ペスタロッチ『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』


はじめに

 「理想の教師」として、今なお世界中で尊敬されている、スイスの教育実践家・思想家ペスタロッチ(1746−1827)。

 真の社会改革は教育によってこそ成し遂げられると信じ、その生涯を貧民教育に注いだ。

 ドイツの哲学者フィヒテは、後にその実践を絶賛して、ドイツにペスタロッチの名をとどろかせた(フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』のページ参照)。

 同じくドイツの哲学者ディルタイは、彼を常人には到達しがたい「教育的天才」として描き出した(ディルタイ『教育学論集』のページ参照)。

 本書『隠者の夕暮れ』には、そんなペスタロッチの教育思想の核心が記されている。

 併録されている『シュタンツだより』は、彼がシュタンツの孤児院の院長を務めていた時に書かれた手紙で、『隠者の夕暮れ』よりさらに具体的に、その教育思想や方法についてが描かれている。

 神への信仰と子どもたちへの深い愛。この2つを胸に貧民教育にいそしんだペスタロッチは、今も聖人のように多くの人から敬われている。

 ただ、彼の著作や伝記などを読むと、一般に抱かれる「穏やかで愛情に満ちた人」というイメージだけでなく、あるいはそれ以上に、どこまでも「信念の人」であり続けた人ならではの、ある種の激しさも感じずにはいられない。

 実際彼は、青年時代、過激な政治青年だった。

 ペスタロッチが生きた18世紀のスイスは、事実上、少数の貴族による専制主義国家だった。彼はこれを激しく攻撃するのだが、結局は弾圧されてしまうことになる。

 その後、チューリッヒ近郊のノイホーフに農場を作るが、経営の才なく倒産。これを貧民学校に転用するが、これもまた失敗してしまう。

 しかしその後、上述のシュタンツ孤児院の院長となり、以来、さまざまな場所で教育活動にいそしむことになった。

 激しい気性と、穏やかな愛と。そのどちらをもあわせ持った、どこかアンビバレントな人。それが、「教育的天才」ペスタロッチの姿だったのではないか。私にはそのように思われる。



『隠者の夕暮れ』

1.教育を人間の本質から考える

 本書は次の有名な言葉で始まる。

「玉座の上にあっても木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間、その本質から見た人間、そも彼は何であるか。」    

 教育は単なる技術ではない。そもそも人間とは何なのか。この問いに取り組まなければ、教育を深めることなどできない。ペスタロッチはそう主張する。

「生活の立脚点よ、人間の個人的使命よ、汝は自然の書で、汝のうちには自然というこの賢明な指導者の力と秩序とが横たわっている。そして人間陶冶のこの基礎の上に築かれていない学校陶冶はすべて指導を誤る。」 

 自然に、すなわち人間本性にしたがって教育せよ。ペスタロッチはそう言うのだが、これはルソーの「自然の教育」に従えという命題とほぼ同じものと考えていい(ルソー『エミール』のページ参照)。

 真理、それは、個々の人間の本性の底にあるのだ。

「私の本性の奥底にこの真理への解明がある。」

 だから、とにかく徹頭徹尾人間を見つめよ。そうペスタロッチは主張するのだ。

 ではその本性の中で最も重要なものは何か。

 それは「単純」「無邪気」である。この2つの本性が、あらゆる教育実践の土台となるのだ。

「単純にして無邪気な人は、自己の認識を純にまた素直に応用し、且つ静かな勤勉に依って自己のあらゆる力と素質とを練習し使用することに依って、自然に依って真実の人間の智慧に達することが出来るように陶冶される。」    


2.神への信仰

 人間本性に基づいた教育とともに重要なのが、神への信仰だ。 

 先述した「単純」と「無邪気」をもってすれば、神への信仰が自然と沸き上がってくるはずだとペスタロッチは言う。

神に対する信仰よ、汝は陶冶された智慧の結果や結論ではない。汝は単純の純粋な感じであり、神――父はまします――という自然の呼び声に耳傾ける無邪気な耳である。    

 そして、教育をはじめ、すべては神への信仰に基づかねばならない。そうペスタロッチは主張する。

「人倫と啓蒙とそして現世的の智慧との一切の内面力は、神に対する人類の信仰というこの基礎の上に立っている。    




『シュタンツだより』


1.生活が陶冶する

 ペスタロッチ教育思想の1つの中心テーゼが、「生活が陶冶する」である。

 子どもたちに、彼らに無関係なことを頭で理解させるのではなく、生活を通して学びを進めていくこと。ペスタロッチはそのような教育を訴えた。

 これは、当時のヨーロッパの学校で広く行われていた、教義問答書などの注入によるつめ込み教育批判でもあった。

 ペスタロッチは言う。

最も憐れな最も見離された子供にも神の与え給う人間性の諸力を私は信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱との泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験が既に久しく私に教えていただけではなくて、私は私の子供の場合にも、無教育ではあるがこの生き生きとした本性の力が到るところに発露するのを見た。私は〔中略〕この環境の泥土の中から浄化されると明るい光で輝き出す諸力を刺激するために、生活そのものから来る諸々の必要乃至要求がどれ程多く寄与するかということを知った。」    

 彼が心を砕いたのは、特に貧民や孤児たちだった。そんな彼らに、頭ごなしの勉強など興味を引くはずがない。ペスタロッチは言う。

最初から儀式張らせて外面的の秩序や秩序を守る義務を教えこみ、規則や規定を説き聞かせて彼等の本心を教化することは殆ど不可能であった。    


2.体罰の肯定

 少し気になる記述もある。

 ペスタロッチは体罰を認めていた。そして、愛があれば、体罰はむしろ有効であるとさえ言う。

 時代的には仕方のない考えだったかもしれない。ある面では、その通りと言えるところもあるだろう。

 しかしさすがに、今日では中々一般化するわけにはいかない考えと言わざるを得ない。

「ただ言葉だけで大勢の子供の精神や心情を動かし、而も決して体罰の印象などは必要としないという教育原理は、勿論よい子供の場合や恵まれた状態においては実行出来よう。けれども不揃いな乞食の子の混っていること、彼等の年齢のこと、彼等の頑固な悪癖のことを考え、且つ手っとり早く確実に而も迅速に総ての子供に働きかけ、総ての子供を一つの目標に到達させる必要のあることなどを考えて見ると、体罰の印象は最も大切なものであった。 而もそれによって子供の信頼を失うなどいう心配はまるきり間違っている。子供の気持ちや考え方を左右するものは、〔中略〕彼等自身に対して汝の抱く愛情もしくは嫌悪の情の程度である。」


3.直観教授

 ペスタロッチ教育思想のもう1つの柱が、「直観教授」だ。

 言葉で教え込むのではなく、物事の実物を子どもたちに示して、直観を通して子どもたちが学んでいけるよう導くこと。ペスタロッチはその重要性を訴え続けた。

「私の経験では、一切の教育法はいかなる命題も現実の関係に結びつけられた直覚的な経験の意識に依って自己自身を真なるものとして彼らに示すということに依存する。」

 これは古くはコメニウスによって提唱されていたものだ(コメニウス『大教授学』のページ参照)。

 もっとも、ペスタロッチの直観教授は、かなり素朴で機械的なものばかりだったようで、すでに同時代の人たちからも批判されていたらしい。(たとえば、直線、平行線、円、などの実物を学んでから、複雑な図画をやっていく、といった単純なものが多かった。)

 しかしそれでも、直観教授がその後ヨーロッパに広まっていったのは、やはりペスタロッチの影響力あってのことだっただろう。


(苫野一徳)

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