エリアーデ『世界宗教史』(7)


はじめに


 邦訳第7巻の副題は、「諸世界の邂逅から現代まで(上)」


 前巻の「はじめに」に書いたように、エリアーデ急逝のため、この邦訳第7および第8巻は、エリアーデの計画を引き継いだ何人もの専門家たちの手によって完成された。


 天才宗教学者エリアーデの、数万年におよぶ人類の宗教精神とのダイナミックな格闘は、この巻以降読むことができなくなってしまう。


 しかし、本巻における各専門家たちの記述もまた、それはそれでとてもおもしろい。


 以下、これまでの巻では取り上げられなかった地域の宗教についてが述べられる。



1.メソアメリカの諸宗教(ダビッド・カラスコ著)


 メソアメリカとは、メキシコ本土の南部3分の2、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、およびホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの一部を含む地理的、文化的な領域である。

 都市社会が最初に発達したのは、地球上の7つの地域に限られている。


 メソアメリカはその1つだ。


 その文明は、紀元前2000年紀における効率的な食料生産の出現とともに始まり、16世紀のスペイン人による征服とともに終焉を迎えた。



(1)オルメカ文明


 前1800年頃、メキシコ湾近くのベラ・クルス州南部とタバスコ州西部において、オルメカ文明が興隆する。


 この文明を特徴づけるのは、石に刻まれたジャガー巨人だ。


オルメカ人が聖なるジャガーに感じていた強烈な神秘的一体感」が、メソアメリカのその後の数多くの宗教的伝統を際立たせる永続的な特色になったことは意義深い。〔中略〕オルメカ期のジャガは森林、大地、水と結びつけられた繁殖力の主要な象徴だったようである。


 また、オルメカ人は供犠食人の習俗を持っていたらしいことが分かっている。



(2)マヤ文明



 メソアメリカの歴史上、もっとも注目すべき発展が生じたのは、紀元後300〜900年の「古典期」と呼ばれる時期である。

 この時期、儀式センターと都市が点在する低地マヤ文化と、中央高地のテオティワカンとにおいて、知的・芸術的ないちじるしい発展があった。

 球技の祭儀が発達したのは、マヤにおいてだ。

「そこには球技のあとに行なわれる供犠の儀式のようすが窺えるが、その儀式には敗れた戦士、あるいは勝利を収めた戦士の斬首が含まれている。」

 マヤにおいては、あらゆるものの源泉は神々だった。中でも最大の勢力を誇っていたのは、イツァムナ、アハウ・キン、イシュ・チェル、チャク、ククルカンなどの神々である。


「地上の神としてもっとも勢力を誇ったのが、雨、雷鳴、光、豊饒をもたらすチャクである。社会的に大きな影響力をもったまた別の神が羽毛のある蛇、ククルカンであり、エリート層の一守護神だったようである。」



(3)テオティワカン


 「神々の住まい」を意味するテオティワカンは、紀元前2世紀に、メキシコ盆地北東部の乾燥した地域に興隆し始めた。



「驚くべきことに、テオティワカンの始まりはある洞窟にあった。

 芸術的に作り変えられたこの洞窟は、地上にピラミッドが建造されてから3世紀後の、紀元後450年頃まで使用されていた。

洞窟は地下界との交流の場であり、人間が超自然的存在と出会うために霊的領域へと旅立つ場なのである。


(4)アステカ


 アステカの宗教は、14世紀から16世紀の間に、メキシコ中央盆地にあった首都テノチティトランにおいて形成された。


 アステカには、あまり組織されているようには見えない無数の神々がいた。


「アステカの神々は、擬人的な存在として描き出されていた。犬神ショロトルのように神が動物の姿をとる場合や、ナイフの神イツトリのように祭器の形をとる場合でさえ、その神は腕、胴、脚、顔などのような人間の体の一部を用いて偽装している。アステカの神々は天上の一三層のさまざまな層か、あるいは九層の地下界に住んでいた。」


 アステカの有名な祭儀は、人身供犠である。


「そのなかには、斬首(通常は女性に対して)、槍や矢による射殺、溺死、火炙り、高い所からの投下、絞殺、生埋めによる餓死や剣闘士として戦わせる方法があった。」


 神殿に着くと、生け贄は階段の上の供犠の石(テチカトル)まで導かれ、押し倒された。そして神殿の神官が、ナイフで生け贄の胸壁を切開する。


「神宮はまだ鼓動のある心臓をつかんで「高貴な鷲のサボテンの実」と叫び、ついで心臓を胸からもぎとり、太陽の活性化、活力の補給を祈ってそれを太陽に捧げたあと、「クァウシカリ」、鷲の器とよばれる円形に刻まれた容器の中に入れた。」


 死体は、神殿の階段を下までばたばたと転がされ、そこでばらばらにされた。その折り、食人の儀式もあったらしいことが分かっている。



2.オセアニアの宗教(ヴァルデマール・シュテーア)


 続いてオセアニアの宗教について。


 狭義には、オセアニアとはポリネシアメラネシアミクロネシアのことを指す。


 ポリネシアの境界は、太平洋中央に想像上の三角形を描いている。


「この三角形はハワイを北の頂点とし、イースター島を南東の頂点とし、ニュージーランドを南西の頂点とするものである。無数の島々がアフリカ大陸の全体よりもひろい荒涼たる大海原に散らばっている。この区域の住民は淡い色の皮膚をしている。」


 いわゆる「南洋の魅力」について、人が思い描くのがこのポリネシアの海や人びとだ。


 メラネシアには、大きなニューギニア島があり、オセアニアの南西部分を占めている。


「そのうっそうと繁った植物の深い緑は、遠くから見るとほとんど黒く見え、また、そこの人々の皮膚の色も暗褐色ないし黒である。」


 最後に、無数の「小さな島々」がある「ミクロネシア」は、オセアニアの北西に位置する。


「この島々は、少数の例外を除いて、生活条件のきびしい珊瑚島である。」



(1)メラネシア


 まずメラネシアの宗教から。


 ヨーロッパ人は、メラネシアの人たちの瘢痕文身や身体彩色、そしてその攻撃的な性格から、彼らを野蛮人の典型と見なした。


 ここには1000をこえる種類の言語が確認されている。


「妻となる女性はほかの氏族から来るが、彼女たちは依然として本来の氏族に属しつづける。このことから、女性の低い地位が部分的に説明できる。女性は、彼女の夫の氏族では、一生涯、不信感をもって見られるよそ者でしかないのである。」


 マリンド・アニム族の神話によると、始源の時代、デマという神的存在たちがいた。


「神話の中のデマは、人間の姿や動物の姿など、さまざまな姿に身を変え現われる。彼らは波乱に富んだ運命を担っており、苦しんだり、苦しみをひき起こしたり、また、性的な暴行を受けたり、みずから凌辱したりする。」


 彼らはまた、死者をミイラ化する文化も持っていた。メラネシアの人びとにとって、祖先儀礼はきわめて重要なものだったのだ。


 ソロモン諸島は、カツオを崇める文化が特徴的である。カツオの大群は、彼らには神的な現象だったのだ。


 イニシエーション的儀礼においても、カツオは重要な存在だった。


「幸運にも自分にとって最初のカツオを手に入れた少年は、このカツオを自分の体に押しつけて帰り、船小屋に着くと、カツオから出たどす黒い血で自分をぬらし、さらにこれを飲んだのである。このような儀式はカツオとの神秘的な一体性の確認に役立っている。



(2)ポリネシア


 ポリネシア人について、著者はまず次のように言う。


「彼らはあきらかに美しい人間であり、一八世紀にヨーロッパ人が彼らに熱狂的な感激を示したのは当然のことと思われる。タヒチ島に住むポリネシア人は「気高い未開人」、すなわち、ルソーの言うような特徴を備えた、文句のない自然人であった。」



 紀元前1400年頃のトンガ群島と、紀元前1100年頃のサモア群島への定住が、ポリネシア移住の最初のものだった。これは「ラピタ文化」と呼ばれ、ポリネシア人の直接の祖先である。

 ポリネシアの社会に特徴的なのは、明確な身分的区分である。

「貴族のみが出自をもっており、貴族のみが神話的な始源の時代にまで遡る系譜をもっていた。」

 ポリネシア人の生活にとってきわめて重要だったのが、マナタブーの概念である。


ポリネシア語のマナをわれわれの西洋の言葉に翻訳することはまず不可能である。「法外に効力の大きなもの」という表現が、ほんのいくらかこの語に近いものと言える。」


 まず、神々と超越的な現象の全体がマナをもっている。


 貴族もまたマナをもっており、さらに、祭司、無敵の戦士、熟練した船乗り、腕のいい漁師、船大工、芸術家などもマナをもっている。


 祭具や権力の標章、危険をもたらす恐ろしい自然現象もマナをもっている。


 さらには、マッコウクジラ、サメ、グンカン鳥のような大きな動物、信頼できる武器や道具といったものもマナをもっている。


 一方のタブーは、禁じられていて危険であること、聖別されていて、資格のない者が触れてはならないことを意味する。


 タブーは権力と結びついていた。



「とくに、タヒチ諸島およびハワイ諸島では、タブーを課す権利を通じて王侯や貴族にほとんど無際限の権力が委ねられていた。」

 ポリネシア人にとって、タブーはあまりに過酷なものだった。それゆえ著者は次のように言う。


タブー体系の全体が重い負担として受けとめられていたことに疑問の余地はない。そうでなければ、十九世紀の初頭にポリネシアの多くの地域で、キリスト教への改宗が急激かつ広範に何の支障もなく行なわれたことが説明できないであろう。



(3)ミクロネシア


 ミクロネシア人は、その東方と西方に隣接するポリネシア人、インドネシア人と同様、人種的に「南モンゴロイド」種族に属している。


 しかし、黒っぽい色の肌および縮れた髪をもったメラネシア原住民の血が、紛れもなく多くの島に入りこんでいる。


 ミクロネシアの宗教については、あまり多くのことが分かっていない。


 その理由は、キリスト教の宣教や伝染病、そして多くの紛争にある。


 しかしそもそも、ミクロネシアでは、メラネシアやポリネシアほど重要な儀礼は行われていなかったようである。


 いくつか知られているものとしては、パラオ諸島の「始原の母」をイメージする像がある。


「島の住民は、その起源をそれぞれの「母なる始祖」にもっている母系の氏族に組織されていたのである。」


 また、ヤップ島の石のお金は有名だ。


「フェとよばれるこのお金は、丸く、真ん中に穴があいた板状の石で、大きさは、スイス製のチーズぐらいのものから二メートルを越える石臼のようなものまで、さまざまであった。フェは、あられ石でできており、この珍しい鉱石は、約四八〇キロメートル離れたパラオ諸島で切り出さねばならなかった。」

 フェは正規の通貨だったが、殺人罪の科料の支払いや、祭りのための大量の食糧の購入など、大切な目的にのみ使用された。


 と言っても、支払いの際も、フェはその場に置かれたままである。


 それが誰のものかが知られているだけで、人びとには十分だったのだ。


「ヤップ島では、お金やお金に関する事情が宗教生活の一部となっていた。というのも、フェを所有することで、たんに地位や威信が得られたのみではなく、来世の運命が決定されたからである。」



3.オーストラリアの宗教(ヴァルデマール・シュテーア)


(1)ホルド、部族、氏族


 最後にオーストラリアの宗教について。



 オーストラリア原住民の重要な社会集団は、「ホルド「部族だ。

 ホルドは3〜4世代の数家族から構成されている。

「一つのホルドの人数は、男女、子供を併せて三〇人程度が平均であったと推定される。ホルドの人々は、宿営地でともに生活し、日々、ともに食物の調達をしていた。」

 それぞれのホルドは、父系・外婚である。

 つまり、男たちだけが血縁でつながり、女たちは他のグループから来ることになる。

 一方の部族は、内婚の単位を意味する集団だ。つまり結婚はこの部族内でのみ行われるのだ。

 もう1つ、「氏族」という社会集団がある。


 これは、何を自分たちのトーテム(神秘的なつながりを持つ動物や植物など)とするかに基づく集団だ。


「氏族は個々の部族の枠をはるかに越えたものであり、したがって原住民は、一度も聞いたことのない言葉を話す見知らぬ部族の中にも、身ぶりの言語を使って自分の氏族の成員を見つけだすことができたし、また、彼を兄弟として扱わねばならなかったのである。」


 氏族に関しても、厳しい外婚が守られていた。つまり、結婚の相手は他の氏族の出自の者でなければならなかった。


「同じ氏族に属する者同士の性交渉ましてや結婚は、近親相姦と見なされ、死罪に値する犯罪であった。」



(2)夢の時


 オーストラリアの神話には、「夢の時」というものがある。


 始原の時を意味すると同時に、神々がこの世に現れることも意味する言葉だ。


 アランダ族の神話は、「夢の時」を次のように語っている。


 原初において、大地は平らだった。そこには、胎児のような人間の原形が群れをなして横たわっていた。


 この原形は、それぞれ手足でつながって、一種の網の形になっていた


 大地の下では、幾千の超自然的な存在が深い眠りについており、また、太陽、月、宵の明星も、同じく地下に隠れていた。これらは「トーテムの祖先」と呼ばれている。


 夢の時が始まると、これら「トーテムの祖先」は、目覚めて大地を突き破る。


 天体は上昇し、太陽は大地を暖める。


 「トーテムの祖先」が生まれでた場所は、「誕生の地」として祭儀の場所となる。



 「トーテムの祖先」は、胎児のような人間の原形に生命を与え、網状につながった彼らをそこから引き離す。

 「トーテムの祖先」が放浪を終え、その役目を果たすと、彼らを激しい疲労が襲う。彼らは再び地下へ帰り、その場所のそれぞれは「誕生の地」と同様に祭儀の場となる。

 かつて「トーテムの祖先」が歩き回った場所には、生命力が満ちあふれている。

 それは身ごもった女性の体内に入り込み、胎児に生まれ変わることができる。


この「霊的子供」の理念は、オーストラリアの諸部族のほとんどすべてに見られるものである。

(3)チュリンガ


Two North Australian Aboriginal Tjuringa or Sacred Boards , Wardaman Tribe . Wood and earth pigments  (australia) オーストラリアの原住民は、祭儀において使用されるチュリンガ(右写真)と呼ばれる道具を持っていた。

「チュリンガは、祭儀において神話が朗詠されるとき、はじめてその効力を現わした。古いものは貴重なものとして取り扱われたが、また、売り払うことも許されていた。」



(4)イニシエーション


 オーストラリアの原住民にとって、イニシエーションはきわめて重要なものだった。


 それは、集団への個人の順応を意味する儀式である。


 イニシエーションには、割礼など何らかの「切断」が伴うものが多かった。


 割礼には、「環状割礼」「尿道割礼」の2種類がある。


「「環状割礼」の場合は、包皮全体が、鋭く尖った石や、後にはガラスの破片で切りとられた。もう一つの割礼法は「尿道切開」であり、この場合には、陰茎の下側に沿って、尿道の全体、あるいは一部分が切開されたのである。」



(5)女性の隷従


 オーストラリアの原住民に特徴的なのは、きわめて暴力的な女性の隷従だ。


「男たちによって行われる祭儀は絶対的な秘密であるもし女性が、偶然にせよ故意にせよ、チュリンガや秘密の祭具を目にした場合、その女性は殺される危険に陥った。〔中略〕時として少女たちは、妻としての、そして母としての役割に備えるために、数日の間、隔離された。いたるところで、彼女達は初潮の後に儀礼的なみそぎを受けた。ほとんどの場合、最後には作為的な破瓜が行われ、また、しばしば何人もの男たちとの強制的な性交渉が行われた。あらゆる処置は、基本的に女たちを隷従させ、従順にすることを目的としていた。






(苫野一徳)

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