キルパトリック『プロジェクト法』


はじめに

 キルパトリックは、教育に絶大な影響を与えた20世紀の哲学者、ジョン・デューイの高弟だ。

 プロジェクト法(プロジェクト・メソッド)は、デューイの問題解決学習の方法を、より精緻に体系化したものと言えるだろうか。(デューイの思想については、『学校と社会』『民主主義と教育』『経験と教育』のページなどを参照)

 20世紀、いわゆる「児童中心主義」を掲げる、新教育運動が世界中に広まった。アメリカでは特にこれを進歩主義教育運動と言うが、デューイや、彼の教育思想を継承したキルパトリック、パーカースト女史などが大活躍をした。その影響は日本にも及び、今も多くの実践に継承されている。

 その基本モチーフは簡明だ。

 学びとは、決められた教科内容を、押しつけられ注入されるようなものではない。それは、生活経験を通して、自ら探究・獲得していくべきものなのだ。

 キルパトリックは、そのための具体的な方法をプロジェクト・メソッドとして体系化した。

 もっとも本書では、その具体的な方法が例示されているわけではない。むしろ本書は、プロジェクト・メソッドの理論的基盤を明らかにしたものと言えるだろう。


1.プロジェクトとは何か

 プロジェクトとは何か。キルパトリックは言う。それは、社会的環境の中で展開される、全精神を打ち込んだ目的ある活動」である、と。

 これこそが、教育の統一理念である。キルパトリックはそう主張する。つまりこうした活動こそが、教育の中心になければならないというわけだ。

 この「目的ある活動」には、2つの教育的意義がある。

 1つは、これこそが「価値ある生活を成り立たせる」ものだということ。

 もう1つは、「デモクラシー」を支えるものだということ。

 自らの頭で考え、自ら行為するということ。このことこそが、デモクラシーの根本にあるべきことである。

 デューイの影響を色濃く受けた主張だ。


2.付随的反応

 デューイ教育理論にキルパトリックが付け足したものとして、付随的反応(concomitant response)を挙げることができる。

 たとえば、強制的に凧を作らされている子どもと、自らの興味において凧を作っている子どもがいたとする。

 この凧作りの作業自体は、同じだ。そこでキルパトリックは、これを基本反応(primary response)と呼ぶ。

 しかしここには、凧作りによって直接的に達成される成果以上のものがある。

 この作業を通して育まれる、自尊心ややり遂げる意志といったものがそうだ。

 これを、キルパトリックは付随的反応と呼ぶ。

「〔それは〕究極においては、態度とか一般的な概念となってくる性質のものである。このような態度というものは、まさしく自尊心とか反対に卑下とかいった心因を生み、正確さとか整然さといった比較的抽象的な理想を生むものである。

 そして言う。従来学校は、基本反応ばかりに目を向け、付随的反応を軽視してきたのだと。

「ひとりこの種の学習を重視し実現するためには、教授様式での学習における教科目を減らすべきであるが、そうはしていないのが現状である。現行の試験制度――科学的な客観的テストにおいですら――は、わたくしたち人間を画一的なものとしてとり扱い、同一目標に向つての人間形成をおし進めてゆくきらいはないだろうか。学科が終りになると、決然として教科書を閉じ、『ああ、ありがたいことよ!わたくしは本を読み終った。』と言っている生従がなんと多いことだろう。


3.生活経験に根ざした教育を

 だからプロジェクト・メソッドは、生活経験に根ざした教育を主張する。

「豊かな生活とは、ある活動から他の稔りある充実した活動へとどんどん開けてゆく傾向を強くもっているものである」

 こうした生活を通した活動にこそ、学びの本質はある。そうキルパトリックは言うわけだ。

 しかし、だからと言ってそれは、無計画に子どもたちを放任すればいいというわけではない。

「このことは目的というものであれば、それはどれをとっても、正当なものであるとも、また児童は種々の目的に対して適切な判断をするものでも、さらには自分の心にいだいた目的に反して行動するよう強要されるようなことは絶対にない、などといっているのではない。」

「意図的で持続的な目的を持たない教育計画は、それがどのようなものであっても、無益な稔りない基礎に立っているものである、といいたい。」


4.プロジェクトの4類型

 ではこのプロジェクト・メソッドがいうプロジェクトには、いったいどういうものがあるのだろうか。

 プロジェクトには4つの類型があるとキルパトリックは言う。

「第一の類型は、その目的(purpose)が外面にあらわれるようなある種の知識あるいは計画を内包するものである。たとえば、船をつくったり、手紙を書いたり、遊戯に参加するような身体の動きとしてあらわれるような型のものである。第二の類型は、ある種の審美的経験を享受することにことに目的(purpose)が存するものである。物語りに耳を傾けたり、交響楽を聴いたり、絵画を鑑賞したりするような型のものである。第三の類型は、ある種の知的な面で困難さを伴った問題を解明することに目的(purpose)をおくものである。たとえば、霜が降るかどうかを予知したり、どのようにしてニューヨークはフィラデルフィアよりその規模が大きくなったかを証明するような難問の解決を求めるような型のものである。第四の類型は、物事の習熟さや知識をある程度習得することに目的(purpose)をもつものである。たとえばソーンダイク尺度の第十四段階に指示された見本のように書く学習やフランス語の不規則動詞が書けるよう学習したりするような型がそれである。これら一連の目的ある活動はそれぞれの類型に分けられているが、現実には多かれ少なかれ相互に重り合っており、一つの形態は他の形態の目的に対する手段として適用されることができるということは、いうまでもない事実である。」

 要するに、1.身体活動、2.審美的活動、3.問題解決、4.知識習得、の4類型が考えられるわけだ。キルパトリックからすれば、デューイの問題解決学習もまた、キルパトリックの言うプロジェクトの1類型として位置づけられる。

 本書の最後で、キルパトリックは改めて次のように主張する。

ありとあらゆる種類の学習およびそれらの学習の過程に同時に起こってくる望ましいすべての学習は、目的が全精神を打ち込んだ状態で提示されているかどうかという程度に応じて、好ましくも悪くも進行してゆくものである。


(苫野一徳)

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