エリアーデ『世界宗教史』(2)



はじめに

 前巻に続いて本巻で取り上げられるのは、インド・ヨーロッパ諸民族の宗教、ギリシア宗教、ゾロアスター教、そして預言者の時代のイスラエル宗教だ。


1.インド・ヨーロッパ諸民族の宗教――ヴェーダの神々

(1)インド・ヨーロッパ諸民族の侵略

 インド・ヨーロッパ諸民族は、黒海の北、カルパチア山脈とコーカサスの間の地域に発祥したとされている。

 この辺りには、前5000年紀から3000年紀のあいだに、墳墓(クルガン)とよばれる文化が展開していた。墳墓は首長の遺体専用の墓だったらしい。

 彼らは、前2300年から1900年頃のあいだに、ギリシア、小アジア、メソポタミアへと移動し、多くの都市を略奪した。

 こうして、インド・ヨーロッパ諸民族が、歴史の表舞台に現れることになる。

 この征服と同化の過程を通して、「天」や「神」をあらわすインド・ヨーロッパ語は、さまざまな地域の神の名前の中に取り入れられることになった。

もっとも初期の研究から、インド・ヨーロッパ語の語根〔*deiwos〕「天」が、「神」を意味する諸語(ラテン語〔deus〕、サンスクリット〔deva〕、イラン語〔div〕、リトアニア語〔diewas〕、古ゲルマン語〔tivar〕)や、ディアウス、ゼウス、ユピテルといった主要神の名のなかに認められてきた。」

 インド・ヨーロッパ諸民族は、社会に3つの区分を設けた。

 ①祭司②戦士③農耕・牧畜民、である。

 これら3つに、それぞれの神々が対応する。

 たとえば古代インドでは、祭司階級ブラーフマナにはヴァルナミトラという神が、戦士階級クシャトリアには、インドラという神が、そして生産階級であるヴァイシャには、ナーサティア双神が対応している。


(2)ヴェーダ時代

 前2000年はじめ、アーリア人が西北インドに侵入した。彼らの持ち込んだ聖典は「ヴェーダ」と呼ばれ、これが作られた前1500〜500年ごろまでは「ヴェーダ時代」と呼ばれている

 このヴェーダ時代の終わりに、社会の4階級が完成する。①バラモン(神官)、②クシャトリヤ(軍人・貴族)、③ヴァイシャ(庶民)、④シュードラ(奴隷)、である。

 階級を現す「ヴァルナ」という言葉には、「色」という意味があるが、これについてエリアーデは次のように言う。

「これはインド人社会の根底にあった人種的多様性を示している。」    

 ちなみに、「ヴェーダ」はエリート、つまりバラモン階級だけの信仰だったことは記憶されておく必要がある。ヴァイシャやシュードラといった他階級の人たちは、のちのヒンドゥー教に似た信仰を持っていたらしい。


(3)至上神ヴァルナ

 「ヴェーダ」において、最初に現れるのは天空神ディアウスだ。

 しかし彼の地位は、早い段階で至上神ヴァルナ(別称アスラ)(右絵)に取って代わられる。

 ヴェーダの諸テクストには、このヴァルナ(アスラ)が神々(デーヴァたち)と戦った様子が描かれている。

 ヴァルナ(アスラ)は神々(デーヴァ)に敗れる。

 ここでヴァルナ(アスラ)は、原初の混沌を象徴しているように思われる。そして若い神々デーヴァたちの勝利は、この混沌の克服を意味しているのだ。

つまり混沌の「状態」から秩序だった世界である「字宙」への移行である。 」   

 混沌の秩序化という神話は、前巻で取り上げたメソポタミアにも見られたおなじみのテーマである。

 ヴァルナはしかし、ヴェーダではさまざまな神々と総合されていく。

 彼はどこまでも至上神である。


「ヴァルナがもっているこのような曖昧さと両価性は、いくつかの点で重要である。しかし、われわれにとってとりわけ注目に値するのは、相反するものの結合の範例的な性格である。」

敵対する存在の共通の先祖というのは、原初の統一性全体性を説明するのに好んで用いられるテマのひとつである。    

 ヴァルナと一体化される神に、ミトラがいる。

「彼の役割は、ヴァルナと離れている場合には二次的なものである。〔中略〕彼は平和を好み、情け深く、法を司り、聖職者の側面を具現することで、ヴァルナと主権のもつ属性を共有しているのである。」

「彼は〔中略〕人格化された「契約」なのである。」

 ヴァルナ—ミトラの一体化は、その後、あらゆる敵対的なものの総合の象徴とされていくことになる。


(4)インドラ

 インドラ(右絵)は、ヴェーダの中で最も人気のある神だ。


 彼の重要性は、ヴリトラ竜との戦いとその勝利に顕著だ。

 前巻の紹介・解説ページでも述べたように、竜は「原初の水」、つまり混沌の象徴として、世界中の神話に登場するものだ。したがって、この竜の退治は、混沌の秩序化を意味する。

 たとえば、前巻でも見たカナンの神バアルは、竜ヤムを退治する。

 同じように、インドラはヴリトラ竜を退治する。

要するに、潜在的なるもの、「混沌」の象徴であり、「土着的なるもの」の象徴でもある蛇類の怪物を殺すことによって、宇宙的、あるいは制度的な新しい「状況」が存在するようになるのである。」


(5)ヴィシュヌとルドラ−シヴァ

 インドラがヴリトラ竜と戦う時に、彼を助けたのがヴィシュヌ(右絵)だ。

 言うまでもなく、その後のヒンドゥー教の神となった神だが、ヴェーダの1つ『リグ・ヴェーダ』にも登場している。

「彼は三歩で空間をまたぎ、三歩目で神々の住処にいたった」と言われる。

 このことから、エリアーデはヴィシュヌについて次のように言う。

「ヴィシュヌは無限の空間的広がり(コスモスの構成を可能にするもの)、生命を盛んにする幸運の万能のエネルギー、世界を固定する宇宙軸といったものを同時に象徴しているように思われる。」

 同じくヒンドゥー教の神となったのは、有名なシヴァ神(右絵)だ。

 シヴァは、ヴェーダではもともとルドラと呼ばれ、破壊的で悪魔的な神とされた。

「彼は神々のあいだに友をもたず、人間を愛することもなく、悪魔的な怒りによって震えあがらせ、病気や災害によって殺害する。彼は髪を三つ編みにしていて、暗褐色の肌をして一いる。彼の腹は黒く、背中は赤い。彼は弓矢で武装し、獣の毛皮を身にまとい、お気に入りの場所である山々に出没する。彼には数多くの悪魔的存在との交わりもある。」


(6)「馬の供犠」と「人の供犠」

 エリアーデは、ヴェーダで行なわれていた恐るべき「供犠」についても伝えている。

 「馬の供犠」アシュヴァメーダである。

「これを行なう資格を有するのは、戦争に勝ち、「世界全体の支配者」としての地位を得た王に限られていた。しかし、この供犠の結果は王国全体に及び、実際、アシュヴァメーダは国全体の穢れを潔め、豊饒と繁栄を保証すると考えられていた。」    

 準備のための式典は1年におよび、その間、1頭の雄の競走馬が他の100頭の馬とともに自由な状態におかれる。    

 時期が来ると、この競走馬は窒息死させられる。

 その後、4人の王妃が屍体のまわりを取り囲み、うち1人の主妃が、その馬と性交の真似をする。

「この間、祭司と他の王妃たちは猥褻な冗談を交しあう。主妃が立ち上がるとすぐに、馬をはじめとする犠牲獣は解体される。」 

 これはいったい、何を意味しているのだろうか。エリアーデは言う。

「この供犠は宇宙全体を再生すると同時に、すべての社会階級と職業を、その最上の範型に倣って再建するという任務を担っている。 」   

 さらに、「人の供犠」プルシャメーダがある。これは、「馬の供犠」の人間版だ。

「犠牲獣のほかに、バラモンもしくは雌牛千頭と馬百頭の値段で買われたひとりのクシャトリアが犠牲に供された。彼もまた、一年のあいだ自由を与えられ、殺されるとすぐに王妃がその屍体の傍らに添い寝をした。プルシャメーダは、アシュヴァメーダによって手に入れることのできないものすべてをもたらすとみなされていた。」    


(7)宇宙創造神話

 ヴェーダの宇宙創造神話は、少なくとも4つある。

(1)原初の水の受胎による創造、(2)原初巨人プルシャの解体による創造、(3)有でもあり無でもある単一体—全体からの創造、(4)天と地の分離による創造。」

 (1)(2)(4)は、よくあるアルカイックな宗教イメージだ。

 特筆すべきは(3)である。

 『リグ・ヴェーダ』では、原初には無もなければ有もなかったとされている。

 しかし、ある「熱力」(タパス)が「胚胎」を生じさせた。そしてその種子から、「欲望」(カーマ)が生じた。

 エリアーデは言う。

「この驚くべき主張は、インドの哲学思想の主要命題のひとつを先取りしている。」    

「意識のみならず宇宙もまた、生み手の欲望(カーマ)によって生み出されるのである。ここにわれわれは、サーンキヤ・ヨーガ哲学と仏教の萌芽形態を認めることができる。」    


(8)プラジャーパティ

 『ブラーフマナ書』には、宇宙創造神プラジャーパティも描かれている。

「彼は苦行(タパス。字義どおりには「熱」)によってみずからを極限まで熱くして、その放射によって創造した。これは、原始的な宇宙創造物語にみられるような発汗によるものか、あるいは精液の放射によるものとして理解できる。」

 『ブラーフマナ書』には、このプラジャーパティと、祭火壇を作ることによって一体化する儀式について書かれてある。

 エリアーデは言う。

「はやくもブラーフマナ書の時代において、ブラフマンとアートマンは暗に同一化されていた。」    

 ブラフマン(宇宙の根本原理)とアートマン(個)の一体化(梵我一如)は、ヒンドゥー教やインド哲学の根本原理だが、その萌芽はすでにブラーフマナ時代(前900—500)に見られるのだ。


(9)輪廻転生と解脱

 ここから、輪廻転生の思想が発展していくことになる。

肉体から遊離した「魂」(アトマン)は一体どうなるのであろう。いずれにせよ、それは完全に消えさったりはしない。〔中略〕これから導かれる結論として、地上を超越した世界で、至福であれ苦難であれ死後の生活を経験したあとに、魂は再び地上に生まれてこなければならなかったというわけである。これが輪廻の法、サンサラであり、いったん発見されると「正統派」、異端派(仏教とジャイナ教)を問わず、インドの宗教的、哲学的思想を支配することになったのである。    

 この輪廻転生から、人はどうすれば逃れられるのか?つまり解脱できるのか?

 その答えは、まだ体系化はされていないが、ヴェーダにおける「ウパニシャッド」にすでに書かれている。

「今や知恵は、実在の深遠な構造を開示することによって、絶対の真実を把握することができるものと考えられるにいたった。こうした「知」は、人間の定めとみなされている「無知」(アヴィドヤー)を、文字どおり滅ぼすにいたる。」  

 円環からの解脱は、知によって可能になるとされたのだ。

「要するに、解脱はこの「神秘」を認識することで可能となる。ひとたび全体/一者の逆説的な現われがあきらかにされれば、人は宇宙的過程の仕掛けからみずからを解き放つことに成功する。」    


2.ゼウスとギリシア宗教

(1)ゼウスの誕生


 続いてギリシア神話を見ていこう。

 『神統記』の著者ヘシオドスによれば、世界にはまず混沌(アビュス)しかなかった。

 そこから、ガイア(大地)エロスが生じた。

 ガイアはウラノス(天)を生む。

 ガイアとウラノスは親子で聖婚し、ここからウラニデス(神々)が生まれる。

 しかしウラノスは、この子供たちを憎んだ。

 そこで、ウラノスの子クロノスは、父親ウラノスの陰部を鎌で切り取った(右絵)。

 海に投げ捨てられたウラノスの性器からは白い抱が湧きたち、アプロディテが生まれた。

 クロノスは父親に取って代わった。そして姉妹であるレアと結ばれ、ヘスティアメテルヘラハデスポセイドンの5人の子供をもうけた。

 しかしクロノスは、ガイアとウラノスから、「いつの日か、みずからの息子によって打ち倒される」定めにあると教えられていたので、子供たちを、生まれるやいなや呑みこんでしまっていた。

 これに怒ったレアは、ゼウス(右写真)が生まれそうになるとクレタ島に赴き、生まれた子を洞穴に隠した。


 成長すると、ゼウスは、クロノスに彼の兄弟や姉妹を吐き出させた。ついで彼は、ウラノスによって縛られていた父の兄弟たちを解き放った。

 これに感謝して、神々はゼウスに雷と電光を送った。

 こうして力を得たゼウスは、父クロノスをついに打ち破る。

 インドにおいて、インドラがヴリトラ竜を倒したのと同じく、これは宇宙の再秩序化を意味している。

 エリアーデは言う。

「ある意味では、ゼウスは世界を新たに創造したといえよう。

 その後、ゼウスは籤によって支配権を3つの宇宙的領域に分割する。

 その結果、大洋はポセイドンに、地下界はハデスに、天はゼウスに割りあてられ、大地とオリュンポス山は彼らに共通に属することになった。

 

(2)ギリシア宗教の悲観主義

 ギリシア宗教は、総じて悲観的である。

 古代ギリシアの有名な劇作家ソポクレスらも、「人の最上の運命は生まれてこないこと、あるいは生まれたならできるだけ早く死ぬことだ」と述べている。

 ギリシア宗教の悲観主義は、人間が、これまで見てきたメソポタミアの宗教や一神教の教えとは異なり、神に創造されたものではない点にある。


「したがって人間にとって神々と「親密な関係」を樹立できるなどとは望むべくもない。他方、彼は自分の生命が、運命によってすでに定められていることを知っている。〔中略〕結果として、死は誕生の時に定められていることになる。」

 ここから、古代ギリシアでは「今を生きる」ことの重要性が強調されることになる。

「何よりも強調されねばならないのは、現在という時の宗教的な価値づけである。現に存在すること、時間の中に生きることという単純な事実が、ある宗教的次元をもちうるのである。」    

 これは、宗教的というよりは、きわめて現世的かつ凡庸な考えだ。

 しかし、こうした「あたりまえ」の凡庸さが宗教的次元にまで高められた例は、古代ギリシアのほかにも、中国や日本において見られるとエリアーデは言う。


(3)アポロン

 ギリシアの神々の話に戻ろう。

 アポロン(右写真)と言えば、私たちは明朗快活さをまずイメージする。

 しかしこの神は、ギリシア神話において、幾度となく、復讐、嫉妬、さらには怨恨によって理性を失ってしまう。

 アポロンもまた、竜退治を行なっている。これもまた「原初的混沌」の克服を象徴するが、特に、ギリシアの神々以前の、土着の神々の克服を意味しているのだろう。


(4)デルポイ

 「デルポイの神託」で有名なデルポイは、アポロン以前から神託の地として知られていたが、アポロン以降、新しい方向づけを与えられることになった。

「神託はピュテイア(女祭司)、および占いに加わった予言者によって与えられた。〔中略〕きわめて重要な事柄の場合には、アポロンに霊感を受けたピュティアが、神殿の地下室で預言を行なった。」

 この時、巫女は一種の忘我状態に陥ったが、それがどのようにしてだったかは知られていない。

「伝承によれば、彼女が神託に用いた鼎は大地の裂け目(カスマ)に置かれ、裂け目からは超自然的な力をもつ蒸気がたち昇ったとされる。」

 デルポイにかかげられた有名な言葉、「汝自身を知れ!」。これはアポロンの教えである。

「アポロン的な明晰さは、ギリシア人にとって精神しるし完全さの、つまりは精神そのものの徴となった。」    


(5)アプロディテ

 ギリシア神話には、ヘラ、アルテミス、アテナなどの女神が登場する。

 中でも、アプロディテ(右写真)はきわめて特異な神である。


「アプロディテは、人や神々とならんで、動物にも「欲望を起こさせる」のである。彼女は、「ゼウスの理性さえも」狂わせる。」

「ここには性欲の宗教的正当化がみられる。」

(6)エレウシスの密儀

 古代ギリシアでは、詳細の分かっていないある密儀が行なわれていた。

 エレウシスの密儀と呼ばれている。

 事の発端は、女神デメテルの娘ペルセポネが、ゼウスの命によりプルートーにさらわれたとする神話にある。

 怒ったデメテルは、オリュンポス山に戻らずエレウシスへ向かう。

 このエレウシスで、デメテルは女王メタネイラに出会い、その子デモポンを育ててほしいと頼まれる。

 願いを引き受けたデメテルは、デモポンを不死にしてやろうと儀式に取りかかる。

 ところが、デモポンが火の中に入れられているのを見た母親の女王メタネイラが嘆き悲しんだため、儀式は取りやめられることになる。

 デメテルは言う。

「何も知らぬ人間どもよ、迫りくる良き定めも、悪しき定めも見通せぬ愚かな者どもよ」    

 その後、デメテルは神殿を作らせ、その中に引きこもる。

 そのために、世界には旱魃が起こる。

 ゼウスはとうとう折れて、デメテルの娘ペルセポネを返す。

 世界には緑が戻り、デメテルもオリュンポスへと帰ることになる。

 その直前、デメテルは人間たちに密儀を教えた。デメテルは言う。

「これは聴くことも語ることも許されぬ、侵すべからざる神聖な秘儀であり、神々に対するおおいなる畏れが声を閉じ込めてしまう」    

 この密儀は、死後の至福を得るための儀式であったと考えられている。

 この密儀が開始されたのは、前15世紀ごろ。以来2000年にわたって、エレウシスで続けられることになる。

 しかしその詳細は、今なお分かっていない。


いくつかの段階があったらしく、小密儀、大密儀(テレタイ)、そして最終的な体験であるエポプテイアが確認される。テレタイとエポプテイアの真の秘密については、けっしてあきらかにされなかった。」

 エポプテイアでは、おそらく、デメテルとペルセポネの再会が再現されたのだろう。

「この再会がどのような形で実現したか、そしてその後、何が起こったのかはわかっていない。また、なぜそうした光景がイニシエションを受ける者の死後の状態に、根源的な変化をもたらすと信じられていたのかもわかっていない。」    
 
 こうした密儀の存在は、その後のギリシアの医術や哲学に大きな影響を与えることになった。

「新ピタゴラス派とプラトン派の時代にもっともよく用いられた常套句のひとつは、まさに、偉大な哲学者たちの謎めいたスタイルのものであった。つまり、教師は真の教義を参入者にのみあきらかにするという考えである。    


(7)ディオニュソス

 ディオニュソスは、ゼウスと人間の娘セメレとの息子である。

「神話によれば、彼はゼウスとテーバイ王カドモスの娘セメレとの息子である。嫉妬に燃えるヘラによって罠に掛けられたセメレは、ゼウスに対し、彼女にその天神としての真の姿を見せるように求める。王女はその軽はずみな行為のためゼウスの雷霆に撃たれ、流産してしまう。しかし、ゼウスは胎児をみずからの太腿に縫い込み、数か月ののちディオニュソスが誕生した。つまり、彼は文字どおり「二度生まれた者」なのである。」    

 古代ギリシアには、ディオニュソスの密儀もまた存在した。

儀式は村から遠く離れた山や森の中で行なわれる。生贄を八つ裂き(スパラグモス)にし、生肉を喰らうこと(オモファギア)によって、神との交流が実現される。 」   

 この儀式は、人間には近よりがたい自由と自発性の獲得、つまり人間の解放を意味していたと考えられている。


3.ザラスシュトラとイラン宗教

 続いて、イランのゾロアスター教を見ていこう。

 開祖はザラスシュトラだが、彼は、それまでのイラン宗教を改革したとも、あるいは、そもそも存在さえしていなかったとも言われている。

「伝承によれば、ザラスシュトラは笑いながらこの世に誕生したという。彼は生まれるやいなやデーウたちに攻撃されたが、マズダー教の聖句を唱えて彼らを撃退した。」

 また彼は、薪とともに焼かれたり、狼の穴に投げ入れらたりと、4つの試練に耐えた。

 こうしたイニシエーション的エピソードは、あらゆる神話に共通するものである。

 ゾロアスター教は、アフラ・マズダーを最高神とする。

アフラ・マズダーはいくつかの存在(アシャ、ウォフ・マナフ、アールマテイ)の父であり、また双子の霊の一方のスプンタ・マンユ(善霊)の父でもある。しかしこれは、彼が双子の残りの一方、アンラ・マンユ(悪霊)も生んだことを意味する。」    

 したがって、これは一神教ではない。

ザラシュトラが唱え、弟子たちにモデルとして与えるのは、神と他の神的諸存在の選択である。アフラ・マズダを選ぶことにより、マズダ教徒は悪よりも善を〔中略〕選ぶことになる。〔中略〕この緊張関係は、ほどなく二元論を生み出す。世界は善と悪に分かれ、あたかもすべての宇宙的・人間的なレベルに善性とその反対物の対立が投影されるようになる。 」   


4.王と預言者の時代のイスラエル宗教

 前巻の最後に、イスラエル宗教における「創世記」から「士師時代」までを見たが、本巻ではその続きが述べられている。

 イスラエル最初の王は、サウルである(前1000年紀)。その後、ダビデソロモンと続く(列王記)。

ヤハウェは王に世界の統治権を与え、王は主の傍らの王座に座す。王はヤハウェの代理人であり、したがって神的世界に属する。しかし、ヤハウェの比類なき地位のゆえに、王の「神格化」はありえない。王は、何よりもヤハウェの「しもべ」なのである    

 この時代、アモス、ホセア、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言者たちが登場する。

 彼らは皆、イスラエルの堕落を非難した。特に、前巻で見た、カナンの土着の神バアル信仰を非難した。

預言者がまずわれわれを驚かすのは、彼らの祭祀批判、そして宗教融合、つまりカナンの影響――彼らのいう「姦淫」――を攻撃する際の彼らの激しさである。しかし、彼らが非難してやまないこの「姦淫」とは、宇宙的宗教性のもっともひろくみられる形態のひとつなのである。」    

 バアル、それは、世界中で見られるアルカイックな宇宙的宗教性の1つである。

 エリアーデは言う。

「宇宙的宗教性がこれほどひどく攻撃された例はない。 」

 預言者たちを通して、イスラエル宗教は厳格な一神教になっていくのだ。

 その間、アッシリアの攻撃や、バビロンのネブカドネザル王によるエルサレムの陥落およびいわゆる「バビロン捕囚」といった悲劇が、イスラエルの民たちを襲う。

 これらの苦難は、預言者たちの言葉の通りだった。

言者たちの言葉が成就したことで、彼らの教え、とくに歴史的諸事件はヤハウェの業であるという教えが確証されるにいたった。」    

 ここに、神の意志としての歴史という観念が登場することになる。

「こうして、預言者たちははじめて歴史を価値づけた。これ以後、歴史的諸事件はそれ自体で価値をもつようになる。それは、神の意志によって定められたものだからである。」

「神の顕現としての歴史の意義を最初に発見したのはヘブライ人であるといってよいだろう。」    






(苫野一徳)

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