ブローデル『物質文明・経済・資本主義(2)—交換のはたらき②』


はじめに


 前巻に引き続き、15〜18世紀の「市場経済」について論じるブローデル。

 本巻では、マックス・ウェーバーヴェルナー・ゾンバルトに対する批判も交えながら、「資本主義」成立の条件が少しずつ明らかにされていく。


1.4つの産業活動


 本書のはじめに、まずブローデルは、15〜18世紀のヨーロッパの産業活動には次の4つのカテゴリーがあったと述べる。

零細な家内工場人の親方、2〜3人の職人、2〜3人の徒弟、あるいは1つの家族だけで成り立っている小さな工場。


分散配置型マニュファクチャー分散してはいるが、たがいに連絡のある工房。

集中型マニュファクチャー広大な建物内への労働力の集中。


工場(ファブリック)機械を装備し、水力と蒸気動力を併せ持った工場。


2.問屋制度

 ヨーロッパのマニュファクチャーが発展した背景には、いわゆる「問屋制度」があった。ブローデルによれば、これはすでに13世紀に見られるものだったという。

Verlagssystem(問屋制度)とは、商人が仕事の供与者Verleger (問屋制前貸人)である生産組織である。彼は職人に原料と彼の賃銀の一部を前貸しする。残金は、仕上げた品物を納めた時に支払われる。このような体制はひじょうに早くから、一般に言われているよりもずっと早く、確実に十三世紀の経済発展の時期に出現している。」


 問屋制度が特に発展したのは、ドイツにおいてだった。(Verlagssystem問屋制度という言葉も、ドイツの歴史学者たちが作ったものだ。)

「もし、地図の上に、問屋制が創り出したすべての取引関係を転写するとすれば、ドイツ領邦諸国の占める空間全体が、その細い無数の線に横切られることになるであろう。」

 この問屋制度を通して、職人たちは、個人の力だけではどうしようもない大きな仕事を行うことが可能になったのだ。

 しかしそれは同時に、資本家たちによって、彼らの仕事の上前がはねられることを意味してもいた。


3.輸送

 続いてブローデルは、資本主義の生命線とも言うべき「輸送」について述べる。

 一般に、陸路は水路に比べて効率が悪い。船と馬車とでは、運べる量に圧倒的な差があるからだ。

 しかしこの時代、陸運と水運との比率は、ドイツでは1対5、その他の地域では1対10程度であったという。

 陸運は、輸送専門の村があったり、農作業の片手間に荷車引きを行う農民がいたり、また初歩的な小事業主がいたり、国家による駅伝があったりと、活況を呈していた。

 そのため、各地方の旅籠は、今日では考えられないほど壮大で、また商取引の中心でもあった。

 それに比べて、水運の最大の問題はその遅さにあった。

 さらに加えて、水運業者たちは、どこでも独立独歩の一筋縄ではいかない連中ばかりだった。

 しかしその水運事業において、資本主義がやがてその存在感を示すようになる。

 特筆すべきは、「海の高利貸し」と言われた「冒険貸借契約」だ。

「周知のように、それは海上輸送にたいする貸し付けである。〔中略〕資金提供者にとってもっとも有利な方法は、往復の長さ(インドへの航海だと三年あるいはそれ以上かかることがある)に応じて、一航海に対して三〇、四〇あるいは五〇パーセントの利率で貸し付けを行うことである。」

 17〜18世紀において、この「海の高利貸し」は大発展する。

「「艤装」と数年におよぶ長い回路のためには、出資者と、(語自体は稀にしか現われないとはいえ)船主の存在が不可欠であった。国家までが熱心にこの事業に参加した。」

 「冒険貸借契約」は、こうして大きな投機的事業になっていくのだ。

 ここで注意しておくべきは、この時代の資本家たちはほとんど生産をしなかったということだ。大商人たちは、流通を支配することでその富をふくらませていった。生産を通して儲けるようになるのは、産業革命後のことなのだ。


4.分業の促進

 こうして商業資本主義が発達していくと、商人たちはますます多くの商品を職人たちに生産させるため、彼らの分業(専門化)を促進するようになる。


「交換の飛躍的発展は、いつでも小売店の専門化をますます推し進め、交易のさまざまな補助的部門において特殊な職種の誕生を促すのである。」


5.成功の条件

 ではこの時代、大成功をおさめた商人たちは、いったいどのような条件を手にした者たちだったのだろうか。

 ブローデルは次の3点を挙げる。


 1つは、すでに金があるということだ。

「つまりその経歴の初めにおいて、すでにある程度高いところにいること。無一物から出発して成功する人たちは、今日においてと同様、過去においても稀である。」

 2つは、好況期にスタートを切るということ。そうすれば、次にやって来る不況も、まずまず乗り切ることができる。

 3つは、金の力で信用を勝ち取れること。

「なぜなら、金持ちにしか人は金を貸さないものだからである。そして信用は、ますます大商人にとって不可欠な道具となってゆく。」

 こうしていつの時代も、金持ちはますます金持ちになるのだ。


6.銀行

 資本主義の発展には銀行が欠かせない。

 銀行は古代ギリシアやローマにも見られたが、ヨーロッパにおいては、その信用制度が大きく発展したのは次の3つの時期である。


 まずは、1300年前後のフィレンツェ

 フィレンツェにはすでに11世紀ごろから銀行があったが、その成功が顕著になったのは、イギリスを保護国化した1300年前後のことである。

「フィレンツェはこの島国において、ルッカの商人リッカルディー家によるエドワード一世のウェールズ征服に対する融資という先駆的な活動を引きついだ。少し後に、フィレンツェのフレスコバルディ家は、エドワード二世の対スコットランド戦争に対し軍資金を用立てた。ついで、バルディ家とペルッツィ家は、百年戦争と呼ばれることになる戦争の発端となったエドワード三世のフランスに対する軍事行動を可能ならしめるのである。」

 しかしこのイギリスにおける冒険は、1345年に、バルディ家の一大破産によって終わりをつげることになる。

「フィレンツェの銀行業による繁栄は、そのときジェノヴァとヴェネツィアの商業による繁栄の前に消え去った。そして、その競争者のうち、より商業的であった者――ヴェネツィア――が一三八〇年のキオッジアの戦いの後、勝ちを占めたのである。」

 続いての信用制度の発展は、1617世紀のジェノヴァ

「一五五〇年から一五六〇年の間に、世紀初頭の活発な経済拡大の勢いのいくらかの鈍化と同時に、ヨーロッパ経済に一種のねじれが生じた。アメリカ大陸の鉱山から来る銀の多量の流入は、〔中略〕金の価値を高めた。ジェノヴァ人たちは、この情勢の変化を理解した最初の人々であった。」

 ピアチェンツァの大市を通して、ジェノヴァはヨーロッパ経済を支配していくことになる。ブローデルの言う「ジェノヴァの世紀」である。

 しかし1622年ごろ、何らかの理由でジェノヴァの力は衰えを見せるようになる。

 最後の信用制度の発展は、18世紀のアムステルダム

「さまざまな信用の手形類がそこで、巨大な、かつてなかった場所を占める。」

 しかしその繁栄も、18世紀の終末までは持ちこたえなかった。

 厖大な金が流入したオランダは、これを外国への貸付けという危険なからくりに向けていくことになる。

「一七八九年のフランスの破産がオランダの精密時計にとって致命的な一撃であった。今度もまた手形の支配は不幸な結末を迎えるのである。」


7.資本主義の戦略

 ブローデルは、15〜18世紀の資本家(大商人)たちの戦略について次のように述べる、

「われわれが問題としている諸世紀について、われわれは大商人が、少数でありながら、最高度に戦略的なポジションである遠隔地交易の鍵を握っていたこと、彼らがニュースの伝播が緩慢できわめて高価な時代においては比類のない武器である情報の特権を、自分たちのために持っていたこと、一般に彼らが、国家と社会の暗黙の支持を得ており、その結果、彼らがつねにまったく自然に、良心のとがめを感じることもなく、市場経済のルールをねじまげることができたことを示す必要があろう。」

 そこで以下、大商人たちが心を砕いた戦略を具体的に見ていくことにしよう。


(1)教養

 まず商人たちは、高度な知識と教養を必要とした。

 そこでフィレンツェには、すでに14世紀から世俗的な教育機関があった。

 実用的な知識は、「本物の教養」と結びつくこともあった。ブローデルは言う。

「やがてメディチ家の都となるフィレンツェにおいて、商人たちが人文学者の友人であり、彼らのうちのある者はすぐれたラテン語の素養があったこと、彼らが文章を書くのが上手であり、文章を書くことを好み、『神曲』をすみからすみまで諳んじていて、文章を書くうちに無意識的にその一節を引いていたりするほどであること、ボッカチオの『デカメロン』を彼らが流行させたこと、彼らがアルベルティの凝りに凝った文体の作品『家政論』を愛好したこと、彼らが中世的なギベルティに対してブルネレスキを応援して新しい美術のために闘ったこと、要するに彼らが、自分たちの肩の上に、われわれにとってルネッサンスという語が想起させる新しい文明の重要な部分を担ったことに、誰も驚かないであろう。それらはまた金の威力でもあった。」    


(2)独占

 大商人たちの最大の戦略は、言うまでもなく「独占」である。

 17世紀のオランダは、この点において達人だった。そこにおける最大の武器は、巨大な倉庫群だった。

「手口はきまって同じであった。現金で、さらにできれば前払いで、生産者から安価で買い付けること、貯蔵し、そして相場の上昇を待つ(あるいは引き起こす)こと。戦争の勃発がさし迫ると、品薄になる外国産品に対して高値が見込まれるので、アムステルダムの商人たちは彼らの倉庫の五ないし六つの階を、はちきれんばかりに一杯にする。」    


8.会社(ソシエテ)と特許会社(コンパニー)

 この独占について、もう少し詳しく見ていこう。

 まずブローデルは、会社(ソシエテ)と特許会社(コンパニー)とを区別せよと言う。

 ソシエテは、いわば同族会社のようなもの。一方のコンパニーは、合資会社や株式会社のこと。そして大商業コンパニーは、商業独占から生まれたものだった。

 一般に、それは17世紀オランダやイギリスの東インド会社に始まったものと考えられているが、実は16世紀ヴェネツィアにもあったとブローデルは言う。


9.ブルジョワジー、貴族になる

 こうして、ヨーロッパでは大商人(ブルジョワジー)が大きな力を持つようになる。

 たとえばイギリスでは、ばら戦争を勝ち抜いたヘンリー7世とその後継者ヘンリー8世の時には、この壮絶な内乱のために貴族たちが力を失い、ブルジョワが社会の頂上に君臨し始めていた。


「ヘンリー八世の死の以前から、そして、それにづづいてエドワード六世(一五四七—一五五三)とメアリー・テューダー(一五五三—一五五八)の波瀾に富んだ脆弱な治世の下で、この貴族階級は次第に勝手気ままに振舞うようになり、やがて政府に対抗するようになる。」

 続くエリザベス1世(1558〜1603)の治世において、ブルジョワ貴族階級はその利権と特権を強化し拡大するようになる。

「そして一六四〇年に国王が、無制限の権力をふたたび確立しようとしたときはすでに遅すぎた。」
 
 スチュアート朝のチャールズ1世は絶対主義を掲げたが、ブルジョワたちはそれを許さなかったのだ。

 フランスでもまた、ブルジョワたちは力を持ち、やがては貴族になっていった。この時期には、かなり簡単な手続きで貴族になることができたらしい。

 こうした貴族を、ブローデルはあえて「ジェントリ」と呼ぶ。

「この階級、あるいはこのカテゴリーは、フランソワ一世の治世とルイ十四世の治世初期との間の期間の一連のさまざまな社会的形態のなかでそれを容易に特定化しうる語あるいは表現を歴史学者の語彙の中に要求するのである。「ジェントリー」と言いたくないなら、上層ブルジョアジーとも言つてはならないだろう。」    

 もっとも彼ら「ジェントリ」は、教養のない旧来の貴族を軽蔑さえしていた節がある。

「彼らの生きる喜び、誇りは彼らの人文主義的教養であり、彼らの最上の快楽は書斎である。」    

 しかし17世紀になると、絶対主義国家が力を増し、彼らはそう簡単には貴族になれなくなる。

「これらの困難、これらの相次ぐ危機のなかで、「ジェントリー」は法服貴族と呼ばれることになるもの、つねに第一のものから異議申し立てをうけ、それと混り合うことのない第二の貴族になって行くのである。その時以後、王が、よりよく君臨するために、巧みにたがいに対抗させる二つの貴族の間の序列は歴然としたものとなる。」    


10.進出する国家

 15世紀以降、ヨーロッパでは領域国家が大きくなり始める。

 もっとも、優位なのはやはり経済であり、国家はその前では脆弱だった。


 たとえば16世紀、スペインのカール5世フェリペ2世は、アウクスブルクのヴェルザー家フッガー家、またジェノヴァの銀行家やネーデルラントの大商人たちから巨額の借金をしなければ、その巨大な帝国を運営することができなかった。

 こうしてスペインは、彼らの食い物にされるのだ。

「その栄光の時代において、スペインが金の借り方をよく知らず、その融資者の食い物とされていたことは疑いの余地がない。」

 フランスでも、この国を支配していたのは王よりブルジョワ貴族たちだった。

 特に徴税請負人を務めた貴族たちは、王の財産までをも食い物にした。

「フランス王制は、その存在の最後の日まで、私的利害の収奪の餌食にされたのである。」
 
 もっとも彼らは、大革命によって処刑されることになるのだが。

 この時代の国家について、ブローデルは次のように結論する。

「さしあたり、心に留めておくべき結論は、権力機構、すべての構造を貫通しそれを包みこむ力は、国家よりはるかに上のものであるということである。それは、政治的・経済的・社会的・文化的諸階層制の総和、強制手段の積み重ねであって、そこにおいて、国家はつねにその存在を感じさせることができ、しばしば、全体のかなめ石であるが、しかし唯一の主人であることはまずないといってよいのである。国家が目立たぬ存在となり、瓦解することもありうる。しかし、つねにそれは再興されねばならず、まるでそれが社会の生存にかかわる必要であるかのごとく、間違いなく再建されるのである。」    


11.高利貸し

 高利貸しと言えば、ユダヤ人。そのようなイメージがある。

 実際、旧約聖書の申命記には、兄弟姉妹には利息つきで金を貸してはならないが、異邦人には貸してもよいとあり、そのためユダヤ人は高利貸しに抵抗がなかった。

 一方、「人類みな兄弟」と考えるキリスト教徒にとって、それは受け入れがたいことだった。

 しかしスコラ哲学者たちは、そうした教えを徐々に骨抜きにする理屈を考え出していく。

 たとえば、貸し主にとってリスクがあるとき、あるいは儲けを逃すことになる場合は、高利貸しは合法となるとする説が出された。

 こうして、ユダヤ人の専売特許と考えられる高利貸しも、実はヨーロッパ全体で行われるようになっていたのだ。

「事実は、高利貸しは社会全体によって行われている。王侯、富裕者、商人、庶民、さらにそのうえ教会によって――それは、禁じられているが実際には行われている慣行をおおい隠そうとし、非難しながらそれに頼り、それを行うものたちに背をむけはするが彼らを大目に見る社会なのである。」    


12.ウェーバー批判

 ここで、ブローデルによるマックス・ウェーバー批判を見てみよう。

 周知のように、ウェーバーは、資本主義の発展の背景にはプロテスタントの「禁欲の倫理」があったと主張した(ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のページ参照)。

 しかしブローデルは言う。資本主義が真に発達したのは、プロテスタントの北ヨーロッパではなく、カトリック国においてだったのだ、と。

「一六一〇—一六二〇年ごろまで、ローマと教会の存在にもかかわらず、われわれが資本主義という語を適用できるのは南に対してである。アムステルダムはやっとその存在を示し始めたばかりである。そのうえ、北方が何一つ発見しなかったことに注目しておこう。〔中略〕北はまた資本主義の道具を何一つ発明しなかった。それらはすべて南からやって来る。アムステルダム銀行さえヴェネツィアのリアルト銀行という手本をそのまま写したものである。」    

 ちなみに、ブローデルの弟子筋にあたるイマニュエル・ウォーラーステインは、主著『近代世界システム』の中で、お望みとあらば『カトリックの倫理と資本主義の精神』と題した本だって書けるのだと、ウェーバーに対して皮肉めいたことを言っている(ウォーラーステイン『近代世界システム』のページ参照)。

 ブローデルもまた、ウェーバーに次のような痛烈な皮肉を投げかける。

「世界には精神だけがあるのではない。」

 資本主義発達の理由を、人間の「精神」に還元するような単純化はやめよ。それはもっと複合的なものなのだ。そうブローデルは言うのだ。


13.ゾンバルト批判

 同じような理由から、ブローデルはヴェルナー・ゾンバルトもまた批判する。

 ゾンバルトは、西洋の合理主義と科学精神が資本主義を発達させたと主張した。

 しかしブローデルは言う。

 ゾンバルトがその根拠として挙げる「数え玉」(そろばんの一種)は、ヨーロッパ起源ではなくアラブ起源のものである。

 もう1つの「複式簿記」も、フィレンツェで発明されたように思われているが先行者があった。それにこれは、ゾンバルトが考えたほど当時支配的なものではなかったのだ。

「キルケゴールの言葉が思い出される。「すべての真理は、しかしながら、ある限度までしか真理でない。行き過ぎるとそれは非真理に転ずる。」ゾンバルトは行き過ぎた。 」   

 ブローデルの観点は簡明だ。

「一つの理論のなかに簡単に納まることができるようなものは何一つないのである。」    


14.資本主義成功の条件

 では、ヨーロッパで資本主義が発展した最大の条件は何だったのか?ブローデルは次のように言う。

「二つの大筋の説明がある。一つは経済的で空間的なものであり、もう一つは政治的で社会的なものである。」    

 空間的な条件とは何か?

「すべての資本主義の前提となる諸条件は流通に支配されるものである。一見したところ、それにのみかかっていると言いきれそうなほどである。」    

 この点において、ヨーロッパだけでなく日本もまた有利な位置にいた。

「日本がアジア東部の全体のなかで、一つ別格な存在であるとすれば、それは何よりもまず海がそれをとり囲んでおり、そのすべての往来を容易にするからであり、瀬戸内海が、小さいがきわめて活発な日本の地中海だからである。〔中略〕日本全体は、たしかに海水の恩恵のみによっては説明がつかない。しかし、それなしでは、この特異な歴史の流れとプロセスは、ほとんど想像不可能であろう。 」   

 流通に有利な条件にあるかどうか。これが資本主義的経済を発展させる最大の条件なのだ。

 ではもう一つの政治的条件とは何か?

 たとえば中国は、その強大な中央集権のゆえに、自由な商人たちが生まれにくかった。

 それに比べて、再び日本を例に挙げると、この統一支配の難しい島国には、自由な商人が生まれる条件が整っていた。

「日本においては、〔中国〕資本主義的未来の賽は、すでに足利時代(一三三九—一五七三)に、国家から独立した経済的・社会的勢力(同業組合〔座〕、遠距離交易、商人集団――彼らはえてして誰にもはばかるところがなかった――等)の出現によって投じられた。」    

「単純化すれば、ヨーロッパ中世のそれを思わせる無政府状態とともに、日本の多様な相貌を持つ舞台の上で、その緩慢な形成の数世紀の間に、すべてが同時に成長した。中央政府、封建領主、都市、農民、商人。日本社会は中世ヨーロッパのそれに類似したもろもろの自由をいたるところで生み出した。」

 徳川幕府もまた、決して強大な権力ではなかった。それゆえここに、やはり商人たちが成長する条件があった。

 しかし彼ら商人にとって、鎖国が不運となった。

 が、開国後は再び急成長することになる。ブローデルは言う。

「一六三八年から一八六八年まで二世紀の間押し付けられた障害と制限が、予見可能であった経済の開花を遅らせたことは否定できない。その後、日本は、きわめて急速にその遅れを取り戻した。そして、これにはいくつかの理由があるが、〔中略〕おそらくなによりもまず、日本が、近年の西洋を模倣した産業躍進のために、忍耐強く独力ですでに建設できていた古来の商業資本主義から出発したからであろう。」    

 いずれにせよ、日本の飛躍的成長を見ても、そこに「プロテスタンティズムの倫理」などを見てとることはできない。ブローデルはそのように言う。

 日本もヨーロッパも、資本主義が成立しやすい空間的・政治的条件を備えていたのだ。

 こうしてブローデルは、資本主義成立の条件を改めて次のように言う。

「第一の明白な条件。活気にあふれた進歩の過程にある市場経済。」

「その上に、社会が共犯者であり、それが青信号を出す必要がある。〔中略〕一つの社会は、それが何らかのやり方で階層化され、家系の長い持続と、それなしではなにごとも可能でないであろうあの蓄積を促すとき、資本主義の前提となるものを受け入れるのである。遺産が受け継がれ、世襲財産がふくらみ、利益をもたらす縁組が制約なしに結ばれること、社会がグループに分かれ、そのあるものが支配的あるいは潜在的に支配的であること、社会がひな壇状あるいは階段状であり、上昇が容易ではないにしろ可能であることが必要である。」

「しかし、最終的に、世界市場の、特別な、あたかも解き放つ力を持つかのような行動がなければなにごとも可能ではないだろう。遠距離交易がすべてではない。しかし、それは利潤のより高い平面への必然的な通路なのである。」




(苫野一徳)

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