ロック『教育に関する考察』


はじめに


 ルソー『エミール』にも影響を与えた、17世紀イギリスの哲学者、ジョン・ロックの教育論。

 随所に名言が散りばめられた、今なお参考にすべきところの多い名著だ。


 もっとも、本書で主題とされているのは「紳士」の子ども、それも男の子に対する教育で、『統治論』において人権思想の先駆けをなしたロックではあったけれども、大衆教育については、これをやや軽視していた感を免れない。


 もちろんそれは、時代状況からいってある意味仕方のないことなのだけど。


 本書で興味深いのは、ロックが、子どもの身体と健康についてから論じはじめ、「学習」については最後に、しかも重要度もかなり低いものとして論じている点だ。


 教育論というと、人はとかく、子どもたちに何をどのように学ばせればいいかを真っ先に考えてしまいがちだ。


 でもそんなことより、子どもたちが自ら楽しく学べる、その下地を作ることのほうがはるかに重要だ。そうロックは主張する。


 ロック思想における1つの重要なキーワード、「習慣」(ロック『人間知性論』のページ参照)。


 教育は、子どもたちにいったいどのような「習慣」を育む必要があるだろうか。


 ロックはそのような観点から、本書で教育論を展開する。



1.幼児期の重要性


 ロックはまず次のように言う。


「われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言いかえればほとんど感じられないくらいの印象が、非常に重大な、また永続きする影響を与えるのです。」


 幼児期にどのような印象・習慣を子どもたちに与えるか。これが、その後の子どもたちの成長に絶大な影響を持つ。


 だからこそ、幼児期の教育には注意深くあろう。ロックはそう主張する。



2.健康について


 まず考えなければならないのは、子どもの身体と健康についてだ。


 子どもの成長の基礎は、言うまでもなく身体の健康にあるからだ。


 ロックは言う。顔が寒さに強いのは、いつも露出していて寒さに慣れているからだ。だからわたしたちは、子どもの体を、顔と同じように寒さに慣れさせる必要がある。

「われわれの身体は、始めから慣れているものには、なににでも耐えられるのです。」


 子どもたちに、コルセットなど無理な服を着せてはならないともロックは言う。その意味で、中国の纏足は、子どもたちの寿命を縮めてしまっている。


 食事についてのロックの意見もなかなか面白い。


 まず、食事の好みは習慣によるから、子どものころから粗食を習慣にしなさいとロックは言う。


 そして言う。食事の時間は、毎日同じ時間では「ない」時間にしなさいと。


「子供の食事に関しては、差し支えがないかぎり、一定の時間に食事を限らないのがもっとも良いと考えます。というのは、習慣で食事が一定の時間に限られますと、その人の胃はいつもの時間に食物を期待し、その時間に遅れると、胃の調子が悪くなって、厄介なほどひどくいらいらするようになるか、食欲がまったくなくなって弱ってしまうのです。わたくしは朝食、昼食および夕食の時間をきめず、むしろほとんど毎日変えてもらいたいと思います。」


 さらにまた、子どもの飲み物は、弱いビールだけにしなさいとロックは言う。



「子供の飲物は弱いビールだけにしなければなりません。しかも、それが認められるのは食事と食事の間ではなくて、パン一切れを食べた後です。」

 そして言う。

「なににもまして、もし口にするにしても、ブドウ酒とか強い酒をめったに子に飲まさぬよう大いに注意しなさい。英国でこれほど、普通に子供に与えられてこれほど子供の害になるものはありません。」

 17世紀当時、イギリスでは子どもが強い酒をふつうに飲んでいたらしい。



3.しつけについて


 子どもを過度にあまやかさないこと。ロックはこのことを特に強調する。


「思うに、子供の年が行かねば行かぬほど、子供の不規則な、無秩序な食欲のいいなりにならぬようにすべきです。そして子供が自分自身の理性を持つことが少なければ少ないほど、子供は監督されている人たちの絶対的な力と束縛に、従うべきです。


 もっとも、親はずっと強権的であり続けてはならない。ロックは言う。


「子供が大人に近づくにつれて、もっと馴れ馴れしくすることを許しなさい。そうすると、彼が子供の間は、彼を忠実な臣下にしておき(適切なことですが)、大人になったときは親愛な友人にすることになりましょう。


 体罰については、これは許されないことであるとロックは言う。



ただ鞭打たれるのを恐れるばかりに、自分の好みに反して、苦労して書物を読んだり、自分では好きだが、健康にはよくない果物を食べることを控えているような子供が、感覚的な快楽と苦痛以外のいかなる他の動機から行動するものでしょうか。

こういう種類の奴隷的訓練は、奴隷的気質を生むものです。鞭の恐怖が子供におおいかぶさっている間は、子供は従い、従順を装います。しかしその鞭が取り去られ、見えなくって、罰を受けないことが確信できると、子供は自分の好きなことを、もっと自由にするのであって、こういう方法ではその性癖はけっして変るものでなく、反対に強められ、大きくなるのです。

 体罰を与えられて育った子どもは、たえず、肉体的な苦痛と快楽だけを動機に行動するようになってしまう。


 そうではなくて、行動の動機は、むしろ尊敬不名誉であるべきだとロックは主張する。


子供たちは(多分われわれが考えるよりは早くから)、称讃、称揚に非常に敏感なものです。


 叱り方と褒め方についても、ロックは次のような至言を残している。


子供たちの誤りのために、ときとして非難し、叱ることがほとんど避けられない場合は、厳粛な、重々しい、冷静な言葉を用いるだけでなく、また〔子供が〕独りのとき、ひそかにしなくてはなりませんが、子供たちがそれに値する称讃は、人前で受けるようにすべきです。



4.子どもは理性と感情の区別を理解する


 子どもを、感情に任せて怒る親や教師がいる。しかしそれは最悪のことだとロックは言う。


「子供は早くから感情と理性の区別が判るものです。そして子供たちは理性からくるものに対しては尊敬を払わざるを得ませんが、同じように感情的なものはただちに軽蔑するものです。


 このあたり、とても興味深いくだりなので、以下いくつか引用しておきたい。



「彼らは言語と同じ位早くから論証を理解できるもので、わたくしの観察違いでなければ、子供たちは想像以上に早くから、理性的動物として取扱われることを好むものです。

しかし論証と言ったからとて、わたくしが考えていますのは、子供たちの能力と理解力に適したものだけです。誰しも三歳か七歳の少年と、大人と同じように理詰めで議論しなくてはならぬとは考えることはできません。長談義と哲学的論証はせいぜいのところ子供たちを驚かせ、頭を混乱させはしますが、教育することはできません。


5.恐怖


 幼い時には、あまり恐怖心を起こさせてはならないとロックは言う。


「どんな恐ろしい懸念をも話してこれをいだかせではならないし、恐ろしいもので子供たちをびっくりさせてもいけません。こういうことは、しばしば子供の元気を非常にくだき、不安定にしますので、二度と元通りになりません。」


 ただし、苦痛に耐える習慣はつけさせたほうがいいと言う。それは、やがて恐怖を克服する気質にもなるだろうから。


「ときには計画的に子供たちに苦痛を与えることです。しかし、〔中略〕かならずその子供が耐え得る限界に止めて、その子供が愚痴をこぼしたり、誤解したり、罰だと思ったりすることがあってはなりません。」



6.残虐さは習慣から


 小さな虫や生き物に対する子どもたちの残虐さは、しばしば観察されるものだ。


 しかしこの残虐さは、実は習慣によって生まれたものだとロックは主張する。


 大人たちが、人を殴ったり嘲笑したりする見本を示してしまっているのだ。


 さらに、歴史や物語はそうした実例に満ちており、子どもたちに知らず知らずのうちに残虐さを教え込んでしまっている。


「物語と歴史の面白さはすべて、ほとんど闘争と殺戮のそれに外なりません、そして征服者(大抵は人類の大屠殺者どもに過ぎませんが)に与えられる名誉と名声は、成長過程の少年たちを一層誤り導くものですが、少年たちはこのようにして殺戮を人類の称讃すべき営みであり、諸徳の中のもっとも英雄的なものであると思うようになります。これらの諸段階を経て、生まれつきではない残虐性が、われわれの心に植えつけられ、人間性が嫌うものを、風習によって名誉への途上にあるものとして、われわれにとっては甘んずべきもの、推奨すべきものにしているのです。



7.学習について


 
先述したように、ロックの教育論にとって、「学習」は最後に論じられるべきものだ。

わたくしが学習を最後にもってき、とりわけ、わたくしは学習をもっとも小さい問題と考えていると申すなら、多分貴下は驚かれるでしょう。こういうことが、学問に携っている人間の口に上るとは、異様に思えるでしょう。〔中略〕人びとは教育について語るとき、学習のことしかほとんど考えませんから、上述のわたくしの言はさらに大きな矛盾したものになります。


 なぜか。それは、学習、学習、とやっきになるのではなく、それが子どもたちの楽しい習慣になるよう、わたしたちは心を配る必要があるからだ。ロックは言う。


子供たちが習うものは、彼らの重荷になったり、彼らにとって任務として課せられてはなりません。なにごとでも、そういうふうに持ち出されると、すぐ疎ましいものになって、以前にはよろこばしいものか、なんでもないものであったものでも、心はそれを嫌うのです。」


 では、子どもの学習にわたしたちはどのように向き合うべきか。


 子どもの好奇心には真摯に応えよ。ロックはまずそのように言う。


子供がどんな質問をしても、それを阻止したり、いい顔をしてやらなかったり、あるいはその質問が物笑いにされるのを黙っていたりしないで、子供の全質問に答えてやり、子供が知りたがっている事柄を説明してやって、子供の年齢と知識に応じて、それらのことが彼にできるだけ判るようにしてやることです。」


 自分の疑問や質問が軽んじられると、子どもたちはひどく傷つき、好奇心それ自体を失ってしまうことになる。


「彼らは、なんの知識も持ち合わせない異国に最近着いたばかりの旅行者なのです。」


 だから、彼らにはやさしく親切に答えなさい。そうロックは主張する。


 さらに、それはきっと大人にとっても楽しい時間になるはずだとロックは言う。


「物を知りたがる子供たちが与える、飾り気のない、教え込まれたものでない、いろいろの暗示は、物を考える大人の思考を働かせるようなものをしばしば提供するものです。


 さらにまた、学習は、できるだけ「遊び」や「気晴らし」に近いものであるべきだとロックは言う。


「わたくしが考えてきましたことは、もし遊び道具がその目的に合致していますと、現実には大抵そんなものは一つもないのですが、自分ではただ遊んでいると思っている間に、工夫すれば子供たちに読み方を教えるようにすることができるだろうということです。


 子どもたちの自然な好奇心に沿った教育。この考えは、その後のルソーにも色濃く受け継がれていくことになる。




(苫野一徳)



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