エリアーデ『世界宗教史』(1)


はじめに


 宗教学の泰斗、エリアーデ(1907-1986)。

 本書は次のような言葉で始まる。


「宗教学者にとっては、聖なるもののすべての顕われが重要である。」


 エリアーデにとって、宗教学は、専門分化した研究領域に閉じこもっていていいものではなかった。


 人間は、そもそもにおいて「聖なるもの」とかかわらずにはいられない、宗教的な存在である。だから宗教を通して、わたしたちは「人間」の本質、深奥へとせまっていくことができる。


 宗教学は、そのような人間の探究でなければならない。


 別のところで、彼は次のようにも言っている。

「究極的には、私は『普遍的人間』のモデルを再発見することを夢見ていた。」


 何百万年にもわたる、人類の宗教的営為。


 本書を読むと、その人間精神の偉大さに圧倒される。



 本書は、原著全4巻、邦訳は文庫版で全8巻にもおよぶ長大な作品だ。


 このページでは、まず邦訳1巻の内容を紹介したい。


 扱われるのは、古人類の宗教から初期ユダヤ教までである。



1.古人類の宗教的営み


 およそ200万年の間、古人類は狩猟によって生活した。


 狩猟生活は、人類にある独特の宗教精神を芽生えさせることになる。


 たとえば、武器の使用。


 これはさまざまな神話のインスピレーションの源になった。


 弓や槍は、聖なる天に達するイメージを人類に与えたのだ。


とりわけ、無数の信仰、神話、伝説を生みだしたのは、投射武器のおかげでかちえた「距離の支配」である。天の穹窿を突き破り、天への上昇を可能にする槍、雲を突き抜けて飛び、悪魔を射抜き、天に達する鎖を作る矢などを語る神話を考えてみよう。


 しかし何よりも重要なのは、「獲物」との関係が生み出した宗教精神だ。


「獲物をたえず探しまわり、殺すことは、狩猟者と殺された動物とのあいだに、ついに独自の関係の体系を創りだした。〔中略〕要するに、獲物との「神秘的連帯性」は、人間社会と動物界とのあいだの親族関係を示すものである。捕らえた獲物を殺すこと、あるいは後の時代では家畜を殺すことは、殺されるものがいれかわる「供犠」に相当する。  」


 古人類においては、人間と動物との関係にこそ、宗教精神の本質があったのだ。


 あとで見るように、こののち、人類が定住・農耕を始めたことによって、宗教精神のあり方はがらりと変わることになる。


 しかし、この古人類における「供犠」的宗教は、その後のあらゆる宗教に受け継がれ、現代にいたるまでわたしたちの社会に生き続けることになる。



2.中・新石器時代


 前8000年ごろまでに、氷河期が終わりを迎える。


 人類は、それまで狩猟していた大型獣の減少にともなって、徐々に、漁撈、そして農耕への道を切り開いていった。


 定住・農耕は、人類史上における最大の大革命だった。これによって、人類はその生活スタイルを大きく変えることになったのだ。


 当然のことながら、宗教にとってもそれは大きな転換点だった。


農耕の発見の影響は、人類の宗教史にとってもひとしく重要である。〔中略〕結果的には、それは、新石器時代以前の人々の精神世界を根本的に変革する、価値の創造と転倒をひき起こしたのである。    


 それまで、人間と動物との関係が中心だった宗教精神は、人間と植物、そしてまた、人間と宇宙という観念へと展開していくことになる。


 たとえば、食用植物は殺された神から生じたという信仰が、世界中に見られるようになる。


「相当広範に見いだされる主題は、芋類や果樹ココナツ、バナナなどは殺された神から生じたと説明するものである。そのもっとも有名な例は、ニュギニア沖の島のひとつ、セラム島の神話である。それによれば、ハイヌヴェレと呼ばれる半神的少女の、切断され、埋葬された死骸から、それまで未知であった植物、とくに芋類が生まれた。」    


 あるいは、食用植物は神の排泄物であるとする神話も数多く存在する。


 エリアーデは言う。


「これらの神話の意味はあきらかである。食用植物は、神の身体(排世物や汗も、等しく神の実体の一部を成す)から生じたのであるから神聖である。食事をすることによって、人間は、つまり神を食べているのである。 」



3.宇宙的宗教


 人類が農耕民族になったことで生まれた最も重大な宗教的観念は、「宇宙的宗教」の観念だ。


農耕文化は、その宗教的活動が、宇宙の周期的更新という中心的な神秘のまわりに集中されるので、宇宙的宗教とよばれるものを作りあげた。    


 こうして、人類に「循環的時間」「宇宙的循環」という観念が生まれることになる。


 インドの「輪廻転生」の思想の起源もまた、ここにあるのだ。



4.鉄の宗教的意味


 先史時代において、鉄は隕鉄(つまり隕石)からしか得ることができなかった。


「シュメル語AN.BARは鉄を意味する最古の言葉であるが、「空」と「火」の記号で書かれている。それは一般に、「天の金属」か「星の金属」と訳される。エジプト人はかなり長いあいだ、隕鉄しか知らなかった。ヒッタイト人も同様で、十四世紀の文献は、ヒッタイトの王たちが「空の黒い鉄」を用いていたことをあきらかにしている。 」


 しかしやがて、人類は地殻鉄鉱の冶金術を開発することになる。


 これが宗教精神に与えた影響は絶大だった。


「隕石に内在する天空の聖性と並んで、人々は今や、鉱山や鉱物が分有する大地の聖性に直面している。金属は大地の懐で「成長する」。鉱山や洞窟は、母なる大地の子宮と同一視される。鉱山から採掘された鉱石は、いわば「胎児」である。」


 鉱夫や冶金師は、聖なる大地から鉄(胎児)を取り出す、きわめて神聖な職業となったのだ。



5.シュメールの宗教


(1)宇宙創造神話


 歴史はシュメールに始まる、と言われる。その起源はいまだ謎だらけだが、シュメール人の宗教については多くのことが知られている。


 シュメールには三大主神があった。天空神アン大気神エンリル大主(礎)エンキである。


 シュメール人の宇宙創造神話は、断片的にしか知られていないが次のようなものだったと考えられている。


 まず、「始原の水」であるナンム女神が、「アン」(天)と「エンキ」(地)を生んだ。


 アンとエンキは聖婚によって結ばれ、大気神「エンリル」が生まれる。


 しかしエンリルは、アンとエンキを離別させる。つまりこれによって、天と地は分かたれたのだ。


 「始原の水」から世界が創造されたとする神話は、世界中に見られる。


 「天地分離」の神話もまた、世界中にある。


 エリアーデは、その起源はこのシュメールの神話にあるだろうと言っている。



(2)人間創造神話


 シュメール人は、人間は神々によって創られたと考えた。


「人間が、食事と衣服の世話を何よりも必要とする神々に仕えるために創られたということはたしかである。祭祀は神への奉仕と考えられた。しかし、人間は神の召使いであるとしても、神の奴隷ではない。」



(3)宇宙の「再創造」


 シュメールで重要だった宗教行事は、新年祭神殿建造祭である。


 これはどちらも、宇宙の「再創造」を象徴するものだ。つまり、先述した「循環的時間」「宇宙的循環」を象徴するものなのだ。



世界は新年祭によって周期的に再生される。すなわち、「再創造」される。

新年祭よりいっそう重要なのは、神殿建造祭である。神殿の建造もまた天地創造の反復である。

 こうした「天地創造の反復」を象徴する儀式は、世界中のあらゆるところで見られるものだ。


 お互いに接触がなくとも、農耕民族となった人類が抱く宗教的観念には、ある種の普遍性が見られるのだ。



(4)最初の洪水神話


 洪水神話と言えば「ノアの方舟」が有名だが、その原型はシュメールにある。


 これらの洪水神話は、実際の洪水によって生まれたとも考えられるが、実はその地質学的痕跡は見いだせていない。


 それゆえエリアーデは、洪水神話は「宇宙的循環」を象徴するものと考えるべきだと言う。


「洪水神話の大部分は、いわば、宇宙のリズムの一部を形成していると思われる。堕落した人間が住む「旧世界」は原水のなかに没し、しばらくすると、「新世界」が「混沌」の水から出現するのである。


「神話を検討してみると、洪水の主因は人間の罪であると同時に世界の老朽化でもあることが確認される。    」

 
 繰り返し述べてきた、「宇宙的循環」。これこそ、農耕民族となった人類の、最も根本的な宗教的観念なのだ。


(5)シュメールの三天体神


 シュメールには三天体神もいた。


 ナンナスエンウトゥ太陽金星と愛の女神イナンである。


 シュメールの神話によると、このうちイナンナは、羊飼いドゥムジと結婚した。それによって、ドゥムジはウルク(都市国家)の支配者となる。


 「天上界の王」であり、また野心家だったイナンナは、「冥界の王」であり、また姉でもあるエレシュキガルの地位がほしくなる。そこで彼女は冥界へと降る。


 しかしその試みは失敗する。


 地上へ戻ろうとしたイナンナは、冥界の裁判官たちから、「いったん冥界に来た者は、二度と地上へ帰ることはできない。さもなくば身代わりを差し出せ」と言われる。


 そこでイナンナは、夫ドゥムジの様子をうかがう。


 ドゥムジは、妻を悼むどころか、自分が唯一の王になったことに満足しているようだった。


 怒ったイナンナは、夫ドゥムジを身代わりに差し出すことにする。


 残念ながら、テクストの欠損のため、この神話の結末を知ることはできない。



(6)シュメールとアッカドの総合


 シュメールはその後アッカドによって征服されるが、先に挙げた三大主神と三天体神はそのまま残った。


 しかしその後、バビロンアッシリアがメソポタミアを支配するようになると、それぞれの「国家神」が「普遍神」へと昇格することになる。


 バビロンのマルドゥクと、アッシリアのアッシュルがそれだ。

 

6.バビロンの宗教


 バビロンの宗教における宇宙創造神話も、まず最初は「原初の水」のイメージから始まる。


 そこに、最初の対偶神アプスーティアマトが生まれる。


 彼らの聖婚から、天空神アヌが生まれ、アヌが今度はヌディムド(=エア)を生む。


 神話は次のように続く。


れらの若い神々ははしゃぎ回り、大声を出して、アプスの休息をかき乱す。アプスはティアマトにこぼす、「彼らのふるまいに私は我慢ができない。私は昼は休めず、夜は眠れない。彼らの騒ぎをやめさせるために、彼らを滅ぼしたい。」」


 しかし「全知神エア」は機先を制する。

 彼は呪文でアプスーをぐっすり眠らせ、縛ってからアプスーを殺した。


 その後、エアの妻ダムキナがマルドゥク(右絵)を生む。


 一方、夫を殺されたティアマトは、最初に生んだ神々の中からキングを選び、至高の力を与える。


 マルドゥクは、ティアマトとキングと戦い、そして勝つ。


 マルドゥクはティアマトの頭骨を打ち砕き、死体を「干し魚のように」裂き、半分は空に張りめぐらし、残りの半分は地とした。」


 さらにマルドゥクは、「神々に仕えさせ、神々を休息させるために人間を創ろうと考えた。」


 そこでキングの血管は切り開かれ、マルドゥクの父エアがその血で人間を創った。


 この神話には、まず、「一連の創造のための最初の殺害」が見られる。


 最初の対偶神アプスーが殺され、ティアマトからは天と地が創られた。


 人間は、キングの血から創られた。


 エリアーデは言う。


「要するに、世界は、一方の混沌として悪魔的な「原初性」と、もう一方の、神の創造性・現前性・知恵との「混合」の結果であることがわかる。これはメソポタミアの思索が到達した、もっとも複雑な宇宙創造の定式であろう。


 エリアーデは次のようにも言う。


「人間はキングの血という悪魔的物質で創られている。〔中略〕人間はその起源によって、すでに断罪されていると思われるので、悲劇的ペシミズムについて語ることが可能である。


7.ギルガメシュ叙事詩

 古代メソポタミアの有名な『ギルガメシュ叙事詩』は、アッカド語版において完成したとされている。


 ストーリーは次のようだ。



 ギルガメシュは、女神ニンスンと人間のあいだに生まれたので、3分の2は神だった。

 彼は偉大な男だったが、暴君でもあった。

 そこで人びとは、神々に訴える。神々は、巨大な半獣人エンキドゥを作ってギルガメシュと戦わせる。

 ギルガメシュはエンキドゥに勝つ。さらに、彼はそのエンキドゥを愛し、朋友とした。

 2人は旅に出る。

 伝説の森で怪物を倒した2人だったが、その帰路、ギルガメシュが女神イシュタルの目にとまる。女神から結婚をせまられるギルガメシュだったが、横柄にもそれを拒絶する。

 侮辱されたイシュタルは、父アヌに「天の雄牛」を創ってほしいと懇願する。

 「天の雄牛」はウルク(都市国家)に突進し、それがうなり声をあげるごとに王の兵士が何百と倒れた。

 しかしエンキドゥが「天の雄牛」を殺す。

 が、その後エンキドゥは病気になり死んだ。

 友を失ったギルガメシュは、荒野をさまよいながら嘆いた。

「私もエンキドゥのように死ぬのではないのだろうか」

 こうして彼は、不死を求めて旅に出る。

 ギルガメシュは、大洪水の生存者であるウトゥナピシュティムがまだ生きているのを知って、彼を探し求める。

 死の海を越え、ウトゥナピシュティムの住まう海岸に着いた。

 ギルガメシュには、六日七夜「めざめて」いなければならないという試練が与えられる。しかし彼はそれに失敗する。

 絶望にうちひしがれたギルガメシュだったが、最後の瞬間になって、ウトゥナピシュティムは妻に促されて、ギルガメシュに若さを回復させる植物がある場所を教えた。

 ギルガメシュは海底に下り、その植物を取り、そして喜び勇んで帰路を歩んだ。

 しかし事はそううまくは行かなかった。

「何日か旅し、彼は冷たい泉を見つけ、急いで水浴をしに行った。すると、その植物の香に惹きよせられた蛇が泉から出てそれを奪い、そして脱皮した。〔中略〕英雄は思いがけない贈り物から利益を得られなかった、つまり、彼には「知恵」が欠けていたのである。」

 エリアーデは言う。『ギルガメシュ叙事詩』は、失敗したイニシエションについての劇的説明なのである。


 世界の宗教には、このようなイニシエーション型の神話が数多くある。神々は、多くのイニシエーションを通して世界を創造していく。


 ギルガメシュ叙事詩は、そのイニシエーションの失敗を物語る神話なのだ。



8.古代エジプトの宗教


(1)宇宙創造神話


 つづいて、古代エジプトの宗教について。


 エジプトは、どこからでも攻め込めるメソポタミアとは違い、砂漠と紅海と地中海に囲まれて孤立していたばかりか、それらによって守られていた。それゆえ強大な中央集権政治が行われた。


 エジプトにはいくつかの宇宙創造神話があるが、始まりはやはり「原初の水」のイメージだ。


「デルタ地帯の先端に位置する都市へリオポリスの太陽神学によれば、ラー、アトゥム、ケプリ神が最初の対偶神シュー(大気)とテフヌート〔湿気〕、すなわち男神ゲブ(大地)と女神ヌート(天)の両親を創った。造物主は、自慰行為か痰を吐く行為によって創造を成しとげた。」


 そしてシューの子として、オシリスイシス、セトとネフテュスが生まれることになる。


 あるいは、第一王朝のファラオたちの都メンフィスで組織された「メンフィス神学」は、プタハ神を中心とする創造神話を伝えている。


「プタハは霊「心臓」と言葉「舌」によって創造する。〔中略〕「神々をあらしめた」のはプタハなのである。」



 言葉によって創造がされたというこの話は、キリスト教のロゴス神学に比較しうるものがある。

 人間の創造について言うと、古代エジプトでは、人間は太陽神ラー(右絵)の涙から生まれたとされていた。



(2)オシリスとイシス


 殺害された神として有名なのが、オシリスだ。


 オシリスは偉大な王だったが、ある日弟のセトに殺される。


 その後、オシリスの妻イシスは、死んだオシリスとの間にホルスを身ごもることができた。


 ホルスはセトを殺し、王位についた。


 以上のように、オシリスは無力な神なのだが、のちに重要な地位を占めるようになる。


「オシリスは豊饒と成長の源泉を象徴していた。言いかえれば、殺害された王せるファラオオシリスは、彼の息子ホルス新たに即位したファラオによってあらわされるが治める王国の繁栄を保証するのである。




(3)アメン−ラーと、アク—エン—アテンの改革の挫折


 やがてエジプトでは、ラーとアメンとが一体化していくことになる。


ヘルモポリスで崇拝されている八神のひとつ、アメン神がアメン—ラーとして至高神の位に浮上したのは、第十二王朝時代のことであった〔中略〕。アメンが新王国の普遍神となったのは、この太陽神化のおかげであった。


 しかしその後、アメンヘテプ四世がアメン神を追い出し、唯一神アテンを信仰しようと企てる。


 いわゆる「アマルナ改革」(前1375−1350)だ。


「ファラオは自分の名前「アメンは満足する」〔アメン−ヘテプ〕を「アテンに仕える者」アクエン—アテンに変え、〔中略〕宮殿とアテン神殿を築いた。


 しかしアク−エン−アテンの死後、アテンはすぐ消滅してしまう。


 アテンは、アク−エン−アテンただ1人の神とされていた。それゆえ彼の死後、長続きすることはなかったのだ。


「彼の後継者ツタンカーメン〔トゥト—アンク—アメン〕アメンの大祭司との関係を旧に復し、〔中略〕「アテン主義的改革」の跡はほとんど抹消されてしまった。」



(4)ラーとオシリスの総合


 エジプトにおける神々の最後の総合は、ラーとオシリスの総合だ。


 ファラオはオシリスになったのちに、若いラーとしてよみがえる。


 これがエジプト人たちが練り上げた宗教思想だった。


「彼らはこうして、とりわけ、永遠で不朽にみえるもの太陽の運行、悲劇的だが結局は偶発的なエピソードに過ぎないものオシリスの殺害、そして、当然のことながら、はかなく無意味だと考えられたもの(人間存在)の三者を、同一の体系のなかに表現した。



9.カナン人の宗教


 つづいて、前3000年紀を少し遡るころ、パレスティナに出現した初期青銅器文化の宗教を見ていこう。


 聖書にしたがって、彼らは慣習的にカナン人と呼ばれている。


 このパレスティナにおいて、やがて、カナン人の土着の神々と、ユダヤ教の神との戦いが繰り広げられることになる。


 カナンの宗教における宇宙創造神話は発見されていないが、主神エルが二人の妻アシェラトとアナトと交わり、明けの明星と宵の明星をはらませるというエピソードが残っている。


 重要なのは、エルの子のバアルという神だ。


 バアルは、まずエルと戦って勝利する(エルを去勢する)。


 エルは、ヤムという竜を後継者としてバアルと戦わせる。


 バアルはこの戦いにも勝利する。



 竜は「水の混沌」の象徴として、さまざまな神話に登場するものだ。竜退治は、この水の混沌の克服と解釈することができるのだ。


10.イスラエルが幼き頃……

(1)天地創造

 最後に「創世記」を見ていこう。

「「創世記」は有名な言葉で始まる――「はじめに、神(エロヒーム)は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを動いていた」。原初の大洋とそれを見下ろしている創造神のイメージは、きわめてアルカイックである。しかし、神が海の深淵の上を飛ぶというテーマは、メソポタミアの創造神話には見いだせない。」

 「原初の水」は、「創世記」にも登場する。しかしこの水は、メソポタミアの神話のように人格化されていない。そしてまた、その後の神々の激しい戦いもない。


 聖書では、その後アダムとエヴァの失楽園、その子のカインとアベルの物語、そして「ノアの方舟」の話が語られる。


 洪水神話は、先に見たようにあらゆる場所で見られるものだ。聖書には、メソポタミアに見られるような、アルカイックな素材がたくさん見られるのだ。


 しかし、「聖書の物語の編者は、洪水による破局の再解釈を再びとり上げ、延長した。すなわち、それを「聖なる歴史」の一エピソードの地位に高めた。」


(2)族長時代


 「ノアの方舟」のあと、聖書は、アブラハムの物語と彼の息子イサク、そして孫ヤコブとその子ヨセフの冒険譚を描いている。


 この時代は族長時代と呼ばれる。


 アブラハムたち一行は、神から与えられた「約束の地」カナンに入る。


 しかしそこは、エル信仰が行われていた土地だった。


 その中で、いつしか「父の神」はエルと同一化されていく。


この同一化は、二つの型の神のあいだに構造的類似があったことを想定させる。いずれても、「父の神」はいったんエルと同一化されると、家族や氏族の神としてはもつことができなかった宇宙的様相を獲得した。


 聖書には、アブラハムが息子のイサクを神に生け贄に捧げようとするシーンがある。(結局神の命令によってそれは取りやめになる)。


 エリアーデは、これはカナンで行われていた供犠の影響だろうと言っている。



(3)モーセ


 モーセについて、エリアーデは次のように言う。


「モーセという名で知られている人物の「実在性」を疑う理由はないが、彼の伝記とその人格の特徴はわれわれにはわからない。モーセがカリスマをもった神話的人物になったというただそれだけの理由で、ナイル川の葦の中に置かれたパピルス製の籠に入れられて奇跡的に難を逃れたことに始まる彼の一生は、他の多くの英雄(テーセウス、ペルセウス、アガデのサルゴン〔アッカド王朝の始祖〕、ロムルス〔伝説上のローマの建国者〕、キュロス〔アケメネス朝ペルシア王のギリシア名〕など)をモデルとして描かれたのである。」


 モーセは、エジプトで迫害されていたイスラエルの民たちを脱出させた。


 しかしそれは、イスラエルの民全員ではなく、実はある一団だけだった。


「後代にいたって、出エジプトはイスラエル全部族の、聖なる歴史の一エピソードであると主張されるようになる。


 エリアーデは、モーセについて次のように要約している。


「モセという名で知られている人物について言えることは、集約すれば、彼はヤハウェとの劇的な対面を重ねることで傑出していたということである。モセは啓示を媒介することによって、エクスタシーの状態で、神の言葉を伝える預言者になると同時に「呪術師」となった。彼は部族の一集団を、イスラエル人という民族の中核に変容させることに成功したレヴィ族祭司のモデルであり、また最高のカリスマをもつ指導者であったのである。



(4)士師時代


 モーセの一団が、ヨシュアの指揮下カナンの地に侵入した前1200年から、サウルが王として宣言された前1020年までの時期を、士師時代とよぶ。


 士師とは軍事的指導者であり、助言者であり、裁判官だった。


 このカナンの地で、イスラエルの民たちは「聖戦」を繰り広げる。ヤハウェはこの戦いに参加し、その強さを他の部族に知らしめる。


 こうして、ヤハウェ信仰が広まっていくことになる。


 しかし同時に、この時期、唯一絶対神ヤハウェと、カナンの土着の神バアルとが、一体化もされていく


「驚くべきことは、士師時代に起きた、ヤハウェとバアルのあいだの混同である。」


「カナンの供犠体系は、その大部分が踏襲された。供犠のもっとも単純な形は、聖所にさまざまな供物を捧げるものか、あるいは油ないし水を注ぐものである。供物は神の食物と考えられた。」


さらに、イスラエル人はカナンの農耕儀礼の多くを、そして一部のオルギー的儀礼さえもとりいれた。」


 これがのちに、「預言者」たちの激しい怒りを招くことになる。


 イスラエルの民たちの間で、バアル信仰が忌み嫌われ背信の象徴とされるようになるのは、まだ先のことなのである。






(苫野一徳)

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