ポメランツ『大分岐』〜中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成〜


はじめに

Kenneth Pomeranz 現代アメリカの歴史学者、ケネス・ポメランツの、長らく待ち望まれていた邦訳。

 本書の問いはいたってシンプルだ。

 19世紀以降、世界の覇権を握った西ヨーロッパは、いつ、なぜ、他の世界から「大分岐」したのか?

 答えもまたシンプルだ。

 従来、それは1500年頃だとか、さらには1000年頃だとか言われてきた。その理由も、ヨーロッパ人の技術力や経済的才能など、ヨーロッパ内部に求められることが多かった。

 しかしポメランツは言う。実は1800年頃まで、西ヨーロッパと中国(長江デルタ)、さらに日本などの地域は、生活水準において互いに驚くほど似通っていたのだと。

 「大分岐」が起こったのは、せいぜい18〜19世紀のことなのだ。

 しかもその理由は、ヨーロッパ人の才などではまったくなく、端的に言えば石炭の獲得と、南北アメリカから獲得した原材料貴金属のおかげだった。

 本書の目的は、このことを一つずつ論証していくことにある。

 やや結論ありきに読めなくもない本書だが、確かにスリリングな学説だ。

 ちなみに、ポメランツはその後、中国と日本とヨーロッパが1800年頃まで似通っていたというのは、「明らかにに言いすぎであった」と訂正している(「日本語版序文」)。今では、せいぜい1750年頃ではないかとのことである。

 しかしそれでもなお、従来の通説に比べれば、これらの地域はつい最近まで互いにほとんど隔たりのない生活を送っていたのだ。



第1部 驚くほど似ていた、ひとつの世界

 従来、ヨーロッパはアジアに比べて、家畜や技術等のおかげで資本を蓄積できたとする説が一般的だった。

 しかしポメランツは言う。アジアは家畜の代わりに水運が発達しており、その経済発展のレベルにおいて、ヨーロッパにひけをとるものではなかったと。

 さらに言えば、農業、織布、衛生の水準は、むしろ東アジアの方が優位にあった。

 ポメランツは言う。

「全般的に見て、ヨーロッパの技術が一七五〇年時点ですでに圧倒的に高い水準に達していたという説は、根本的に修正されなければならない。

 では市場経済の水準はどうだったのか?

 ポメランツによれば、中国の土地は自由に譲渡できたのに対して、ヨーロッパはその売買が難しかった。市場における賃金労働者も、中国にはヨーロッパと同程度存在した。

 もっと言えば、ヨーロッパは長らく不平等な市場をしか形成できなかったが、清は自由競争市場を創出していた。

 それゆえポメランツは次のように言う。

ここまでに検証してきた証拠だけからでも、ヨーロッパの労働市場が、日本や中国に比べて、新古典派的な基準により近かったとはいえないのである。



第Ⅱ部 新たな経済は新たな精神から生まれるのか

 物質的・経済的に、ヨーロッパと中国や日本との間に差がなかったのだとすれば、「大分岐」の理由は「精神」的なものに求めるべきだろうか?

 たとえば、ゾンバルトはヨーロッパにおける奢侈品への需要が資本主義をもたらしたと考えたが、それは本当だろうか?

 ポメランツによれば、奢侈品の消費社会は、中国や日本にも十分に存在していた。

 ゾンバルトは、奢侈品への需要が、大規模生産と職人の大量雇用を生み出し資本主義につながっていったと考えたが、これについても、同じタイプの工場が日本や中国にもあったことが分かっている。しかも、ヨーロッパにおけるそうした奢侈品の大規模生産工場は、結局のところそれほど多かったわけではないのだ。

 こうしてポメランツは次のように言う。

「このように、少なくともここまでは、これら三つの社会には、われわれが一般に「資本主義的」と考える新しい種類の企業体が出現すべき条件が、ほぼ同じようにあったと思われる。」

 では次に、ブローデル派が言うような、「資本主義は特権階級が利潤を手に入れるところに起こる」という説はどうだろうか?(ブローデル『歴史入門』『物質文明・経済・資本主義』のページ参照)

 ブローデルらによれば、資本主義を生み出せるほどの特権階級が存在し得たのは、社会秩序が安定していて、なおかつ金持ちたちの財産権が不可侵とされていた、ヨーロッパと日本だけだった。

 しかしポメランツは、近年この主張も揺らぎ始めていると主張する。たとえば中国でも、何世紀にもわたって続いた企業が数多く存在したのだ。

 戦争が経済発展をもたらしたとする説はどうだろうか?

「戦争がヨーロッパの発展に対して、つぎの三つの点で利益をもたらした可能性があるとされる。すなわち、民間への技術転用、需要増による刺激、生産の拡大(国家の歳入増加につながる)を促進するように政府が制度変革をする誘因となること、の三点である。」

 しかしポメランツは、これら3つをそれぞれ次のように否定する。

1.軍事技術の革新は、非軍事部門にほとんど応用されていない。

2.技術者・発明家が殺されたり引き抜かれたりしている。

3.課税のため、需要はかえってマイナスになった。


 続いて、ヨーロッパの国家間競争が経済発展をもたらしたとする説はどうだろう?

 強大な中国や、鎖国していた日本は、国家間競争の必要がなかった。それに対してたえず競争を強いられてきたヨーロッパでは、軍事支出のために富裕な人々の財産権を保護したとされている。そして彼らが、資本主義の生みの親になったのだと。

 しかしポメランツは、この時実際に保護されたのは、徴税請負人などの財産権にすぎなかったと言う。そして、生産総量の観点からすれば、彼らの特権が積極的な役割を果たしたと言うことは難しいと結論づける。

 こうしてポメランツは次のように言う。

したがって、一八世紀の中頃になっても、西ヨーロッパだけが生産的であり、経済的にも効率的であったということはなかったように思われる。しかし、旧世界の多くの他の地域が、西ヨーロッパと同じくらい繁栄し、「プロト工業的」、ないし「プロト資本主義的」であったという研究成果から、一部の研究者の主張するまったく事実に反する主張――満洲人とイギリス人の侵略によって「資本主義の芽」が摘み取られるまでは、いくつかのアジア社会が工業化のブレイクスルーに向かって先頭を走っていたのだ、という――飛躍してしまうわけにはいかない。よりありそうなことは、世界中のいかなる地域も、必ずしもこのようなやブレイクスルーには向かっていなかったということである。



第Ⅲ部 スミスとマルサスを超えて

 では、ヨーロッパの「大分岐」はいったいいかにして可能になったのか?

 ここでポメランツは、これまでに見てきた3つの地域の「生態環境」に目を向ける。


 18世紀、中国、日本、西ヨーロッパは、人口増加による生態環境の危機に陥っていた。すなわち、森林破壊や丘陵地の浸食、そしてそれに伴う洪水の危険性の増大である。

 この危機から抜けられた地域こそ、ヨーロッパだったのだ。

 その最大の理由は、石炭の獲得と、南北アメリカからの貴金属および原材料の獲得にあった。


「メキシコ、ペルー、さらにのちにはブラジルからは、膨大な量の貴金属がヨーロッパに送られた。」

「新世界の財宝は、その多くがさらに東へ流れ、ヨーロッパに他の商品をもたらした。」

「きわめて多くの人びとが屋内労働に従事できるようになるには、安価な石炭エネルギーだけではなく、海外からの綿花、穀物、その他の土地集約的な物資の輸入もまた、決定的に重要であった。」

 ポメランツは本書を次のように締めくくる。

こうして見ると、大西洋貿易を自立的に拡大しつづけるユニークなものたらしめた決定的な要因は、おおかたヨーロッパ外的な、非市場的な要因であったことがわかる。この貿易が利用できたからこそ、ヨーロッパ(とくにイギリス)は、強い圧力のかかった土地を救い出すことにその労働力と資本を投入し、(東アジアとは違って)農業の発展をはるかに上回る人口とプロト工業の拡大を、さらなる発展の基礎に転じることさえできた。    

「こうして、市場外のさまざまな力とヨーロッパ外の諸々の複合状況こそは、ほかには何の変哲もない中核のひとつであった西ヨーロッパが、唯一、ブレイクスルーを達成し、人口を激増させながら前例のないほど高い生活水準をも実現して、一九世紀の新しい世界経済の特権的中心としての地位を固めえた最も重要な原因であった。」    


(苫野一徳)

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