎないとわたしは思う

 教育学を純粋に「科学」たらしめんとした試みがうまくいかず、むしろやはり「価値」を論じなければならないとある意味方針転換したことは、そもそも当たり前のことではあるが一応誠実なことだったと思う。

 しかしだからといって、ほとんど自分の「趣味」的価値観を披瀝するだけでは、それは「教育のメタ理論」を構築するといってきたブレツィンカの研究を、自ら著しくおとしめてしまうことにもなりかねないのではないか。

 もちろんブレツィンカは、本書で「いいこと」をたくさんいっている。しかしそれはどこまでも一般論としての「いいこと」で、そこには哲学的な深みも洞察もほとんどない。

 このブログの多くのページでいってきたように、すぐれた哲学には、「なぁるほど、これは確かにそう言わざるを得ない」と言わしめるような、唸るような「洞察」が必ずある。そうした水準からみた時、ブレツィンカの教育論は、残念ながら、根拠薄弱な「趣味」の表明、よくて一般論にすぎないとわたしは思う。


1.価値の方向づけの危機

 今日、価値観があまりに多様化し、教育はその方向づけの危機に陥っている。ブレツィンカは本書冒頭でそう述べる。そしてそれは、まさに教育の危機である。

「価値の方向づけの危機は、どのようなものであれ教育の危機を惹起せずには措かない。ものごとの価値を評定するさいの確信の無さは、教育における確信の無さに連動する。」

 この危機の背景には、1.合理主義、2.個人主義、3.快楽主義があるとブレツィンカは言う。生きる意味など非合理なものを考えられない合理主義と、個人のわがままと快楽だけをよしとする潮流が、危機の背景にある。


2.どのように危機を克服するか

 ではこの教育の危機を、わたしたちはどうすれば克服することができるだろうか。

 ブレツィンカは言う。必要なのは、躾け、被包感、権威、宗教、道徳的決断といった諸要素だ、と。

 要するに、自信と権威をもってちゃんと子どもたちを導けということだ。

 何とも保守的な一般論ではないかと思うのだが……。


3.解放的教育学とその問題

 危機を生んだ理由の1つに、解放的教育学があるとブレツィンカは言う。

 解放的教育学は、社会改良のための教育を訴えた。

「個人に関心が持たれる場合でも、それはもっぱら社会=政治上の目的を実現するための手段としてだけである。」

 このような教育学は、もっぱら「批判」のみを旨とした。しかしそれでは肯定的な価値など持ちようがない。ブレツィンカは言う。

教育的に批判へと導くことは必要なことであるが、しかしそれは、子どもたちが帰属する共同体の拠り所となっている生活様式や人生解釈を、是認したり肯定的に理解したりするよう導いてやることへの補完としてのみ必要なのである。成長しつつある人間にとって、先ずは所与のものを承認し、その意味を信頼することが優先しなければならない。」


4.信仰の重要性

 ではこの価値なき時代にかえりみられるべきは何か。

 ブレツィンカはその1つとして「信仰」を挙げる。


「信仰篤いキリスト教徒やユダヤ教徒や回教徒にとって、この基本態度は神への信頼から生じる。万物を善きものとして創造し、かつ慈しみ給う人格的な創造主を信じるがゆえに、彼らは、自分たちの生と世界を肯定するのである。このような基本的信念は、おそらく詩篇第三〇篇二節に最も力強く表現されているであろう。「おお主よ、私はあなたを信頼します。私はとこしえに滅びることはないでしょう」。こうした信仰を分かち合うことのできる人こそ、基本的信頼や人生の意味や生きる勇気などを与えてくれる、最も確かな源泉を持つことになる。
 これに対して、そのような信仰を持たない人にあっては、生への確信や世界への信頼を獲得し保持することは、自分にも、またその子どもたちにも著しく困難になる。」

 本書の出版は1986年。いくらなんでも時代錯誤な感を免れないがどうだろう。保守的な「おじさん」の価値観、とわたしがいう理由もここにある。


5.教師の人格

 ブレツィンカはまた、教育にとって最も重要なのは「教師の人格」だと主張する。

「学校に通うということの成果を規定する学校内のあらゆる条件因子の中でも、とくに教師の人格が最も重要な因子であり、それは丁度、家庭教育の成果を規定する家庭内のあらゆる条件因子の中で、親の人格特性が最も重要であるのと同様である。」

 それはもちろん、その通りだろう。

 しかし学校システム全体として考えた場合、一人ひとりの「教師の人格」にあまりに頼りすぎるのは、わたしの考えではかなり非現実的だ。

 むしろ、多様な教師がいかにしてそれぞれの特性を活かし合えるかと考えたほうがいい。

 すぐれた教師はすぐれた教育をする、という固定観念は、教育の世界になお根強い。

 もちろんそれは重要なことだ。しかし、どれだけすぐれた教師といわれても、その先生を嫌いな生徒は必ずいる。その先生に苦しめられていると感じる生徒だっている。逆もまたしかり。

 だから、一人の教師の人格を高めることも大切ではあるが、システム全体として、多様な教師が互いの力を活かし合える教育のあり方を考えたほうがずっと原理的だとわたしは思う。ブレツィンカには、そうした視点がほとんどないように思われる。

 それゆえブレツィンカは、教職科目に「職業倫理学」を設け必修化せよとさえいうのだ。ただし、そのことで「倫理」に嫌悪感を覚える学生もいるだろうがと付け足しながら。


 以上みたように、ブレツィンカの教育「価値」論は、学問的に考究され抜いたものではとうていなく、わたしには彼の趣味の披瀝のようにしか思えない。

 「価値」について、わたしたちは、ざっと挙げただけでも、プラトンやニーチェやバタイユやアーレントなど、きわめてすぐれた洞察を展開した哲学者たちをもっている。

 そうした哲学者たちと比べると、ブレツィンカの「哲学的」探究には、どうしても失望を禁じ得ない。


(苫野一徳)

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ブレツィンカ『教育学から教育科学へ』


はじめに

 後に『教育のメタ理論』と改題された本書。邦訳タイトルは『教育学から教育科学へ』のままだが、教育学を「科学」にせよというあまりに強い「科学主義」との誤解を受けやすいとのことで、後に改題されることになったのだという。


 確かに本書では、教育学を「科学」にせよという、『教育科学の基礎概念』以来のブレツィンカのモチーフに若干の変更がみられる(ブレツィンカ『教育科学の基礎概念』のページ参照)。

 むしろ、教育学を「教育の哲学」「教育科学」「実践的教育学」の3部門に分け、それぞれに固有の方法が必要だということ、そしてそれぞれの役割と相互関係について明らかにしたのが本書だ。

 以前、『教育科学の基礎概念』についてはかなり批判的な紹介・解説を書いた。

 それに比べると、本書には大きな進展がみられるとわたしは思う。

 しかしそれでもなお、わたしの考えでは、本書は「教育のメタ理論」としては不十分だ。

 その理由は2つある。

 1つは、新たに重視された「教育哲学」部門の中心課題を、教育の「規範」「目的」を探究する部門と位置づけながらも、ではそれをどのように解明すればよいかということについて、ほとんど何も明らかにしていないこと。

 もっともこれは、現代教育哲学における最難問の1つとされているから、この点だけをもってブレツィンカを批判するのは、あまりフェアではないかもしれない。

 しかしもう1つの問題は、まさにブレツィンカの研究の“核心”部分であるがゆえにこそ、やはり批判されるべきではないかと思う。

 それは、彼が最も心を砕いた「教育科学」の部門について、その「科学性」をいかに担保するかという考察が不十分だということだ。

 彼自身、自然科学と異なり、研究対象の一回起性と可変性が高い社会科学の法則知は、経験的な一般化に限定されたままであるのか。それとも仮説演繹的な言明体系という厳密な意味での理論となるのかどうかは、目下のところまだはっきりしていない」といっている。

 しかし、改題されたとはいえ、一度は「教育学から教育科学へ」を掲げ、そしてそれまで何度も教育学を「科学」たらしめよと訴えてきた以上、この点を徹底的に解明しない限り、ブレツィンカの研究は不首尾に終わったといわれても仕方ないだろう。

 もっともわたしがブレツィンカにこうも批判的になってしまうのは、彼が探究した「教育のメタ理論」を、わたし自身もこれまでに探究し、そして一定「体系化」し得たと考えているからだ。

 まず「教育の哲学」、すなわち教育の「目的・正当性・構想指針原理」を解明する部門については、そのメタ理論を、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社)など、これまでさまざまな著作で明らかにしてきた。

 「教育の科学」についても、『信念対立の克服をどう考えるか』(北大路書房、共著)などで一定明らかにしてきた。

 2013年現在、これら成果を踏まえて、新たに「教育学のメタ理論」を体系化する研究を進めている。

 こうしたわたしの研究関心からすると、ブレツィンカの研究は、もちろん参考にすべき点も多いが、どうしても不徹底な感を免れない。

 とはいえ、長らく学問として一段低く見られてきた教育学を、しっかりした学問体系たらしめようとしたブレツィンカの研究には、わたしもとても勇気づけられる。

 以下、彼が開いた新領野をみていくことにしよう。


1.教育のメタ理論とは?

 「教育のメタ理論」とは何か?ブレツィンカは言う。

「この種の研究は、教育そのものではなく、教育の理論を対象としているので、それは、『教育理論の批判的・規範的理論』もしくは簡潔に『教育のメタ理論』と言い表すことができるであろう。」

 さまざまな教育理論それ自体を基礎づける理論、それがメタ理論だ。わたしなりにいうと、さまざまな教育理論を「ソフト」とするなら、それらを相補的・協同的・整合的に動かせる「OS」のことと考えればいいだろう。

 そこでまず、ブレツィンカは教育学を次の3部門に区別する。

未分化な教育学から、分化された、教育科学、教育の哲学、実践的教育学へ

 以下、それぞれの部門についてのブレツィンカの考察を概観しよう。


2.教育科学

 まず、教育科学とは、基本的に「社会学」「心理学」に依拠した実証科学のことをいう。

 ヘルバルト以来、教育学の方法は「心理学」に依拠すると言われてきたが、これに当時はまだほとんどなかった「社会学」を付け加えたのだといっていい(ヘルバルト『一般教育学』のページ参照)。

 とはいえ「教育科学」と言われる以上、社会学と心理学に依拠しながらも、その対象はもちろん「教育」一般にある。そしてその課題は次のようだ。

「教育現象およびそれと関連した他の現実の部分を記述することは、教育科学の第一の課題であると一般に認められている。第二の課題として教育科学に課せられるのは、記述された現象を説明することである。現象の原因あるいは現象を成立させている条件が問われるのである。」

 教育現象の記述と説明、これが教育科学の課題である。

 ブレツィンカは言う。この研究において、教育の「目的」は所与である、と。

 つまり、「教育科学」は教育の「目的」は何かを探究するのではなく、与えられた「目的」がちゃんと達成されているか、そしてどうすれば達成されるかを研究するものなのだ。

「教育科学の主要な問題は、教育目標を達成するための諸条件を研究することである。」

 教育の「目的」を探究するのは「教育哲学」の役割だ。「科学」にそれをすることはできない。

 ヴェーバー以来「常識」になっているように、「存在」から「当為」は導けないのだ(ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』のページ参照)。

 では、自然科学に比べてあまりにもソフトなこの「教育科学」は、いかにして「科学」たりうるのか。

 ブレツィンカはこのテーマにさまざまな角度から挑むのだが、先述したように結局答えは明確には出されていない。

 したがって本書における「教育科学」についての記述は、これが「教育哲学」とは明確に区別されるべきだという、ある意味では「常識」的なことを、再確認したにとどまっているのでないかとわたしは思う。

 もっとも教育学においては、従来そのことにさえ無自覚であった面があるとはいえるかもしれないが。


3.教育哲学

 「教育哲学」は、先述したように教育の「目的」「規範」を導出する部門である。

 しかしこの部門は、つねにきわめて大きな困難を抱えてきた。

価値評価や規範といった分野は、非常に広大で見通しがきかないだけでなく、他の知識領域にはほとんど類をみないほど理論的に解明されていない分野でもある。」

「それ以上に重要なのは、価値の認識や規範の根拠づけの可能性と方法に関して意見が一致しないことである。」 

 目的や規範は、それが解明されていないばかりでなく、どう解明すればいいかという、その「方法論」それ自体がはっきりしていないのだ。

 ではその「方法論」をどう構築すればいいか。それこそが「教育哲学」の最重要課題だが、先述したように、ブレツィンカはこの問いに挑まない。やはり本書における「教育哲学」についての記述もまた、これが「教育科学」とは明確に異なった方法を必要とするものだということを、再確認したにとどまるといえるだろう。


4.実践的教育学

 ブレツィンカが提唱する教育学の第3部門は、「実践的教育学」だ。

 これは、「教育哲学」が提示した教育目的を、いかに達成しうるかを明らかにする「教育科学」の知見を活用し、それを状況に応じた「使える」理論として提示していくものだといっていい。

実践的教育学は、むしろ教師に対する自由な理論的提案であり、多元的社会における複数の競合的提案のうちの一つにすぎないのである。

 「すぎない」とはいっても、しかしこれこそが教育学の教育学たるゆえんだともいえるだろう。ブレツィンカ自身、実践的教育学がいかに重要な部門であるかについては言葉を尽くして論じている。


 以上、本書でブレツィンカは、教育学の3部門を明らかにし、それぞれ異なる方法を要すること、そしてそれらが相互作用すべきであることを論じた。

 しかし繰り返し述べてきたように、わたしには、それが従来の教育学の「あいまい」さを払拭するものとしては意義深かったとしても、「メタ理論」と呼ぶにはまだまだその最初の1歩にすぎなかったと思われる。

 とはいえそれでも、大きな一歩ではあっただろう。

 ブレツィンカの問題意識を受けて、長らく「学問」として低く見られ続けてきた教育学を、今後より信頼に足る学問にしていく必要があるだろうし、またそれは可能だろうとわたしは思う。


(苫野一徳)

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西田正規『人類史のなかの定住革命』


はじめに

 名著の誉れ高い本書。最初に出版されたのは1986年だが、21世紀になって、これからの社会を構想する思想家たちの間で改めて大きな注目を浴びるようになっている。

 人類が定住して、約1万年。しかしそれまでの数百万年の間、人類はただひたすら遊動生活を続けてきたのだった。

 「定住革命」は、不安定な生活から安定した生活への進歩を必ずしも意味しない。

 それは、不快なものや危険なものから「逃げる」という、最も基本的な生存戦略を取ることができなくなったということでもあったのだ。

 それだけではない。定住すれば、環境汚染が起こり戦争が起こる。見方によっては、人類はきわめて過酷な環境に自らを追いやったのだとさえいえる。

 なぜ、そしてどのように、人類はこの「定住革命」を遂げたのか。

 西田は本書で、この問いに挑む。


1.遊動生活

 今日もなお、世界には「遊動民」がいる。彼らを観察していると、一見何の意味もないのに、突然キャンプを移動するということがよく起こる。

 それは一体、なぜなのか?

「私たちには、巨大化した大脳に新鮮な情報を送り込み、備わった情報処理能力を適度に働かせようとする強い欲求があるものと考える。好奇心というものがそれであろう。そのために、もしも新鮮な情報の供給が停止することになれば、大脳は変調をきたして不快感を生じることになる。退屈というのはそのような状態であろう。」

 人類は、そもそも一所にとどまることができないのではないか?それはわたしたちを、ひどく退屈させてしまうのだ。

 にもかかわらず、なぜ人類は1万年前、定住生活を選ぶことにしたのだろうか?


2.定住の問題

 定住にはさまざまな問題がつきまとう。

「定住民は、人から逃れることも困難であるばかりか、蓄えた食料や財産からも逃れられない。それを守るには、人と人との間にさまざまな防御の壁を作るしかないのである。

 定住民は、争いから逃れることも、貯め込んだ食料や財産から離れることもできない。

 そしてまた、定住民は「死者」から離れることもできない。墓地を作り、死者たちとの何らかの関係を築いていかなければならない。

 それが、厄除等の儀式を生むことになった起源だろうと西田はいう。

 そのような問題を多く抱えているとはいえ、先述したように、人類にとって定住とはひどく退屈なものである。そこで西田はいう。

「定住者は、行き場をなくした彼の探索能力を集中させ、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面を求めなくてはならない。そのような欲が、どんな場面に向けられるのか予見することはできないにしても、定住以後の人類史において、高度な工芸技術や複雑な政治経済システム、込み入った儀礼や複雑な宗教体系、芸能など、過剰な人の心理能力を吸収するさまざまな装置や場面が、それまでの人類の歴史とは異質な速度で拡大してきたことがある。」

 芸術、儀礼、宗教などは、定住の結果起こった精神的営みなのだ。


3.なぜ定住することになったのか?

 ではこのような定住革命は、いったいなぜ起こったのだろう?

 最大の要因は、やはり環境要因だ。

 氷河期が終わり、大型獣がいなくなる。その結果人類は、温帯へと移住していかなければならなくなった。

 もう1つの要因は、すでにその頃、人類が調理や保存という技術を身につけていたことだ。そのおかげで、人類は大型獣に頼らなくとも、植物や小型獣だけで食いつないでいくことが可能になったのだ。

 最初の定住は、栽培ではなく漁撈から始まったと西田は考える。

「栽培は定住生活の結果ではあっても、その原因であったとは考えられないのである。人類史における初期の定住民は、農耕民ではなく、日本における縄文文化がそうであったように、狩猟や採集、漁撈を生業活動の基盤においた非農耕定住民であっただろう。」

 栽培より、定置漁具による魚類資源の利用の方が、おそらくはるかに簡単だったのだろう。


4.ヒトはいかにヒトになったか?

 西田はさらに歴史をさかのぼり、人類誕生の秘密に迫る。

 なぜわれわれ人類だけが、類人猿の中からヒトになることができたのか。

 西田はいう。それはまず、人類の祖先が中型類人猿であったからだと。

 大型にはとても敵わない。かといって、小型猿のようなすばしっこさがあるわけでもない。

 そこで人類は、道具を手に取った。人類の誕生は、ここに始まった。

 実際、現代においては中型類人猿だけがいないのだという。中型が人類に進化した証拠ではないかと西田は考える。

 道具を手にしたことが、すべての始まりだった。というのも、そのために二足歩行が起こり、人類はサバンナへと足を踏み入れることになったから。

そのためには、手がいつも自由でなければならず、樹上にいることはむずかしい。地上に降りて二足で歩き、棒や石を持ち運ぶしかないのである。

 従来、人類はサバンナに出たことで環境に適応してヒトになったのか、それとももともとヒトになっていて、そこからサバンナに出たのかという論争があった。

 西田は、以上の理由から後者の説をとる。さらに、およそ50万年前に絶滅したギガントピテクスの例もこの説を支持しうる。ギガントピテクスは、サバンナに進出した唯一の大型類人猿だった。にもかかわらず、彼らは環境に適応し「人類」になることがなかったのだ。


5.家族と言語

 最後に西田は、人類のまさに人類たる所以、家族言語について考察する。

 その考察の出発点もまた、中型類人猿の「道具使用」だ。

 武器使用とはすなわち、猿社会における危機を意味する。相手を簡単に殺すことが可能になるからだ。

 そこでまず、それまでの「乱交」状態が見直されることになる。それまではボスが雌を独り占めしていたが、そのことで殺される危険があるくらいなら、性の対象を固定化してしまったほうがいい。

「性の対象をある程度固定的に分配するシステムとしての家族の成立は、乱交的な性関係では避けられなかった性にまつわる緊張関係を軽減するのに、大きな効果を持ったと考えることができる。家族を形成することは、道具を持ち歩く人類が安全を保障するために支払った代償である。」

 これが家族の起源である。西田はそう主張する。

 言語もまた同様だ。

 類人猿は、互いに攻撃し合わないということを、毛づくろいをしたり抱き合ったりすることで示す。

 しかし武器を持った者同士が接触するのはきわめて危険だ。

 そこで人類は「言葉」を生んだ。それはまず、「安全保障の言語」であったはずだ。

「棒や石を持ち歩き、大きな破壊力を手にした人類社会が発達させたであろう原初的な言語は、現代のわれわれの言語活動になぞらえて言うなら、挨拶やムダ話、罵倒や非難などの場面において使う「安全保障の言語」活動であっただろう。」

 そのずっと後、おそらく50万年ほど前に始まった温帯での生活を通して、人類は「仕事をする言語」を身につけた。それは協働の狩りを通して必要になった言葉である。

 本書の最後に、西田は、この「仕事をする言語」が「安全保障の言語」を圧迫している現代社会に警鐘を鳴らす。

「安全保障の言語」が、「仕事をする言語」によって圧迫されているのは、たしかに現代の日本社会における大きな特徴であろう。たとえば教育現場では、形式だけの挨拶が強制され、おしゃべりも、バカヤロウとののしり合うことも禁止された静かな教室から、個々の生徒の心の動きとは無関係に、「水の分子はどんな原子からできてますか。はい山田君、答えなさい」と声がする。会社では「先月の売上げ減少を至急分析して報告してくれ」といった言葉がはてしなく交わされ、そして家庭からは「そんな問題が解けないでどうするの」と聞こえてくる。

 太古の昔を研究する自らの学問成果を、つねに現代社会に資するものとして考えようとする西田の姿勢は、人類学者モース『贈与論』のページ参照)にも似たきわめてすぐれたスピリットだとわたしは思う。


(苫野一徳)

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トッド『デモクラシー以後』


はじめに

ファイル:Emmanuel Todd img 2278.jpg 現代における「デモクラシーの危機」を論じた本書。

 主としてフランスを考察しているが、これはあらゆる先進国に当てはまることだとトッドは言う。

 なぜ世界はデモクラシーの危機に陥ったのか?そしてそこから抜け出す道はあるか?

 「協調的な保護主義」だけが、今日に限っていえば、デモクラシー以後もまだデモクラシーであり続けられる可能性を持っている。

 トッドは本書でそう論じるが、この主張にはかなりの説得力があると私は思う(保護主義については、トッド『自由貿易が、民主主義を滅ぼす』のページも参照)。


1.サルコジ局面

 2007年、ニコラ・サルコジはフランス大統領の座に着いた。トッドは本書を次の言葉から書き起こす。

 なぜ、彼のような人物が大統領になれたのか。「わさわさとして、喧嘩腰で、自己中心的で、金持ちが大好きでブッシュのアメリカのファンで、経済にも外交にも無能なこの男」が。

「疲れを知らぬこの男は、ほんの数カ月で、これ見よがしの態度でパートナーたるヨーロッパ諸国、とくにドイツ人の怒りを買い、EU内でのフランスの地位を弱めることとなった。イランに予防爆撃を行なうと脅しをかけ、ペルシャ湾とアフガニスタンにフランス軍を派遣したのは、彼の攻撃的性向と外交に関する無知無能を同時に実行に移したことにほかならない。フランス軍兵士をアメリカの補充兵に変えてしまうというのは、世界の中での我が国の立ち位置を台無しにすることにしかならない。地球は、「超大国に従順」なフランスなど必要としない。外交理論に則るなら、フランスのような中流大国は、支配的大国に同調したら、とたんに存在を止めることになる。おまけにいまやアメリカが、金融化された経済、解けてなくなりつつあるドル、軍事的挫折に土台を蝕まれて、急速に傾きつつあることを考えるなら、われわれの怒りは不安に変わるのである。フランス行政府の長は、沈没する船にわざわざ乗り込もうとするネズミという、あまり見かけない光景を思い起こさせる始末だ。」

 トッドの批判は辛辣だ。

 しかし問題は、サルコジという個人にあるのではない。問題は、彼のような人物を大統領にまで押し上げた、フランス共和国の人びとの心性にある。フランスはいつしか、これまで大切にしてきた「平等主義」の理想を放棄しつつあるのだ!


2.イデオロギー的空虚、すなわち宗教的空虚

 今日のフランスでは、左派が自らの思想を裏切り、右派もまた国民を見捨てるという裏切りを働いている。そうトッドは指摘する。

 イデオロギーが不明確になり、空虚状態に突入したのだ。

 なぜか。それは最も根源的には、宗教的空虚に理由がある。人びとは、もはやカトリックから遠く隔たってしまったのだ。

 それまで人びとをつなぎ合わせてきたこの宗教的信仰が失われた時、人は激しい不安感に陥ることになった。

幻想から解放されたら、人間はより快適に感じるはずだった。しかし無神論の具体的な歴史は、その論理的説明とは別のことをわれわれに述べている。すなわち、神なき世界の出現は、幸福感につながるどころか、激しい不安、欠落感へと立ち至る。

 そこで新たに表れるのが、「イスラーム恐怖症」だ。フランスには、きわめて異なる習俗システムを持つマグレブ系移民が多数押し寄せている。宗教的空虚状態に陥ったフランスの人びとは、このきわめて「宗教的」な人びとへの恐怖を募らせている。

 この恐怖心が、イデオロギー的空虚の中、フランス国民としての「アイデンティティ」を重視しイスラームを敵視するサルコジのような政治家に、期待を集めさせる1つの要因となった。

 トッドはそう主張する。

 ちなみにトッドは、この「イスラーム恐怖症」が、何ら実体の伴わない「妄想」であることを、他の著作で非常に克明に明らかにしている(『文明の接近』『アラブ革命はなぜ起きたか』のページ参照)。


3.高等教育の停滞と、新しいエリート層の誕生

 今日フランスで起こっている2つめのことは、高等教育の停滞新しいエリート層の誕生だ。

六〇年代半ばから、リセ学生、バカロレア取得者、大学生が数を増し、それによってフランスの教育上の同質性が破綻する。

 かつては、ごくわずかの大学卒業者と、大半の一般大衆というのが基本的な社会構造だった。それが大学進学率の急増により、新たな階層が生まれることになった。

 大学進学者間における、階層の細分化である。

 多くが高等教育を受けられるようになった一方で、今度は一部の超エリートと、そうでない大学卒業者との間に、細かな階層が生まれることになったのだ。

社会は、まるでミルフゥイユのようにいくつもの薄い層が重なる様相を帯びることになる。階層と階層の間のコミュニケーションは希になり、観念や価値や懸念は、水平方向に流通するようになる。職業が本源的な自己同一化の対象となり、社会全体をさらに細かく細分化していく。

 このことが、一部のエリートの「ナルシシズム」と、多くの大衆の「ルサンチマン」をかき立てている。

 今日の超エリート(人口のわずか1%)たちは、大衆を蔑視し、超エリートのためだけの政策を望んでいる。そしてそれは、十分叶えられてきた。

 他方の大衆は、自らの「ルサンチマン」のはけ口を、またしてもイスラームの人びとへの差別心によって満たすことになる。


4.人類学的移行?

 トッドの世界分析の最も根本的な視座は、常に「家族システム」にある。

 詳細は『世界の多様性』などのページを参照していただきたいが、要するに彼のテーゼは、「イデオロギーは家族システムに規定されている」というものだ。

 世界には実に多様な家族のあり方がある。そして人びとの考え方は、この家族のあり方に規定されている。

 たとえば父親が権威主義的な家族の場合、人びとは権威を重んずるイデオロギーを獲得する。

 遺産相続が兄弟平等の場合は、平等主義的な、長子相続の場合は不平等主義的なイデオロギーを獲得する。

 こうしたイデオロギーは、かつてはそれぞれの社会の中にそっと埋め込まれていただけだった。しかし近代化が進むにつれて、このイデオロギーが社会の前面に現れ出てくるようになる。

 近代化とは、最も根本的には「識字化」のことだ。識字化を通して、ものを考え社会の中核を担うようになった大衆は、自らの社会を、まさに自らの家族システムに規定されたイデオロギーに合う形で作り上げていったのだ。

 このことを、トッドはこれまで実に丹念に「実証」し続けてきた。

 さて、この理論からすれば、フランスのパリ盆地の人びとは、大昔から「自由主義」的で「平等主義」的なイデオロギーを抱いて生活してきた。「フランス革命」は、まさに「識字化」に伴って、このイデオロギーが社会の中核イデオロギーになった事件だったのだ。

 ところが近代化がピークを迎えた今日、人びとのイデオロギーは、ついに家族システムからの規定を逸れ始めてしまったのかもしれない。

 トッドはそう指摘する。

中等・高等教育の発達の結果たる、新たな教育上の階層化は、フランスの文化的同質性を破壊してしまった。だから、パリ盆地のフランスを支配する風俗慣習システムが、今後も不変で、永遠に自由と平等という価値を担い続けると先験的に考えることは、できなくなっている。」


5.民主主義のワナ?

 「自由」「平等」のイデオロギーを脱してしまったデモクラシーは、今後どこへ行ってしまうのか。トッドは問う。

 実はそもそも、デモクラシーは一部の人びとを排除することで成立してきた歴史がある。

 アメリカは、ネイティヴ・アメリカンと黒人を排除することで、白人間の平等を作り上げてきた。

 ドイツはユダヤ人を、イングランドは植民地を、イスラエルはアラブ人を排除することで、それ以外の国民の平等を守ってきた。

 フランスはどうだったか。フランス革命期、排除されたのは「貴族」たちだった。

 しかしここで考えるべきは、当時虐げられた人びとが排除したのは、「貴族」、つまり上の人びとだったということだ。フランスには伝統的に、「上」を攻撃することで平等を守ろうとする思想があったのだ。

 ところが今起こっているのは、経済的な最下層の人びと、そしてイスラームの人びとに対する排斥だ。

 サルコジは「アイデンティティ省」などというものまでこしらえた。

「大統領は、己のアイデンティティのテーマを掲げ続けるために、できる限りのことを行なった。国民アイデンティティ省を創設した後、DNA検査を実施すると言いだしたのである。あるいくつかのカテゴリーの移民は、自分の家族関係が現実のものであることを証明するために、この検査を受けなければならない〔家族と偽って入国し、滞在許可証を得ようとする外国人が多かったため〕、という代物だった。」

 まさにデモクラシーの危機というべき発想だ。

このようなアイデンティティへの固着の中に、経済に起因する社会的な怒りの矛先をスケプゴトに振り向けようとする、意識的もしくは無意識の企てを見ないわけにはいかないのである。

 「上」への攻撃を交わすため、「下」の人びとをスケープゴートにする。今フランスで起こっているのは、そういうことなのだ。


6.自由貿易のワナ

 今日起こりつつあるデモクラシーの危機の最大の理由は、「自由貿易」にある。


主に世界市場に向けて生産することになると、企業は、まことに道理に適ったことだが、理の当然として、己が分配する賃金を純然たるコストと考えるようになり、一国の経済の枠内の需要、ということは最終的には己自身のためになる需要に結びつくとは考えなくなる。
 一方こうした賃金は、第三世界の労働者の極めて低劣な賃金との競争関係に入ることになる。もし世界のすべての国のすべての企業が、己の分配する賃金を純然たるコストと考えるようになるなら、安価な労働の大量供給という状況の中で、賃金は圧縮され、需要は生産性の向上に追いつかない、という傾向が現れることになる。これこそが現在における現実の経済的世界にほかならない。」

 経済がグローバル化すると、海外の安い賃金に合わせて自国の労働者の賃金も減少させられる。こうして国内需要はますます減少し、経済は立ち行かなくなっていく。

 この点については、トッド『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』のページに詳しいので参照していただきたい。

 トッドは言う。

昔は特権者たちは進んで慈善活動に取り組んだ。それは、社会的責任についての宗教的感覚から発したものだった。ところが、〔中略〕新自由主義の教条的経済は、いかなる形の福祉的援助も排除することを、人間をこの瞬間における市場での価値に還元することを、要求するのである。

基本的所得格差が法外な比率で増大していくような世界では、富裕者は、己の納税額が減少することを要求し、現に認められる。」
 グローバル経済においては、もはや富者が貧者に援助しようなどという気持ちは起こらない。彼らはむしろお荷物なのだ。

 社会は今、こうして分断化され、そして互いに憎み合っている。そして先述したように、その憎悪は巧みに、イスラームなどの「異質な存在」へと向けられているのである。


7.今後の可能性

 そこでトッドは、今後ありうべき3つの可能性を提示する。最初の2つは、まさにデモクラシーの崩壊を意味するものだ。

 1つめは、「スケープゴート主義」とでも呼ぶべきものだ。

「このような政策を実行するための教義となりうるのは、イスラーム恐怖症しかないであろう。

 2つめは「普通選挙の中止」だ。これは「独裁」の危機を生む。

 トッドはもちろん、これら2つに強固に反対する。

 トッドが掲げる3つめの策は、「協調的な保護主義」の導入だ。

「国境が開いている限りは、給与は下がり、内需は縮小せざるを得ない。非先進国の非常に低い賃金の圧力が止まるなら、ヨーロッパの所得は、まず個人所得が、次いで国家の所得も、再び上昇することができる。

 とにかくまずは給料を安定させ、内需を復活させなければならない。そうでなければ、グローバルな競争にさらされて、多くの労働者が、ますます貧しい生活を強いられることになるだろう。

 今日のヨーロッパにおいて、この保護主義へと舵を切れるのはドイツだけだ。

「保護主義の問題についてドイツに真っ向から働きかけるのは、攻撃を仕掛けるということではなく、逆にドイツの重要性を認めることであり、ドイツが、己の政治的地位に相応しい行動をし、ヨーロッパについての責任を自覚するよう要求することである。」

 トッドは本書を次のように締めくくる。

「それが実現した場合、唯一その場合にのみ、こう断言することができる。デモクラシーの後も、やはりデモクラシーであるだろう、と。


(苫野一徳)

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