トッド『家族システムの起源』(1)


はじめに

「人類のイデオロギー(価値観)は、その生まれ育った国や地域の家族システムに規定されている!」

 トッドが30代の時にこの驚くべき理論を提示してから、はや40年が経過した(トッド『世界の多様性』のページ参照)。

 これまで、彼はこの家族システム理論をはじめ、出生率や識字率などのデータから、世界の行く先をさまざまな形で「予言」しまた的中させてきた(『移民の運命』『文明の接近』『帝国以後』『デモクラシー以後』のページなど参照)。

 本書は、そんな家族人類学者トッドが、長年の研究を通してついに明らかにした、世界各地の「家族システム」の起源とその変遷を描き出した作品だ。

 世界の多様な家族システムは、なぜ、そしてどのようにして今の形になったのか?

 30代の頃のトッドは、家族システムの多様性はまったくの偶然によって成立したと考えていた(『世界の多様性』)。

 しかし研究を進めるにつれて、彼は、それがある法則をもって変化してきたことをつきとめた。

 数千年の人類史を縦横に駆け巡る、時空を超えた大パノラマの世界。

 トッド40年の集大成。その全貌が描かれる。


1.人類の起源的家族システムは「核家族」だった

 多くのヨーロッパの学者が、これまで、人類の起源的家族システムは「共同体家族」(父・母・兄弟姉妹とその配偶者からなる大家族)だと考えてきた。

 しかしトッドは本書で、実は「共同体家族」こそが最も「進化」したシステムであること、そして、人類の起源においては、その家族システムは「核家族」(父・母・子からなる家族)であったことを主張する。

 その論証は後述することにして、なぜ、ヨーロッパの学者たちは「核家族」が最も進化したシステムであると考えたのか?

 それは、彼らがヨーロッパ人こそが最も進化した人種であり、したがって、その「核家族」が最も進化したシステムであると考えたからだ。

 イスラム圏や中国、インド、ロシアなどの「共同体家族」は、彼らからすればより“劣った”システムだったのだ。

 しかし、人類の起源的家族システムは実は「核家族」だった。

 その特徴は、まず「双方制」(父方居住でも母方居住でもない)という点にある。

「若い夫婦は、夫の家族の集団に加わることもできれば、妻の家族の集団に加わることもできる。」

 そして、より大きな親族集団「バンド」に包摂されていたこと。

原初的核家族は、つねにより広大な親族集団の中に包含されているこのもうつの社会単位は、人類学者によって「バンド」とか「ホルド」とか「現地集団」と呼ばれるが、複数の核家族から構成され、構成要素たる核家族の数はさまざまに変動する。」

 このような特徴は、イングランドやパリなど、現代のヨーロッパにおいてもかなりなじみのあるものだ。トッドは言う。

家族の核家族性、女性のステタスが高いこと、絆の柔軟性、個人と集団の移動性ここにおいて起源的として提示される人類学的類型家族類型〕は、大して異国的なものとは見えない最も深い過去の奥底を探ったらわれわれ西洋の現在に再会する、というのが、本書の中心的逆説なのである。

 ヨーロッパの家族システムは、進化したシステムであるどころか、実はきわめて原初的なシステムなのだ。

 ちなみに、太古においては「核家族」がより大きなバンドに包摂されていたという点について、トッドはこれを現代に引きつけて次のように言っている。

日常の生活のペースでは、われわれは学校、社会保障、要するに国家に依存しているのである。しかしまさにそれこそが、包含的構造に他ならない。〔中略〕ここまで考察が進むと、親族集団が国家によって取って替わられたという、古典的な、しかし今でも完全に有効性を持つ社会・歴史的テマに再び出会うことになる。    

 完全な核家族などというものはない。それは常に、より大きな集団(バンドや国家)に包摂されて存在してきたのだ。


2.類型的体系

 具体的な分析に入る前に、トッドはまず世界の家族システムを類型化する。

 ちなみに、ここでの類型は、彼が最初に家族システムの類型を体系化した書『世界の多様性』とは、やや異なったものになっている(トッド『世界の多様性』のページ参照)。

 本書でトッドは、過去の理論に多くの修正を加えるのだ。

 類型化にあたっての1つめの観点は、父方居住か、母方居住か、双処居住か。要するに、父系制か母系制か、どちらでもないか、ということだ。

 もう1つの観点は、共同体家族か、直系家族か、統合核家族か、一時的同居を伴う核家族か、純粋核家族か、追加的な一時的同居を伴う直系家族か。

 1つずつ説明しよう。

 共同体家族は、父・母・兄弟姉妹とその配偶者からなる大家族。(インド、中国、ロシアなど)

 直系家族は、親の権威が強く、兄弟姉妹が不平等な家族。(日本、ドイツ、朝鮮など)

 統合核家族は、それぞれの核家族が、分離してはいるものの近接して「囲い地」の中に暮らしている家族。(アンデスのインディオなど)

 一時的同居を伴う核家族は、それぞれの核家族が、一時的に夫あるいは妻の家族に同居する家族。(多くの東南アジア諸国など)

 純粋核家族は、子どもが成人して結婚すれば、父母のもとを完全に去る核家族。これには平等主義核家族(パリ盆地など)と絶対核家族(イングランドなど)があり、前者は兄弟姉妹が平等な家族で、後者は必ずしも平等ではない家族。

 追加的な一時的同居を伴う直系家族は、長男・長女が遺産相続するが、その弟妹夫婦が一時的に彼らのもとで同居する家族。(北スウェーデンとフィンランドの海岸部、日本の北東部、フィリピン諸島のホロ島のタウスグ人など)

 以上から、世界の家族システムを次の15類型に分けることができる。


共同体家族:双処居住、父方居住、もしくは母方居住(3類型)
直系家族:双処居住、父方居住、もしくは母方居住(3類型)
統合核家族:双処居住、父方居住、もしくは母方居住(3類型)
的同居を伴う核家族:双処居住、父方居住、もしくは母方居住(3類型)
純粋核家族:平等主義、もしくは絶対(2類型)

追加的な時的同居を伴う直系家族(1類型)

 ところで、トッドは本書において〈サイクルα〉という重要な概念も提示している。

 これは、遺産相続において、長子ではなく末子に特権的な権利が与えられている家族システムのことを言う。

 「一時的同居を伴う核家族」や「直系家族」に見られるもので、なぜこのようなシステムが登場することになったかは、また後で明らかにされることになる。

 以上を踏まえた上で、以下、「中国とその周辺部」「日本」「インド」「東南アジア」の家族システムの起源とその変遷を追っていくことにしよう。


3.中国周辺部

 中国は、現在強固な父系制の共同体家族システムを形成している。

 しかしその周辺部は違う。

 中国周辺の家族システムを一望してすぐに気づくのは、同心円上に直系家族が分布しているという点だ。すなわち、日本、朝鮮、北部ヴェトナム、チベットなど。

 さらに、同じ同心円上、またステップの遊牧民には、「一時的父方同居を伴う核家族」にして〈サイクルα〉のシステムが分布している。

息子たちは、次々と父の集団を離れ、自立したテントを持つ夫婦家族を創設する。家畜の群れは別離の度に分割され、年下の息子が父親の道具を自分のものとする。    

 このステップの風習の最も分かりやすい例を、ジンギス・カンに見ることができる。

ユーラシア大陸の征服者たるジンギス・カンは、この慣習を尊重し、西の果の最も遠隔の地に配置された部隊の責任の息子に委ね、最若年の息子を自分の傍に置き続けたのである。    


 次にシベリア最北端は、父方居住ではなく双処居住である。これはつまり、この辺縁部が、家族システムにおいて最もアルカイックな形態をなしていることを示している。

 中国の父系制が、この地域には届かなかったのだ。

シベリアの最北東の端では、父系制は姿を消す。同質的双処居住地帯が観察されるが、それは伝播・普及という観点からの分析にとって非常に重要なことである。というのも、この地域は東南アジアおよび西ヨーロッパととともに、父系原則による変貌を基本的に被らなかったユーラシアの三つの先端部のうちの一つだからである。    

 同様に、台湾先住民プユマ人も「双処居住核家族」である。中国との接触から最も遠いこの地域は、やはり最もアルカイックな家族システムを保存しているのだ。

 次にヒマラヤのナ人を見てみよう。

 ナ人の平民は、きわめて特徴的な家族システムを持っている。すなわち、家族は兄弟姉妹の集団から成り、その一人ひとりが他の世帯に愛人を持つ(安定した結婚がない)。

 子どもは母親の家族で育てられ、母方のオジが父親代わりを務める。そして生物学上の父は父権を主張しない。

 一方、ナ人の貴族階級は、やや直系家族に近い、父方居住の共同体家族、すなわち中国とほぼ同じ家族システムである。

 ここには中国からの色濃い影響が感じられる。

 その一方、ナ人の平民がきわめて独特な家族システムを持っているのは、トッドによればこの中国からの影響への反動である。

「つまり、中国の家族の父系原は反転し、母系原則となったのである。    

 「辺縁部における、中央の支配的システムに対する反動」は、本書においてトッドが提唱する理論の1つだ。

 ある支配的な家族システムが伝播していく時、辺縁部は、多くの場合、このシステムに反発してその正反対に近い家族システムを取るのだ。

 このような例は、今後本書で数多く登場することになる。


4.中国

 続いて、中国の家族システムについて見ていくことにしよう。

 中国は、なぜ、どのようにして父方居住の共同体家族になったのか?

 最古の王朝において、中国は「直系家族」だった。

 儒教を見れば、そのことは一目瞭然だ。

「周時代に創設され最初の成功を収めた儒教は、典型的な直系家族イデオロギーである。    

 確かな史料がないため確かなことは分からないが、直系家族の前は、中国も「双処居住の核家族」システムだっただろうとトッドは言う。

 その理由は次の通りだ。

 農地がたくさんある時代、家族システムは、双処居住の核家族で〈サイクルα〉を取ることが多い。

 上の子どもたちは、新しい土地に行って農地を耕すため、順々に親の元を去る。基本的には、新しい土地の方が生産性が高いからだ。

 したがって、最後に残った子が家を相続することになる。

 このような時代においては、父方居住であっても母方居住であってもあまり変わりはない。それゆえ、双処居住の核家族で〈サイクルα〉を取るシステムが最も合理的なものとなる。

 ところが、農地はやがて不足しはじめる。

 この時はじめて、遺産相続がきわめて重大なトピックになる。

 直系家族は、この時誕生するのだ。

 新天地に行けなくなった兄弟姉妹は、かと言って限られた親の農地を平等に分割するわけにもいかない。そのようなことを続けていたら、土地は最後にはなくなってしまうだろうから。

 そこで、誰か一人を特権的に相続人に指名しなければならなくなる。

 最初の頃は、〈サイクルα〉の慣習にしたがって、末子相続がなされていただろう。しかしやがて、それは長子相続へと変化していくことになる。

「他所へと移住する可能性を完全に奪われた長子は、最終的には「(成年に)先に着いた者から、先に食事にありつける」〔早い者勝ち〕という規則の効力で継承者として選ばれることだろう。」    

 さて、このようにして中国は殷・周の時代に長子相続の直系家族になったが、そこからいったいどのようにして父系制共同体家族へと変化していったのだろうか?

 ここで注目すべきは、中国辺縁部のステップ遊牧民の存在だ。


 前9世紀において、ステップの遊牧民はアルカイックな双系制だった。

 ところが前3世紀の匈奴において、父系制平等主義が確立される。

 その最大の理由は、彼らが戦争民族であったことにある。

 戦争民族は父系化する。当然と言えば当然だが、これもまた本書の1つの理論である。

 さて、この父系制平等主義が、中国に大きな影響を与えることになる。

 時代は、秦の始皇帝からの頃。まさに、中国人が匈奴たちと戦いを繰り広げていた時代である。

 ここでトッドは、直系家族を〈レベル1の父系制〉と呼び、共同体家族を〈レベル2の父系制〉と呼ぶ。

 前者は、父方居住が約75%、後者は95%である。要するに、共同体家族は、父系制の強度が直系家族よりも高いのだ。

 秦の始皇帝についてトッドは言う。

「不完全なレベル1〉から、息子がいない場合の娘による相続をもはや容認しない〈レベル〉へ移行する父方居住原則の徹底化は、初代皇帝帝〕のときにはすでに顕著である最初の統は共通紀元前二二一年に遡る〔中略〕始皇帝は、双処居住の家族システムの存在が想定される南部の越を征服した後、母方同居の撲滅のために戦ったのである    

 続いて、漢の時代には次のようなことが起こった。

共同体家族への移行における第の必要な要素は、母方居住婚に対する闘争の開始世紀後に姿を現わす漢朝は、共通紀元前一二七年に、長子相続の廃止によって兄弟間の平等を確立する。封土の分割が規則となるのである。
 
 こうして、中国にあった直系システムと、遊牧民の平等システムとが合体し、父系制共同体家族システムができ上がることになったのだ。

 以上が中国の「家族システム」の起源である。


5.日本

 続いて日本について。言うまでもなく、日本の家族システムは「直系家族」

 これはいったい、どのようにできあがったのだろう?


 まず、前8000〜前400年の縄文人は、やはり双処居住の核家族だったことが明らかにされている。

「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」

 3世紀はじめの卑弥呼の存在は、当時の日本がまだ双系制であったことを物語っている。

 7、8世紀、中国の影響を受けて、父系原則が強くなる。

 しかしこの時期には、辺縁部によく見られるように、中国への反動も見られる。

「父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。」    

 中国のシステムへの反動として、日本では一時期「母方居住」が強まったのだ。

 その後、日本は直系家族への道を進んでいくことになる。

 中国でも見たように、その大きな理由は農業の稠密化と集約化にあった。

 集約農業によって、遺産の不分割相続の必要が出てきたことで、日本は独自に直系家族への道を進むことになったのだ。

 つまり、日本の直系家族は、中国の影響から生まれたものではなかったのだ。

 実際、日本が直系家族に変化していく頃、中国は父系制の共同体家族になってすでに1000年もの月日を経験していた。

 もし中国からの影響が強かったなら、日本にも何らかの共同体家族の特徴が見出されたはずである。


6.沖縄、アイヌ

 沖縄とアイヌについても見ておこう。

 沖縄では「母方居住」が多く見られる。

 これまでに見てきた通り、これは中国および日本の父方居住への「反動」と考えられる。

またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。    

 アイヌもまた、他のアルカイックな地域と同じく双処居住の核家族だ。

「ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」    


7.軽度の内婚

 日本の軽度の内婚(イトコ婚)についてもひと言。

 同じ直系家族でも、ドイツや朝鮮がイトコ婚を嫌うのに対して、日本にはいくらかその傾向がある。

 それは、文化的・歴史的な背景においてゆるやかに慣習化したものであろうとトッドは言う。

 皇族などの特権階級や、一子相伝の技を伝える一族などは、その血を守るために内婚を行った。これが、日本の家族システムにいくらかの影響を与えたのだろう。

 したがって、日本では内婚は根強い制度ではなかった。その証拠に、近年においてイトコ婚はほぼ消滅している。


8.インド亜大陸

 続いて、インドについて。

 インドでは、父方居住が圧倒的に優位である。

 北西部は、ほとんどが「父方居住共同体家族」ばかりであり、東部と南部は一時的父方同居を伴う核家族」だ。


 階層が上昇するにつれて、世帯が複合化するという特徴もある。

 すなわち、中心部が「父方居住共同体家族」、周縁が「核家族」や「直系家族」「双方性」になるわけだ。

 インドの周辺部から見ていこう。

 チベット「一妻多婚」を取っている。

 その内実は、ただ1人結婚する権利を持つ長子が、自分の妻への性的なアクセスを弟たちに許容する特権である

「こうしたことの全体によって、家や土地の細分化を避けることが可能になる。」

 要するに、これはヒマラヤ流の「直系家族」なのだ。

 それに対して、東部と南部はアルカイックな「核家族」だ。

 では、いったいなぜ、どのようにしてインド周縁部はこのような家族システムになったのか?

 『マヌの法典』などから、インドは紀元0年頃に直系家族になったことが分かる。

 そして前50500年の間に、兄弟姉妹の平等主義的な特徴が出現したと推測される。

 その背景には、中国と同様、フン(匈奴)、月氏(クシャーナ・クラン)、スキタイ人らの侵入があった。

 インドの直系家族システムと、ステップ遊牧民の平等主義システムが、ここでもまた融合したのだ。

 歴史上、インドは大きく3つの侵略にさらされてきた。

 1つは、紀元前後の月氏の侵略から8世紀アラブ人の到来。

 その後小国分離の休止状態が続き、2度目の侵略によって12世紀のデリー・スルタン朝が誕生した。

 3度目は、1619世紀ムガル帝国

 イスラムもまた父系制で平等主義の共同体家族だが、インドではこうして、月氏の侵略からイスラムの侵略まで、この共同体家族システムが絶えず上塗りされ続けたわけだ。


9.東南アジア

 最後に東南アジアについて見ていこう。

 東南アジアの82%は「核家族」である。つまり、太古の家族システムが残存しているのだ。

 さらにここには、母方居住という特徴がある。ヴェトナム人とシャン人を除いて、インドネシア全域、ミナンカバウ、タイ、ミャンマー、マレーシア、カンボジアなどだ。

 これは、例によって、インドや中国の父系制に対する周辺部の「反動」だと考えられる。

 フィリピンには双処居住核家族システムが見られるが、これは最も太古のモデルと言っていい。

 それに対して、ヴェトナムやミャンマーの一部には父方居住が見られる。言うまでもなく、中国、インドの影響だと考えられる。





(苫野一徳)

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