アーレント『全体主義の起源2:帝国主義』

はじめに
 
 『全体主義の起源1:反ユダヤ主義』では、19世紀ヨーロッパで反ユダヤ主義がどのように沸き起こってきたかが検討された。

 続く第2巻のテーマは、国民国家が帝国主義政策をとり、次々と植民地支配を繰り広げていく様が検討される。

 そしてその過程で、いかにそれが全体主義へと集結していったか、さらに、なぜその時ユダヤ人がターゲットにされたのかが明らかにされる。

 いよいよ問題の核心へと迫っていく第2巻。



第2部 帝国主義


1.膨張の帝国主義へ

 国民国家はやがて帝国主義の道へと進むことになる。

 なぜか。

 自由な経済活動を基盤とする国民国家において登場した資本家たちが、さらなる投資先を海外へと求めたからである。

「この発展の一番の原因は資本家という一つの小さな階級の存在であり、彼らの富が自国の社会構成の枠に収まり切れなくなり、そのあげく彼らが過剰資本の有利な投資先を求めて地球を貪欲な目で探し廻ったからである。」

 こうなると、「ユダヤ人金融家は帝国主義的事業における地位を失い、主導権は産業資本の手に移って」いくことになる。

 前巻で明らかにされたように、権力なき富は、人びとからの軽蔑とルサンチマンを浴びせられることになる。

 ユダヤ人への軽蔑と憎悪の土壌は、もはや十分整っていた。


2.人種思想の展開

 さらに、この時期、ヨーロッパではさまざまな形で人種思想が沸き起こっていた。

 特に経済活動による階級上昇が比較的簡単になったイギリスでは、優生学的人種思想が隆盛を極めた。

「その結果は、人種理論の発展の中で見れば、淘汰とか生物学的遺伝質とかの観念がイギリスの人種理論では他のどこよりも支配的になったことである。いわゆる優生学はすべてイギリスに起源を持っている。」

 18世紀、知識人たちは、世界には多様な人間がいながらも、同じ人間としての本質を持っていることを讃美した。

18世紀は、トックヴィルのすばらしく的確な言葉を借りれば、「人種の多様性を、しかし人類の同一性を」信じていたのである。ドイツでは、ヘルダーが人種のような「卑しい」言葉を人間に用いるべきではないと強調している」

 ところが19世紀、人びとは人種に優劣をつけはじめたのである。

 その1つの温床は、帝国主義における「アフリカ争奪戦」にある。

 南アフリカには、もともとヨーロッパ人が住み着いていた。17世紀、オランダから移住し現地人と化したボーア人(ブーア人)である。

 彼らがまず、圧倒的な人種思想を抱くことになる。

「ブーア人の人種思想は、はっきりと見て取れる文化的もしくは政治的実体を全く持たずに暗黒大陸に蠢いていた、人間とも動物ともつかぬ存在に対する恐怖から出たものである。」

 アフリカの民族に対する恐怖、そして、しかし自分たちこそが遥かに高等な民族であるという思い。これが、ブーア人たちに絶対的な人種思想を抱かせた。

 そうした人種思想の土壌が整っていたこの南アフリカで、19世紀、ダイアモンドの大鉱床が発見された。

 多くの人が、ヨーロッパから大挙して押し寄せてきた。

 やって来たのは、本国から吐き出された、一攫千金を狙うモッブ(あらゆる階級からの脱落者)たちだった。

「彼らは市民社会が窮屈すぎると言って自分から飛び出したのではなく、市民社会から吐き捨てられたのである。彼らはこの社会の文字通りの廃棄物だった。」

 有象無象の山師たちが集まる社会。当然、人種差別思想はさらに一層強くなる。

 そしてユダヤ人は、この人種思想のただ中に、初めて入れられることになったのだ。

 帝国主義初期段階において、ユダヤ人はまだその金融活動の主たるプレイヤーであったからだ。

 こうして「ユダヤ人がこの代表者の役割を人種社会で果すことになったために、彼らが今や他のすべての「白人」と区別されて一つの特殊な「人種」と見られ」ることになった。

 人種思想の激しい場所において、ユダヤ人はまさに「ユダヤ人種」として見られることになったのだ。

 さらにこの南アフリカにおいては、経済活動や政治活動ではなく、純然たる暴力が支配していた。

「すなわち、たとえ経済的権力地位を持たなくとも純然たる暴力さえあれば、社会の中に無権利な、あるいは搾取を受ける層を好きなだけつくり出すことができること、このような階層転換を行なうのに革命は要らず、支配階級のある層を味方にすることさえ可能なこと、そして最後に、異民族や後進民族を利用することが社会におけるモッブ自身の上昇のための最上の策であること、だった。

 帝国主義時代の人種思想と暴力支配にもまた、私たちは全体主義の萌芽を見ることができるのだ。


3.官僚制

 帝国主義下における植民地では、徹底した官僚制支配が敷かれることになった。

 人種思想官僚制支配。この2つが、帝国主義の特徴だとアーレントは指摘する。

「法律学的に言えば官僚制とは法による支配とは反対の、政令による支配である。〔中略〕法律は必ず特定の人格もしくは立法会議の責任において発布されるのに対し、政令はつねに匿名であり、個々のケースについて理由を示すことも正当化も必要としない。」

 官僚制とは、匿名者の支配である。

 南アフリカにおける植民地政治家セシル・ローズも、エジプトにおけるロード・クローマーも、本国の監視を逃れた官僚独裁支配を打ち立てた。

 それはいわば秘密結社による支配であり、アーレントはこれを、「帝国主義支配一般に不可欠な要素の端的な指標」と言っている。

 その目的は、ただひたすらの膨張、膨張のための膨張だった。ローズもクローマーも、自らをこの膨張のための膨張の歯車とみなし、そのための官僚制支配を打ち立てた。

 この超目的とも言うべき目的のための目的遂行は、後の全体主義と同じ構造を持っている。そうアーレントは主張する。

 第3巻で見るように、全体主義とはまさに、個人や社会のことなどどうでもよく、歴史的必然だとかアーリア民族の世界支配だとかいった、アーレントの言葉でいう〈超意味〉を行動原理としたからだ。

 こうして、帝国主義的な支配の構造にも、私たちは全体主義の起源を見いだすことができるのだ。


4.大陸帝国主義と汎民族運動

 19世紀、世界のヘゲモニーを握ったのは、言うまでもなくイギリスだった。

 このイギリスにルサンチマンを抱えていたドイツとロシアは、イギリスの海外帝国主義に対して、大陸帝国主義を展開する。

 この時機能したのが、汎民族的なイデオロギーだ。つまり汎ドイツ主義汎スラヴ主義である。

「人種イデオロギーを直接政治に転化し、「ドイツ人の将来は血にかかっている」ことを疑問の余地のないこととして主張する役割をはじめて担ったのは、大陸帝国主義だった。」

 そして汎民族主義は、海外帝国主義が白人による黒人差別である意味とどまっていたのに対して、選民思想にまで行きつくことになった。

「海外帝国主義がその権力欲・膨脹欲にもかかわらず政治的には限度のある相対的な優越性理論(国民的「使命」あるいは「白人の重荷」)で満足していたのとは対照的に、汎民族運動は直ちに自分たちは神に選ばれた民族であるとの主張を掲げた。

 この汎民族主義の選民思想もまた、全体主義の起源となった

 個人ではなく、全体主義的「集団性」(民族)こそが問題になったのだ。

「こうしてかの画一的、全体主義的「集団性」Massenhaftigkeitが準備され、そこでは個人は実際に自分を一つの種の標本としか感じなくなるのである。」


5.国民国家の没落と人権の終焉

 続いてアーレントが検討するのは、第1次大戦後に現れた少数民族亡命者の存在だ。

 これはきわめて大きな国際問題だった。

 この問題の本質は、いかなる国家においても彼らが保護も代表もされないという点にある。

「一方には少数民族、他方には無国籍者と亡命者というこの二つのグループの状態の異常性は、彼らがいかなる国家よっても公式に代表されず保護されないという点にある。」

 これはまさに、国民国家の崩壊を意味していた。

「無国籍者は、ヨーロッパ諸国の内戦の最も悲惨な産物であり、国民国家の崩壊の最も明白な徴候である。」

 少数民族と無国籍者には、「人権」がない。だれも彼らの「人権」を守らない。

 このことが、ヒトラー的全体主義の温床になる。

「ユダヤ人問題のヒットラー流の解決――まずドイツ・ユダヤ人をドイツにおける非公認の少数民族の地位に追い込み、次には無国籍者にして国境から追放し、最後には再び一人残さず寄せ集めて絶滅収容所に送り込んだ――は少数民族問題と無国籍問題のすべてを現実に「解消」し得る方法を全世界に向かってこの上なく明確に示した」

 第一次大戦によって登場した少数民族と無国籍者の存在は、個人から人権を奪うことの効果を全体主義に教えた。これもまた、全体主義の起源なのである



 以上、帝国主義がいかに全体主義の下準備をしたかが明らかにされた。整理しておくと次のようになるだろう。

①アフリカにおける人種思想の展開。

②アフリカにおける暴力支配。

③植民地における、膨張のための膨張を目的とした匿名的な官僚制支配。

④後進国における汎民族運動(汎ドイツ主義、汎スラヴ主義)。

⑤第一次大戦後の、少数民族と無国籍者の出現。すなわち人権なき人びとの登場。


第3巻へ続く
(第1巻はコチラ

(苫野一徳)

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