柄谷行人『「世界史の構造」を読む』


はじめに

 大著『世界史の構造』を、3.11後にもう一度考え直すという趣旨の本書。柄谷の新たな思索に加え、苅部直、大澤真幸、絓秀美、高澤秀次などの論客たちとの対談・鼎談が収録されている。

 『世界史の構造』については本ブログでもやや詳しく紹介したので、このページでは、本書で新たに提示された論点を中心に、ポイントをしぼって見ていくことにしたいと思う(『世界史の構造』のページ参照)。

 『世界史の構造』で柄谷は、世界史を交換様式の観点から次のように読み解いた。

 まず、互酬性を原理とする交換様式A。(未開社会)

 次に、略取と再分配を原理とする交換様式B。(帝国)

 そして現代における、商品交換を原理とする交換様式C。(資本主義)

 この交換様式C、すなわち資本主義経済が、今終りを迎えつつある、というのが柄谷の見立てだ。そして今後私たちは、互酬性を原理とする交換様式Aの高次元の回復、すなわち交換様式Dを基軸としていくべきである。
 
 この交換様式Dは、かつてカント「永遠平和」のために唱えた、「世界共和国」の理念を具現化するものだ。柄谷はそう主張する。(カント『永遠平和のために』のページなど参照)

 ではこの贈与に基づく社会は、いかに可能になるだろうか。

 本書ではその驚くべきアイデアが提示されている。


 柄谷は、膨大な知識とすぐれた発想・思考力によって、これからの新しい世界のあり方を力強く構想し続けてる。

 しかし『世界史の構造』のページでも書いたように、私自身は、最後の最後で柄谷の思想にどうしても納得することができない。

 最大のポイントは、なぜ交換様式Cの次にDが来なければならないのか、その論理的整合性が見えない点にある。

 たしかに、グローバル化した資本主義の問題は、もはやだれの目にも明らかだ。なんらかの形でこれを修正していかなければならないのは間違いない。

 しかし、なぜそれが、交換様式Aの高次の回復としての交換様式Dでなければならないのか、その理由がよく分からない。

 唯一その理論的根拠として持ち出されているのは、フロイト「抑圧されたものの回帰」である。

 幼少期のトラウマは、いったん抑圧されるがやがて回帰してくる、という精神分析の理論だが、フロイトはこれを世界史にもあてはめた。(『モーセと一神教』のページなど参照)

 しかしこれは、フロイト自身認めているように、実証不可能な仮説である。実際フロイト理論は、その類まれなる人間洞察には今なお学ぶべきものが多いが、理論としてはどれも実証不可能なものばかりだ。(フロイトのページを参照)

 したがって、この仮説を頼りに交換様式Dの必然性を説くのは、説得力に欠けるように私には思われる。

 しかしともあれ、本書は『世界史の構造』で展開された柄谷思想をさらに深めた、とびきりおもしろい世界構想の書であることはまちがいない。受け取るべきものもきわめて多い。


1.憲法9条を贈与せよ

 「交換様式D」を可能にする根本的な策、それが、本書の最も衝撃的な、憲法9条を実行に移せというアイデアだ。

「僕の考えでは、現在考えられる最大の贈与とは、軍備放棄です。これは贈与なんですよ。それを受け取る側はどうするか。かつて類例がないから、困惑するでしょうね。そのときに、これ幸いと侵略するだろうか。もしそんな恥ずべきことをしたら、その国は二度と立ち直れないでしょう。」


2.「世界同時革命」へ

 そしてそれを、国連を通して実行しよう。柄谷はそう主張する。そのことで、「世界同時革命」が可能になるのだと。

「各地の運動が国連を介することによって連動する。たとえば、日本の中で、憲法九条を実現し、軍備を放棄するように運動するとします。そして、その決定を国連で公表する。〔中略〕そうなると、国連も変わり、各国もそれによって変わる。というふうに、一国内の対抗運動が、他の国の対抗運動から、孤立・分断させられることなしに連帯することができる。僕が「世界同時革命」というのは、そういうイメージです。」

 柄谷は、暴走するグローバル資本主義がますます悪化させている南北問題などを背景に、世界戦争が迫っていると見る。そして、この戦争の危機に対処するには、軍備放棄こそが最大の戦略だ、と主張するのだ。


3.資本主義の終わり

 なぜ「交換様式C」すなわち資本主義は終わるのか。柄谷は言う。

「世界の人口の多数を占める中国やインドが経済成長を遂げる時点では、もはや資本にとって「外部」は存在しません。資本の蓄積(経済成長)ができない以上、資本主義は終らざるをえない。

 要するに、世界の経済はやがて定常状態に落ち着くのだ。500年におよぶ資本主義の進展は、世界中の需要を吸いつくし、もはや成長することが不可能になる。

 しかし、資本主義はそれを何とか回避したい。したがって必死にあがくことになる。そしてこれが、世界戦争をひき起こすことになる。柄谷はそう主張する。

「資本主義の終りは資本にとっては厳しいものです。だから、資本主義が自動的に終ることはありません。資本も国家もそれを存続させようと必死にあがくに決まっているからです。ゆえに、それに対抗する運動が必要です。われわれが抵抗しないなら、今後に何らかのかたちで「帝国主義戦争」が起こるでしょう。われわれはそのような状況にいるのです。


4.新自由主義

 この資本主義のあがきが、近年の新自由主義である。

 それはかつての帝国主義の様相を呈している。

 柄谷はそう主張する。

「新自由主義と帝国主義はイデオロギーにおいてもよく似ています。帝国主義時代には社会的ダーウィニズム(生存競争、適者生存)が支配的なイデオロギーでした。新自由主義では、勝ち組と負け組、自己責任といった流行の言葉が示すように、一種の社会的ダーウィニズムが支配的となります。また、「金融資本」の支配という点でも似ています。新自由主義では、一九二九年恐慌以後、それに対する反省から設定していた「金融資本」への諸規制がつぎつぎ廃棄されてしまいます。さらに、「資本の輸出」という点においても、新自由主義は帝国主義と似ています。先進資本主義国は海外に生産を移しました。その結果、自国の労働者は失業し、また、社会福祉はカットされる。総じて、それまであった福祉国家の形態が否定されるのです。」

 帝国主義時代、資本は国民国家の手をはなれ世界を襲った。(その模様は、柄谷も引用しているアーレントの『全体主義の起源2:帝国主義』にくわしい。)

 今起こっているグローバル資本主義もまた、この帝国主義の繰り返しのようである。「新自由主義とは『資本の専制』の実現なのだ。

「なぜ「資本の専制」が生じるのか。それは資本主義経済が強くなったからではありません。逆に、その限界にまで追い込まれているからです。それが強い間は、資本は労働者・農民に利益を再分配したのですが、今や、ネーションを犠牲にしても、自己増殖を果たさなければならない。だから、あらゆる領域に商品経済化を進めなければならない。」

 こうして柄谷は、資本主義の終わりを予告する。


5.遊動性の自由が平等をもたらす

 個人的に最も興味深かったのは、遊動性の自由が平等をもたらすという柄谷の指摘だ。

遊動性が平等をもたらすわけです。遊動性が大事だということに気づいたのは、最近です。不平等が起こってくると、平等を要求して革命が起こるというイメージがあるでしょう。しかし、そもそも、そんなところから出ていって、別のところに移動すればいいんですよ。」

 交換様式Aよりも前の段階、すなわち狩猟採集遊動民の場合、獲得したものを共同寄託する(平等に分配する)システムがある。

「これは彼らが遊動的であるから、自然におこなわれるのです。遊動的生活では、蓄積することができない。だから、みんなで消費する。ゆえに、富の格差は生じない。」

 しかし定住すると、事態は変わる。


蓄積が起こると、どうしても富の差ができるし、首長の権力も増大する。それを抑止するシステムが、互酬性だと思います。それが交換様式Aです。〔中略〕しかし、交換様式Aによって何が回復されているのかというと、平等というよりも、まず遊動性(自由)なのではないか。むしろ、そのことが平等をもたらすのではないか。『世界史の構造』では、その点が明確ではなかったので、ここで強調しておきたい。」


 つまり、不平等から抜け出せるという自由が、共同体の平等を担保しつづけていたというわけだ。

 これは、古代ギリシャはイオニアにおける、イソノミアに顕著に見られると柄谷は言う。

 イソノミアは同等者支配と訳されるが、アーレントはこれを「ノールール(無支配)」といっている。


「どうしてこういうものがイオニアに生まれたのか。私の推測では、これはイオニアにおいてたえまない植民活動があったからだと思います。これに似ているのは、イギリスその他ヨーロッパからの移民によって築かれた一八世紀アメリカの「タウン」です。植民してきた人たちは、タウンに入ると、一定規模の土地を与えられました。ここでは、大土地所有は存在しなかった。それは、禁じられていたからではなく、大土地所有を維持するためには労働者を雇用しなければならないのに、それがいなかったからです。土地をもたない人は、大土地所有者のところで賃労働をするよりも、別のタウンに、あるいはフロンティアに移った。あるタウンに不平等があれば、よそに移動する。このような移動性(自由)が平等をもたらすのです。」


 交換様式Aにおいて、遊動性が「抑圧されたものの回帰」として現れた、という点については、「ほんとかな?」という気もするが、しかし平等のためには自由(遊動性)が必要だ、とする主張には深く納得する。

 社会構想における、1つの重要なキーワードになるだろう。



(苫野一徳)

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