ブローデル『地中海』(2)



はじめに


 第1部で、地中海世界の「ほとんど動かない歴史」を描いたブローデルは、続く第2部で「集団の歴史」を主題とする。


 論じられるのは、前のページでも言った通り、主として彼が「長い16世紀」と呼ぶ時代の地中海である。

 ブローデルは言う。


「最終的には、本書は、我々の専門用語で「構造」と「変動局面=景況」と名付けているもの、つまり動かないものと動くもの、遅いことと速度の出しすぎを組み合わせる。」


 ダイナミックな歴史が描き出される。



1.遅い郵便


 古代ローマから16世紀まで、地中海における交通のスピードは大きく変わらない。


「平均という言葉を使えば、大まかには、地中海を径線方向に縦断するときには、一週間ないし二週間かかると結論することができるだろう。また地中海を横断することを企てるときには二、三ヵ月かかる。こうした航海期間の規模は十七世紀にはまたそれより後にも、同じであることを付け加えておこう。」



 このような交通事情においては、いうまでもなくニュースはきわめて贅沢な商品だった。



2.ジェノヴァの世紀

 
 15、16世紀において経済的な優位を誇っていたのは、ヴェネツィア、ミラノ、ジェノヴァ、フィレンツェの緊密な都市の四辺形だった。

 当初最も力があったのはヴェネツィアだ。しかし1550年から1575年の間に、その重心はフィレンツェへと、そして世紀後半にはジェノヴァへと、徐々に移動していくことになる。


「内海の重要な活動は、東から西へと傾くことによって、長い間富の主要な分配をおこなってきた東地中海ではなく、西の海盆をいやおうなく優遇するようになった。このシーソーの動きはミラノに利することはほとんどなかったが、フィレンツェとジェノヴァを最前面に押し出してきた。」


 ジェノヴァの勝利は、1579年、ピアチェンツァの為替定期市の創設によってはっきりする。今やジェノヴァの銀行家は何にでも手を伸ばし、何もかも手に入れることができる



3.人口の倍増

 16世紀末の西欧の人口は、6000〜7000万人だったと推定されている。それまでの百年で、ほぼ倍になった計算だ。


 この人口の倍増が歴史に与えた影響ははかり知れない。


「この生物学的な大変化が、我々の関心を引くさまざまな運命のきわめて重要な事実であったこと、トルコによる征服やアメリカ大陸の発見と植民地化や、あるいはスペインの帝国主義的な使命よりも重要であったことを、読者はやすやすと受け入れてくれるだろう。だいいち、こうした人間の増大がなかったとしたら、これらの歴史の輝かしい頁が書かれただろうか。」


 人口の急増は、当然のことながら食糧危機を招くことになる。


 だれもが土地をほしがるがゆえに、有力者がこれを支配しようとする動きが強くなる。したがって、「再封建化」の運動が起こるようになる。


「鍵となる説明とは、まさしく重要な問題である農業生活の非柔軟性である。天井に達してしまっているのだ……。この乗り越えがたい状況から十七世紀の「再封建化」、逆さまの農業革命が生まれてくる。」



4.前貸し制度


 1520年から40年にかけて、地中海の都市産業に決定的な出来事が起こる。


 問屋制度(前貸し制度)の興隆だ。


「商人、出資者、あるいは〈発注者〉は職人に商品を前貸しして、職人はこの商品を加工して給料を得るのである。」


 周知のように、これがその後の資本主義にきわめて大きな影響を与えることになる。


 紙(手形)の世紀が始まったのだ。


「紙すなわち手形の世紀は一五七九年のピアチェンツァの最初の定期市とともに始まるのではない。世紀全体が手形の時代を準備してきたのだ。しかし一五六六年以後、あるいはむしろ一五七九年以後、手形が大きな位置を占めるので、多かれ少なかれ事業に携わる人々はみな手形の存在を認めるようになる。」


 ちなみに、ここでブローデルは次のような興味深いことを言っている。


 地中海では家族経営の大商会が発展した。フッガー家、ヴェルザー家(ドイツの南アメリカ開拓をおこなった商会)、ホーホシュテッター家、アファイタティ家などである。そこで彼は次のように言う。


「おそらくこのような家族経営の商会の習慣と解決法が、地中海が北欧のように〈大会社〉、つまり未来に出来上がる〈株式会社〉の必要性を感じなかった理由を説明することになる。」




5.アメリカ大陸の銀


 16世紀、スペインは、南米のポトシ銀山からの銀を大量に手に入れることになる。


「アマルガムというこの革命的な技術は、一五五七年にスペイン人バルトロメ・デ・メディナによりヌエバ・エスパーニャ〔メキシコ〕の鉱山に導入され、ポトシ〔ボリビア南西部〕の鉱山に適用され、輸出を十倍に増大させた。輸出は一五八〇年から一六二〇年までに頂点に達し、こうしてスペイン帝国主義の栄光の時代と一致する。」


 しかしスペインは、この銀を、自国の産業振興のためではなく国外への出費に使ってしまう。そして銀は、当時の新興国へと流出していく。



十六世紀前半の間、スペインからの輸出はアントワープ〔アンヴェルス〕に向かっておこなわれる。
「この銀市場を通してアメリカ大陸の金属はドイツ、北ヨーロッパ、イギリス諸島に向けて分配し直されるのである。この再配分の役割はヨーロッパの経済活動において決定的に重要である。」


6.物価の上昇


 16世紀、人びとは未曾有の価格上昇を経験した。


 銀の大量流入で、貨幣価値が下がったことがその1つの理由だ。


 スペインの赤字は、それゆえどんどん膨らんでいくことになる。


 さらには、オランダ、デンマーク、イギリスなどで、贋金が作られるようになる。これが、スペインの苦悩に追い打ちをかける。



「十六世紀にはまだ贋金はなかった。しかし十七世紀には、低品位の硬貨が地中海の主要な流回路に入り込み、の流れる電線を通ってレヴァントにまで運ばれていく。」
「正貨と贋金を不正に交換することは、スペインの独占に穴を開け、貴金属の一部を抜き取るやり方のひとつであった。」



7.小麦の危機

 人口が増えれば、食糧が危機になる。そこで小麦が輸入されることになる。


最良の解決策は小麦を外で買うことであり、要するにほとんど金にならない産業を国内では放棄することである。」

 小麦の値段はどんどん上がる。やがてスペインに代わる大国となる、オランダやイギリスからも小麦が輸入されることになる。

 一方のスペインは、度重なる戦争のための費用も膨大なものとなり、やがて破産する。

 こうして、世界の覇権はスペインからオランダへと移動するのだ。

「世界の歴史を大きく変えるのは、〔中略〕まさしくスペイン国家の破産である。スペイン国家の破産は、一五九六年には明らかであり、破産の問題がはっきりと現れる以前にも、白銀の流通と世界の富の分割の諸問題を提起している……。急激に発達しているオランダは、小麦とその他の商品を持って、地中海に向かって、またスンダ列島〔インドネシア〕に向かって、埋め合わせを求め、見つけていく……。」


8.トルコとスペイン


 少し話は戻って、スペインとトルコという、長きにわたって戦争を繰り広げてきた2大帝国について。


 まずトルコの勃興について。


「コンスタンティノープルの占領以上に、オスマン・トルコ帝国の偉大さにおけるきわめて重要な出来事は、一五一六年のシリア征服と一五一七年のエジプト征服――両方とも勢いに乗じて一気に達成された――ではなかろうか。このときオスマン・トルコの偉大な歴史がはっきりとしたのである。」


 なぜか?エジプトを通して、オスマン帝国はエチオピアならびにスーダン原産のアフリカの金の取引に加わっていき、次にキリスト教国向けの香辛料の貿易に参加していった。からである。


 1517年、セリムはカリフの高位に上り詰める。これは、スペインのカルロス1世が、神聖ローマ皇帝(カール5世)に選ばれたのと同じくらいインパクトのあることだった。


 さらにその息子スレイマンが後を継ぐと、東地中海は彼の野望の中に巻き込まれていくことになる。


 他方のスペインは、1469年、カスティーリャ王国のイサベルと、アラゴン王国のフェルナンドの結婚によって誕生した。


 カトリック王フェルナンドは、十字軍の強力な擁護者となる、


 彼の後を継いだカルロス1世は、先述した通り、1519年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世となる。


 大帝国の王となった彼は、フェルナンドがカトリック王として十字軍に燃えていたのに対して、むしろ「世界君主国」の創設の夢を掲げるようになる。


 しかしその後を継いだフェリーペ2世は、スペインに引きこもる。


 すでにスペインの財政破綻が明らかな時代である。カール五世の偉大な、あまりにも偉大な政治は、フェリーペ二世の治世の初めの一五五九年の和平以前にも、非が明らかになり一五五七年の財政破綻によって突然放棄される」のだ。


 さらに、北ヨーロッパではプロテスタント勢力が勢いを増している。


 そこでフェリーペ2世は、対トルコ戦争よりも、こちらの戦争の方に力を入れていくことになる。


「間違って反動宗教改革と名付けられているカトリックの宗教改革というあの強力な運動が、次第に地盤を獲得しながら、少しずつ実現していった。一連の努力、緩慢な準備から生まれ、すでに一五六年に強力で、この時期に、慎重王の政策の方向を変える力がすでにあったこの運動は、一五八年代になると、北のプロテスタントに対峠して、急激に発展する。この運動こそスペインをフェリーペ二世の治世の終わりの激しい戦いへと向かわせたのであり、フェリーペ二世をカトリック教の闘士、信仰の擁護者にしたのである。このとき宗教的な情熱は、対トルコ人の十字軍の場合よりもずっと力強くフェリーペ二世を精神的に支えた。


 また後の巻で詳論されるように、こうして16世紀末から、スペインもトルコもお互いを離れ、戦いの舞台は地中海を去っていくことになるのだ。


「地中海にとっては、レパントの海戦の後、地中海の大戦争は終わった。大戦争は北にあり、大洋の西に――しかも数世紀にわたって――ある。そこにこそ大戦争は存在するはずであり、またそこで世界の心臓が鼓動を打つ。」







(苫野一徳)

Copyright(C) 2014 TOMANO Ittoku  All rights reserved.