エリアーデ『世界宗教史』(3)


はじめに

 邦訳3巻と4巻では、「ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで」が論じられる。


1.古代中国の宗教

(1)盤古

 まずは古代中国の宗教から。

 前5000年紀のいわゆる仰韶(ヤンシャオ)文化には、他の新石器文明と共通した信仰の形跡がみられる。

 最も特徴的なのは、やはり、これまでにみてきたような「宇宙の循環」の観念だ。

 また、中国には古くから祖先崇拝の観念もみられる。

 さらに王朝においては、「至上神としての帝」という観念が登場している。そしてそれは、王朝にも受け継がれている。

 古代中国における宇宙創成神話は、厳密な意味では今日に伝わってはいない。しかし有名な「原初の存在」としては、人間の姿をした神盤古」がいる。

 世界は、この盤古の死によって創られたとされる。

 ここには、第1巻でくり返しみてきた、原初的な存在の犠牲による世界創造という、古代宗教に典型的な観念がみられる(バビロンにおけるティアマトなど)。

 同様に、世界の中心としての都市という観念も存在した。これもまた、世界中の古代宗教にみられる観念である。

「他の都市文明の場合と同じく、中国でも、都市は儀式の行なわれる中心部分から発展した。つまり、年は天や地下と交信できる場所だからこそ、「世界の中心」なのである。


(2)道(タオ)

 中国に特徴的なのは、「道」(タオ)の観念だ。

 その大元の発想は、「宇宙」は循環しながら相が交代していく、一連の対立物から構成されている、というものだ。

 ここから、「道」にはいくつかの含意が生まれた。

「一般に中国の哲学的・宗教的な思想にとって、道は現実のあらゆる領域に内在する「秩序の原理」である。」

 しかしこれは、言及不可能なものともされている。

道の言及不可能性はその別名にもよくあらわれており、もともとの宇宙創成的な「混沌」のイメージにいくぶん変化はあるものの、それを依然保持している。そのなかの重要なものをあげれば、「空」「無」「多」「一」である。〔中略〕この原初的な状態へのノスタルジのなかに、古代の農耕的なシナリオの新たな表現を見いだすこともできよう。


(3)孔子、老子、荘子

 この「道」は、公正で文明化された社会でしか実現されないと考えたのが孔子である(『論語』のページ参照)。エリアーデは言う。

「孔子の独創性は、複雑で高度に階層化された社会に欠かせないふるまいや行動を、自発的な儀式に「変容」させることを追い求めたところにある。

 こうした合理主義的発想を否定したのが、いわゆる「無為自然」を説いた老子荘子といった思想家たちだった(『老子』『荘子』のページ参照)。

 彼らの思想は、一種のシャーマニズムである。

「トランスのなかで、シャマンの魂は肉体を離れ、宇宙の諸領域を旅すると言われる。」
   
 『荘子』には、こんな有名なエピソードが描かれている。

 ある日のこと、孔子は老子のもとへ出かけていったが、老子はまったく動かず、とても生きているようにはみえなかった。

 孔子はしばらく待ったのち、話しかけた。

「私の目がおかしくなったのでしょうか、それとも現実だったのでしょうか。先生、先生の身体は枯れた木のようでした。この世から離れて、近づきがたい孤独のなかに浸りきってしまったようにみうけられました」。

 すると老子は、「そうだ。わたしは万物の起源のなかではしゃぎまわっていたのだ」と述べた。    


(4)道教

 道教は、老荘の思想の影響も受けたとされる、古代中国の伝統的な宗教である。

 道士の究極目標は、肉体的な不死を獲得することにある。そのための方法を、彼らは徹底して洗練していった。

「とくにたいせつなのが気を保つことで、内観や意識の集中によって道士は気を視覚化し、三つの丹田に気をとおす。千回呼吸するあいだ、気を保っていられたら不死を獲得できるのである。


長生のためのもうひとつの方法はセックスに関するもので、それは儀礼的であると同時に、瞑想の方法ともなっている。〔中略〕道士は、射精することなく性行為を行なわなければならない。射精しないことによって、「気」と混じりあった精液を体内に循環させ、下の丹田から頭のところにある丹田に上昇させ、脳を再活性化させることができる。

 さらには、正当でないと非難はされていたものの、女性の血を吸う「吸血」(カルテンマルク)とよばれる方法もあったという。


2.バラモン教

 続いて、インドの宗教について。

 インド亜大陸のアーリア化(第2巻参照)に続いて、バラモン教と、それから数世紀後、ヒンドゥー教が起こった。

 前巻で見た通り、インド思想の特徴は、「すべては苦であり、すべては移りゆく」とするもので、それゆえ、その宗教的観念の本質は「解脱」への希望にある。

 バラモン教には、3つのダルシャナ(学派)があるが、いずれも解脱への道をそれぞれ異なった形で説くものだ。

 3つの学派とは、ヴェーダーンタサーンキヤである。


(1)ヴェーダーンタ

 まずヴェーダーンタについて。

ヴェーダーンタという言葉(文字どおりには「ヴェーダの最後」)はウパニシャッドのことをさしており、それは実際、ヴェーダ文献の最後に置かれていた。最初、ヴェーダーンタとは、ウパニシャッドにみられる教義全体を意味していた。この言葉が、他のダルシャナ、つまりは古典的なサンキヤ学派やヨガ学派と対立する哲学「体系」固有の名称となるには、時間が必要で、それは比較的あとの時代(紀元後、最初の数世紀)になってからである。

 その最大の教義は、ブラフマン(宇宙の本質)とアートマン(自己の本質)の同一性」にある。

 ヴェーダーンタにおける最も有名な理論家はシャンカラである。

「サーンキヤ学派やヨーガ学派の「哲学的な体系」の本質的な部分が、四世紀から八世紀のあいだに固定化してしまったのに対して、ヴェーダーンタ学派はシャンカラ以降にそのほんとうの花を咲かせたのであった。」


(2)サーンキヤとヨーガ

 サーンキヤとヨーガの違いを、エリアーデは次のように述べている。

本質的な違いを二つあげれば、(一)古典的サンキヤ学派が無神論であるのに対して、最高神シュヴァラの存在をたてるヨガ学派は有神論的である。(二)サンキヤ学派によれば、解脱を得るための唯一の道は形而上学的な認識によるものであるのに対して、ヨーガ学派は瞑想をきわめて重要視している。他の相違点は無視してかまわない。

 要するに、サーンキヤにおいては知性による解脱が強調されるのに対して、ヨーガは瞑想による解脱を説くのである。

 なぜヨーガは瞑想を強調するのか。エリアーデは言う。

ヨーガにおいては、形而上学的無知を捨て去っただけでは意識の状態を破壊することはできないと考えられている。というのも、現在の「渦」を破壊したとしても、意識下に隠れた「潜在するもの」(ヴァーサナー〔習気〕)の巨大な蓄積の中から沸きあがってくる、別の渦によってすぐにとってかわられてしまうからである。ヴァーサナーの概念は、ヨガ学派の心理学のなかでもっとも重要なものである。

 ヨーガの技法には8段階ある。

①ヤマ(禁戒)
 これには5つあり、アヒンサー(殺さない)、サトヤ(嘘をつかない)、アステーヤ(盗まない)、ブラフマチャリヤ(性的な禁欲)、そしてアパリグラハ(貪欲にならない)である。

②ニヤマ(勧戒)
 これは、「清潔さ、平静さ、苦行(タパス)、ヨーガの形而上学の研究、そして神(イーシュヴァラ)をすべての行動の動機とする努力」とされる。

③アーサナ(坐法)
 これは同じ姿勢を保ち集中すること。

④プラーナーヤーマ(調息)
 呼吸の整え。

⑤プラティヤーハーラ(制感)
 「外的な対象の支配から感覚の活動を自由にできる」こと。

⑥ダーラナー(執持)
 「思考を一点に集中する」こと。

⑦ディヤーナ(静慮)
 「統一された思考の流れ」

⑧サマーディ(三昧)
 「意識の停止状態」


 ヨーガのこうした「入我」(エンスタシス)について、エリアーデは次のように言っている。

「この理想――自由の意識的な獲得――のなかに、インドの思想が一見不合理で残酷なほど無意味に思われる事実を、正当化する姿をみたい誘惑にかられる。その事実とは、世界が存在し、人間が存在するという事実そのもの、そして、世界のなかにおける人間存在は幻想と苦のとぎれることのない連続であるということである。」


3.仏陀

(1)大いなる遁世

 続いて仏教について。

 仏教は、その創始者が、自分は神の預言者であるとか使徒であるとか公言せず、さらには至上の存在である神という考え方を拒絶した唯一の宗教だ。

 しかし、彼はみずからを「覚醒した者」(仏陀)と宣言した。

 彼が目指したのは、人類の解脱である。

 幼名、シッダールタ。生まれるやいなや、北に向かって7歩進み、獅子の「咆哮」によって、「私はこの世でもっとも高貴な者、すぐれた者、最年長の者である。これは私の最後の誕生であり、将来ふたたび新たに生まれかわることはない」と宣言した。

 結婚し、息子ラーフラをもうけるとすぐ、シッダールタは「大いなる遁世」へと出かける。

 仏陀の神話化は、この遁世を中心になされていくことになる。

 シッダールタは、哲学を学び、ヨーガや苦行を行った。

 しかし苦行の限界に達し、生命力のわずか千分の一しか残っていない時点で、苦行が解脱の手段として無益であると悟って断食の中止を決心した。

 奇跡的に復活したシッダールタは、森へ向かい、一本の菩提樹を選んでその木の下に座り、「覚醒」に達するまで立ちあがらない決心をした。

 その間に、マーラ(死)が攻撃を仕掛けてきた。

「というのも、この偉大な神は、生と死と再生の永遠の繰り返しを停止することによって救済の方法が発見されれば、その支配に終止符が打たれることを予知していたからである。」


 たくさんの女たちがシッダールタのまわりをとり囲み、裸体や魔法で誘惑しようとしたが、無駄だった。

 マーラの誘惑は、世界中の神話に共通してみられる、「イニシエーション」的神話の典型である。


(2)四諦

 仏陀の「悟り」は、次のようにして行われた。

「最初の夜に、瞑想の四つの段階を通過し、「神の眼」によって世界の全体性とその永遠なる生成、つまり比較によって支配された、生と死と転生の恐るべき輪廻の理解が可能になった。第二の夜には、その無数の前世をふり返り、一瞬のあいだに他者の無限な生を瞑想する。第三の夜は、菩提、「覚り」である。生と再生の恐ろしい輪廻を可能にする法則、一二縁起(相互に依存した生成物)とよばれる法則を理解し、同時に、この「生成物」を抑えるために必要な条件を発見する。それ以来、彼は四諦(四つの「高貴な真実」)をみずからのものとし、夜明けに、仏陀、「覚醒した者」となったのである。」


「四諦」とは、1.苦諦(すべては苦)、2.集諦(欲望が苦しみの起源)、3.滅諦(欲求を捨てる)、4.道諦(中道=八正道)のことである。

 第4の中道(八正道)は、(1)正しい見解〔正見〕、(2)正しい思惟〔正思〕、(3)正しい言葉〔正語〕、(4)正しい行為〔正業〕、(5)正しい生活〔正命〕、(6)正しい努力〔正精進〕、(7)正しい注意深さ〔正念〕、(8)正しい精神統一〔正定〕からなる。


(3)毒矢に刺された男

 仏陀の教えの特徴は、宇宙や人間の起源についての、哲学的理論の拒否にある。

 これについては、「毒矢に刺された男」という有名なエピソードがある。

 マールンキヤプッタという弟子が、仏陀に対して、宇宙の起源についての考えをはっきりさせてくれるように、もし答えられないなら、答えがわからないことを認めるように求めた。

 すると、仏陀は毒矢に刺された男の話をした。

 この男は友達や親戚が外科医を連れて来ると、次のように叫んだのだった。

「この矢をだれが射たのかわかるまで、またの人がクシャトリヤかバラモンか……どの家族に属しているか、背が高いか低いか、それとも中ぐらいか、どの村や町から来たかわかるまで、矢をひき抜かないでくれ。私を射たのはどういった種類の弓なのか、どういった弦が弓に使われていたのか、矢にはどういった羽根が使われていたのか、矢の先がどうやって作られたのかわかるまで、矢をひき抜かないでくれ」。

 仏陀は続けて、男はこういったことがわからないまま死んだが、それは、個々の哲学的な問題が解決されないうちは聖なる道に従うことを拒否する者に似ていると述べた。

 なぜ、仏陀はそうした哲学理論を拒否したのか。

「それはむだだからだ、神聖な精神生活に結びつかないし、現世に対する嫌悪、忌避、欲望の抑制、心の落ち着き、深淵なる洞察、悟り、涅槃に貢献しないからだ!」


4.マハーヴィーラとジャイナ教

 続いて、仏陀と同時代の、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラについて。

 その特徴は、唯一神の否定と汎神霊論にある。

「地上に存在するものは、動物ばかりでなく植物も石も、雨粒などもすべて魂をもっている。そして生命に対する尊重が、ジャイの、そしてもっとも重要な戒律である。この汎心霊論に対する信仰は無数の困難を生むことになる。僧侶は歩きながら目の前の土の上を掃除しなければならないし、極度小さな動物を殺してしまう危険があったので、日没のあとの外出は禁じられている。」

 ただし、「生命の尊重」が重要な教義であるにもかかわらず、ジャイナ教は餓死による自殺を最上の死と考える。

 マハーヴィーラの弟子ゴーサラは、仏陀が最も危険なライバルと考えた男である。

「人間の努力はむだである」というのが、その教えの本質だった。

彼は、すべての存在は八四万アイオン(大劫)のサイクルを経過することによって、最後にはなんの努力もなく、自然に解脱すると考えていた。仏陀がこの容赦ない決定論を犯罪的なものだと考え、ゴーサーラを同時代の人間のなかでもっとも激し攻撃したのは、「宿命」(ニヤティ)の教義をもっとも危険なものと考えていたからである。


5.ローマの宗教

(1)ロムルスとレムス

 続いて、古代ローマの宗教について。

 ローマ建国は、前754年ごろ。ローマ人の祖であるラテン民族は、土着の新石器時代人と、アルプスの向こう側からやってきたインド・ヨーロッパ系民族の侵入者との混血の結果生まれた。

 ローマの建国神話は、ロムルスによる、双子の兄弟レムス殺害から始まる。


 二人の父のヌミトール王は、その兄弟アムリウスによって退位させられた。

 ロスルスとレムスは、ティベル川の土手に捨てられたが、奇蹟的に牝狼から乳をもらって生きながらえた。

 2人はほどなく羊飼いに救われ、その妻によって育てられた。

 成人したロムルスとレムスは、王位の簒奪者アムリウスを追い払う。

 2人は、幼年時代を過ごした場所に都市を建設することに決める。

 神意を占うに際して、ロムルスはパラティウムの丘を選び、レムスはアヴェティウム丘を選んだ。

 最初にレムスが、吉兆とされるハゲタカが6羽飛んで行くのを見つけた。しかし続けて、ロムルスの方が12羽も見つけたため、都市を建設する名誉は彼のものとなった。

 ロムルスは鋤で、パラティウムの丘の周囲に溝を掘った。すると、掘り起こされた土は城壁をあらわし、溝は濠を象徴し、立てかけられた鋤は未来の門の場所を示していた。

 これに感激したロムルスをレムスは馬鹿にして、ひと跳びで「城壁」と「濠」を飛び越えてしまった。

 怒ったロムルスはレムスに飛びかかり、「わが街の城壁を飛び越えし者はかくして滅びぬ!」と叫びながら、殺してしまったのだった。

 ここには、サルゴンやモゼやキュロスなど、有名な人物の伝説にみられる捨子のテが見いだされる。
 
 また、都市の建設は、相変わらず宇宙創成の繰り返しを示している。

 さらにレムスの犠牲は、プルシャ、ユミル、盤古と共通する、宇宙創成のための最初の犠牲という観念を反映している。


(2)ユピテル、マルス、クィリヌス

 ローマの三神は、ユピテルマルスクィリヌスである。

 ここには、インド・ヨーロッパ諸民族の痕跡がはっきりと見られる。

 前巻で見た通り、インド・ヨーロッパ諸民族の社会は3分割されており、3神もそれに対応していた。

「つまり、呪術的・法的な支配の機能(ユピテル、ヴァルナとミトラ、ディン)、軍事力を司どる神々の機能(マルス、インドラ、ソール)、そして豊饒と経済的繁栄をもたらす神々(クィリヌス、双生児のナサティヤ、フレイヤ)である。


(3)あらゆる神々の受け入れ、そして迫害

 カルタゴの名将ハンニバルとの戦い(第二次ポエニ戦争)において、ローマは危機に陥る。

 この時、ローマはその出自にこだわらず、あらゆる神々に勝利を訴えた。

「元老院は、供犠、祓い、特別な儀礼や、行列、さらには人身供犠といった救済手段を命じた。」    

 しかし危機が去ると、元老院は異教の神々を迫害するようになる。

 特に激しく迫害されたのは、ディオニソス信仰(前巻参照)である。

 エリアーデは言う。

「バッコス祭に対する「元老院決議」はけっしてその有効性を失うことがなく、三世紀後に、キリスト教徒の迫害の際にそのモデルとして役だったのである。」    


6.ゲルマン人の宗教

(1)ユミルの殺害

 古代ゲルマン人の宗教にも、インド・ヨーロッパ諸民族の痕跡がはっきりと残っている。

 つまり、祭司階級の神、戦闘階級の神、農耕の神の、三つの階級の神の存在である。

 ゲルマンにおける宇宙創造神話は、まず両性具有の神ユミルから始まる。

「氷と火の出会いの結果、人間の形をしたユミルが中間地帯に誕生した。」

 その後、ディンヴィリヴェーの、3人の神が生まれる。

「この三人の兄弟はユミルを殺すことに決め、〔中略〕ユミルを巨大な深淵の中央に連れていき、その肉体を解体して世界を作り、肉から大地を、骨から岩を、血から海を、髪の毛から雲を、頭蓋骨から空を作りあげた。」

 ここにもまた、ティアマト、プルシャ、盤古と同様、創造のための犠牲という観念がみられる。また、ユミルは両性具有だが、これもまた原初の完全さを象徴するものである。


(2)宇宙樹イグドラシル

 古代ゲルマンの宗教には、宇宙樹イグドラシルというものが登場する。

その頂は天に触れ、枝は世界中にひろがっている。一本の根は死者の国(ヘル)に突きささり、二本目は巨人の地域に、三本目は人間の世界に根を伸ばしている。その出現のときか(つまりは神々によって世界が組織されたときから)、イグドラシルは崩壊する恐れがあった。つまり、鷲がその葉を食べようとしたり、幹が腐りはじめたり、蛇のニズホッグが根のあたりを這いはじめたりしたのである。近い将来、イグドラシルは倒壊し、世界の終わり(ラグナレク)が訪れることになる。



(3)アース神族とヴァン神族との戦いと和解

 ゲルマンの神話では、アース神族とヴァン神族の2つに分かれた神族たちが、お互いに戦い合うことになる。

 アース神族のなかでもっとも有力なのが、ディンで、最初の2つの神は至高神の2つのあらわれ(ヴェーダ期のインドにおけるミトラとヴァルナ)に対応する。

 槌を持ったソルは、ヴェーダにおける、インドラの軍神としての性格を思い起こさせる。

 他方、ヴァン神族のなかでもっとも重要な神々(ニョルズ、フレイ、フレイヤー)の特徴は、その富、豊饒にある。

 この戦争は、最終的には和解に終わった。ヴァン神族の主神たちがアス神族のもとに居住するようになり、彼らが体現する豊饒と富によって、アース族の法的至上権、呪力、軍事力を補うことになったのである。


(4)バルドルとロキ

 ゲルマン神話には、きわめてイメージ豊かな次のような逸話がある。

 オーディンの息子に、バルドルという神がいた。

 神々は、彼の身体を傷つかないものとしようという決定を下した。

 そこでバルドルの母親は、地上のすべての者たちから、彼を傷つけないという誓約を集めてまわった。

 不死身になったバルドルに対して、アース神族は、彼を剣で突いたりして楽しんだ。

 これを見ていた、ロキという神(にして悪魔)がいた。

 ロキは女装してバルドルの母(フリッグ)に会いに行き、彼女に、すべての存在がバルドルに危害を加えないと誓ったのかどうかとたずねた。

 フリッグは、「ヤドリギの若芽とよばれる木の若枝があるが、若すぎる気がして誓いを頼まなかった」と答えた。

 そこでロキは、このヤドリギをひき抜き、バルドルの兄弟である盲人のホズに手渡し言った。

「ほかの者のようにしろ。攻撃するのだ。どこにいるか方向を私が教えてやろう」

 ロキに導かれたホズは、ヤドリギの若枝を兄弟に向かって射た。こうしてバルドルは死ぬことになる。

 怒った神々は、ロキを捕え、彼を石に繋いでしまった。

 彼の上には毒蛇が吊され、毒が顔の上にたれた。

 ロキの妻は彼のそばにいて、毒液の下で容器を支えて持った。

 容器が一杯になると、彼女はそれを捨てにいくのだが、そのあいだにロキの顔に毒が滴り、身悶えすると大地が揺れた。


(5)終末論

 ゲルマン宗教には、はっきりとした終末論がある。


 道徳はすたれて消滅し、人々はお互いに殺しあい、大地は揺れ、怪物たちが地上を襲い、大洋から大蛇ミズガルズが出現して破局的な洪水をひき起こす。

 最後に、神々と英雄からなる軍隊と、怪物と巨人からなる軍隊とが、決戦のために対決する。

 神々とその敵は、スルトをのぞいて倒れてしまい、生き残ったスルトが宇宙全体に火を放つとすべての生命の痕跡は消え、最後は全地球が大洋に呑みとまれ、大空は崩れさる。

 しかしそれが最後ではない。これには世界の再生物語が続くのだ。

 新しい大地が出現し、そこではすべての苦がのぞかれている。そして、宇宙樹イグドラシルによってかくまわれていた1組の男女が、新しい人類の始祖となる……。


7.オルフェウスの神話

 続いて、ギリシア神話に登場するオルフェウスについて。

 オルフェウスは、密儀宗教であるオルフェウス教の創始者とされている。

 彼は、治療者であり、竪琴奏者であり、そして神託を告げる者だった。

 ディオニソスに差し向けられた信女たちに八つ裂きにされたオルフェウスの首が、神託を下すようになったのだ。

 彼はまた「イニシエーション」の創始者ともされている。

オルフェウスの「創始した」とされるイニシエションの本質はわかっていない。わかっているのは、その前提となる菜食主義、禁欲主義、清めの儀礼、宗教的な教え(聖なる言葉、聖典)である。ほかにもまた、輪廻、したがってまた魂の不死という神学的な前提についても知られている。

 特筆すべきは、やはり輪廻の思想である。

 これは同時代のピタゴラス派も唱えたものだ。

 この、オルフェウス教やピタゴラス派が唱えた輪廻の思想が、後にプラトンイデア説へと接続されていく。


「この永遠のモデルとなる世界がいったん正しいものと仮定されれば、人間がいつ、どうやってイデアを知ることができるかが、説明されなければならない。プラトンが、魂の運命に関する「オルフェウス派的」、ピタゴラス派的理論を踏襲したのは、この問題を解決するためにほかならない。」


「(プラトンは、)ピタゴラス派的伝統を借用し、みずからの体系にあわせて、魂の輪廻と「想起」(アナムネーシス)の理論をとり入れた。」

 「想起説」とは次のような説である。

 人間は、生まれ変わる前「イデア」の世界にいた。それゆえ、たとえば美しいものを見た時、それを美しいと思えるのは、かつて「美のイデア」を見たことがあったからで、これを思い出しているからなのだ(プラトン『メノン』のページなど参照)。


8.アレキサンダー大王とヘレニズム文化

 本巻の最後は、アレキサンダー大王ヘレニズムについて。

 ヘレニズム文化とは、アレキサンダーが世界征服を志してから約300年の間に、オリエント文明とギリシア文明とが融合されてできあがった文化のことだ。

 後の巻で見ていくように、アレキサンダーの遠征によって開かれた「普遍主義」(コスモポリタニズム)は、その後の世界中の宗教に絶大な影響を与えることになる。

 続くページで、そのダイナミックな融合過程を見ていくことにしたい。





(苫野一徳)

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