ブローデル『地中海』(1)


はじめに



 歴史学の巨人、ブローデル。

 「歴史学の革命」(フェーヴル)とまで呼ばれた本書は、文字通り現代歴史学の最高傑作だ。


 1940年から45年まで、ブローデルはドイツの捕虜収容所に捕えられていた。


 その間に、記憶力だけを頼りに本書の元原稿を書き上げたエピソードは、今や伝説である。


 邦訳全5冊からなる本書は、3部構成になっている。

 第1部は、「ほとんど動かない歴史」を扱う。つまり、人間を取り囲む環境と人間との関係の歴史である。


 第2部は、「緩慢なリズムを持つ歴史」、すなわち社会史が扱われる。


 そして第3部は、「個人の時間」、つまり事件史や戦争史が扱われる。


 歴史学に門外漢のわたしには、この長大な大著をつぶさに紹介・解説する資格はない。


 以下では、できるだけエッセンスをつかみながら、本書を味わっていくことにしたいと思う。


1.「全体史」の試み


 本書が扱うのは、主としてブローデルが「長い16世紀」(1450年〜1650年)と呼ぶ時代だ。これは、地中海世界が1つの経済圏として世界の中心にあった時代である。


 しかし本第1部では、この時期に限らず、「ほとんど動かない歴史」、すなわち第1部のタイトルでもある「環境の役割」が論じられている。


 本第1部を、ブローデルは海ではなく山の記述から始める。山、高原、台地、丘陵、平野、そして海という順序で地中海世界を論じるのだ。


 訳者の浜名優美氏によれば、この記述の順序そのものが歴史学の一種の革命だと言う(『ブローデル「地中海」入門』)。歴史における地理の重要性、そしてまた、海だけでなく人間の移動が及ぶ限りの地理的空間を視野に収めたことが、革命的なのだと言う。


 こうした時間・空間的に超マクロな視野で見た歴史を、ブローデルは「全体史」と名づける。



2.山


 では、地中海世界の山の特徴から見ていこう。ブローデルは言う。


「山は、ふつう、都市や低地国の創造である諸文明から離れた世界である。」


 文明から離れた世界であったがゆえに、山の世界にはキリスト教もイスラム教もなかなか浸透しなかった。そしてまた、中世の封建制度もあまり浸透しなかった。


 それはある意味では、山は「自由」の象徴でもあったということだ。


山は自由の、デモクラシーの、農民「共和国」の避難所である。


 しかし山はまた貧しさの象徴でもある。それゆえ人口が過剰になれば、人びとは山を下りることになる。


「貧困ならびに山のつらい生活、もっと楽しい生活の希望、仕事がすぐに現金になる給料生活の魅力、これらは山岳住民を山から下りるように仕向ける。」



3.高原


 地中海世界の高原の特徴はどうか。ブローデルは言う。


「高原の役割は大きかったのだ。これら山脈の前地が街道空間であったということだけでも、非常に重要なことだ。」


 

4.平野

 では平野はどうか。


 それは人間には住みにくい場所である。


「大きな平野を列挙してみよう。カンパーニア・ロマーナ? これは十五世紀に始まり、十六世紀に続行された人口の回復があるとはいえ、半ば砂漠である。ポンティーノ湿原? 数百人の羊飼いにとっての入会地であり、野性の水牛の群れの住処である。そこでは鳥獣だけがたくさんいて、イノシシを含むあらゆる種類の鳥獣がいるが、人間が散発的に住んでいることは確実である。バ・ローヌ地方も同様に人が住まず、およそ百年前からローヌ側沿岸のいくつかの「改良」によりようやく人が作み始めた。ドゥレス平野〔アルバニア〕は空っぽでありまったく人が住んでいない。今日でもまだ空っぽである。ナイル川のデルタ地市そのものもきわめてわずかな人口しかなかった。そしてドナウ川のデルタ地帯は、今あるのと同じであった。」


 さらにまた、平野はマラリアの危険にあふれた場所でもあった。平野は水が集まる場所であるからだ。


 それゆえ人びとは、この平野を何とかして征服したいと、太古の昔から考えてきた。


「新石器時代から、数多くの地下水路が――その痕跡は考古学により発見された――カンパーニア・ロマーナを縦横に行き交っていた。我々はまたトスカーナの狭い平野におけるエルトリア人の原始的な仕事も知っている。」


「こうした初期の試みから十九、二十世紀の大規模な「土地改良事業」〔中略〕まで、時には気を抜くことがあっても、士地改良の努力はかつて一度も中断されたことはない。つねに地中海の人間は沼地と闘ってきたのだ。」


 平野を開拓するためには、お金がかかる。それゆえ地中海世界は、常に金持ちたちに支配されてきた。


「地中海の伝統主義と硬直化の理由のひとつとは、地中海では新しい土地は金持ちに支配されているということである。」


地中海では大土地所有が法則である。」


 このような膨大な金のかかる平地の整備のために、人びとは商業貿易を必要とした。


「より正確に言えば、こうした貿易は、豊かな資本を持つ、外部に開かれた大商業都市が行うのではないか。我々が話題にすることができた十六世紀のすべての土地改良事業は、まさにヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ……といった大都市地域のなかである。」


 ここに、イタリアで近代資本主義の芽が出た1つの理由があるのかもしれない。



5.移牧


 地中海世界の大きな特徴が、移牧である。これは遊牧とは違って、平野から山へ移って行ったり(正移牧)、逆に山から平野へ移って行ったり(逆移牧)を繰り返すものだ。


 諸国家は、この移牧に課税した。


「家畜の通過は税収となり、いかなる国家もこの収入源を無視することはできないし、また国家はこの税収をすすんで計画しつねに守ろうとする。」



6.ひとこぶラクダとふたこぶラクダ


 本書における「ひとこぶラクダとふたこぶラクダ」の話は、ブローデルの歴史家としての慧眼を鮮やかに示すくだりだ。


 この2種類の全く異なったラクダから、ブローデルは地中海における侵略の歴史を読み解こうとするのだ。


 ブローデルは言う。


「ふたこぶラクダは、バクトリア〔アフガニスタン北部にあった古代の王国〕原産で、寒さも山の起伏も恐れない。ひとこぶラクダは、アラビア産で、砂漠と熱帯の動物である。これは実上山道を歩くには適さず、またあまりにも低い気温に耐えることはできない。


 アラブの侵入者は、山と寒さが苦手なひとこぶラクダを使用した。そのために、シリアからモロッコにいたる北アフリカの高地には、入り込むことができなかった。


 他方、トルコの侵入者は、山も寒さもものともしないふたこぶラクダを使用した。そのために、小アジアばかりかバルカン半島においても、山岳地帯の一番高い場所にまで侵入することができたのだった。



7.海


 いよいよ海である。ブローデルは言う。


地中海はひとつの海ではなくて、まずまず広い峡路によって互いにつながっている海原の連続である。〔中略〕こうした世界のそれぞれはそれぞれの特徴、船の形式、習慣、固有の歴史法則を持っている。」


 そのそれぞれの「海原」の特徴を、ブローデルは1つずつ描き出す。コンスタンティノープルの禁漁地としての黒海。古代においてはアテネ、やがてはビザンツ帝国、そして続いてヴェネツィアとジェノヴァの主要基地となったエーゲ海。広すぎて1つの覇権が続くことのなかったティレニア海盆。狭い海峡アドリア海と、この海に入るためにきわめて重要であるがゆえに、ヴェネツィア政府が死守しようとしたコルフ島、等々。


 ちなみに、ヴェネツィアは15世紀に世界経済の覇権を握るが、その後その覇権はジェノヴァへと移行する。それはつまり、アドリア海からティレニア海への、つまり東から西への覇権の移動だったとブローデルは言う。


 西地中海は、16世紀、スペインが支配していた。一方の東の海、つまりイオニア海は、オスマン・トルコの支配下にあった。ブローデルは言う。


「いずれの場合も、この大きな地中海のそれぞれは、この二つの帝国主義を運搬し、言わば帝国主義をつくりだした。」


 境界線では、ひんぱんに大海戦が起こった。そして16世紀以降、東方世界は徐々に西欧世界に対して優位を失い、決定的に敗北していくことになる。



8.沿岸地帯


 地中海は、実は痩せた海である。


「地中海の水は、地質学的にはあまりにも古いので、海洋学者の言い草では、生物学的には痩せている。」


 と言うことは、つまり船の乗り手になる人が少ないということだ。


 14世紀末までは、地中海の主役は地中海人たちだった。しかし16世紀以降、オランダやイギリスに負けていく。


「地中海人は、十五世紀末に始まった世界支配の勝負で、北ヨーロッパや大西洋の船員に対して、決定的に負けることになる宿命であった。」


 船の材料となる木材不足もまた、地中海人たちを悩ませた。


「十五世紀末から、柏の量は少なくなり、ヴェネツィアは自国の森のなかで残っているものを破壊から守るために一連のきわめて厳しい措置を取る。この問題は、次の世紀の間、ヴェネツィア政府にとってますます深刻なものになる。」



9.島


 続いてブローデルは、地中海の数々の島について論じる。


 特筆すべきは、「大きな歴史」の“とばっちり”をこうむる島の運命だ。


 「大きな歴史」とは、「全体的なものを目指す歴史という意味であり、ディテールから一般化をおこない、専門的知識を超えて、自己の全責任において、また真理という大筋において、生きているものを捉えることができる歴史である」(前掲『ブローデル「地中海」入門』より孫引き)。


「なるほど、大きな歴史は、しばしば島に行き着く。大きな歴史は島を利用すると言ったほうがおそらくずっと的確であろう。作物栽培の伝播に関して、中継地としての島の役割を見ていただきたい。」


「島の経済は定期的に大きな歴史のとばっちりを食らい、ある種の要請には低抗することができない。こうしていったいいくつの島が外国の作物栽培に侵略されて来たことか!」


 多くの島は、輸出用に単作を行う。しかしそのために、飢饉が来ればひとたまりもない。


「このことは「大西洋の地中海」の島々の例を見れば、目も眩むほどはっきりとわかる。マデイラ島、カナリア諸島、サン・トメ島はすべて、文字通り、砂糖きびの単作の被害をこうむった。」



10.気候


 続いてブローデルは、地中海の気候について述べる。まず彼は言う。


「実は、地中海は根本的な貧しさと戦っている」


 これは地中海世界に共通したことだ。


「地中海の土壌には、不毛な石灰質があり、塩の呪いに満ちた広大な士地があり、平原はブロン・デュ・マンの語った「硝石」がいっぱいで、耕作しやすい上地は少なく、耕作できる土壌は不安定である。性能の悪い木製の無輪犂だけで浅く耕す、痩せた上地の表層は、風や激流の流れのなすがままである。」


 また、地中海には「冬の停止命令」が下る。


「各人は個人的に自分の健康に気をつけなければならず、その間にほんのわずかでも健康を害したりすれば、〈季節の悪意〉のために命を危険にさらすことになる。」


 冬は航海も困難である。したがって戦争は休止となる。


「本書に出てくる平和条約が冬の三ヵ月に結ばれ、夏の騒乱と取り返しのつかない事件以前に調印されるのは事実である。カトー・カンブレジの和約は一五五八年から一五五九年にかけて冬におこなわれた話し合いの結果であり、調印は一五五九年四月二日、三日である。スペイン・トルコのたびたびの休戦は真冬のことであり、ヴェルヴァンの和約は一五九八年五月二日である。十二年休戦条約は、一六〇九年四月九日ハーグで調印される。一六〇四年八月二十八日に調印されるスペイン・イギリス平和条約だけが慣例に外れる。しかし、事実上は、一六〇三年三月のエリザベス一世の死後ただちに、そしてビリャメディアナ伯爵ドン・ファン・デ・タシスがイギリスに旅立つ(一六〇三年六月)以前にこの和平はおこなわれていたのではなかったか。」


 一方、夏は戦争と疫病の季節である。


「夏とともに、地上戦、ガレー船による戦争、海賊の襲撃、農村での山賊行為などあらゆる形の戦争が相次いで起こる。」


「冬にだけ一時的に鎮静化する風土病は夏の暑さでふたたび猛威をふるう。」



11.「長い16世紀」における都市


 最後に都市を見てみよう。その最大の特徴は、人口の急増である。


「ヨーロッパでも地中海でも「長い十六世紀」の特徴は、その根本において、人間の数の上昇が前提になっていたということであり、すべて、ないしほとんどすべてのことはこの人間の数の上昇に左右されている。」


 ここでの大きな問題は、食糧不足と疫病だった。そしてこれが、社会の構造を大きく変えることになる。


「こうした災禍が、飢饉と重なると、都市人口の絶えざる更新が起こる。一五七五−一五七七年のヴェネツィアは、恐るべきペストの流行によって荒廃してしまい、町の四分の一ないし三分の一にあたる五万人が亡くなった。一五七五年から一五七八年まで、メッシーナでは四万人の死者が出たらしい。」







(苫野一徳)

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