モンテーニュ『エセー』(1)


はじめに

 稀代の人間通にしてエピソードテラーだったモンテーニュ(1533-1592)。

 古典にはなじみがない人も、本書の含蓄ある文章は十分楽しめるにちがいない。

 もっとも、偉人たちの言葉やエピソードを紹介しながら論じる彼の文章は、エスプリがきいていて小気味はいいけれど、深い洞察にまではいたっていないように思われて、個人的にはうなるところがほとんどない。

 モラリストの名にふさわしい、良識あるいかにも秀才といったところか。

 もっと言えば、人間通であるかのように見せかけて、実は彼は、ただたくさんの本を読んで、それを自分なりにまとめ直すのに長けただけったのではないかという気さえする。

 と、そこまで言っていいものかは分からないが……まあこれは個人的な趣味の問題なのだろう。

 本ブログでは、『エセー』の邦訳全6巻を、3回に分けて紹介していこう。


1.私的な本

 序において、モンテーニュはまず次のように読者に語る。

「読者よ、これは正直一途の書物である。はじめにことわっておくが、これを書いた私の目的はわが家だけの、私的なものでしかない。あなたの用に役立てることも、私の栄誉を輝かすこともいっさい考えなかった。そういう試みは私の力に余ることだ。私はこれを、身内や友人たちだけの便宜のために書いたのだ。」    

 本書は、あくまでも私的な本だとモンテーニュは言うのだ。

 そんなはずがないだろう、と正直思うのだけど、それはともかく、以下中身を見ていくことにしよう。


2.同情を乞うても、不屈の姿勢を見せても、どちらも同じ結果になることがある

 第1章から、モンテーニュのエピソードテラーとしての魅力が炸裂する。せっかくなので、少し長いが引用しよう。


「エペイロス公スカンデルベグが部下のある兵士を殺そうとして追い廻したときに、その兵士は卑屈と懇願の限りをつくして公の怒りを鎮めようと試みたが、万策つきて、最後に剣をとって公に立ち向かおうと決心した。彼のこの決心に主人の激怒はぴたりと治まった。主人は彼がかくも気高い決意をしたことを見て許したのである。」


アレクサンドロス大王が非常な困難の末にガザ市に攻め入ったとき、そこを指揮していたベティスと出会った。大王は攻略の間に彼の驚くべき豪勇の証拠の数々を経験していたが、そのときのベティスはたった一人で部下からはぐれ、武具はちぎれ、満身血だらけ傷だらけになって四方から打ってかかるマケドニア兵に囲まれながら戦いつづけていた。大王はほかにも数々の損害を受けた上に、すでに自分の体にも二つの生ま生ましい傷を受けていたので、これほどに高くついた勝利にかっとなって、ベティスに向かって、「ベティスめ、おまえの望み通りには死なせぬぞ。捕虜をいじめるために考え出したあらゆる責苦を受けねばならぬことを覚えておけ」と言った。すると彼は顔色も動かさないばかりか、倣慢不遜に構えて、この脅しに一言も答えずに押しとおした。アレクサンドロスはこの高慢でしぶとい沈黙を見て、「膝を曲げぬな哀れな泣き言ももらさぬな。よし、おまえの沈黙を破って見せる。言葉を吐かせることができなければ、うめき声くらいは上げさせてやるぞ」と憤怒を狂暴に変え、彼の両の踵に孔をあけて綱を通し、これを生きながらに戦車につないで引かせ、体をばらばらに引き裂かせた。豪胆ということは大王にとってはごくありふれたことであって称讃に値しなかったから、それだけこれを尊重しなかったのであろうか。それとも、豪胆は自分一人にだけ属するものと考え、これが他人のうちにこれほど見事に発揮されたのを見て嫉妬の情に堪えられなかったのだろうか。あるいはまた、生れつき怒ってかっとなる激情をどうしてもせきとめられなかったためだろうか。」


3.悲しみについて

 次の話も、とても印象深いものだ。

 わが子を殺された者の悲しみを、モンテーニュは次のようなエピソードを通して読者に伝える。


ペルシア王カンビュセスに敗れ捕虜となったエジプト王プサメニトゥスは、捕われた娘が奴隷の服装で水汲みをさせられて自分の前を通るのを見た。友人たちはみな、まわりで泣き悲しんだのに、彼は目を地面にそそいだまま一言も言わずにじっと立っていた。それから間もなく、息子が死刑に連れ去られるのを見たときも、同じ落着きを押しとおした。だが臣下の一人が捕虜の中にまじって連れてゆかれるのを見ると、はじめて自分の頭を叩き、ひどい悲しみを表わした。」

「この話は、最近わが国のある公爵に起ったことに匹敵しよう。この公爵はトレントにあって、一門全体の柱石であり名誉であった兄君の計報に接し、そのすぐ後に、第二の希望であった弟君の計報を受けたとき、この二つの打撃を模範的な気丈さをもって堪えたが、数日後に臣下の一人が死んだとき、この最後の出来事に負けて、これまでの剛毅さを捨てて悲嘆と愛惜の涙にくれた。そこである人々は、彼がこの最後の打撃ではじめて心に痛手を受けたのだと推論した。しかし本当は、すでに悲しみに満ち溢れていたから、ほんのわずかのおまけの刺激で、忍耐の堰が切れたのである。」

「もしも、前の話に次のようなつけ加えがなかったらこれと同じような判断をくだすことができたであろう(と私は思う)。そのつけ加えというのはこうである。カンビュセスがプサメニトゥスに向かって、息子と娘の不幸には心を動かさなかったのに、友人の不幸にどうしてあんなに我慢ができなかったのかとたずねたところ、「それは、この最後の悲しみだけは涙で表わせるが、前の二つを表わすことはいかなる手段をもってしでも速く及ばないからだ」と答えた。」


4.人は不幸の理由をでっち上げてでも求めてしまう


われわれはわが身に降りかかる不幸については、どんな理由でもでっちあげる。

 のちのニーチェにも通ずる洞察だ。

 ニーチェによれば(あくまでもニーチェによれば)、キリスト教の「原罪」は、生に苦しむ人間たちがその理由を見出すためにでっち上げたものだった(ニーチェ『道徳の系譜』のページ参照)。


5.哲学をきわめるとは死を学ぶこと

 死について、モンテーニュは次のように言う。

死はどこでわれわれを待っているかわからないから、いたるところでそれを待ち受けよう。あらかじめ死を考えておくことは自由を考えることである。死を学んだ者は奴隷であることを忘れた者である。死の習得はわれわれをあらゆる隷属と拘束から解放する。    


6.教育について

 教育についてのモンテーニュの言葉も紹介しよう。現代の学校教育批判と、ほとんど変わるところがないのが面白い。

いまの教育法では生徒も教師も、より物識りにはなっても、より有能にならないのは不思議ではないというほうがよいと思う。」

「われわれはただ記憶を満たそうとだけつとめて、判断力や良心を空のままほうっておく。ちょうど、鳥がときどき穀物を探しに出かけ、これを味わいもしないでくちばしにくわえてきて、雛どもについばませるように、われわれの先生方も、書物の中に知識をあさって、それを口の先にのせてきて、吐き出し、風に撒き散らすだけである。」    

 ではどのような教育を行えばよいか。

「教師が一人で何かを考え出したり、しゃべったりせずに、生徒にもしゃべる番を与えて、それに耳を傾けてほしいのです。ソクラテスは、また、アルケシラオスは、まず弟子たちに語らせてから、そのあとで彼らに語りました。」    

 モンテーニュの時代から450年。今もまったく同じことが議論されていることに、ある意味では愕然とする。

 さらにモンテーニュは、教育における暴力と強制をやめよと主張する。

いまのままでは本当に青春を閉じめておく牢屋です。生徒たちは放将にならない前から罰せられて放埒にさせられてしまいます授業時間中に学校に行ってごらんなさい。罰を受けている子供たちの泣き叫ぶ声と、怒りにのぼせた教師たちのわめき声しか聞こえませんから。か弱いおどおどした子供たちの心に授業への意欲を呼びさまそうと、あんなにこわい顔をして手に鞭を持って彼らを引っ張ってゆこうとするとは何というやり方でしょう。実に不正で危険きわまる方法ではありませんか。〔中略〕もしも彼らの教室に血のにじんだ柳の小枝〔鞭〕のかわりに花や木の葉を撒き散らしであったら、どんなにかふさわしいことでしょう。    

 と同時に、生徒たちをどのようなことにでも順応できるように鍛えなさいとも言う。

もしも先生がお子様の欲望や意志を制御できるなら、思い切って彼をどんな国民にも、どんな仲間にも、いや、必要とあれば、無軌道や極端なことにさえ、順応できるように育ててください。」

「私は、お子様が放蕩においでさえ強さと、逞しさの点で仲間にすぐれていることを、また、悪いことをしないのはその能力や知識がないからではなくて、その意志がないからであることを望みます。    


7.恋、親の子に対する愛、友情について

 最後に、モンテーニュは、恋も親の愛も、その尊さにおいて友情にはとてもかなわないと言う。

「子供の親に対する情愛はむしろ尊敬である友情は友人同士の気持を分かち合うことによって養われるのであるが、親子の間ではそれが不可能である。親子はあまりにもかけ離れているからである。    

 さらに次のようにも言う。

「ある国民の間では子が親を殺す習慣があった。また父が子を殺す国民もあった。そうしてたがいに邪魔になることのないようにしたのである。いや本来、一方が繁栄するためには他方が死滅しなければならないのである。哲学者の中にはこの生れつきの結びつきを軽蔑した人たちもいた。それには、アリスティッポスという証拠があるある人が彼に、子供たちはあなた自身から出たのだから可愛がらねばならないと言うと、いきなり唾を吐いて、「これだって私から出たものだ、蝨や蛆だってわれわれから湧くではないか」とった。    

 モンテーニュは子どもへの愛に著しく欠けた人だったのだろうか。彼は次のようにも言っている。

まれたばかりの子供を抱きしめる愛情というものが、私には理解できません。生まれたばかりの子供は、心の動きも体の形も見分けがつかず、どこにも可愛いと思わせるものをもたないからです。ですから私は、彼らが私のそばで育てられることを喜びませんでした。本当の正しい規律ある愛情は、われわれが子供たちを理解するのと同時に生まれて増大すべきものであります。」   

 これらの文章を読んで以来、私自身は、モンテーニュへの関心や敬意を失ってしまった。

 時代のゆえなのか、個人的な気質のゆえなのか、モンテーニュの子どもへの愛情の欠如は、個人的には、彼の魅力を失わせるのに十分すぎるように思われる。




(苫野一徳)

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