鈴木大拙『禅』


はじめに

 禅を世界に広く知らしめた鈴木大拙(1870-1966)が、ヨーロッパ世界に向けて英語で書いた作品。

 禅とは何か、その答えが、非常に分かりやすくシンプルに解き明かされている。


1.禅の起源

 禅は、伝説ではインドに起り、6世紀のはじめに菩提達摩によって完成した形で中国にもたらされたと考えられている。

 しかしその事実上の起源は中国にあり、中国禅宗の第六祖と称せられる慧能(638-713)に始まる。

 慧能は、禅定に偏ったそれまでの禅に対して、「智恵」(プラジュニャー)の喚起を主張した。

「ディヤーナ(禅那、禅定)をのみ重んずる考えに対し、強くプラジュニャー(般若、智慧の喚起を主張したのはかれ慧能であって、この事実が、それ以来禅として知られてきたものの起源をなすのである。」


2.プラジュニャー

 プラジュニャー(智慧は、単なる一般的知識としてのヴィジュニャ知識に対するものである。

「もしヴィジュニャーナ(知識)をわれわれの相対的に限定された知識を意味するものとするならば、プラジュニャー(智慧) は最高度の直観に相当する。」

 このプラジュニャーに目覚めることが禅の目指すところであるが、鈴木はその知恵を「般若直観」とも呼び次のように述べる。

「一切智者の有する智慧を、自分は「般若直観」と呼ぶ。それは、一切のものをその総体性と一体性において受けとる智慧であり、あらゆる個別の知識の根底によこたわる智慧である。それは、われわれの相対的知識を可能ならしめるところのものであり、したがって、「すべて悪しき思い」のかげも残さず、完全に自由である。そのような智慧は、問いと問う者の区別の存せぬ人、すなわち正覚者仏陀にして、はじめて持ち得る。」    

 これが一体どういうものであるかを知るには、わたしたちはまず仏陀の悟りがどんなものであったかを知る必要がある。


3.般若直観

 仏陀の第一の関心は、生死の束縛から解き放たれることであり、存在の手かせ足かせから自由になることにあった。

 鈴木によれば、これは行き着くところ「実在とは何か」という問いである。

 仏教は、この問いを、己自身において見、答えようとする。

「問いはけっして問う者から引き離さるべきではないとするのが、仏教の行き方である。両者が分たれているかぎり、問う者に解決はもたらされないであろう。」

 この問う者と問われるものとが一体になるところ、主客未分の状態、一切のものをその総体において見ること、ここに、悟りの境地があると鈴木は言うのだ。

 それはいわば、余計な理知を働かせず「あるがまま」を生きることにある。

「禅によれば、事実そのものの中には何の葛藤もない。有限と無限の葛藤もなく、肉と霊の葛藤もない。これらは、知性がおのれの興味のためにかりに作り出した無意味な区別にすぎない。〔中略〕われわれはひもじい時には食べる。眠い時には横になる。どこに無限や有限が入ってこようか。わたしはわたし自身で完全であり、かれはかれ自身で完全ではないか。人生はこの生きているままで満ち足りている。そこに人騒がせな知性が入ってきて、人生を破壊しようとする。」    

 鈴木は禅の究極の見地を次のように述べる。

「かくて、禅の究極の見地はこうである。われわれは無知のゆえにさまようて、自己の存在に分裂をきたした。そもそものはじめから、有限と無限の葛藤などは必要でなかった。われわれがあがき求めている平和は、つねにそこにあったのである。」    

 とはいえ、この「あるがまま」は、単なる怠惰や懶惰によって知られるものではない。

 禅とは性格の改造を目指す厳しい修行でもあるのだ。

「貧の平和(けだし、平和はただ貧においてのみ可能である)は、あなた方の全人格の力をつくしてのはげしい戦いをたたかい抜いてのちに、はじめて得られるものである。怠惰や、放任安逸な心の態度から拾い集めた満足は、もっとも嫌悪すべきものである。そこには禅はない。ただ懶惰と、無為の生があるのみである。戦いは、はげしく雄々しく戦われなければならない。これなくしては、どんな平和が得られたにしても、それはみな偽物である。」

「したがって、倫理的見地からは、禅は性格の改造を目指す修行であると考えられよう。」


4.禅の分かりにくさ

 このような禅の態度には、合理的理解の及ばない「分かりにくさ」があると鈴木は言う。

 たとえば、足を失った雲門のエピソード。

 雲門は、その師睦州に目通りが叶うまでに、3度門を叩かなければならなかった。

 しかしその3度目、雲門は、睦州によって無慈悲に閉じられた門に足を挟んで、片足を失ってしまうことになる。

 しかしこの激痛によって、雲門は禅の真理に目覚めた。

「これが禅のもっともわかりにくいところである。〔中略〕師は三たびかれを閉め出し、門が半分開いた時、それをもう一度乱暴に、情け容赦もなく閉めてしまった。そうすることが師の禅の見地からして、本当に必要だったのだろうか。これが雲門の熱心に求めていた仏教の真理なのか。ところが不思議なことに、その結果は双方の望んだ通りになった。師の方では、弟子が自己の存在の秘密を洞見し得たことを認めて満足した。弟子はというと、自分になされた師の仕打ちのすべてに対して感謝でいっぱいであった。たしかに禅は、この世でもっとも非合理で、想像を絶するものである。    


5.禅の指導方法

 では、このような禅は、師からどのように指導されるのだろうか。

 鈴木は、口頭による方法と直接的方法の2つを挙げる。

 口頭による方法には、1.逆説、2.反対の超越、3.矛盾、4.肯定、5.反復、6.叫び、の6つがある。

 いずれも、一般的な通常論理からはかけ離れた論法である。

 1の「逆説」は、有名な「花紅にあらず、柳緑にあらず」などに見られる論法。

 2の「反対の超越」は、肯定も否定もしない論法。

 3の「矛盾」は、ある時は肯定し、ある時は否定する論法。

 以上は比較的「否定」的な論法だったが、しかし禅の特異性はむしろ「肯定」的論法にあると鈴木は言う。これが4の「肯定」である。

「禅匠たちも、否定や、拒絶や、矛盾や、逆説をもっぱらにしている間は、まだ思弁のしみが完全に洗い落されたとはいえない。」    

 それはどのような論法か?

「ひとりの僧が趨州に問うた、「経典によれば、万物は“一”に帰す、と言います。しかしその“一”はどこに帰するのでしょうか。」師は答えて言った、「わしは青州にいた時、衣を一枚作らせたが、その重さは七斤だった」。香林は、菩提達摩が西方から中国にきたその意は何か、とたずねられて、こう答えた、「長く坐った後では疲れを覚える」。問いと答えの間に、いかなる論理的関係があるのか。」    

「「一切諸仏の師は誰か」とたずねられて、睦州はただ口で調子をとった。「タタン・タンタン、チチン・チンチン。」」    

 恐るべき論理的脈絡のなさ。しかしここには、禅の本質がよく表れている。

 5の「反復」は、文字どおり同じことを繰り返す論法。

「投子大同は九一四年に没した唐朝の禅匠である。「仏とは何か」と問われて、かれは「仏」と答えた。問いが「道(tao)とは何か」という時には、「道」と言った。「法(dharma)とは何か」という問いには、「法」と答えた。」    

 そして、通常論法を無視する禅は、行き着くところ6の「叫び」へと至ることになる。

「よく叫び声を発した禅匠たちの中で、特に有名なのは雲門と臨済である。雲門は「関」で名高く、臨済は「喝」で知られている。」    

 続いて、言葉によるのではない「直接的方法」。これは次のようなものである。

「禅匠たちがとった直接的方法の真意は、この矢のように過ぎゆく生命を、それが駈け去ってしまってからではなく、去りゆくままに捉えることにあった。生命が走りゆく時、記憶を呼び起したり、思想を築いたりするいとまはない。」
 
 具体的にはどういうことか?

「それはやさしい身振りであり、呼び声に応えることであり、流れのささやきに、また小鳥の歌に耳を傾けることであり、そしてまた、われわれの毎日の、平凡きわまりない生命の主張のあれこれである。」

 もっとも、禅の修行は、このような平凡な生をただ生きるだけにとどまらない。

 それは時に、尋常でないほど荒々しくもなるのだ。

「禅匠たちは、必要と考える時には、弟子たちを乱暴にこづき廻すことをいささかも躊躇しない。そのひとり臨済は、その直截痛烈な接得で知られている。かれの万の尖は、相手の心臓を突き通す。かれの弟子のひとりに、定上座という僧がいた。かれが師に、仏教の根本的原理は何か、と問うたところ、臨済は籐椅子から降りてきて僧をとらえ、一掌を与えて突き離した。定上座は、この行為の終始をどう受けとってよいかわからぬまま、じっと立ちつくしていた。するとかたわらにいた僧が、どうして師に礼をしないのかと注意した。言われたとおりに礼をしながら、突然、定上座は禅の真理に目覚めた。」    

(苫野一徳)

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