ファン・ヘネップ『通過儀礼』


はじめに


 人間の儀式には、必ず何らかの「通過儀礼」的性格がある。フランスの文化人類学者ファン・ヘネップ(1873〜1957)は、本書でそう主張する。

 通過儀礼とは、あるステイタスから別のステイタスへと移行するための儀式である。

 ファン・ヘネップは、この通過儀礼には次の3つの段階があると言う。

 最初のステイタスから切り離される分離儀礼、次のステイタスへ移行するまでの過渡儀礼、そして次のステイタスに統合される統合儀礼である。

 どこにその重点が置かれるかはそれぞれの儀式によって異なっているが、人間社会のあらゆる儀式には、必ずこの3段階があるとファン・ヘネップは主張する。

 本書では、「妊娠と出産」「出生」「加入礼」「結婚」「葬式」などのさまざま儀式の膨大な例をもとに、そのことが論証される。

 ファン・ヘネップ自身は、本書の目的は個々の儀式の細かな点を明らかにすることではなく、儀式一般の「意味」を明らかにすることにあると言っている。しかし本書のほとんどは膨大な実例に費やされており、それら儀式の「(人間的)意味」にはあまり十分な言及がないように思われる。

 あえて言うならば、それは、人間は長い間「異界」に怯え続けてきた(今も怯え続けている)ということだろうか。だからわたしたちは、安心に暮らせる自分たちの領域を守るため、異界との行き来や別の領域への移行に際して、さまざまな儀式を執り行い、その不安を取り除こうとしてきたのだろう。


1.聖と俗、生の移り変わり、宇宙のリズム

 人間が儀式を執り行うのは、聖と俗とを行き来する時、人生の諸段階、そして季節の移り変わりの時などである。

 まず、聖と俗について。

 未開に近づけば近づくほど、聖と俗との境界ははっきり定められている。これらの世界を行き来するには、厳格な儀式が必要となる。

「俗人が宗教界に入るなりその逆なりの場合には儀式がいるつまり、定の感情的傾向一定の心理的志にもとづく、特別なジャンルに属する行為が必要になるのである。」    

 また、人生にはさまざまな諸段階があり、その時々において、人類はさまざまな儀式を行ってきた。あるステイタスからまた別のステイタスへと移るためには、儀式が必要なのである。

「つまり、ある個人の一生は、誕生、社会的成熟、結婚、父親になること、あるいは階級の上昇、職業上の専門化および死といったような、終わりがすなわち始めとなるような一連の階梯からなているのであるこれらの区切りの一つ一つについて儀式が存在するが、その目的とするところは同じであるつまり、個人をある特定のステータスから別の、やはり特定のステータスへと通過させることに目的があ。」    

 同じように、宇宙もまたその循環するリズムを持っている。それゆえ、季節の移り変わりなどの祭りもまた、人間にとっては通過儀礼の一種であった。

「したがって、天界における推移に関する儀式つまりある月から次の月への推移(例えば満月の祭りとか、季節の移り変わり(冬至夏至・春分・秋分などの祭り)や年の変わり目の祭り、新年の祭りなども人間の通過儀礼に含めるべきである    


2.実質的(空間的)通過

 最も分かりやすい儀式として、空間を移動する際の儀式(実質的儀式)がある。ファン・ヘネップは次のような例を挙げている。


「スパルタ王が戦争に行くときには、ゼウスに犠牲を捧げるのがならわしであった。そしてもし吉兆があれば松明の担い手が祭壇から火を取り軍隊の先頭に立って境界線まで運ぶ。そこでまた王は新たに犠牲を捧げる。もし占いが再び吉と出れば王は境界線をこえ、松明の担い手は常に軍勢の先頭に立つのであった。
 これはまぎれもなく、自己の領地をこえ中立地帯に入る際の分離の儀礼の実際の形である。」

 門をくぐる儀式もまた、実質的通過の典型だ。

門は極東では非常に発達して、建造物として価値のある独立した記念碑(例えば、神々・天子・後家などの門の形をとるようになっただけではなく、少なくとも神道や道教においては、儀式の道具として用いられた幼年期の儀礼の箇所参照せよ)。の凱旋門もこうした呪術的門から大建造物への進化の一つであたと思われ凱旋将軍は凱旋門を通ってロマの世界に一戻るためには、まず一連の儀式を執り行敵の世界から分離する必要があった。    


3.妊娠と出産

 以下、ファン・ヘネップは、具体的なさまざまな例を挙げながら、それらが皆「分離」「過渡」「統合」の構造を持っていることを論証していく。

 まずは妊娠と出産について。ここには、上に述べた3つの段階が顕著に見られる。

「まずはじめに妊娠した女を一般社会からも、家族集団からも、また時としては女性の集団からさえも切り離す分離儀礼があり、次に厳密な意味での妊娠の儀礼が続くが、これは一種の過渡期の儀礼である。最後に出産の儀礼となるが、これは、彼女がもと属していた集団に復帰させるか、あるいは、生まれた子が第一子や男子であった場合はとくに、彼女に新しい地位を与えるものである。」


4.出生と幼年期

 赤ん坊が生まれると、まずは生まれてくる前の世界との分離の儀式が執り行われる。

分離の儀礼には普通何かを切るということ――例えば生後初の散髪剃髪――次いで初着せの儀礼がつきものである。」   

 命名は、言うまでもなく「統合」の儀式である。


5.加入礼

 社会へ加入するための儀式にもまた、上の3段階は顕著に見られる。

 たとえば、オーストラリア諸族におけるトーテム結社への加入礼には次のようなものがある。

 まず分離儀礼。

「儀礼の第幕は以前の環境すなわち女と子供の世界からの分離儀礼で、新米は繁みや特別の場所や別小屋に閉じこもり種々のタ、特に食物のタブに服する 」   

 続いて過渡儀礼。

部族によっては新米は死んだ者と考えられ、見習い期間中ずっと死んでいるところもある。」

 そして統合儀礼。

「次に来るのは儀礼の積極的な面――慣習法の伝授、トーテム儀礼を新米の前でやってみせて徐々に教育していくこと、および神話の吟誦など――であるしめくくりは、宗教的儀式(例えば、ダラムルン信仰のあるところで)および部族ごとに異なる何らかの身体の致損(抜歯、割礼など)で、それがすんではじめて新米はクランの成人男子の一員とみなされるのである。」    


6.婚約と結婚

 結婚は、異なる集団の男女が結ばれるがゆえに、通過儀礼の中でも最も社会的影響の大きなものである。

 そのため、結婚においては「過渡儀礼」が重要になる。それが婚約期間である。

 結婚における分離儀礼には次のようなものがある。


「衣服を着かえること、牛乳の壺をからにし、三つの漿果(Galla)をはじけさせる。幼年期または独身期に関連のある何かを切ったり、こわしたり、投げたりする。結った髪をほどく、髪やあごひげを切ったり剃ったりする。目を閉じる。宝石類を取り除く。自分の玩具(人形など)、宝石、子供のとき着た服などを神に奉納する。処女膜にあらかじめ孔をあけたり、他のさまざまな身体毀損、いわゆる処女性の鎖を切断すること、帯をほどくこと、食事の内容を変えたり、一時的に特定の食べものを断ったりする。」


突き飛ばされたり、意地悪をされたり、吐いたりする名前を変える、人格を変える、女分業により定められた仕事の、時的または決定的タブに服すること、その他。」

 統合儀礼には次のようなものがある。

「腰帯腕輪・着ている服の贈呈または交換、お互いを本の紐で結び合う儀礼、互いの衣服の部を結び合う儀礼、何らかのやり方で互いの身体に触れ合う民間、相手の所有物を飲んだり使ったりする儀礼(牛乳ベテル(bétel)、煙草、仕事に使う道具など)、相手に飲みものや食べものをすすめる儀礼、一緒に何かを食べる儀礼(聖体拝領、古代ロマの宗教結婚式)、枚の服やベールなど緒に被る儀礼、つの椅子に座る儀礼、また、互いの血を飲む儀礼、つの料理をあるいは同じ皿で緒に食べる、同じ液体を、またはつの容れ物から緒に飲むなどの儀礼、互いに身体をこすり合うか、身体をすり合わせる儀礼(血や粘土などを)身体にぬけつけ合ったり、互いに洗い合う儀礼や、新しい家に入る儀礼などがある。」    


7.葬式

 葬式においても先の3段階は見られるが、特に重要なのは過渡儀礼と統合儀礼である。

 弔いの儀式における過渡儀礼は、言うまでもなく「服喪」である

「喪は遺された者たちのための過渡期であって、彼らは分離儀礼によって過渡期に入り、この期間の終わりに再統合の儀礼を行なって(喪明けの儀礼)一般社会に戻るのである。 」   

 統合儀礼においては、死者があの世に無事旅立っていけるよう取りはからわれる。

「大事なことは、死者は旅に出なくてはならないので、生者は旅に必要なものを、物質面でも(衣類、食物、武器、道具)、呪術宗教的な面でも(護符、標章、通過のための合い言葉ほか)すべて用意するよう気をつけることである。これらがあれば死者は生者の旅の場合と全く同じに、安全な旅と、通行と、暖かい歓迎とを保証されるのである    


8.その他の通過儀礼

 その他の通過儀礼として特筆すべきなのは、まず統合儀礼としての妻貸しの儀式だ。


「私は、交接は加入礼の最終的行為であると同時に、統合の儀礼でもあると解釈する。例えばオーストラリアにおける交接の儀礼もこの種のものであり、これによって使者をある部族に統合したり、ある時には一連の儀礼が首尾よく運ぶように、またある時には友愛のしるしとして行なう(妻・姉妹などを貸したり、交換したりする)。」

 加入礼として獣姦を行う部族もある。

「マダガスカルではこれが鮮明な形で表われており、旅から帰ったアンタイモロ族の男は誰も、自分で特に念入りに世話をした若い牝牛との行為を果たしてからでない、女と性的関係を持つことはできない。彼は牝牛を花や花環で飾るのである。    

 その他、笞打ちや担ぎ上げなど、さまざまな儀礼が、通過儀礼としての意味を持っているとファン・ヘネップは主張する。



(苫野一徳)

Copyright(C) 2016 TOMANO Ittoku  All rights reserved.