フレイザー『金枝篇』(1)


はじめに

 イギリスの社会人類学者、フレイザーの大著。

「アームチェアの人類学」(つまりフィールドワークをしない人類学)とも揶揄される本書だが、膨大な知識を駆使して描き出された未開社会の神話・呪術・信仰の体系は、やはり超一級品の大偉業である。

 本書は、1890年に出版された初版の訳本。その後フレイザーはさらに研究を重ねて、1936年に全13巻にもおよぶ長大な本に仕上げ直している。文字通り、人生をかけた大仕事だ。

 王殺し、神殺し、呪術、タブー、生贄の供犠など、きわめて興味深いテーマが、膨大な実例とともに描き出される。

 未開の人たちは、なぜこのようなことを執り行ったのか?その底にある世界観とは?

 まるで推理小説を読んでいるようなフレイザーの語りもまた、本書の大きな魅力の1つだ。


1.アリキアにおける「祭司殺し」と「黄金の枝」

 イタリアの村ネミには、アリキアの湖と木立と呼ばれる場所があった。

 ターナーの作品「金枝」に描かれた風景がその場所である(右絵)。

 ここには、その枝を誰も折ってはならないとされる、聖なる木があった。

 しかしただ1人、逃亡奴隷だけは、この枝を折ってもよいとされていた。

 もしその試みに成功したなら、彼はネミの祭司と決闘する権利を獲得した。そして守備よく祭司を殺せたなら、彼は「森の王」となることができた。

 本書の目的は、この古代の風習の謎を解き明かすことにある。

「答えなければならない問いは二つある。第一に、なぜ祭司は前任者を殺さなければならないのか?そして第二に、なぜ殺す前に、「黄金の枝」を折り取らなければならないのか?」    


2.王と祭司

 フレイザーは、まず王と祭司との関係について次のように言う。


「われわれがまず目を留めるのは、祭司の称号である。彼はなぜ「森の王」と呼ばれたのか?なぜ彼の職務は王権として語られたのか?」

 周知のように、王と祭司とは、古代においてはどこでも多かれ少なかれ結びついているものだった。

「王たちは多くの場面で崇められた。単に人間と神を仲介する祭司としてではなく、神自身としてである。    

 未開社会では、人間は自然を動かすことができると考えられており、王はその最も強力な超自然的能力をもった存在だった。

 フレイザーが挙げる膨大な実例の中から、いくつかを紹介しよう。

「マルケサス諸島には、生涯神として祭られる階級の人々がいた。彼らは万物の諸力(elements)に対して超自然的な力を揮うことができると考えられた。つまりは、豊作をもたらすことも土地を不毛にすることもできたし、病気や死をもたらすこともできた。彼らの怒りを避けるためには人身御供が捧げられた。」   

 様々な例を紹介した後、フレイザーは冒頭に述べたネミの物語について次のように言う。

「したがって、ネミの森の王やローマの供犠王やアテナイのアルゴン王〔最高官〕などに見られた、神聖な役割が王という称号と結びつくという現象は、古典古代という枠組みを越えて頻繁に起こり、未開から文明に至るあらゆる段階の社会に共通する、同一の特質と思われる。」    


3.樹木崇拝

 続いてフレイザーは、「金枝」の謎に迫るため、世界各地における「樹木崇拝」について考察する。

 とりわけヨーロッパにおいて、樹木崇拝はきわめて重要な意味を持っていた。

「というのも、歴史の夜明けの時代、ヨーロッパは広大な太古の森に覆われていて、その中に開けた地が点在していても、まるで緑の大海に浮かぶ小島という程度に過ぎなかったであろうから。」    

 太古の人びとは、樹木は生きており、雨を降らせる力、陽光をもたらす力、鳥や獣の群れを増やす力、女性の安産を促す力を備えていると考えていた。

 それゆえ、ヨーロッパ各地には擬人化された樹木霊の信仰が見られる。

 再び様々な実例について論じた後、フレイザーは冒頭のアリキアの木立の物語について次のように言う。

「したがって、アリキアの木立における祭祀は、本質的に樹木霊もしくは森の神の崇拝であった。」

「樹木霊が「森の王」と「黄金の枝」の両方で表されること〔中略〕は驚くにあたらない。なぜなら、これまでのところでわれわれは、樹木霊が少なからず二重に表象されること、最初は木もしくは枝により、つぎには生きた人間により、表象されることを見てきたのであった。」    


4.王と祭司のタブー

 次のテーマは、「王と祭司のタブー」である。

 王や祭司に超自然的な力が備わっているということは、彼らの一挙手一投足が、自然に大きな影響を与えるということである。

 そのため王や祭司は、日常生活においてきわめて厳格な掟を守らなければならなかった。

「彼の動きはいかなるものであれ――たとえば掌を返したり、片手を上げたりという動きは――即座に、自然の一部に影響を及ぼし、これに深刻な被害をもたらすかもしれない。」

 その典型的な例が、日本の「ミカド」だ

「彼は、自分の足を地面につけることが、自らの権威と聖性を大いに侵害するものであると考えている。このため、どこへ外出するにも、男たちの肩に乗せて運ばれなければならない。ましてや、戸外の空気にこの聖なる人間を曝すなどもってのほかであり、日の光はその頭に降り注ぐ価値などないと考えられている。身体のあらゆる部分に聖性が宿ると考えられているため、あえて髪を切ることも髭を剃ることも爪を切ることもしない。しかしながら、あまりに不潔にならないよう、彼は夜眠っている間に体を洗われる。なぜなら、眠っている間に身体から取り去られたものは、盗まれたものであって、そのような盗みは、その聖性や権威を害することにはならないからである。」    

 こうして見ると、古代においては人民は君主のために存在していたとする理解は、実は誤りだということになる。

「むしろ逆に、初期の王国の君主は、臣民のためだけの存在である。王の命が価値あるものであるのは、王がもっぱら人々のために、自然の移り行きに秩序を与えることによって、自らの地位に与えられた義務を果たす限りにおいてである。」

 したがって、また後で見るように、王がその超自然的な力を失いかけたり、またその力が自然に対して通用しなくなった時には、屈辱的な廃位、あるいは殺害が待ち受けていたのだ。

 こうした厳格なタブーや殺害のおそれから、当然ながら王や祭司の地位はやがて空位状態になったり、隠遁状態になったりしていくことになる。

 ここに、「世俗の権力」が登場する背景がある。

 ここでもまた、フレイザーは「ミカド」と「将軍」の分離を挙げる。他の多くの地域同様、日本においても、霊的権力と世俗の権力は互いを利用し合いつつ棲み分けるようになったのだ。


5.魂

 続いてフレイザーは、古代の人びとの魂の考え方について論じる。

 未開人たちは、人も動物も、その肉体内部の「魂」によって動かされていると考えていた。

 それゆえ彼らが遵守した様々なタブーは、この「魂」が肉体から離れないようにするためのものだった。

 一般人でさえ、これら厳格なタブーを守ったのだから、王においてはそれはなおさらのことだった。

 たとえばある王族は、飲食しているところを人に見られてはならなかった。

 口を開けたすきに、魂が抜き取られてしまうかもしれないからだ。

 フレイザーは次のような例を紹介している。

ロアンゴの王は、食べたり飲んだりしているところを見られではならず、人や動物はこれを見れば死罪となる。可愛がっていた犬が王の食事中に部屋に入ってきたため、王はこれをその場で殺すことを命じた。あるとき、王の十二歳になる息子が、うっかり王が飲むところを見てしまった。王は即刻、息子を美しく着飾らせ宴を催してやるよう命じた。そしてその後息子を四つ裂きの刑に処し、この者は王の飲むところを目にした、という告示とともに町中を引き回した。」    

 行くところまで行くと、王は生涯宮殿を離れてはならないという国もあった。

 日本のミカドもまた、そうした厳格なタブーを守っていた王=祭司の1人である。

「ミカドの食べ物が毎日新しい鍋で調理され、新しい皿に盛られたことは、先に述べたとおりである。鍋も皿も、一度使われただけで割られるか捨てられるため、平凡な陶器であった。大概の場合は割られたが、これはもし他のだれかがこの聖なる皿で食事をすれば、その口と喉は膨れ上がり燃え上がる、と信じられていたからである。」    


6.未開人の「論理的思考」

 以上のように、未開のさまざまな風習について考察したあと、フレイザーは、彼らの思考を単なる迷信として蔑む人びとを次のように批判する。

「われわれが容易にその誤りを看破できるからといって、これらの前提を馬鹿げたものとして一蹴することは、非哲学的であると同時に恩知らずな行いであろう。われわれの現在立っている土台は、幾世代も前から築き上げられてきたものであり、われわれが現在到達しているこの地点――それは結局のところ、さほど意気揚々たるものではないのだが――に、なんとか辿り着こうとして人類がこれまで費やしてきた、長く痛ましい努力を、われわれはただ、ぼんやりと認識できるに過ぎないのである。われわれは名もなき忘れ去られた労役者たちに感謝せねばならない。主として彼らの忍耐強い思索と飽くなき努力こそが、今日のわれわれを形づくったのである。」    

 未開社会の人びとのさまざまな思考の上に、今日のわたしたちの文明がある。そのことを忘れてはならないとフレイザーは言うのだ。

 さらに彼は次のように言う。

「その哲学は、われわれには粗雑で誤ったものに思えるかもしれないが、そこに論理的な整合性という価値がある点を否定することは不当であろう。」    

 のちのレヴィ=ストロースも強調したように、「野生の思考」には「野生の思考」なりの強靭な論理体系があったのだ(レヴィ=ストロース『野生の思考』のページ参照)。


7.王殺し

 続いてフレイザーは、先に少し触れた「王殺し」について論じる。

 先述したように、王はこの自然界に絶大な影響を及ぼす存在だ。

 したがって彼が衰弱すれば、大変な破局が訪れることになる。

「これらの危険を回避する方法はひとつしかない。人間神が力の衰える兆しを見せ始めたならばすぐに、殺すことである。そうして彼の魂は、迫り来る衰弱により多大な損傷を被るより早く、強壮な後継者に移しかえられなければならないのである。」

 たとえばクィラケアという地方では、王が12年間の統治を終えると、自ら体を切り刻んで死ななければならないとされていた。


「万民が見守るなか、研ぎ澄まされたナイフを取り出し、まず鼻、つぎに耳、そして唇、といった順であらゆる身体の部位を切り落とし、自分でできる限りの肉体を切り落とす。多くの血が流れて気を失ってしまわないうちに、切り取った部位は大急ぎで投げ捨てられ、最後に自ら喉を掻き切る。こうして王は自らを偶像のための生贄とする。そして、だれであれつぎの十二年間王として君臨し、このように偶像への愛に殉じたいと望む者は、この場でこの光景をじっと見据えていなければならない。人々はこの場所で、それができた男をつぎの王として立てるのである。」

 バビロンには、王と囚人とが5日間交代する、サカイアと呼ばれる祭りがあった。

 この囚人は、最後に王の身代わりとして殺されることになる。


「死を宣告された囚人がひとり、王の衣装を着せられ、玉座に就けられる。彼には思い通りの命令を下すことが許された。食べ物であれ、飲み物であれ、また快楽を得ることであれ許され、王の内妻と寝ることも許可された。だがこの五日間が終わると、囚人は王の衣装を剥がれ、鞭打たれ、磔刑に処せられるのだった。」
 

8.樹木霊殺し

 先述した「樹木霊」を殺す祭儀も、世界中に見られるものである。

 たとえばボヘミアのある地方では、王が樹木霊に扮して、擬態的に殺されるという祭儀がある。

 こうした様々な風習は、年を取った植物霊を刷新する意味を持っていたと考えられる。

「未開人の考えるところでは、植物霊は年を取り弱くなったので、これを殺して刷新せねばならない、より若く新鮮な姿をしたものの中に生き返らせなければならない。したがって、春に樹木霊の表象を殺すことは、植物の生長を促進するための方法とみなされている。」    


9.アドニス

 上巻の最後に、フレイザーは各地の有名な植物神について考察する。

 どれも皆、殺されては復活する神である。

 このことは、植物が枯れ(殺され)、そして再生(復活)することを象徴している。

 まずは、シリアのセム系民族が崇拝するアドニスについて。

 これは麦の神と考えられる。

「アドニスが下界で半年〔中略〕を過ごし、残りを上界で過ごした、という物語は、彼が植物、とくに麦を表象していたと考えれば、もっとも容易にかつ自然に理解できる。麦は一年の半分を地面の下に埋められて過ごし、残りの半分の期間地面の上に姿を現すからである。    


10.アッティス

 続いてフリュギア(現在のトルコ中西部)のアッティスについて(右写真)。

 アッティスも、やはり植物の神と考えられる。

「アドニスのように、アッティスは植物の神であったように見える。春の祭りでは毎年その死が弔われ、その復活が祝われた。」    


11.オシリス

 次にエジプトのオシリス。フレイザーによれば、これもまた穀物の霊である。

 オシリスは、エジプト人を野蛮な状態から救い出したとされている。

「彼の時代以前は、エジプト人は食人種であった。だがオシリスの妹であり妻であるイシスが、野生に生える小麦と大麦を発見し、オシリスが人民にこれらを耕摘することを教え、これで人々は直ちに食人の風習をやめ、喜んで麦を食するようになった。」

 しかしその後、オシリスの兄のセトが謀反を起こし、彼を殺して櫃の中に閉じこめ海まで流した。

 その後オシリスの妻イシスが彼を見つけ出すが、再びセトに見つかり、オシリスの遺体は14に切り分けられ、広く各地にばらまかれることになってしまった。

イシスはパピルスでできた舟に乗り、あちらこちらの沼地を帆走して遺体の断片を捜し、見つけるたびにこれを埋葬した。このため、エジプト各地に多くのオシリスの墓が見られた。」    

 この神話について、フレイザーは次のように言う。

「植物の神としてのオシリスの性質は、彼が最初に人間に麦の利用を教えたという伝説、および、毎年行われる彼の祭りが大地を耕すことから始まるという事実に表れている。」    

(オシリス神話については、エリアーデ『世界宗教史(1)』のページも参照されたい。)



12.ディオニュソス

 続いて、古代ギリシアのディオニュソスについて。

 彼はブドウの木の神として知られているが、また同時に樹木一般の神でもあった。

これまでに考察してきた他の植物神と同様、ディオニュソスは非業の死を遂げたが再び蘇った、と信じられた。その受難と死と復活は神聖な儀式で再現された。」   

 ディオニュソスの神話は次の通りだ。


 彼はクレタ島の王ゼウスの庶子と言われていた。

 しかし彼の妻へラは、ディオニュソスに嫉妬と嫌悪を抱いていた。

 彼女は、自分の従者である巨人族、ティタン族にディオニュソスをばらばらに引き裂かせる。ティタンは遺体を様々な薬草で煮て食べた。

 怒ったゼウスはティタン族を拷問にかけて処刑し、息子を失った悲しみを鎮めるために像を作り、その中に幼い子の心臓を収め、彼を祭る神殿を建てた。

 ディオニュソスの蘇りには、いくつかのバージョンがある。

「ひとつの物語はディオニュソスをデメテルの息子としており、この母親が、彼の切り刻まれた体を継ぎ合わせ、再び若者の姿に変えた、と断言している。他のいくつかの物語では、彼は埋葬後ほどなくして者のうちから蘇り天に昇った、と、簡潔に語られていることもあれば、致命傷を受けて横たわっている彼をゼウスが引き上げた、あるいはまた、ゼウスがディオニュソスの心臓を飲み込み、今一度セメレによって新たに彼を生み出した、と語られていることもある。セメレは、一般の伝説では、デイオニュソスの母として現われる。また、心臓は粉状にされ、その部がセメレに与えられ、これによって彼女が彼を孕んだ、とする物語もある。

(ディオニュソス神話については、エリアーデ『世界宗教史(2)』のページも参照されたい。)


13.デメテルとプロセルピナ

 続いて、古代ギリシアのデメテルプロセルピナについて。

 この母娘は、どちらも麦の神である。

 神話は次のように語る。

 プロセルピナが花を摘んでいると、大地が裂け、死者の国の王プルトンが奈落から現れた。

 彼は暗い地下の世界でプロセルピナを花嫁とするために、彼女を黄金の馬車で連れ去った。

 母のデメテルは悲しみ、陸や海を探し回ったが、太陽から娘の運命を知らされるともはや一切の種が実を結ぶことに耐え切れず、これを大地に隠した。

「このため、もしゼウスが地下の世界に遣いを送りプロセルピナを連れ帰らなかったならば、人類は皆餓死していたことだろう。」

 最後に、プロセルピナは毎年三分の一の期間あるいは別の説によると二分の一の期間を、プルトンとともに地下の世界で暮らし、春には母や他の神々のいる上界に戻りここに暮らすという取り決めがなされた。    

 以上がデメテルとプロセルピナの物語だ。

 母のデメテルは、その語源から考えるに「麦の母」を意味している。

 このことについて、フレイザーは次のように言う。

古い霊は、新しい霊に対し、生み出された者に対する生み出した者の立場に置かれよう。つまり、(神話においては)子に対する親の立場に立つことになる。そして仮に両者がともに女の霊とみなされれば、その関係は母と娘ということになるだろう。」

(デメテルとプロセルピナの神話については、エリアーデ『世界宗教史(2)』のページも参照されたい。)


14.リテュエルセス

 最後に、リテュエルセスについて。

 一説によると、リテュエルセスはフリュギアの王ミダスの庶子だった。

 彼は麦を刈る神だったが、見知らぬ者が麦畑に入ってくると、自分と一緒に麦を刈らせ、そして最後には殺してしまった。

 あるいはまた、麦刈り競争をして、負けた相手を殺してしまった。

 しかしついには、彼自身がヘラクレスに殺されてしまう。

 フレイザーは言う。

「いくつかの根拠からして、これらリテュエルセスの物語には、フリュギアで行われた収穫期の風習が記録されていると考えられる。つまり、ある種の人間たちとりわけ収穫期の畑を通りかった見知らぬ者が、決まって穀物霊の化身とみなされ、刈り手たちはこれを穀物霊として捕らえ、刈り束に包んで首を釧ね、麦藁に遺体を包み、その後雨乞いの呪術として川に投げ入れる、という風習である。」

 フリュギアでは、まさにリテュエルセスが見知らぬ人にやったのと同じことがなされていたとフレイザーは言うのだ。

 この風習は、緩和された上で近代のヨーロッパにも見られるものである。

「近代のヨーロッパにおいても、最後の束を刈る者、束ねる者、もしくはこれを脱穀する者は、しばしば仲間から手酷い扱いを受ける。たとえば最後の刈り束の中に入れて縛られ、この状態のまま運ばれ、あるいは荷馬車に乗せられ、打たれ、水浸しにされ、堆肥の山に投げ込まれる、といった目に遭う。」    

 これは、豊作を願っての生贄の名残であろう。

 ただしこの生贄は、神への単なる供え物としての生贄ではなく、むしろ生贄自身に聖なる力が宿っていると考えられて行われた生贄だった。フレイザーはそのように主張する。

 有名な生贄の祭儀に、ベンガルのドラヴィダ系民族であるコンド族のものがある。


 彼らは、とりわけウコンの栽培には生贄が不可欠と考えていた。

「コンド族の者たちは、血が流されないことにはウコンが真っ赤になることはない、と語った。「メリアー」(Meriah)と呼ばれる生贄は、生贄として購入された者か、生まれながらの生贄、つまり父親も生贄であった息子か、父親か後見人によって捧げられた子どものみ、女神によって受け入れられる、とされた。」

 供犠の前には、飲めや歌えの激しく粗暴な乱痴気騒ぎが数日間続く。

「生贄は縛られてはならず、またなんらかの抵抗を示すことも許されないので、両腕の骨は折られ、必要とあれば両足も折られる。だがこのような用心もしばしば不要になるのは、アへンで麻痺させるからである。」

「殺し方は地域によって様々であった。もっとも一般的な方法は、絞殺もしくは圧殺であったらしい。〔中略〕祭司が生贄を斧でわずかに傷つけると、たちまち群集が生贄に群がり、頭とはらわたを残して、それ以外の肉を骨から削ぎ取る。ときには生きたまま切り刻まれることもあった。」

 生贄から切り取られた肉は、村々に運ばれた。

 肉を受け取った祭司は肉を二つに分け、一方を大地女神に捧げるために、地面に掘った穴に埋める。そしてこの地点に、ヒョウタンから水を注ぐ。

 もう一方の肉は、そこにいる家長全員に分け与える。家長は皆与えられた肉片を葉に包み、自分の一番気に入っている畑に埋める。

 フレイザーは言う。

「死ぬ前と死んで後の生贄の扱い方からすると、この風習は、単なる宥めの供犠として説明することはできないように思われる。」

 「メリアー」の肉を埋めたところに水を注ぐことは、明らかに雨乞いの呪術である。「メリアー」にはそのような力があると考えられたのだ。

 生贄に聖なる力が備わっているとする考えは、ポーニー族にも見られる。

族の酋長は、スの娘の心臓をむさぼり食い、マリモ族とゴンド族は生贄の肉を食した。推測されるとおり、生贄が神聖なものとみなされたのであれば、この肉を食すことはすなわち、崇拝者たちが彼らの崇める神の体を授かることと同義となる。

 以上から、前に述べたリテュエルセスの神話が、フリュギア地方で実際に行われていた生贄を表したものと考えることができる。

 神話によれば、リテュエルセスは見知らぬ人を殺した。あるいはまた、麦刈り競争に負けた相手を殺した。そして最後には、自分自身も殺されてしまった。

 これはおそらく、この地方で実際に行われていたことなのだ。そしてリテュエルセス自身が殺されたということは、この地方でも「王殺し」が行われていたことを意味している。先述したように、リテュエルセスはフリュギアの王の庶子とされていたからだ。

「ここにあるのは、神聖な、もしくは祭司的な王のひとりを毎年殺すという風習の、もうひとつの痕跡である。」    







(苫野一徳)

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