デュメジル『ユピテル・マルス・クイリヌス』



はじめに

Georges Dumézil 20世紀を代表する神話学者、ジョルジュ・デュメジル。

 前著『ミトラ=ヴァルナ』に引き続き、デュメジルは本書において、インド=ヨーロッパ語族の神話と、これと相似形をなす太古の社会の構造について考察する。

 デュメジルによれば、インド=ヨーロッパ語族の社会は三重の構造をなしていた。

 祭司階級戦士階級飼育=農耕階級である。

 たとえば、インドでは、それぞれブラフマンクシャトリヤヴァイシャと呼ばれ、これに、征服された民族である奴隷階級シュードラが付け加えられる。

 この三階級に、それぞれの守り神とも言うべき存在が対応している。

 ブラフマン(祭司)には、ミトラヴァルナ、クシャトリヤ(戦士)にはインドラ、ヴァイシャ(飼育=農耕)にはナーサティヤ双神である。

『ミトラ=ヴァルナ』で詳論されたように、このうち第1機能は、呪術的権力と司法的権力の相互補完的関係から成り立っている。つまり、社会においてはバラモン(司祭)と王、神においては、呪術的神であるヴァルナと司法的神であるミトラである。

 さて、この「三機能」は、あらゆるインド=ヨーロッパ語族に共通して見られるものである。つまり、インドだけでなく、イランでも、ケルト民族においても、ゲルマン民族においても、そしてローマにおいても、例外なく当てはまるのだ。

 はるか遠く離れたインドとヨーロッパの人びとが、もとは同じ民族だったことが分かったのは、神話や言語学の研究によるところが大きい。

 19世紀、ヨーロッパ人は、ヨーロッパの太古の神話と、自分たちが植民地化したインドのそれとが、神々の名前を含めて細部にいたるまであまりに酷似していることを発見し驚愕した。

 その結果、彼らは、ヨーロッパ人とインド人が、紀元前3000年紀から2000年紀にかけて、ハンガリー平原とバルト海のあいだと想定される地域から、四方八方に飛び出していった同じ民族だったことをつきとめたのだ(と、デュメジルは言っているが、現在では、カフカス山脈周辺の出自という説の方が有力なのではないかと思う)。

 いわゆるアーリヤ民族の大移動である。

 デュメジルの最大の研究テーマは、このインド=ヨーロッパ語族の神話を研究し、彼らの思考形式を浮かびあがらせることにあった。

 その1つが、先に述べた「三機能理論」だ。

 本書でデュメジルは、とりわけ古代ローマにおける「三機能」について、他のインド=ヨーロッパ語族たちのそれとを比較しつつ詳論する。


1.呪術神(ユピテル)と戦闘の神(マルス)

 デュメジルは、まず、インド=ヨーロッパ語族の神話における、呪術神と戦闘神の関係性について考察する。

 呪術神は、司法神と並んで至上神だ。しかし彼は、無双無敵でありながら自ら戦うことをしない。

 戦争を司るのは、どこまでも戦闘の神なのだ。

 たとえば、インドにおける呪術神はヴァルナだが、彼は戦うことをせず、戦争はインドラに任されている。

「ヴァルナに関しては戦闘の神話はない。にもかかわらずヴァルナは神々のなかで無双無敵である。彼の最大の武器は影や幻覚を作り出す「至上神の呪術」であり、それによって彼は世界を支配し、調和させることができる。〔中略〕これに対して戦士神は、戦う神、雷震を放つ神であり、数えきれぬ決闘をし、敢然と数々の危機に立ち向い、あまたの勝利を競った英雄インドラである。」

 ケルトの神話でも同様だ。北欧神話における三機能を担う神は、それぞれオージントールニョルズ・フレイ・フレイヤだ。

 デュメジルは言う。

「オージンが、この世でもあの世でも戦士の守護神であり、長であるのは確かである。しかし散文の『エッダ』においても韻文の『エッダ』においても、彼自身は戦わない。」

 初期ローマの三機能を担う神々は、それぞれユピテルマルスクイリヌスだ。ここでも事態は同様だ。

「ユピテルやマルスに関する伝承から、ローマにおいても同じ事実を確認することができる。両者はともにローマ人のために等しき神通力でもって戦闘に介入したものの、その方法はまったく異なっていた。」

 つまり、ユピテルが呪術によってローマを守ったのに対して、戦いによってローマを救ったのは、やはり軍神マルスだったのだ。

 では、残るクイリヌスとはいったい何者か?

 容易に察せられるように、それは農耕の神である。祭司・戦士・農耕の三機能は、あらゆるアーリヤ民族に共通の社会・神話構造なのだ。


2.三大フラメン

 ローマには、ユピテル、マルス、クイリヌスに対応して、それぞれの神を祀る祭司、すなわちフラメンたちがいた。それぞれ、フラメン・ディアリス、フラメン・マルティアリス、フラメン・クイリヌスと呼ばれている。

 ちなみに、このフラメンは、インドにおける祭司階級ブラフマンと音声上等価である。こんなところからも、遠く離れたインドとローマとの親近性がうかがえる。

 さて、デュメジルによれば、しかしこのフラメンたちには、一つだけ、インドやケルトなどとは大きく異なる点があった。

 インドのブラフマンやケルトのドルイドは、国に縛られない、いわば超国家的な存在だった。

「ブラフマンたちは、個人としてであれ集団としてであれ、国境を自らの意思で越える。すなわち彼らは、自分の知識や能力が最も高く評価されるところへ行く。」

「ドルイド教も王国に対して同じように外にあり、同じように優位に立っていた。〔中略〕異教時代最後のアイルランドには、戦争をしている王たちが競って協力を求める国籍のない偉大なドルイドたちがやはりいて、彼らはときには正当な側に味方したが、多くの場合、最大の利益を自分たちに保証する側に味方した。」

 もっとも、彼らは同時に、王付の祭官になって王を助ける存在でもあった。

「インドでもケルトでも、ブラフマンやドルイドを味方につけること、とりわけ一種の王付祭官を雇うことは王の利益である。かくしてインドのそれぞれの王には王付祭官が付き、王のためにあらゆる呪術を行使し、王の穢れをことごとく取り除き、王に助言を与え、王の傍らで大いに尊敬されて生活し、ヴェーダ讃歌が述べているように、またプローヒタの名(purah「前に」、hita「置かれたもの」)が意味するように、「王宮では先頭をきって歩む」。同じく、アイルランドの叙事詩では、いかなる王にも私設ドルイド(ときとして幾人も)がいて、予兆を解き明かし、助言し、守護し、補佐し、離れることのない伴侶であり、恐れられ、尊敬されていた。」

 他方、ローマのフラメンたちは、国家に徹底的に縛られていた。

「都市ローマから出ない、続けて三晩ベッドを空けさえしない、あまり遠くへは行く気が起こらないよう馬に乗らないといった、彼に課せられる「居住のタブー」を思い起こそう。」

 これは、ローマがその他の民族とは大きく異なる道を進んだことを示している。

 彼らは、強力な国家を意図的に作り出したのだ。

「草創期以来、小さな「祖国」を大きな「民族」の上位に置き、市民同士を区別するものよりも、あらゆる外部の集団に市民を連帯して対抗させたものに価値を与えたのである。」


3.ラムネス・ルケレス・ティティエス

 続いて、初期ローマの社会階層を見てみよう。

 ローマには、その建設者ロムルスが創設したとされる三階級があった。

 ラムネスルケレスティティエスである。

 デュメジルによれば、音声的に見ても、ラムネスはロムルスを、ルケレスはルクモを、そしてティティエスはタティウスを示している。

 ルクモとは、かつてロムルスとともにサビニ人と戦い、戦場に倒れたエルトリア人の英雄のこと。

 タティウスとは、そのサビニ人の王の名だ。ロムルスとの戦いの後、彼はロムルスとともにローマの共同統治者となった。

 要するに、この三階級は、異なる民族が融合してできたものなのだ。

 その意味するところは明白だ。

 ラムネス(ロムルス)は呪術・祭司的地位を、ルケレスは戦士的地位を、そしてティティエスは農耕的地位を意味しているのだ。


4.アース神族とヴァン神族との戦い

 ここでデュメジルは、北欧神話とローマのそれとの類似性について言及する。

 北欧神話に登場する神々は、かつてアース神族ヴァン神族とに分かれ、お互いに争い合っていた。

 アース神族に属していたのは、呪術神オージンと戦闘神トール。

 対するヴァン神族に属していたのは、豊饒の神のニョルズとその息子フレイ、娘フレイヤである。

 繰り返される戦争の結果、両神族はついに和解し、互いに融合した。

 さて、この神話は、先に見たロムルス(ラテン人)とタティウス(サビニ人)との戦いに完全に合致する。

 よく知られているように、ローマを建国したロムルスは、子どもを増やすため手下たちのためにサビニ人の女たちを誘拐した。

 これをきっかけに、サビニ人との戦争が始まった。そしてその結果、両者は和解し一つの民族へと融合したのだ。

「ヴァン神族とアース神族と同じく、サビニ人とローマ人は物語の初めには隣り合った民族であるばかりか、「専門分野をもつ」民族でもあり、フレイがアース神族のもとで、タティウスがローマで統治するとき、ともにかつての敵が具現している他の二つの機能と対照的に、多産性と豊饒の機能をどちらも同じように確保することになる。」

 要するに、北欧神話も、ラテン人とサビニ人との融合も、いずれも戦争を通した農耕民族の融合を意味していると考えられるのだ。


5.プラトン『国家』に見られるインド・ヨーロッパ語族の思考形態

 以上のように、あらゆるアーリヤ民族の神話および社会構造には、祭司・戦士・農耕という「三機能」が共通して見られる。

 本書の最後に、デュメジルは、この「三機能」が、古代ギリシアにおけるプラトン『国家』にも色濃く見られることを主張する。(プラトン『国家』のページ参照)

「プラトンの理想の都市国家は、最も厳密な意味でインド=ヨーロッパ共通基語時代の経験の非意図的想起というものではないだろうか。この都市国家は、〔中略〕統治する賢者、戦う戦士、耕作者と職人が一つになり富を生み出す第三身分、という三機能、三身分を調和よく配合して構成されている。第三集団の上位二集団の連帯と、三集団それぞれの独自性はとりわけ顕著である。〔中略〕第三身分は節制を旨とするだけでよく、戦士は節制に加えて勇気をもたねばならず、「守護する者」はそのうえに思慮深くあるべきである。」

 そして言う。

「インドの法典と『国家』は呼応し合っている。それは両者が同じ先祖の歌を歌っているからではないだろうか。」

 さらにデュメジルは続ける。

「『国家』第四巻の最もみごとな一節までも、ここでは言及しなければならない。社会を三区分する方式を見出した後にプラトンは、個人、つまり「一人の人間」に取り組み、この小宇宙の中に、〔国家の場合と〕同じ階級序列における同じ要素、同じ徳を必要とする同じ調和の条件を見出す。「正しい人は、正義という点では、正しい国家と少しも異なるところがない」。正しい人は自らの中に賢者、戦士、金を儲ける者に相当するものをもっている。」

 プラトンによれば、「正しい人」は、先の三機能のすべての徳を持っていなければならない。

 この「一人の人間」への融合という思考モデルは、インドにおいてもケルトにおいても見られるものだとデュメジルは言う。

「インドは、表象もインド特有の表現も変わりやすさはあるものの、社会や宇宙と同じ三つの性質をもつ魂を、あるいは少なくともそうした魂の現身を作り上げている。」

「アイルランドの最高王権を望む者の誰もが、「嫉妬せず、恐れず、物惜しみせず」、権力の座にあっては寛大で、戦闘では勇敢な、自分の財産を惜しみなく与える男でなければならなかったと読み取るならば、ドルイドたちもまた王国においてと同じ構造を魂においても認めていた証拠をわれわれは手にしているのである。」


 (苫野一徳)



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