トッド『アラブ革命はなぜ起きたか』


はじめに
ファイル:Emmanuel Todd img 2278.jpg
 1976年、弱冠25歳にしてソ連の崩壊を予知して以来、「予言者」と称されるようになったトッド。

 その名にふさわしく、2002年のベストセラー『帝国以降』では金融危機を予言し的中させ(より中心的な「予言」は、アメリカ衰退とドル崩壊)、2011年の『デモクラシー以後』では、自由貿易体制による経済危機の進行が、先進国の民主主義を脅かすと予言している。

(もっともトッド自身いう通り、どちらもそれほど驚くべき「予言」というわけではないかもしれない。金融危機も民主主義の危機も、トッド以外にも多くの論者が指摘していた。)

 本書の主題は、2010年末のチュニジア「ジャスミン革命」に端を発した、「アラブ革命」

 チュニジアではベンアリ大統領が退陣・国外逃亡、エジプトではムバラク政権が打倒され、リビアではカダフィ政権が崩壊した。

 2013年の今もなお、アラブ世界では何らかのデモ・擾乱が続いている。


 2008年、トッドはその著『文明の接近』において、この革命もまたある意味で「予言」していた。(トッド『文明の接近』のページ参照)

 アラブ革命が起こった時、フランスでもアメリカでも、「イスラーム恐怖症」ともいうべきものが沸き起こった。

 本書の仕掛人シュネデルマンの言葉を借りると、

「つまり、世界のすべてのイスラーム教徒は、その本性からして宿命的に、反啓蒙的で反動的で、女性蔑視で同性愛恐怖症なのではなかろうか、というわけだ。」

 西洋諸国の人びとは、革命によってそのようなイスラーム原理主義者たちが政権をとるのではないかと恐れた。

 メディアはこぞって、この革命の中核にイスラーム聖職者やイスラーム主義者たちを探り出そうとした。

 ところがいざフタを開けてみると、アラブ諸国における革命の担い手たちは、非宗教的で世俗的な人びとだったのだ。

 その事実は、イスラーム諸国は絶対に近代化できないと考えていた人びとを戸惑わせた。

 ところがトッドにいわせれば、イスラーム恐怖症など噴飯もの、彼の専門である人口統計学を用いれば、イスラーム諸国の近代化などもうずいぶん前から予見可能なことだったのだ。

 本書の仕掛人シュネデルマンは、「アラブの春」以降のイスラーム恐怖症的プロパガンダに辟易していたところ、トッドの『文明の接近』に出会い感銘を受け、自身が主催するネット放送局に彼を招いてインタビューを配信した。

 放送はきわめて大きな反響を得た。

 そのインタビューを活字化し、さらに補足対談を行ってまとめたのが本書だ。

 ある意味ラフなトーク集なので、トッドの「思考の型」ともいうべきものが滲み出ていて、彼の膨大な学問的業績をたどる上でも、とてもいい本になっているのではないかと思う。


1.民主化のパラメーター

 トッドが民主化の程度をはかるパラメーターになっているものが3つある。

 1つめは識字率、2つめは出生率、そして3つめは内婚率だ。

 まず識字率について、トッドは次のようにいう。

「フランス革命は、パリ盆地の男性の五〇%が文字を書くことができるようになったときに、起こりました。それより一世紀以上前のイングランド革命も、同じ部類のものです。ロシア革命も、同じものです。七〇年代に起こったイラン革命も、同じものです。すべてのアラブ諸国も、教育の発達の面では遅れているとは言え、大戦後、極めて急速なキャッチアップを実現しました。このことは明らかで、いまやアラブ諸国は、若い年齢層では、かなり高い識字率に到達しています。」

 歴史的にみて、識字率の上昇が、既存の体制をゆるがす最大の要因になってきたわけだ。

 そして女性の識字率の上昇は、必然的に出生率の低下につながることになる。

 逆にいえば、出生率の低下は女性の地位向上を意味するわけだ。

 トッドはさらにいう。

「息子は文字が読めるけれど父親は読めない、そういう瞬間がやって来ます。それは権威関係の破綻を引き起こします。しかも家族の中だけでなく、暗に社会全体のレベルでそうなるのです。もちろん、父系で、女性の立場が男性に比べて極めて低いアラブ社会の場合には、それ〔出生率〕は決定的に重要な変数です。」

 識字率の上昇は、権威主義的な家族を破綻させる。これは女性の地位向上にもつながっていく。

 3つめのパラメーター、つまり内婚率とは、要するにいとこ同士の結婚の率のことだ。

 内婚は閉ざされた家族集団を作るため、民主化を阻害する要因となる。

 しかし近年のアラブ諸国では、これが低下しているのだとトッドは指摘する。

 こうして、民主化のパラメーターとして識字率・出生率・内婚率の3つを挙げたトッドは、これらのパラメーターを調査すると、アラブ諸国がすでにほとんど近代化していることが分かるとの結論を出す。

 だからアラブ革命は、トッドにとって当たり前なほどに想定内のことだったのだ。


2.歴史家か、人口統計学者か、予言者か?

 以上のように、トッドは現実を徹底的に分析し、その分析に基づいて世界の行く末を時に「予言」してきた。

 そんなトッドには、歴史家、人口統計学者、予言者といったさまざまな肩書きが寄せられているが、この点について、彼が次のようにいっているのが興味深い。

「私が頂戴したくない唯一の肩書きは、哲学者という奴で、あとは何でも構いません。」

 自分はあくまでも実証的なデータに基づいて世界を分析しているのであって、いたずらに思弁を弄する哲学者とは違うのだ、といいたいのだろう。

 もっともそんな彼には、「思想家」という肩書きも時に寄せられている。

 どれだけ膨大なデータを扱えるといっても、それをどう「料理」し「解釈」するかという段になると、どうしても何らかの「物の見方」をおかざるを得ない。偉大な実証的研究者は、同時に偉大な思想家であるともいうべきだろう。


3.経済学批判

 トッドの経済学批判についても、興味深いので取り上げておくことにしたい。

 まず彼は次のようにいう。

「私に言わせれば、経済は副次的な変数です。〔中略〕私から見ると、経済というのは、家族構造や教育水準の上昇に比べて、決定要因としての力ははるかに劣ります。」

 そしていう。

「私は、「経済学者」という検印を尻に捺された多くの人々に比べて、それほど悪くはないと自分では思っていますが、経済学という学問分野には全く興味がありません。〔中略〕ホモ・エコノミクスというものが存在することは、認めます。市場は存在します。需給の法則も存在します。アダム・スミスの諸国民の専門化の理論は、全く有効だと思います。しかし実は、そんなのは大したことではないのです。〔中略〕経済学は、労働に関心を示さず、非労働に関心を持つのです。なぜならそれは、合理的な経済行為者とは、最少の労働で最大の商品を買う者である、という仮説を立てているからです。ですから、経済学は、労働とはネガティヴなものであり、消費はポジティヴなものであるという原則から出発しているのです。しかし人間の真実は、そんなものではありません。フロイトの中に、健康な人間とは、愛し、働く人間である、というような文が見つかります。働くことは、存在の奥底において均衡を保ってくれます。それはとても素晴らしいことです。ですから、働くのは、大変結構なことなのです!」

 ここは多分に「趣味」的な発言ではあるが、(マルクス〔主義〕のいう)下部構造(=経済)より、家族構造や教育水準に社会変動のより大きな要因を認めるという彼の物の見方は、当否はまた別にして、とても興味深いものだと思う。


4.進歩とは何か?

 最後に、トッドの「世界観」ともいうべきものを紹介しておくことにしたい。

 トッドはまずいう。

 私たちがいつか絶対的な生きる意味=方向性を見つけ、すべての人類がその方向性に収斂していくことなどはあり得ない、と。

 しかしそれでも、一定の進歩の方向性はある。そうトッドは主張する。

実際にすべての国が識字化し、出生率は低下するということは、断言できます。民主主義の進歩は普遍的だ、と述べることにはかなり賛成です。しかし、人々が到達した民主主義の形そのものは、すでにかなり違っています。

 民主主義のあり方には、いろんな形があるだろう。

 しかし、世界が少しずつ民主化していくことは確かだ。

 自分はその点、楽観的なヴィジョンをもっているといっている。

 トッドはそういう。

 『デモクラシー以後』で先進国の民主主義の危機を論じたトッドだが、むしろ彼は、民主主義を危機に陥らせないためにこそ、今何をやるべきかを考えているのだ。(その方途として、トッドは現状においては保護主義をとるべきだと主張している。)



(苫野一徳)

Copyright(C) 2013 TOMANO Ittoku  All rights reserved.