スタンダール『恋愛論』


はじめに

 恋愛論といえば、常に必ずその筆頭に挙げられるのが、本書スタンダールによる『恋愛論』。

 言うまでもなく、『赤と黒』『パルムの僧院』などを書いた、19世紀フランスを代表する文豪だ。

 しかしこの本、10年間でなんと17部しか売れなかったらしい。

 確かに、思いついては書き足し続けたようなまとまらない記述は、特に後半へ行くにしたがって、読者を飽きさせずにはいない。

 しかしそれでもなお、特に本書前半で繰り広げられる恋愛の「本質」についての洞察は、今もなお、本書をプラトンの『パイドロス』および『饗宴』に次ぐ、恋愛論の傑作の1つたらしめていると私は思う。


 本書が執筆される動機となったのは、スタンダールがイタリア滞在中に出会った、地元の将軍の妻メチルダへの恋である。

 2人の子どもを持ち、夫とは別居中だった彼女に、スタンダールは激しく恋をした。しかしどうも、メチルダ自身はそれほど入れあげることはなかったらしい。

 定職に就かず小説などを書き、気ままにイタリアで暮らしていたスタンダールは、やがてイタリア当局からフランスの密偵ではないかと怪しまれるようになる。

 身の危険を感じ、そしてまたメチルダとの恋にも絶望したスタンダールは、こうしてイタリアを去ることになる。

 それでも彼は、メチルダのことを一生忘れることがなかったという。


1.情熱恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛

 本書をスタンダールは、まず恋愛の4種類から説き起こす。

 情熱恋愛趣味恋愛肉体的恋愛虚栄恋愛だ。

 読んで字のごとくなので、あまり説明する必要はないだろう。

 そしてスタンダールは、この中で「情熱恋愛」にこそ恋愛の本質を見る。

 というのも、この情熱恋愛にこそ、恋愛に欠かせない「結晶作用」があるからだ。


2.恋愛の始まりから結晶作用へ

 結晶作用とは何か。

 スタンダールはまず、恋の始まりから論じ始める。

 恋の始まりは、まず「感嘆」にある。「ああこの人素敵だな」というやつだ。

 そして続いて、「『あの人に接吻し、接吻されたらどんなにいいだろう』などと自問する。」

 要するに夢想が始まるのだ。「恋」はこうして生まれる。

 そしてその後、第一の「結晶作用」が起こる。そうスタンダールは言う。


ザルツブルクの塩坑では、冬、葉を落した木の枝を廃坑の奥深く投げこむ。二、三カ月して取りだして見ると、それは輝かしい結晶でおおわれている。

私が結晶作用と呼ぶのは、我々の出会うあらゆることを機縁に、愛する対象が新しい美点を持っていることを発見する精神の作用である。

 結晶作用は、相手の美点や美質を、こちらから相手に結晶化させることである。いわば本人を、本人以上のものに彩るのだ。

 しかしスタンダールは言う。

 その後、私たちには多くの場合「疑惑」が訪れるのだ、と。

 ここでいう「疑惑」とは、本当にこの人でいいんだろうか、思った通りの人なんだろうか、といった疑惑のことだ。何しろ「結晶作用」は、こちらが勝手に相手に結晶化したものだから、そもそも私は、相手をそのありのままに受け止めてなどいないのだ。

 この段階を越えた時、第二の「結晶作用」が起こるとスタンダールは言う。


「彼女が私に与える快楽は、彼女のほか誰も与えてくれはしない。〔中略〕この真理の疑う余地のないこと、片手は完全な幸福に触れながらたどるこの恐ろしい絶壁の路、これこそ第二の結晶作用を第一の結晶作用よりはるかに重大なものとするゆえんである。」



3.その他名言

 以下、本書から印象的な名言をいくつか紹介しておくことにしたい。

「恋が生れるには、ほんの少しの希望さえあればよい。」

「この世で音楽ほど人の心を恋愛に誘うものはない〔中略〕音楽を聞き、または聞きながら夢みるという習慣は、恋の下地をつくる。」


少しでも気どりを持つ男こそ禍なるかな!ほんとうに恋しているときでも、そのすべての才知を傾けても、彼はその幸福の四分の三を失う。一瞬でも気どりに任せると、一分の後には味気ないときが来る。〔中略〕気どらないこと、これが我々のなしうるすべてである。」


「ラ・ロシユフコーはいった。『人は嫉妬を告白するのを恥じる。しかし前に嫉妬したことがあったこと、これからもできることは自慢する』。」


自尊心の恋は、一瞬にして過ぎ去る。情熱恋愛は逆である。


(苫野一徳)


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