デュメジル『ミトラ=ヴァルナ』



はじめに

Georges Dumézil 20世紀を代表する比較神話学者、ジョルジュ・デュメジル。

 デュメジルと言えば、インド・ヨーロッパ語族の神話における、いわゆる「三機能理論」が有名だ。

 インド・ヨーロッパ語族には、「祭司」「戦士」「飼育=農耕民」という社会階層があり、各民族の神話にもそれが色濃く表れているという理論である。

 たとえば、古代インドにはブラーフマナ(祭司)、クシャトリヤ(戦士)、ヴァイシャ(飼育=農耕民)という階級があった。そしてそれぞれに対応する神が、ミトラとヴァルナインドラナーサティヤ双神とされていた。

 あるいは、初期ローマの三神は、ユピテルとディウス・フィディウス(祭司)、マルス(戦士)、クイリヌス(農耕)の三神である。

 北欧神話では、オージンとテュール(祭司)、トール(戦士)、フレイ(農耕)の三神となる。

 上から分かるように、祭司階級の神、すなわち「至上神」は、「対の神」となっている。

 ここに、デュメジル理論のもう1つのポイントがある。

 至上神は「対の神」として存在する!

 このことを詳論したのが、本書『ミトラ=ヴァルナ』である。

 本書の目的は、インド・ヨーロッパ語族の神話を検討することで、太古の昔の人びとのいわば弁証法的な精神構造・思考様式を解き明かすことにある。


1.ルペルクス

 対の神としての至上神について論じる前に、デュメジルはまず古代ローマのある大祓について述べる。

 古代ローマでは、1年に1度、ルペルクスと呼ばれる騎士階級の若者たちが、半裸になって女たちをヤギ革の鞭で打って回るという大祓が行われていた。

 ルペルクスが解き放たれるのは、この1年に1度だけである。

 これはいったい、何を意味するのか? ルペルクスとはいったい何ものなのか?

「ルペルクスという名称はルペルカルという洞窟の名前と同様に、ロムルスとレムスの兄弟を育てた「牝狼」〔ルペルカ〕と、二人の心を鍛え過酷な運命に立ち向かう素地を作った野育ちの幼年時代を彷彿させる。」    

 ロムルスレムスとは、言うまでもなく、ローマ建国神話の主人公たちだ(兄ロムルスが弟レムスを殺して、ローマの建設者となった)。

 要するに、ルペルクスはローマ建国者を教育した者であり、また偉大なロムルスの象徴なのだ。

 ルペルクスが女たちをヤギ革の鞭で打つのは、かつてロムルスがサビニ人の女たちを誘拐した際のエピソードを再現したものだ。

 子孫を増やすため、ロムルスは手下たちのために大勢の女を誘拐した。

 しかし彼女たちには子ができなかった。

 そこでロムルスが神に訊ねたところ、女たちをヤギ革の鞭で打てとのお達しがあった。

 はたして女たちは子を身ごもった。

 大祓におけるルペルクスの所行は、この歴史的エピソードを再現しているのだ。

 こうして、ルペルクスはロムルスと等価の存在と見なされる。

 しかし彼らは、1年に1度だけ解放されることからも分かるように、決して「公的」な存在ではない。

 デュメジルは言う。

「それは文明化途上にあるほぼすべての民族に見出されるような「男性結社」の一つなのである。こうした結社は仮装とイニシエーシヨンを行い、並外れた呪術的力をもつばかりか、少なくとも部分的には「秘密結社」の名に値し、公的宗教の通常の働きとは対極の働きをなすためにだけ、つかのまのあいだ(ただしそのときには最高の威厳をもって)公に姿を現すのである。」    


2.ガンダルヴァ

 ローマのルペルクスと同じような存在が、古代インドにも存在した。

 彼らはガンダルヴァと呼ばれた。

 ガンダルヴァもまた、インドの英雄たちの教師という位置づけの存在だ。そしてまた、女を鞭打つ(身ごもらせる)ルペルクスと同様、ガンダルヴァもまた淫らな存在である。

「(彼らは)人間の胴体に馬の頭をもつ存在として描かれ、彼ら独自の世界に住むとされている。〔中略〕彼らは大酒飲みで、ソーマや他の酩酊飲料を盗み、女や妖精(アプサラス)を掠い、淫らな形容辞を喜んでいくつも戴いており、儀礼文献によればどんな女でも正式な夫以前にガンダルヴァを最初の夫とすると言われるほどである。」

 半人半馬として描かれていることから分かるように、ガンダルヴァもまた、ルペルクスと同様「騎士階級」の象徴である。

「つまり、「英雄の教育」を行い、馬と関連する結社こそが問題なのであり、ローマのルペルクス集団が依然として騎士階級の若者たちよりなることからすると、おそらくそうした結社はインド=ヨーロッパ語系諸族における「馬を御する者たち」によって独占されていたのだろう。」    

 ルペルクスとガンダルヴァ。両者は、「馬を御する者たち」による秘密結社であり、宗教組織だったのだ。


3.フラメンとバラモン

 このルペルクスとガンダルヴァにある意味で対立する存在が、フラメンバラモンだ。

 フラメンとは、古代ローマの神官のこと。バラモンは、古代インドの最高階級にして祭司である。

 どちらも、日常の宗教世界、つまり「秩序」の世界を象徴する存在だ。

 それに対して、ルペルクスとガンダルヴァは無秩序的で神秘的な存在だ。たとえば、フラメンやバラモンが酒や乱交を絶つのに対して、ルペルクスやガンダルヴァは、酩酊と乱交をこそ仕事とする。

 ここに、わたしたちは「秩序」と「無秩序」の二つの世界の同居を見ることができる。あるいは「規範」と「豊饒」とでも言うべきだろうか。

 デュメジルは言う。

「「過剰なるもの」であるがゆえにルペルクスとガンダルヴァは創造をなしうるのであり、「規範通りのもの」でしかないため、フラメンとバラモンは維持することしかできないのである。」    

 
4.ロムルスとヌマ

 同じような対立は、ロムルスとその後継者ヌマとの間にも見ることができる。

 ロムルスは、都市ローマを建設した。

 それに対して、ヌマはこの都市に制度を作った。

 ロムルスは、若く、血気盛んで、野心的な男である。

 それに対して、ヌマは年配で(と言っても40歳だが)、野心などは全く持ち合わせていない。

 デュメジルは言う。

「すでにお気づきのことかと思うが、これまで検討してきたどの項目においても、ロムルスとヌマの対立関係はルペルクスとフラメンのそれに根底から合致しているのだ。すなわち、どちらの場合も一方には喧騒や情熱、一人の荒れ狂う若者の絶対的支配が置かれ、他方の静穏さや厳格さ、聖職に就いた老人の中庸と対置されている。」    


5.ミトラとヴァルナ

 ここでようやく、デュメジルは、本書のタイトルにもなっている古代インドのミトラヴァルナの二神について論じる。

 これまでの言い方を用いるなら、ミトラは「秩序」を象徴する存在であり、対するヴァルナは、「攻撃的」で「騎士的」な存在なのである。


6.オージンとテュール

 続いてデュメジルは、スカンディナヴィアの三主神群についても論じる。

 すなわち、呪術的至上者オージン、雷霆を放つトール、そして、淫乱で平和を好むフレイである。

 これが大陸のゲルマン民族になると、ウォーザナズトゥンラズネルスズという名前になる。

 オージンのかたわらには、常にテュールという神がいる。

 ウォーザナズのかたわらには、ティーワズという神がいる。

 これは、ヴァルナのかたわらにミトラがいるのと同じ構造である。

 つまり、オージンは呪術的至上者、テュールは司法的至上者なのだ。

 以下、詳しく見てみよう。

 呪術的至上者であるオージンは、隻眼の神である。

 彼は、片眼を失うことで、その呪術的な千里眼や超能力を手に入れた。

 他方、司法的至上者のテュールは、隻腕の神である。

 彼もまた、片腕を失うことで、自らが司法的至上者であることを示した。

 テュールが片腕を失ったエピソードは、神話では次のように語られている。

 神々にはある悩みがあった。ある幼いフェンリル狼が、将来神々に災いをもたらすと予言されたのだ。

 そこでオージンは、一見したところ絹糸にしか見えない魔法の足伽を、鍛冶屋の黒いエルフたちに造らせた。

 神々は狼に、この絹糸につながれてみろと狼を挑発した。

 狼は、ワナだと疑ったが、メンツを失わないよう挑発に乗る。

 しかしその際、狼はこう言った。

「あなたたちのうち誰か一人が、嘘偽りはないという保証に、私の口の中に片手を入れてください」

 そこでテュールが右手を差し出し、狼の口の中に入れた。

 はたして、狼はとらえられ、しかしその代償に、テュールは片腕を失った。

 デュメジルは言う。

「ここでのテュールの行為が司法神にまさにふさわしい行為であることはあえて強調するまでもないだろう。」

「最古の時代から、すでに法が問題となる以上、そこでの最大の関心事は形式を遵守したうえで、いかに国際的に非難されることなく自民族にもっとも有利になるよう振舞うかということにあったはずである。」

 テュールは、自らが腕を失うことを通して、神々のペテンを正当化した。つまり、彼こそが法を制定したのである。


7.コクレスとスカエウォラ

 このように、特にヨーロッパでは、呪術的至上者は隻眼、司法的至上者は隻腕としてイメージされる傾向がある。

 古代ローマにも似たような神話がある。

 隻眼のコクレスと、隻腕のスカエウォラの物語だ。

 コクレスもまた、呪術的力によって敵を倒し、その後スカエウォラが敵との間に和平を結んだ。

「つまり、通常の戦闘に見られる釣り合いの取れた勝利の上には、「天才」の「戦意を喪失させる力の放射」によって確実に勝ち取られた戦闘と、法的手続きを英雄的に活用することによって終結させられる戦争という、二つの勝利の形態が存在すると考えられているのである。」
 

8.結論

 こうして、インド=ヨーロッパ語族の神話を一通り検討したデュメジルは、本書の結論をこう述べる。

「二つの項のうち一方(ヴァルナなど)が霊感を受けたもの、予見しがたいもの、熱狂的なもの、素早いもの、呪術的なもの、恐ろしいもの、暗いもの、気むずかしいもの、全体主義的なもの、若々しいものといった領域を包含するのに対し、もう一方の項(ミトラなど)は規則に則ったもの、正確なもの、鷹揚なもの、ゆっくりとしたもの、司法的なもの、穏和なもの、明るいもの、寛大なもの、分配主義的なもの、老いたるものといった領域をカヴァーしていると。」



(苫野一徳) 


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