トッド『デモクラシー以後』


はじめに

ファイル:Emmanuel Todd img 2278.jpg 現代における「デモクラシーの危機」を論じた本書。

 主としてフランスを考察しているが、これはあらゆる先進国に当てはまることだとトッドは言う。

 なぜ世界はデモクラシーの危機に陥ったのか?そしてそこから抜け出す道はあるか?

 「協調的な保護主義」だけが、今日に限っていえば、デモクラシー以後もまだデモクラシーであり続けられる可能性を持っている。

 トッドは本書でそう論じるが、この主張にはかなりの説得力があると私は思う(保護主義については、トッド『自由貿易が、民主主義を滅ぼす』のページも参照)。


1.サルコジ局面

 2007年、ニコラ・サルコジはフランス大統領の座に着いた。トッドは本書を次の言葉から書き起こす。

 なぜ、彼のような人物が大統領になれたのか。「わさわさとして、喧嘩腰で、自己中心的で、金持ちが大好きでブッシュのアメリカのファンで、経済にも外交にも無能なこの男」が。

「疲れを知らぬこの男は、ほんの数カ月で、これ見よがしの態度でパートナーたるヨーロッパ諸国、とくにドイツ人の怒りを買い、EU内でのフランスの地位を弱めることとなった。イランに予防爆撃を行なうと脅しをかけ、ペルシャ湾とアフガニスタンにフランス軍を派遣したのは、彼の攻撃的性向と外交に関する無知無能を同時に実行に移したことにほかならない。フランス軍兵士をアメリカの補充兵に変えてしまうというのは、世界の中での我が国の立ち位置を台無しにすることにしかならない。地球は、「超大国に従順」なフランスなど必要としない。外交理論に則るなら、フランスのような中流大国は、支配的大国に同調したら、とたんに存在を止めることになる。おまけにいまやアメリカが、金融化された経済、解けてなくなりつつあるドル、軍事的挫折に土台を蝕まれて、急速に傾きつつあることを考えるなら、われわれの怒りは不安に変わるのである。フランス行政府の長は、沈没する船にわざわざ乗り込もうとするネズミという、あまり見かけない光景を思い起こさせる始末だ。」

 トッドの批判は辛辣だ。

 しかし問題は、サルコジという個人にあるのではない。問題は、彼のような人物を大統領にまで押し上げた、フランス共和国の人びとの心性にある。フランスはいつしか、これまで大切にしてきた「平等主義」の理想を放棄しつつあるのだ!


2.イデオロギー的空虚、すなわち宗教的空虚

 今日のフランスでは、左派が自らの思想を裏切り、右派もまた国民を見捨てるという裏切りを働いている。そうトッドは指摘する。

 イデオロギーが不明確になり、空虚状態に突入したのだ。

 なぜか。それは最も根源的には、宗教的空虚に理由がある。人びとは、もはやカトリックから遠く隔たってしまったのだ。

 それまで人びとをつなぎ合わせてきたこの宗教的信仰が失われた時、人は激しい不安感に陥ることになった。

幻想から解放されたら、人間はより快適に感じるはずだった。しかし無神論の具体的な歴史は、その論理的説明とは別のことをわれわれに述べている。すなわち、神なき世界の出現は、幸福感につながるどころか、激しい不安、欠落感へと立ち至る。

 そこで新たに表れるのが、「イスラーム恐怖症」だ。フランスには、きわめて異なる習俗システムを持つマグレブ系移民が多数押し寄せている。宗教的空虚状態に陥ったフランスの人びとは、このきわめて「宗教的」な人びとへの恐怖を募らせている。

 この恐怖心が、イデオロギー的空虚の中、フランス国民としての「アイデンティティ」を重視しイスラームを敵視するサルコジのような政治家に、期待を集めさせる1つの要因となった。

 トッドはそう主張する。

 ちなみにトッドは、この「イスラーム恐怖症」が、何ら実体の伴わない「妄想」であることを、他の著作で非常に克明に明らかにしている(『文明の接近』『アラブ革命はなぜ起きたか』のページ参照)。


3.高等教育の停滞と、新しいエリート層の誕生

 今日フランスで起こっている2つめのことは、高等教育の停滞新しいエリート層の誕生だ。

六〇年代半ばから、リセ学生、バカロレア取得者、大学生が数を増し、それによってフランスの教育上の同質性が破綻する。

 かつては、ごくわずかの大学卒業者と、大半の一般大衆というのが基本的な社会構造だった。それが大学進学率の急増により、新たな階層が生まれることになった。

 大学進学者間における、階層の細分化である。

 多くが高等教育を受けられるようになった一方で、今度は一部の超エリートと、そうでない大学卒業者との間に、細かな階層が生まれることになったのだ。

社会は、まるでミルフゥイユのようにいくつもの薄い層が重なる様相を帯びることになる。階層と階層の間のコミュニケーションは希になり、観念や価値や懸念は、水平方向に流通するようになる。職業が本源的な自己同一化の対象となり、社会全体をさらに細かく細分化していく。

 このことが、一部のエリートの「ナルシシズム」と、多くの大衆の「ルサンチマン」をかき立てている。

 今日の超エリート(人口のわずか1%)たちは、大衆を蔑視し、超エリートのためだけの政策を望んでいる。そしてそれは、十分叶えられてきた。

 他方の大衆は、自らの「ルサンチマン」のはけ口を、またしてもイスラームの人びとへの差別心によって満たすことになる。


4.人類学的移行?

 トッドの世界分析の最も根本的な視座は、常に「家族システム」にある。

 詳細は『世界の多様性』などのページを参照していただきたいが、要するに彼のテーゼは、「イデオロギーは家族システムに規定されている」というものだ。

 世界には実に多様な家族のあり方がある。そして人びとの考え方は、この家族のあり方に規定されている。

 たとえば父親が権威主義的な家族の場合、人びとは権威を重んずるイデオロギーを獲得する。

 遺産相続が兄弟平等の場合は、平等主義的な、長子相続の場合は不平等主義的なイデオロギーを獲得する。

 こうしたイデオロギーは、かつてはそれぞれの社会の中にそっと埋め込まれていただけだった。しかし近代化が進むにつれて、このイデオロギーが社会の前面に現れ出てくるようになる。

 近代化とは、最も根本的には「識字化」のことだ。識字化を通して、ものを考え社会の中核を担うようになった大衆は、自らの社会を、まさに自らの家族システムに規定されたイデオロギーに合う形で作り上げていったのだ。

 このことを、トッドはこれまで実に丹念に「実証」し続けてきた。

 さて、この理論からすれば、フランスのパリ盆地の人びとは、大昔から「自由主義」的で「平等主義」的なイデオロギーを抱いて生活してきた。「フランス革命」は、まさに「識字化」に伴って、このイデオロギーが社会の中核イデオロギーになった事件だったのだ。

 ところが近代化がピークを迎えた今日、人びとのイデオロギーは、ついに家族システムからの規定を逸れ始めてしまったのかもしれない。

 トッドはそう指摘する。

中等・高等教育の発達の結果たる、新たな教育上の階層化は、フランスの文化的同質性を破壊してしまった。だから、パリ盆地のフランスを支配する風俗慣習システムが、今後も不変で、永遠に自由と平等という価値を担い続けると先験的に考えることは、できなくなっている。」


5.民主主義のワナ?

 「自由」「平等」のイデオロギーを脱してしまったデモクラシーは、今後どこへ行ってしまうのか。トッドは問う。

 実はそもそも、デモクラシーは一部の人びとを排除することで成立してきた歴史がある。

 アメリカは、ネイティヴ・アメリカンと黒人を排除することで、白人間の平等を作り上げてきた。

 ドイツはユダヤ人を、イングランドは植民地を、イスラエルはアラブ人を排除することで、それ以外の国民の平等を守ってきた。

 フランスはどうだったか。フランス革命期、排除されたのは「貴族」たちだった。

 しかしここで考えるべきは、当時虐げられた人びとが排除したのは、「貴族」、つまり上の人びとだったということだ。フランスには伝統的に、「上」を攻撃することで平等を守ろうとする思想があったのだ。

 ところが今起こっているのは、経済的な最下層の人びと、そしてイスラームの人びとに対する排斥だ。

 サルコジは「アイデンティティ省」などというものまでこしらえた。

「大統領は、己のアイデンティティのテーマを掲げ続けるために、できる限りのことを行なった。国民アイデンティティ省を創設した後、DNA検査を実施すると言いだしたのである。あるいくつかのカテゴリーの移民は、自分の家族関係が現実のものであることを証明するために、この検査を受けなければならない〔家族と偽って入国し、滞在許可証を得ようとする外国人が多かったため〕、という代物だった。」

 まさにデモクラシーの危機というべき発想だ。

このようなアイデンティティへの固着の中に、経済に起因する社会的な怒りの矛先をスケプゴトに振り向けようとする、意識的もしくは無意識の企てを見ないわけにはいかないのである。

 「上」への攻撃を交わすため、「下」の人びとをスケープゴートにする。今フランスで起こっているのは、そういうことなのだ。


6.自由貿易のワナ

 今日起こりつつあるデモクラシーの危機の最大の理由は、「自由貿易」にある。


主に世界市場に向けて生産することになると、企業は、まことに道理に適ったことだが、理の当然として、己が分配する賃金を純然たるコストと考えるようになり、一国の経済の枠内の需要、ということは最終的には己自身のためになる需要に結びつくとは考えなくなる。
 一方こうした賃金は、第三世界の労働者の極めて低劣な賃金との競争関係に入ることになる。もし世界のすべての国のすべての企業が、己の分配する賃金を純然たるコストと考えるようになるなら、安価な労働の大量供給という状況の中で、賃金は圧縮され、需要は生産性の向上に追いつかない、という傾向が現れることになる。これこそが現在における現実の経済的世界にほかならない。」

 経済がグローバル化すると、海外の安い賃金に合わせて自国の労働者の賃金も減少させられる。こうして国内需要はますます減少し、経済は立ち行かなくなっていく。

 この点については、トッド『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』のページに詳しいので参照していただきたい。

 トッドは言う。

昔は特権者たちは進んで慈善活動に取り組んだ。それは、社会的責任についての宗教的感覚から発したものだった。ところが、〔中略〕新自由主義の教条的経済は、いかなる形の福祉的援助も排除することを、人間をこの瞬間における市場での価値に還元することを、要求するのである。

基本的所得格差が法外な比率で増大していくような世界では、富裕者は、己の納税額が減少することを要求し、現に認められる。」
 グローバル経済においては、もはや富者が貧者に援助しようなどという気持ちは起こらない。彼らはむしろお荷物なのだ。

 社会は今、こうして分断化され、そして互いに憎み合っている。そして先述したように、その憎悪は巧みに、イスラームなどの「異質な存在」へと向けられているのである。


7.今後の可能性

 そこでトッドは、今後ありうべき3つの可能性を提示する。最初の2つは、まさにデモクラシーの崩壊を意味するものだ。

 1つめは、「スケープゴート主義」とでも呼ぶべきものだ。

「このような政策を実行するための教義となりうるのは、イスラーム恐怖症しかないであろう。

 2つめは「普通選挙の中止」だ。これは「独裁」の危機を生む。

 トッドはもちろん、これら2つに強固に反対する。

 トッドが掲げる3つめの策は、「協調的な保護主義」の導入だ。

「国境が開いている限りは、給与は下がり、内需は縮小せざるを得ない。非先進国の非常に低い賃金の圧力が止まるなら、ヨーロッパの所得は、まず個人所得が、次いで国家の所得も、再び上昇することができる。

 とにかくまずは給料を安定させ、内需を復活させなければならない。そうでなければ、グローバルな競争にさらされて、多くの労働者が、ますます貧しい生活を強いられることになるだろう。

 今日のヨーロッパにおいて、この保護主義へと舵を切れるのはドイツだけだ。

「保護主義の問題についてドイツに真っ向から働きかけるのは、攻撃を仕掛けるということではなく、逆にドイツの重要性を認めることであり、ドイツが、己の政治的地位に相応しい行動をし、ヨーロッパについての責任を自覚するよう要求することである。」

 トッドは本書を次のように締めくくる。

「それが実現した場合、唯一その場合にのみ、こう断言することができる。デモクラシーの後も、やはりデモクラシーであるだろう、と。


(苫野一徳)

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