エリアーデ『世界宗教史』(8)


はじめに

 邦訳第8巻の副題は、「諸世界の邂逅から現代まで(下)」。

 エリアーデの死去によって未完に終わったこの大作を、彼の遺志を引き継いだ研究者たちが完成させる。


1.西アフリカの宗教(ハンス・A・ヴィッテ著)

 まず取り上げられるのは、西アフリカ、つまりいわゆるブラックアフリカの宗教について。

 著者はまず次のように言う。

「ブラックアフリカの特徴は、ここにはかつて一度も、広範な地域にわたる包括的な同一性をもたらしうるような、大きな宗教形態が存在しなかったということにある。」

 とは言え、アフリカにももちろん、豊かな宗教的イメージがある。

 まず特徴的なのは、祖先との結びつきに対する信仰だ。

「死後、祖先に由来する要素は、一人ないし数人の子孫の構成要素として再び必要とされる瞬間を待つために、祖先へと結合する。」

 ただし、若くして死んだり、子どもを持たずに共同体を豊かにしなかった者は、祖先との結合ができず幽霊となる。

 つまりブラックアフリカにおいては、共同体こそがその宗教にとっても最も重要なものなのだ。

 それゆえ、妖術師呪術師なども、共同体を危うくするという意味においてきわめて恐れられる存在だった。

「共同体にとって脅威となるのは、妖術師と邪術師が必要とする力の種類や性質ではなく、利己的な感情と、その結果としての、この力が使われる際の反社会的な方向性である。〔中略〕共同体を危険に陥れるのは、ただ人間の邪悪な意図のみである。」


2.中央アフリカ東部の宗教(ジョン・ムビティ著)

 続いて、中央アフリカ東部、すなわち、ケニアとウガンダから南、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ、マラウィ、ザンビア、ジンバブウェなどの宗教について。

 この地域に特徴的なのは、まず何をおいても「唯一神」の存在だ。

「万物の創造者である唯一神といった概念は、東アフリカと中央アフリカのいたるところでさまざまな民族によって認められている。」

 加えて、死者の霊自然の霊に対する信仰もある。

 神話もまた、「創世記」のそれにかなり近いものがある。

「最初の人類の状態は、大いなる幸福をえていた、あるいは平和であった、さらにはまた神と家族としての関係にあったと描かれている。〔中略〕病気も苦難もなく、危険も死もなかった。この状態は真に楽園における生活だったのである。」

「同じくひろく語られているものとして、楽園の喪失、苦難、病気、死の到来に関する神話がある。禁断の果実や食物が語られている場合もあり、それを最初の人間が口にして、そのために死が人間を襲うことになったというのである。」


3.南米低地インディオの宗教(マリア・S・チポレッティ著)

 続いて、南米低地における宗教について。

 この地域において最も重要なのは、シャーマンの存在だ。


 彼らは、幻覚剤と心理テクニックによって、鳥に変容し、宇宙の別の層へと飛翔する。

 彼らはまた、ジャガーなどの獣にも変身するとされている。

 興味深いのは、彼らの宇宙創造神話である。

 聖書「ヨハネによる福音書」には、「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった」という文句があるが、この地域にもまた、世界は「思考」「言葉」によって生まれたという信仰がある。

「ウィトート族(コロンビア)では、世界とあらゆる存在は、創造神モマ=月に始まる。モマは、言葉により生成する。――「はじめに言葉が、父に起源を与えた」。」

 この地域には、「世界軸」の観念もある。

 宇宙にはさまざまな層があり、その間に一本の軸が貫かれているという観念だ。

「低地のインディオの宗教のいたるところで、世界軸の観念が見いだされる。すなわち、地(人間の世界)と上なる世界とを結ぶ木や柱や梯子の観念が見られるのである。」


 第5巻で見たように、古代ユーラシア大陸の宗教にもこのような観念があった。

 この地域でとりわけ注目されるのは、「至高存在」の存在だ。民族学者・神学者のPヴイルヘルム・シュミットは、この地域の研究から「原始一神教論」を唱えた。


「セルクナム族、ヤマナ族およびアラカルム族〔中略〕には共通して、天に住む、不可視で、全智・全能の神の観念が見られた。この神は、身体をもたず、不死なる存在と見なされ、また世界創造者でありながら、日常生活にはなんらの役割もはたさないものとされた。群島の住人はかくしてシュミット理論の「実証」のための公式事例と見なされた。この理論によると、原始一神教こそがもっとも古い宗教指式であり、まさにこのゆえに一神教は「未開」(原始)民族に見いだされるはずなのである。」


 ただしこの「至高存在」は、この地域ではそれほど重要ではなかったようである。

「至高存在は、アンデス文化を除いては、儀礼や祭儀との結びつきをほとんどもたなかった。つまりこの存在は、日常生活にかかわる神ではなく、その役割は今日ある宇宙を正当化することに尽きるということである。」

 この地域の「至高存在」も、エリアーデの言ういわゆる「ひまな神」に部類すると考えられるのだ(「ひまな神」については、『世界宗教史(5)』のページ参照)。

 この地域には、洪水や大火による「世界没落」のイメージもまた豊富にある。

 彼らの中には、この没落からは逃れられると考えた部族もいた。中でもグアラニー族は、白人襲来後、世界没落が起こると考え、1000キロも移動したことが知られている。


4.日本の神道と民俗宗教(ネリー・ナウマン著)

 続いて、日本の宗教について。

(1)神道の4種類

 神道には、皇室神道神社神道教派神道民俗神の4つがあるとされている。

 皇室神道は、もともと国家神道の核となっていたもの。しかし、1945年にアメリカの命令にもとづいて国家神道が廃止され、今では皇室における種々の儀礼の形で継続している。

 神社神道もまた、皇室神道のように種々の国家儀礼からなっていたが、同時に民衆的な儀式も行なわれていた。


 民俗神道は、日本民族の呪術と儀式的実践からなっているもの。


(2)カミ信仰

 日本の宗教は、いわゆるカミ信仰の宗教である。

 この概念は非常に包括的であり、あまり厳密には規定できない。

「この概念に対しては、これを消極的に理解するのがもっとも簡単である。カミは全知でも、全能でもなく、根本的に善でも、悪でもない。また、けっして常在することはない。事実、祭祀の前のカミの招来と祭礼の終わりのカミの送りは、神社における儀礼の重要な構成部分となっているが、これは、カミが通常は臨在していないことのしるしのひとつである。それぞれに神聖な場所に保管されている神体すなわち「神の肢体」――鏡、太刀、櫛、石、あるいは何かほかのものである場合もある――は、たんなるカミの象徴ないし、儀礼にやって来たカミがとどまる座を意味しているにすぎない。

 要するに、カミとは、人間を越えた存在であり、人間を苦難から救うことができる霊的存在なのである。


(3)清浄

 日本の宗教においてきわめて重要なのは、を通した「清浄」である。


手や口をすすぎ洗うことはあきらかに象徴的行為のひとつであり、また、神主と俗人が祭祀の前に行なう沐浴――この沐浴が、冬の凍えるような寒さのなか、海のなかや滝の下で行なわれる場合、これはきびしい修練にほかならない――もこれと同じである。

あらゆる宗教儀式に先立って祓が行なわれる。神官は祈りを唱え、紙片ないし布片がぶら下がった棒〔御幣〕を振る――これによってあらゆる汚れが祓い落とされるわけである

祭礼に積極的に参加する前には、同じく浄化のためにもうけられた、さらにさまざまの規定に従わなければならない。それは、魚、アルコール、性交の禁止といった簡単な節制から、所定の期問、完全に孤立した状態で毎日禊をし、祈り、瞑想し、ある特別の火で――食事に汚れがつかないように――調理された食事をひとりだけでとるといったことまで、さまざまである。」

 祓を通して清められるのは、キリスト教世界におけるような「罪」などではない。

ここで問題なのは、清浄な心といったものではなく、親戚に不幸があった人は汚れているということ、また、「汚れた」火でつくった食事を食べた人と出会っただけでも、その人はやはり汚れているということである。

 日本の宗教においては、悪の原因は人間にはなく、外的な影響によって起こるものである。したがって、悪は祓によってたやすく祓い除くことができるのである。


(4)天武天皇

 神道を国家神道として整えたのは、天武天皇(?〜686)である。

 645年の大化の改新によって、部族国家であったヤマト王権は、中国を模範とした中央集権型の官僚国家へと改変された。

 ところが、673年に即位した天武天皇は、この中国の思想に危機を感じた。

 というのも、中国人は、支配者は天によって選ばれ、天の委任を受けると考えていたからだ。

 支配者の誤った行動は、宇宙の擾乱をひき起こすとされた。それゆえ反乱者は、その支配者を打ち倒す正当性をたやすく得ることができた。

 天武天皇にとって、これは潜在的な危険をはらむ考えだった。

 そこで彼は、残存する最古の日本の歴史物語に目をつけた。

「この物語は皇室の歴史を主題とするものであり、天皇の祖先を、太陽の女神の子孫としての神的な始源にまで遡るものであり、最終的には一族の支配権要求を、この太陽の女神が、彼女の子孫が日本の地を永遠に統治するように委託したものとして正当化するものであった。これによって、中国型の、個々の支配者を正当なものと認める天の委託に替わって、天皇家を正当なものと認める太陽の女神の委託が登場したのである。」

 こうして、太陽の女神の子孫たる「現人神」の観念が登場する。

 神道はここに生まれた。

「これは「天皇が、現人神としてとる道」にほかならないのである。」


(5)仏教との対決

 その後、神道は、仏教とさまざまな形で対決しながら展開していくことになる。

 たとえば伊勢神道は、数々のカミの身分を重層的に描き出し、仏や菩薩などもその中に包み込んだ。

 つまり、その時々に特有の神々の優越性を訴えたのだ。

 真言仏教は、両部神道を唱えた。

「両部というのは、世界全体を二つの部分に分ける真言仏教の表現である。この体系のなかでは、真言の教説が、伊勢の両宮を二つの世界を代表するものと見ることで、この両宮を国土の最高の場所としてともにとり入れている。」

 天台仏教は、山王神道を唱えた。

「ここでは〔中略〕、仏と菩薩がカミの現われにほかならないとされるのである。」


 また吉田神道は、儒教、仏教、道教のいずれをも否定したものである。


「この神道の創唱者、吉田兼倶(1435〜1515)は、またこれを宗源の神道とよび、これにしたがって、その教説がほかのあらゆる教説の根源であると主張した。彼によれば、仏教、儒教、道教は、まったく不要なものである。ここでは、「ひとつの真理の神道」におけるように、神と仏との関係は逆転されておらず、外来のものからの完全な離反が要求され、固有のもの、すなわち日本のものが、唯一の必要なもの、唯一の真理として位置づけられている。」


 著者は本章をこう締めくくる。

「本来的な宗教教説は、〔中略〕次のわずかの言葉で理解される。すなわち、「神々を崇敬せよ。清浄の掟を守れ」である。〔中略〕(また、)「正直で、率直であれ」という要求である。これが、その付属物をとり去った神道宗教のすべてである。」


5.日本の民衆宗教(荒木美智雄)

 邦訳には、原著にはない荒木美智雄氏による論考も付録として収められている。


(1)一元的なシンボリズム

 まず、著者は日本の宗教のシンボリズムについて次のように言う。


「日本においては人間が文明によって生み出し加工したもの、たとえば、鏡や剣や玉でさえも、しばしば聖なるものの顕現の媒体であった。〔中略〕それらはたんに媒体であったのではなく、しばしば、それら自身において「ご神体」、聖なるものであるとして受けとめられているのである。」


 ここには、日本の「一元的な傾向」が見られると著者は言う。


(2)国家の宗教と民俗の宗教

 奈良時代の古代律令国家の成立は、「国家(支配者)の宗教」と「民俗(被支配者)の宗教」を生み出した。


 たとえば、奈良時代の仏教六宗や平安時代の天台・真両宗は、支配者の宗教である。

 これらは、中国大陸からもたらされた新しい文明によって、高度に洗練された学問的理論や儀式の体系、僧侶の階級制度などを整備・発達させた。

 一方、民俗の宗教は、民衆のなかから自発的な運動として出現してきた。

 それらの運動には、たとえば奈良時代の常世神の運動、行基を中心とする優婆塞優婆夷の運動、修験道の運動、平安時代の志多羅神の運動や民間の御霊信仰の流行と念仏地蔵信仰の流行、鎌倉の新しい民衆仏、江戸幕府のきびしい管理下で固定化した仏教諸宗の寺院や神社神道で行なわれた多様な民俗宗教的儀礼、伊勢参り「ええじゃないか踊り」の運動、幕末明治初期・第二次大戦後の新宗教などがある。

 征服者と被征服者は、天津神族の文化」(=オホミタカラノアリカタ文化)と、国津神族の文化」(=クニブリ文化)とに対比できる。

 前者は稲作の民、後者は畑作、漁撈、商売の民である。

「稲作民は稲作のために定住して、一年ごとの稲の生育のリズムによって生産にたずさわる。〔中略〕太陽、空、大地、水などさまざまの宗教的な象徴体系が展開され、年中儀礼はこの稲霊を中心に年々繰り返される。定住地は「先祖代々の土地」として、始源から未来永劫へ一義的に受け止められ、人間は天皇の生活をモデルとする文化と国家の支配の下で土地に縛られる。」

「それに対して、山の民の焼き畑民は漂泊の民である。三年から二〇年の周期で空間を移動し、その移動で時間・空間の更新があり、リズムが決定される。伝統的には里の民のような土地所有の観念はなく、土地に縛られることもない。」



6.啓蒙主義以降のヨーロッパにおける宗教的創造性と世俗化(リヒャルト・シェフラー)


 最終章は、エリアーデ自身が予告していた、現代における「聖なるもの」と「俗なるもの」との弁証法について、ヨーロッパを舞台に論じられる。



(1)理性宗教

 16〜17世紀の、カトリックとプロテスタントの宗教戦争は、ヨーロッパの人びとに大きな影響を与えた。

 この経験をもとに、知識人たちは、宗派の違いを超えた「理性宗教」の必要を訴えた。

 ところがこれは、文字通り一部の知識人たちの間にしか広まらなかった。

「ほかならぬ宗教を宗教として差異づけるものが、理性宗教には欠けていた。祈りや儀礼の行為、共同体を形成するような伝承の力、世俗的経験世界の只中に聖なるものが煌めくといった宗教固有の経験、こうしたものがそこにはなかった。


(2)フランス革命

 続いて起こるフランス革命を、著者はここで1つの宗教的現象として論じる。

啓蒙そのものに内在的な宗教的動力は、上から命ぜられた啓蒙でも、あるいは政府や教会教に敵対的な種類の啓からでもなく、驚くべきことにフランス革命においてはじめて現われ出てきたフランス革命において、新約聖書の告知の根本概念が政治的実践の理念を表わす語となったことは、偶然ではない。それらの語とは、「自由」であり(「この自由をえさせるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」「ガラテヤの信徒への手紙」一五—一)、平等であり(そこでは……奴隷も自由な身分の者もなく……あなたがたは皆、キリスト・イスにおいて一つだからです」同、三—二八)、友愛である(「あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」「マタイによる福音書」二三—八)。

 しかしこうした宗教現象は、いつの時代も信仰の対立を生み出すことになる。

 ロベスピエールによる恐怖政治(テロ)は、その1つの現われだったと見ることができる。


(3)ドイツ観念論

 やがて、スピノザカントを経て、ヘーゲルドイツ観念論の哲学者たちが活躍することになる。

 彼らは、神は歴史を通して自己を実現していくと考えた。

 著者は言う。

歴史をも支配する精神のこうした作用に与ることとくらべると、いまや信仰の教説や礼拝の形式などはまったく二義的なことに思えてきた。」


(4)ロマン主義

 同じ時期、ロマン主義もまた花開く。

 これはもともと、啓蒙主義の合理主義への反動として登場したものである。

 その際注目されたのは、カトリックだった。

「カトリシズムは、プロテスタント自由主義とは対照的に、政治や芸術や哲学に解消されることなく、反対にこうした諸領域において文化形成力をもちうるような、歴史的に成長した宗教と思われた。かくして十九世紀の中頃には、ロマン主義は、カトリックの精神生活の刷新のための重要なエネルギー源となり、そうした影響の下でカトリックは、世俗化による修道院つきの学校や専修大学校の解体から受けた深刻な損害から立ち直ったのであった。」


(5)宗教批判

 19〜20世紀、ついに辛辣な宗教批判が登場することになる。

 その代表的人物は、フォイエルバッハマルクスフロイトなどである。

 彼らは、宗教はなぜ、事ここにいたってもまだ崩壊していないのかと問うた。

「これらの試みすべてに共通しているのは、崩壊に対し(比較的)抵抗力をもつこの宗教なる現象は、結局のところ宗教的人間が自己を誤解していることより生ずるのだという見方である。この解釈によると、宗教は個人生活や社会生活において、ただ束の間の役割をはたすにすぎない。宗教的人間はこれに対し、そうした役割が永続的なものだと思っている。


(6)第一次大戦

 第一次世界大戦は、人びとに、これだけ多くの人が、いったい何のために死んでいったのかという問いを与えた。

 したがって宗教は、この古典的な問いに立ち向かうことになった。

 これに対して、プロテスタントは文化の世俗性を主張した。つまり人間の文化は、人間の救いに何の関係もない。それは神のみがなしうることなのである。

 カトリックも同様に考えたが、さらに、だからこそ、人間の文化は神との関係へと立ち戻らねばならないと訴えた。

 
(7)ナチス

 ナチスのユダヤ人迫害は、カトリックとプロテスタント両者に、かえってユダヤとの結びつきを自覚させることになった。

「ナチズムの攻撃をきっかけとして初めて、ユダヤ教とキリスト教との本質的な結びつきの意識は強まった。戦後には、ユダヤ教とキリスト教との対話がキリスト者共通の関心事として発見され、キリスト者がユダヤ人にいかに多くを負っているかが意識されることとなった。」


(8)諸宗教の対話へ

 ナチス体験は、キリスト教に「真の宗教性」への関心を深めることになった。

 人間文化がなまじ「世俗化」してしまうと、それはまた、ナチスのように、安易な仕方での「聖なるものの偽装」を生み出すことになる。


宗教的なるもの一般の全体的断罪のゆえに、宗教をその誤れる形態から区別する規準を見いだそうとする努力を怠るならば、さまざまな形で世俗的なものを偶像化し、新たな聖性とするような現象がはびこるのである。」


 さらに著者は言う。

「第二に、諸文化の出合いが対話を要請する時代にあっては、〔中略〕宗教を原理的に拒否することは不適切であって、むしろ宗教間の対話が不可避のものになったのである。

 現代の宗教にとって重要なのは、宗教の真の核心を見出すことなのだ。

 著者は最後に次のように言う。

宗教も文化も、その解決ないし解消が人間の力をはるかに超えているような、そうした希望の要請の表現としてみずからを理解するときにのみ、誤った形態に陥ることを免れる。」





(苫野一徳)

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