ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(1)


はじめに

 言わずと知れた、世界的な大ベストセラー。1998年にはピューリッツァー賞も受賞した。

 本書の問いは実にシンプル。

「世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか?」

 欧米(白人)優位の現代社会。それはいったい、どのような理由でできあがったのだろうか?

 本書の答えもまた、実にシンプルだ。

 その最大の理由は、人種的優劣などにではなく、地理的要因にある。

 多分野にわたる膨大な知識を駆使しながら、著者はこのことを論証していく。

 それぞれの分野の専門家の目には、細かな誤りも見られるだろう。地理的要因にあまりに重きを置きすぎているという批判も、当然可能だ。

 しかし、人類1万3000年の歴史を、超マクロな視点から読み解こうとした本書の試みは、人類社会のこれからを考える上でもきわめて示唆的だとわたしは思う。

 以下では、本書の内容を、章ごとに追っていくことにしたいと思う。



第1部 勝者と敗者をめぐる謎

第1章 1万3000年前のスタートライン


 人類史のはじまりは、700万年前にさかのぼる(現生人類への進化)。

 400万年前には直立姿勢がはじまり、250万年前には大型化と脳の拡大が起こり、アウストラロピテクスホモ・ハビリスホモ・エレクトゥスと進化していった。

 ダイアモンドが「大躍進」と呼ぶ進化は、約5万年前に起こった。

 道具使用がはじまったのだ。

 クロマニヨン人による、有名なラスコーの壁画(右)などもこの頃のものだ。

 クロマニヨン人がヨーロッパにやって来たのは、約4万年前。彼らは、すぐれた武器や言語能力をもって、それまでこの地に暮らしていたネアンデルタール人を侵略し滅ぼした。

 そしてまた、この大躍進の時代、人類の祖先は世界中へと移動していった。

「それまでアフリカとユーラシアにしか住んでいなかった人類が最初にむかったのは、当時まだ地続きであったオーストラリア大陸とニューギニアである。これらの地域の遺跡では、四万年前から三万年前に人類がいたことが、炭素14年代測定法によってたびたび検証されている(もちろん、もっと古くからだとする見解もある)。」    

 しかしこの移動と定住は、移住先の動物たちの絶滅という問題を生み出した。

 かつてのオーストラリア・ニューギニアには、巨大なカンガルーが棲んでいた。ディプロトドンと呼ばれる有袋類や、肉食性の有袋類など、固有の大型動物も生息していた。1トンもある巨大なトカゲ、巨大なニシキヘビ、陸生のワニなどといった、大型の爬虫類もいた。

 しかしそれら大型動物は、人類の移住とともに姿を消した。

 ここからダイアモンドは、オーストラリア・ニュギニアの大型動物は四万年前に初期人類によって殺戮されてしまったという仮説を提示する。

 同様に、南北アメリカ大陸の大型動物も、人類の移住とともに姿を消している。

 人類がアメリカ大陸に到達したのは、3万5000年前から1万4000年前までの間と考えられているが、クローヴィス式遺跡(現ニューメキシコ州)と呼ばれる遺跡が集中して見られるのは、紀元前1万1000年ごろのこと。そしてこの時期に、アメリカ大陸の大型動物はほとんどが絶滅してしまっているのだ。

 もっとも、人類による大型動物殺戮仮説に対しては、前1万1000年頃に最終氷河期が終わったために、大型動物が死滅したという反論もある。

 しかしダイアモンドは、大型動物がそれまでの22の氷河期を生き延びたこと、そしてまた、人類の移住と同時に姿を消していることを挙げ、やはり人類による滅亡説を提唱する。

 いずれにせよ、本書の文脈において重要なことは、アメリカ大陸からほとんどの大型動物が絶滅してしまったということである。このことが、のちのち、ヨーロッパ人の優位とアメリカ先住民の劣位へと直結することになる。


第2章 平和の民と戦う民の分かれ道

 第2章は、次のような衝撃的な史実からはじまる。

「一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や棍棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。
 しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。」

 マオリ族もモリオリ族も、もともとは1000年ほど前に同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人である。

 にもかかわらず、なぜマオリ族は好戦的で侵略的な民族になり、モリオリ族は平和な民族になったのだろう?

 ダイアモンドによれば、その理由はポリネシアのそれぞれの島の地理にある。

 モリオリ族が移住したチャタム諸島は、寒冷な地帯にあり、マオリ族の農作物が育たなかった。そのためモリオリ族は、それまでの農耕生活を放棄して狩猟採集生活に戻った。

 また、比較的小さなチャタム諸島には、最大でも2000人の狩猟採集民しか生活していなかった。そのため彼らは、お互いに助け合う社会を築き上げたのだった。

 一方、ポリネシア最大のニュージーランドのマオリ族は、ポリネシア式農業を発展させ、人口も10万人を超えていた。

 農業の発展は道具の発展を生み、社会も高度化する。こうしてマオリ族は、原始的で平和的なモリオリ族を、高度な力をもって侵略することになったのだ。

 このような社会の高度化は、ポリネシアにおいてはほかにもハワイトンガなどで顕著に見られる。

「政治面でもっとも複雑であったのがトンガとハワイ諸島である。それらの島々では、代々の首長が、いわば国王に匹敵する権力を持つようになり、土地も首長によって管理されるようになっている。」



第3章 スペイン人とインカ帝国の激突

 第3章は、この本を象徴する章である。


 1532年、8万の兵を率いたインカ皇帝アタワルパは、わずか168人のピサロの兵によって捕えられ処刑される。

 なぜそのようなことが可能だったのか?

 その答えこそ、本書のタイトルでもある「銃・病原菌・鉄」にある。

「ピサロ側が有利だったのは、スペイン製の鉄剣などの武器を持っていたことである。鉄製の甲冑、銃器、そして馬を持っていたのもピサロ側である。それに対してアタワルパ側は、騎乗して戦場に乗り込んでいく動物を持っていなかった。武器にしても、石の棍棒や青銅製の根棒、あるいは木製の根棒で戦わなければならなかった。槌、矛、手斧、投石器、刺し子の鎧で立ちむかわなければならなかった。」    

 もっとも、ピサロ側の銃は、この戦いではそれほど大きな役割を果たしていない。彼らが持っていた銃はわずか12丁で、また当時の銃は装填に時間がかかったからである。発砲の心理的効果はかなりのものだっただろうが、勝利の決定的な要因になったのは、上述の鉄製武器と馬だったのだ。

 しかし、ヨーロッパの最終的な勝利の要因は、病原菌の猛威のためであったと言っていい。

 天然痘などの、ユーラシアの風土病・伝染病に免疫のなかったアメリカ先住民たちは、最終的には実に95%もの人口を失うことになったのだ。



第2部 食料生産にまつわる謎

第4章 食料生産と征服戦争

 しかし、そもそもいったいなぜ、ヨーロッパ人たちは銃・鉄・病原菌を手にすることになったのだろうか?
 
 まずは病原菌について。

 天然痘、麻疹、インフルエンザなどは、もともとは家畜の病原菌の突然変異種である。

 つまりこれら病原菌は、家畜との接触から生じたものなのだ。

 先述したように、アメリカ大陸には、家畜化可能な動物がすでにほとんど死滅していた。その一方で、ユーラシア大陸には、家畜化可能な動物が豊富に存在していた。

 だから、アメリカ先住民には病原菌に対する免疫がなく、一方のヨーロッパ人には免疫があったのだ。

 家畜とともに重要なのが、食料生産である。ユーラシア大陸では、この植物栽培と家畜飼育によって食料が増大し、その結果、人口が稠密化、やがて帝国へと発展することになった。

 つまりユーラシア大陸には、社会をきわめて高度化させる条件が整っていたのだ。



第5章 持てるものと持たざるものの歴史


 そこで、ユーラシアにおける農耕のはじまりを見てみよう。

 それはメソポタミアにおいてのこと。前8500年頃には最初の農作物栽培が、前8000年頃には最初の家畜飼育がはじまっている。

 このいわゆる肥沃三日月地帯から、農耕はインダス川流域(前7000)、エジプト(前6000)ヨーロッパ(前5500)へと伝播していった。


第6章 農耕を始めた人と始めなかった人

 なぜ、それは前8500年ごろのメソポタミアだったのか?

 第1の理由は、この時期に大型動物が絶滅し、狩猟採集生活を続けられなくなったからだと考えられる。これは、食料生産および家畜飼育の大きな理由となった。

「メソポタミアの肥沃三日月地帯の狩猟採集民が野生動物を家畜化するようになったのは、野生のガゼルの数が減少し、肉の主要供給源を失ったからだという説がある。」

 第2の理由は、この時期に、メソポタミアでは栽培化可能な野生種が増加したことによる。

 第3に、技術の発達と蓄積があった。

 第4に、人口の稠密化が起こった。

 第3、第4の理由は、植物栽培の理由というよりは、植物栽培との相互作用、相乗効果によって起こったものと言えるだろう。

 ともかく前8500年ごろに、メソポタミアでは上記4つの条件が整って、世界に先駆けて農耕がはじまったのだった。


第7章 毒のないアーモンドのつくり方

 それにしても、植物栽培はいったいどのように始まったのだろうか?

 野生のアーモンドには毒がある。しかし、突然変異によって、毒のないアーモンドが生まれることがある。

 同様に、突然変異によって、サヤからはじけないエンドウ、穂先からまき散らされない大麦・小麦などが生まれることがある。

 人類は、こうした変異種を発見し、これらを栽培することを思いついたのにちがいない。ダイアモンドはそのように主張する。


第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか

 しかし、ではなぜ、農耕に適した他の地域、たとえばカリフォルニア、ヨーロッパ、オーストラリアの温帯地域、アフリカの赤道付近などでは、独自に植物栽培がはじまらなかったのだろう?

 この問いに対して、ダイアモンドは、メソポタミアが有利であった条件を次の3つ挙げる。すなわち、①地中海性気候、②豊富な野生種、③豊富な自殖性植物雌雄同体の自家受粉植物でありながら、ときおり他家受粉をおこなう植物)である。

 しかし、地中海性気候の場所は他にもある。なぜメソポタミアが有利だったのか?

 これについては、ダイアモンドは次のような要因を挙げる。すなわち、①最大の地中海性気候、②気候の変化に富むため一年草が多い、③起伏に富むため、時期によって異なる食物が穫れる、④家畜化可能な哺乳類が豊富、⑤狩猟採集生活との競合が少なかった、など。

 要するに、メソポタミアの人びとは地理的条件に恵まれていたのである。

 つまり、ユーラシア大陸の人びとの優位は、遺伝的・人種的理由によるのではまったくない。

 狩猟採集民たちもまた、現代人とは比較にならないほど動植物についての知識を持っていることが知られている。しかし彼らの多くは、栽培化・家畜化可能な動植物を、身近に豊富には持たなかったのだ。

 ダイアモンドは次のように言う。

「われわれは、これまでの考察を通じて、このようなちがいは、入手可能であた野性動植物の差が原因となって引き起こされたものであり、肥沃日月地帯、ニュギニア、そして合衆国東部の人びとの特性のちがいが原因ではないことを理解しているその証拠に、よそから生産性の高い作物が伝わってくると、ニュギニアの人びとはサツマイモを、合衆国東部のアメリカ先住民はメキシコ原産の種類の作物をただちに栽培しはじめ、集約的な食料生産を実践して、それぞれの地域の人口を大幅に増加させている    




第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか

 続いて、なぜユーラシア大陸で家畜化が大規模に発達したのかという謎について。

 動物の中で家畜化に成功しているのは、今日にいたるまでわずか14種だけである。列挙すると、「マイナーな9種」と言われる、ヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラアルパカ、ロバ、ナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤル「メジャーな5種」と言われる、牛、羊、山羊、豚、馬

 ちなみに、象は家畜化に成功したのではなく、ただ飼い馴らされているだけの動物である。

「家畜とは、人間が自分たちの役に立つように、飼育しながら食餌や交配をコントロールし、選抜的に繁殖させて、野生の原種から作りだした動物のことである。」

 さて、ユーラシアには、このうち、ラマ/アルパカをのぞく実に13種が存在していた。

 なぜか?

 ユーラシアは最大の大陸であり、またきわめて多様性に富む大陸だからである。そのため、陸生の大型哺乳類がきわめて多い。

 それに対して、他の大陸には、大型哺乳類が少ないだけでなく、家畜化が不可能な動物にあふれている。

 家畜化不可能な理由には次のようなものがある。すなわち、①餌の経済効率が悪い、②成長速度が遅い、③繁殖が難しい、④気性が荒い、⑤パニックになりやすい、⑥群れを形成しない。


 シマウマなどは、きわめて気性が荒く、家畜化することは不可能である。クマも同様だ。チータは、人前で交尾をするのを嫌がるため、繁殖が難しいという問題がある。

 以上のように、ユーラシア大陸は、家畜化可能な動物がたくさんいたという点においても、農耕を発展させる条件に恵まれていたのだ。


第10章 大地の広がる方向と住民の運命

 続いてダイアモンドは、人類進歩の決定的な要因となった、各大陸の地理的要因について考察する。

 端的に言えば、ユーラシア大陸は東西に広がる大陸であり、アフリカは南北に広がる大陸、アメリカは、真ん中で結ばれた、やはり南北に広がる大陸である。

 農耕は、緯度が変われば気候条件も変わるため難しくなる。つまり農耕は、東西に広がっていきやすいものなのだ。

 この大陸の広がり方が、文明の発展において決定的な影響を与えることになった。ダイアモンドはそう主張する。


第3部 銃・病原菌・鉄の謎

第11章 家畜がくれた死の贈り物

 先述したように、ヨーロッパ人の侵入は、アメリカ先住民の95%を滅亡させてしまった。

 その一方で、アメリカからヨーロッパにわたった伝染病はなかった。

 その理由は、先に述べた家畜の存在にある。家畜をもたなかったアメリカ先住民たちは、病原菌にさらされることもなかったのだ。

 その一方で、熱帯アジア、アフリカ、インドネシア、ニューギニアには、マラリアなどの感染症があった。

 これが、これらの地域におけるヨーロッパの征服が、アメリカに400年遅れた理由であったとダイアモンドは言う。




(苫野一徳)

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