ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(2)



はじめに

 前巻に続いて、本巻では、なぜ世界の覇権を握ったのがヨーロッパ人であったのかが解明される。

 銃・病原菌・鉄。世界を支配する武器となったこれらを、ヨーロッパ人はなぜ生み出すことができたのか?

 人種的説明を斥け、ダイアモンドは、その究極要因をユーラシア大陸とヨーロッパの地理的条件に見出そうとする。

 スリリングなマクロ人類史。


第3部 銃・病原菌・鉄の謎(承前)

第12章 文字をつくった人と借りた人


 人類の文明において、独自に発明された文字システムは次の4つである。

 前3000年〔前3500年?〕のシュメール、前3000年のエジプト、前1300年の中国、前600年のメキシコ

 メキシコのマヤ文字は、シュメールやエジプトとはまったく関係なく発明された。しかしその原則は、他の文明で発明された文字とよく似ている。ダイアモンドは言う。

「中米と西ユーラシアの文字が、基本的に似たような原則にしたがって構成されていることは、人間の創造性が世界共通であることを裏づける証拠でもある。」

 古代シュメールの王族や僧侶は、書記に文字を使わせて、税として取り立てた羊の数を記録させていた。文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった」のだ。

 つまり、文字が誕生するためにも農耕社会が必要だったのであり、そしてその農耕に恵まれていた土地は、前巻で見てきた通り、そのほとんどがユーラシア大陸だったのである。

 こうして文字を持った人びとは、文字を持たない人びとをやがて支配していくことになる。


第13章 発明は必要の母である

 必要は発明の母であると言われる。しかし実際は、発明が必要の母である場合の方が多い。

「実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考えだされている。」

 たとえば、内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタ(半導体)などは、発明された当時、どういう目的で使ったらいいかよくわからなかったのだ。

 このことを人類史規模で考えてみるならば、ユーラシア大陸の人びとが技術を発展させたのは、彼らが他の大陸の人びとに比べて優秀だったからというわけではなく、ユーラシアには、やはり食料や家畜資源などが豊富にあったからだということが分かる。

 豊かな資源を利用した発明があり、そこから必要が見出され、技術がますます発展することになったのだ。


第14章 平等な社会から集権的な社会へ    

 これまで見てきたように、社会が高度化し集権化したグループほど、他の集団に対して強力になる。

 では、そもそも人間集団は、どのように集権的な社会へと発展していったのだろう?

 人間集団の最小単位は、5〜80人からなる小規模血縁集団(バンド)である。メンバーのほぼ全員が、血縁関係か婚姻を通した関係にある。

「現在では、自給自足の生活を送っている小規模血縁集団は、ニューギニアやアマゾン川の奥地にしかいない。 」   

 次の単位は、数百人規模の部族社会。この規模になると、農耕生活をしている場合が多い。

 比較的人数が多い部族社会は、首長社会になる傾向がある。

「その原因の一つは、集団が大きくなるにつれ、知らない人間同士の紛争解決がしだいにむずかしくなるからである。」    

 しかしこの首長は、決して独裁者ではない。ニューギニア高地の集落には、ビッグ・マンとして知られる首長がいることが多いが、彼らの権限は限られている(この点については、人類学の古典、モルガン『古代社会』に詳しい)。

 しかし、数千人から数万人規模になると、社会は次第に集権的になる。

「ビッグ・マンと異なり、首長は外見によって遠くからでも識別できるたとえば、太平洋南西のレンネル島の首長は、大きな扇状の飾りを背中につけていた首長に出くわすと、平民は、特別の儀礼にのっとって敬意を表すことが義務づけられていたハワイの場合は、平民が地べたにひれ伏していた。

 経済もまた、贈与交換システムから、まずは首長に集約し、再分配するというシステムに変わっていく。

 こうなると、一部の権力層と平民層へと社会が分かれていくことになる。

 そこで権力層は、次の4つの方法で平民層の不満をおさえつつを支配した。すなわち、①武器の取り上げ、②富の再分配、③秩序の維持、④イデオロギーや宗教、である。

 宗教と権力との結びつきは、こうして生じたのである。

 首長社会がさらに大規模になると、それはやがて「国家」になる。

 ダイアモンドによれば、国家誕生の理由は、単純に人口が増加したことによる。

 よく、灌漑施設の建設が必要だったために集権的な国家が登場したと言われるが、ダイアモンドによれば、それは正確な理解とは言えない。

 というのも、歴史的に見て、灌漑施設は国家が登場してかなりの時間が経ってから作られているからだ。

「つまり、複雑な治水管理のための灌漑施設があったところでも、それらは国家が形成された結果登場した二次的産物であって、国家が形成された理由ではない。」    

 むしろ、人口増大により集権的な国家ができたことで、灌漑施設の建設も可能になったと考えるべきなのだ。

 では人口増大はどのように起こったのか?

 言うまでもなく、食料生産によってである。前巻で見たように、肥沃三日月地帯は特に食料生産に恵まれていた。そしてそのために、人口が増大することになったのだ。

 ではなぜ、人口増大に伴って集権的社会ができあがるのか?ダイアモンドは次の4つの理由を挙げる。すなわち、①内部紛争の増大、②意志決定の困難さ、③富の再分配の必要、④交易の必要、である。

 小規模血縁集団や部族社会であれば、互いに血縁関係であったり知り合いであったりするために、もめ事も関係者同士で解決しやすい。しかし人口が増大するにつれて、事はそう単純ではなくなっていく。

 また、社会が複雑化するにつれ、様々な不公平も生じるため、これを調停し、また富を再分配する権力が必要になってくる。

 そして人口の増大に伴って、内側だけで自足できず、交易が必要になる。そうなると、意志決定者・責任者としての権力者が登場することになる。

 さらにもう1つ、重要な要因として「外敵の脅威」を挙げることができる。外敵から身を護るため、あるいは外敵との戦いに打ち勝つためには、集権化したまとまりのある社会のほうが有利なのである。


第4部 世界に横たわる謎


第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー

 前巻でも見たように、人類がアフリカとユーラシアからの最初の大移動を行ったのは、約5万年前。最初の行き先は、当時まだ地続きだった、オーストラリアとニューギニアだった。

 今から1万2000年から8000年前、最終氷河期の終わりとともに、この二つは分断された。そしてそれぞれに暮らす人びとの運命は、その後まったく違うものになる。

 ニューギニア人は農耕生活民に、オーストラリア人は狩猟採集民になったのだ。

 なぜか?

 ニューギニアは、肥沃三日月地帯と同じくらい農業生産に適した土地であり、他方のオーストラリアは、きわめて貧しい土地だったからだ。

 しかし、ニューギニアは恵まれていたとは言っても、オーストラリア同様最終的には最後進地になってしまった。

 その理由として、ダイアモンドは次の3点を挙げる。

 まず、ニューギニアで穫れる動植物は低タンパクのものが多かったこと。次に、面積がきわめて狭かったこと。さらに、その中でも山岳中腹地帯だけが農業に適していたこと。

 ニューギニアの低地はほとんどが沼地で、そのためニューギニアでは人口が増えなかった。さらには、起伏が多い地形のために、何千もの小集団に分散していた。

 そのため、ニューギニアには何と1000もの全く異なった言語が存在している。こうした社会では、大社会など作れるはずもなかったのだ。

 しかし、そんな後進地ニューギニアに、ヨーロッパ人が侵入したのはきわめて遅い時期だった。アメリカ大陸の、実に400年後のことである。

 その最大の理由は、ニューギニアにマラリアが存在した点にある。また、気候があまりにも違いすぎたため、ヨーロッパの農作物が育たなかったことにもよる。

 そのため、ニューギニアは、最終的にはヨーロッパの支配を免れることになる。現在、ニューギニアの東(パプアニューギニア)はニューギニア人によって治められ、西は(オランダから独立した後の)インドネシア領である。

 それに対して、オーストラリアはヨーロッパ人に蹂躙されることになった。

 乾燥した不毛な大地であったとは言え、オーストラリアにはヨーロッパ人の作物が育ちやすかったからである。そしてまた、オーストラリアには、ニューギニアのような病気もなかった。

 白人の銃・病原菌・鉄によって、アボリジニもまた、実にその80%もの人口が滅亡してしまったのだった。



第16章 中国はいかにして中国になったのか

 続いて中国について。

 中国の特徴は、早い段階からのその中央集権的な統一にある。

 周王朝は、紀元前1100年から紀元前221年までつづいているが、その歴史を記した記録には、中国語を話す国家が、中国語を話さない人びとを征服し、併合したことが書かれている。

 中国がそのような統一政権を作り上げられた大きな要因には、黄河と揚子江、そしてこの2つを結ぶ運河の存在があった。

 このことによって、中国の文化的・政治的統一が可能になったのだ。

 それに対して、西ヨーロッパは起伏が激しい地形で、統一が困難だった。

 この対照が、のちに見るように、世界の覇権を握ったのが中国ではなくヨーロッパになった大きな理由となる。


第17章 太平洋に広がっていった人びと

 続いて、オーストロネシア人(オーストロネシア語族の人びと)について。

 彼らは過去6000年の間に、人類史上最大の大移動を行っている。

 出発地は、中国南部の沿岸。ここから、台湾、フィリピン、インドネシアへ渡った。

 ニューギニアへも渡ったが、ここには前述の通りすぐれた先住民が高地におり、また低地はほとんど沼地だったため、支配するにはいたらなかった。オーストラリア北部や西部も、自然環境が厳しく入植できなかった。

 しかし彼らは、その後、フィジー、サモア、トンガ、さらにはハワイ、イースター島、ニュージーランドなどへと渡っていく。西側へも進み、西暦500年には、なんと6000キロ以上も離れたマダガスカル島にまで到達している。まさに大移動である。

「アジア人のパイオニア集団が太平洋の探検を終えたのは、西暦一四〇〇年頃に彼らがニュージーランド沖のチャタム諸島に入植したときである。それは、ヨーロッパの「探検家」たちが太平洋にやってくるほんの一世紀前の話であった。」


第18章 旧世界と新世界の遭遇

 続いて南北アメリカ大陸だが、この章は前巻の第3章とかなり内容が重複している。ユーラシア大陸には豊富な野生動植物種があったこと、さらに東西に伸びる大陸であるがゆえに、伝播が早く、そのため競争による進歩も早まったことなどが繰り返される。

 それに加えて、本章では、ユーラシア大陸には100万年前から人類がいたのに対して、アメリカには12000年前からであったという、時間的なハンディキャップが強調されている。


第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

 続いて、アフリカについて。

 人類が初めに誕生したアフリカだが、世界を征服したのはアフリカではなかった。

 その理由もまた、やはりこれまでに述べてきたのと同様だ。

アフリカには栽培化や家畜化可能な野生祖先種があまり生息していなかった食料の生産に適した土地があまりなかったさらに、南北に長い陸塊であたため、食料生産や発明が拡散しにくかったこうしたことが原因となって、サハラ以南では、ユラシアより食料が生産されるようになるのが遅かった。



エピローグ 科学としての人類史


 本書の締めくくりとして、ダイアモンドはまず結論を次のように述べる。

(1)文明の進歩をもたらしたものは、まず栽培化・家畜化可能な動植物の分布にあった。それが食料生産を可能にし、人口の稠密化が起こり、集権的社会を作り上げることになったのだ。

(2)東西に伸びるユーラシア大陸が、農耕や技術の伝播・進歩に大きな影響をもたらした。

(3)大陸間の距離もまた大きな要因となった。アメリカ大陸やオーストラリア大陸などは、進んだユーラシア大陸からあまりにも離れすぎていた。

(4)総人口も大きな要因である。人口が多ければ多いほど、競争も盛んになりそれだけ技術が進歩するからである。


 以上の結論を出した上で、ダイアモンドはさらに次の2つの疑問を投げかける。

 1つは、肥沃三日月地帯は、なぜ人類史上最初の大発展を遂げたのに、その後もリードし続けることができなかったのかという疑問。

 もう1つは、同じユーラシア大陸にありながら、なぜ覇権を握ったのが中国ではなくヨーロッパだったのかという疑問である。

 肥沃三日月地帯についてから述べよう。

 この地域がリードを保ち続けられなかった理由ははっきりしている。この地域の人びとは、この土地の資源を使いつくしてしまったのだ。

「この地域の森林は、農地を広げるために開墾されたり、建築用や燃料用、加工用製材として伐採されていった降雨量が少なく、降雨量に比例する森林再生率が低かったために、破壊に追いくスピードで伐採跡地に草木が茂はなか

これらの地域に繁栄した人びとは、自分たちの環境基盤を破壊し、自分で自分の首を絞めてしまったのである。」

 続いて、なぜ世界の覇権を握ったのは中国ではなかったのか?

 その鍵は、先述したように、中国が早い時期から統一政権を作り上げていたことにある。

 よく知られているように、中国(明)は、15世紀初頭、ヨーロッパに先駆けて鄭和の船団が大遠征を行っていた。しかしそれは、1433年を最後に終わってしまう。

 その最大の理由は、大遠征を推進していた宦官派に敵対する、官僚たちの反対にあったからである。中国は「政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって、中国全土で船団の派遣が中止ざされたのである

 もしこれが分裂状態にあったなら、その他の地方で独立した行動がとられていたことだろう。そして互いに競争しながら、技術の進歩や地理的発見を次々と成し遂げていただろう。

 中国の発展を妨げたのは、皮肉にもその政治的統一にあったのだ。

中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかったたとえば、水力紡績機の開発も禁じて、十四世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている世界の先端を行っていた時計技術を事実上葬り去っている中国は十五世紀末以降、あらゆる機械や技術から手を引いてしまっているのだ

 中国と対照的だったのが、ヨーロッパである。ダイアモンドはまたしても地理的要因を挙げる。

ーロッパの海岸線は激しく入り組んでいる。ギリシア、イタリア、イベリア、デンマーク、ノルウェースウェーデンといった五つの半島が海岸線から突出していて、その先に島々が点在している。これらの地域のびとはそれぞれに独自の語を話し、独自の民族を形成し、独自の政府を戴いている。」

ヨーロッパにはアルプス、ピレネー、カルパチア、ノルウェー国境の山脈があり、それらによってヨーロッパ全体が独自の言語・民族・政治体制を持つ地域にこまかく分けられている。」

中国では、地域の地理的結びつきが強かったことがかえって逆に作用し、人の支配者の決定が全国の技術革新の流れを再再四止めてしまうようなことが起こったこれとは逆に、分裂状態にあったヨーロッパでは、何十、何百といった小国家が誕生し、それぞれに独自の技術を競い合った。    

 こうして、世界の覇権はヨーロッパが握ることになった。銃・病原菌・鉄。これらを可能にした最大の要因は、ユーラシア大陸の、そしてヨーロッパの地理的条件にあったのだ。




(苫野一徳)

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