アリストテレス『ニコマコス倫理学』


はじめに

 アリストテレスの息子、ニコマコスらによって編纂された本書。

 人間は、ただ生きるのではなく「よく生きたい」と願う。それはつまり、「幸福」に生きるということだ。

 では「幸福」とはいったい何か?本書でアリストテレスは、この問いに答えることを試みる。

 人が「よりよく」また「幸福」に生きられる政治のあり方を探究した、後の『政治学』の前段をなす著作である(アリストテレス『政治学』のページ参照)。


1.最高善=幸福の探究

 本書の目的は、「最高善」の内実を克明に描き出すことにある。

 「最高善」とは何か。それは「幸福」であるとアリストテレスは言う。

 「幸福」、それは、わたしたちが「それ自身のゆえに願望し、その他のものを願望するのもこのもののゆえであり、したがってわれわれがいかなるものを選ぶのも結局はこれ以外のものを目的とするのではない、といったような」ものである。


 わたしたちは、「幸福」を、他の何かのためではなくそれ自身のために求める。その意味で、幸福こそが「最高善」である。そうアリストテレスは言うわけだ。

「総じて、幸福をそれ以外のことがらのために選ぶひとはない。」
 

2.幸福とは何か?

 しかしそもそも「幸福」とは何か?

 アリストテレスは、この問いに人間の「機能」の観点から答えようと言う。

「というのは、笛吹きとか彫刻家とかその他あらゆる技能者、総じて何らかその固有の機能とか働きとかを有しているひとびとにあっては、かかる機能を果たすことにその善とそのよさがあるごとく、人間についてもまた、何らか「人間の機能」なるものが存在するかぎり、これと同様なことがいえると考えられるからである。」

 笛吹きや彫刻家が、自らのその「機能」(役割)を十分に果たしている時に「よし」(善)とされるのと同様に、人間もまた、その「機能」(役割)を十分に果たしている時に「よし」(善)と言えるはずである。アリストテレスはそう言うのだ。

 では人間にとっての「善」とは何か?

 それは、「ただ生きている」ことにはない。それなら動物や植物と変わらない。

 それは「よく生きる」ことにある。これは、本書の続編(むしろ本編)である、『政治学』で強調されたことだ(アリストテレス『政治学』のページ参照)。

 ただ生きるのではなく「よく生きる」こと。それは、動物や植物にはない「魂」(精神)にかかわることだ。魂の卓越性(アレテー/徳)、それこそが、人間の「幸福」の本質なのだ。

「「人間というものの善」とは、人間の卓越性に即しての、またもしその卓越性が幾つかあるときは最も善き最も究極的な卓越性に即しての魂の活動であることとなる。」
 
 その意味で、わたしたちは、魂なき動植物(やまた子ども)のことを、「幸福」な存在であると言うわけにはいかない。そうアリストテレスは主張する。

「かくして、われわれが牛や馬やその他いかなる動物を目してもそれが幸福だとは決していわないのは適切である。これらのいかなる動物もこのような性質の活動にあずかることはできないのであるから。同じくこの理由によって子供も幸福ではない。彼はその年齢のゆえに、いまだかかる性質のはたらきをなしえないからである。


3.中庸

 魂の卓越性とはいったい何か?アリストテレスは、それはまず「中庸」にあると言う。

 たとえば、節制が徳(アレテー)と言われることがあったとしても、もしそれが行き過ぎれば単なるケチ、あるいは臆病ということになる。勇敢が徳(アレテー)であったとしても、それが行き過ぎれば単なる無謀ということになる。

「節制も勇敢も「過超」と「不足」によって失われ、「中庸」によって保たれるのである。」

 それゆえ、真の教育とは、この中庸に子どもたちを導くことにあるとアリストテレスは言う。


「プラトンのいうように、まさに悦びを感ずべきことがらに悦びを感じ、まさに苦痛を感ずべきことがらに苦痛を感じるよう、つとに年少の頃から何らかの仕方で嚮導されてあることが必要である所以である。事実、これこそが真の教育というものであろう――。」


4.知性と欲求

 以上のように、アリストテレスによれば、幸福であるとは魂の卓越性(アレテー)を有していることである。

 では、それはいかにして可能なのか?アリストテレスは言う。

「いま、われわれの魂において、われわれの実践真理認識をつかさどるものに三あり、感覚(アイステーシス)・知性(ヌース)・欲求(オレクシス)がすなわちそれである。しかしながら、これらのうち、感覚はいかなる実践の端初ともならないものなのであって、このことは、獣類は感覚を持ってはいても実践にあずからないということに徴して明らかである。」

 幸福のための実践、あるいはその真理を認識するための方法は、「感覚」「知性」「欲求」の3つがある。しかし「感覚」はあまりに原始的なので、ここでは考察するには値しない。

 わたしたちが探究すべきは、「知性」「欲求」についてだ。そうアリストテレスは主張する。そして言う。

 (幸福のために)「実践する」とは、まず何をおいても「選択する」ことだ。つまりわたしたちは、幸福のために「正しい選択」ができる必要がある。

 では「正しい選択」はいかに可能か?

 それは、知性と欲求が正しくあることだ。

「「選択」がよくあるためには、ことわりも真であることを要するし、欲求もまたただしくあることを要する。」


5.技術、学、知慮、智慧、直知


 では正しい知性とはいったい何か?

 ここでアリストテレスは、知性について次の5つを考察する。

「すなわち、技術(テクネー)・学(エピステーメー)・知慮(フロネーシス)・智慧(ソフィア)・直知(ヌース)がそれである。」

「学」とは何か?アリストテレスは言う。

「「学」の関わるところのものは必然的なものごとにほかならない。したがってまた、それは永遠的なものごとである。」

「技術」とは何か?それは、自然にはない「物を作り出す」ことだ。

「技術のかかわるところは「必然的に生成ないし存在するもの」でもないし、また「自然的に生成し存在するもの」でもない。」

「知慮」とは何か?それは、自分にとって何が善悪(損得)かを判断できることだ。

「「知慮あるひと」(フロニモス)の特徴と考えられているところは、「自分にとってのいいことがら・ためになることがらに関して立派な仕方で思量(ブーレウエスタイ)しうる」ということにある。」

「直知」とは何か?それは真を認識せしめ決して誤った認識に導くことのないもの」だ。今のわたしたちにはあまりなじみのない概念かもしれないが、「真理」を直接的に認識できる力のことと考えていいだろう。

 最後に、「智慧」とは何か?


 アリストテレスにとっては、これこそが最も尊いものだ。「智慧」、それはつまり「哲学」のことである。

「「智慧」(=哲学・第一哲学)というものは、もろもろの学のうち、最も厳密なものでなくてはならないことは明らかであろう。したがって、智者(=哲学者・第一哲学者)と呼ばるべきひとは、単に根源から導出されるところを知るにとどまらず、根源それ自身に関してもまた、その真を認識しているのでなくてはならぬ。かくして智慧とは「直知プラス学」なのであり、最も尊貴なものに関しての、いわば頭首を具備した学でなくてはならぬ。」


 哲学は、真理を直知すると共に、それを根源的に考究するものである。だからそれは、単なる「知慮」とは違う。なぜなら「知慮」は、損得勘定にすぐれた知性であるにすぎないから。


「だからこそ、ひとびとは、アナクサゴラスとかタレスとかその他この種のひとびとは「智者(ソフォス)ではある、知慮あるひと(フロニモス)とはいえないが」と――これらの智者が彼ら自身の功益に対して無知であるのを見て――いうのであり、また「彼らは珍しいことがらや驚くべきことがらやむずかしいことがらや超人間的なことがら(ダイモニア)を知ってはいる。どれもこれも、しかし、役に立たないことばかりを」と――彼らが人間的なもろもろの善なるものを探求しないからというわけで――いいたてるのである。


6.愛について

 本書でアリストテレスは、幸福の1つの究極である「愛」についても論じている。

 幸福が卓越性である以上、最も善き「愛」もまた、ここに存する。アリストテレスはそのように言う。

「究極的な性質の愛は、善きひとびと、つまり卓越性において類似したひとびとのあいだにおける愛である。」

 卓越した人のあいだにおける「友愛」とはどのようなものか?アリストテレスは言う。

 友人を、自分の苦しみのゆえに苦しませないこと、そしてまた、自分の喜びのゆえに、喜ばせること。しかし同時に、苦しみの中にある友人のもとには、すぐに駆けつけること。これが卓越した人のあいだにおける「友愛」のあり方である。


7.快楽について

 快楽は人間を不幸にする、としばしば言われる。しかしアリストテレスは、快楽にも色々あり、よき快楽は人間の幸福に欠かせないと主張する。

快楽は各人にとっての「生きる」ということ――それは好ましきものである――を究極的に完璧たらしめるものなのだからである。


8.観照的活動

 ではよき快楽とは何か?

 それは知性的快楽である。そして知性的快楽とは、観照的活動にほかならない。

「なぜかというに、この活動はわれわれの最高の活動である。知性はわれわれのうちに存する最高のものであるし、知性のかかわるところのものは知識されるものの最高のものなのだからである――。」

 それは真理を観る活動であるから、きわめて「神的」な活動である。だから人は、そんなことは人間には不可能だと時に言う。

 しかしアリストテレスは言う。「できるだけ不死にあやかり、「自己のうちなる最高の部分」に即して生きるべくあらゆる努力を怠ってはならないと。



(苫野一徳)

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