ベック『ユーロ消滅?――ドイツ化するヨーロッパへの警告』

はじめに

 2013年2月末に邦訳が出版された(原著は2012年10月)、本ブログ執筆時におけるベックの最新作。

 2009年以降、欧州経済危機に見舞われたヨーロッパでは、「ドイツによるヨーロッパ」が進行している。


 経済的に一人勝ち状態のドイツが、ヨーロッパ存亡の鍵を担っているのだ。


 この状況において、ドイツは、そしてヨーロッパは、いったいどのような方向へと進んでいくべきか。


 自らの「世界リスク社会論」を駆使して、ベックが答える。(この理論の詳細は『世界リスク社会論』のページを参照。)


 個人的に、そして哲学的にいって興味深かったのは、ベックが「ヘーゲル的シナリオ」「シュミット的シナリオ」と呼ぶものだ。


 ヘーゲル的シナリオとは、トランスナショナルな協調体制を築こうとするシナリオ。


 一方のシュミット的シナリオとは、「例外状態」においては、現行の秩序を廃止して構わないとするシナリオだ。(シュミットの「例外状態」や「友・敵」理論については、シュミット『政治的なものの概念』のページを参照。)


 ベックはもちろん、前者を選ぶ。


 私がここで興味深く思うのは、この「トランスナショナルな協調体制」を、ベックが「ヘーゲル的」と名づけたことだ。


 ヘーゲルは長い間、19世紀プロイセンの御用学者にして国家主義者だと批判されてきた。


 しかし私は、それは一面的な批判だと、長らく反批判を試みてきた。


 むしろヘーゲルこそ、いかに一人一人の自由を承認し合えるかを考え抜いた哲学者だったのだ、と。(このような理解は、おそらく近年のヘーゲル研究の主流でもある。)

 その意味で、ベックもまた同じような観点からヘーゲルを評価しているらしいことを嬉しく思った。


 さらに、本書最終章では、ルソーに依拠してヨーロッパの新しい「社会契約」が論じられている。


 ルソーもまた、民主主義の主唱者とされると同時に、全体主義の思想家などと批判されてもきた哲学者だ。


 そしてこの批判に対してもまた、私は長らく反批判を試みてきた。(ルソー『社会契約論』、アーレント『革命について』他のページ参照。)


 ベックは、ルソーもまた、トランスナショナルな民主主義の思想的支柱として取り上げている。


 そのことについてもまた、個人的に嬉しく思いながら本書を読んだ。



1.民主主義の危機


 本書におけるベックの主張の根底には、民主主義が危機にさらされているという問題意識がある。


 危機において、人は実にしばしば、民主主義を犠牲にして大きな権力に頼ろうとする。連帯をあきらめ、排外主義に走ろうとする。


 EUで今起こっているのは、まさにそのことだとベックは指摘する。



2.欧州の内政


 「欧州の内政」と呼ばれる現象に、それは端的にあらわれている。


「『欧州の内政』はここでは欧州共通の繁栄を目指すことではなく、〔中略〕国内での政治的な生き残りということになる。欧州連合の共通の将来を信じると表明することよりも、疑念を示し、自国の利害を優先させることによって、生き残りを確実なものにするのである。」


 ヨーロッパの連帯を打ち捨て、自国の利害を優先させること。


 せっかく築き上げてきたヨーロッパの連帯関係が、こうして今崩れかかっている。


 ベックはそう警鐘を鳴らす。


 EUは、いうまでもなく、2つの大戦をピークとする、何百年にもおよぶヨーロッパの戦争体験から生まれた「一つのヨーロッパ」をめざす壮大な実験だった。


 つまりそれは、単なる経済的連合をめざすものではなく、政治的連合・協調をめざすものなのだ。


 したがって、ヨーロッパがせっかく築き上げてきた政治的協調体制をこの経済危機の中で打ち捨てようとするならば、それはヨーロッパ連合の理念それ自体をも捨て去ってしまうことになる。


 それゆえベックは言う。


「問題の核心は、欧州が排外主義や暴力に回帰せずに、根本的な変化や多大な挑戦に対して解答を見いだせるのかということである。欧州危機の表面では、債務や財政赤字や金融問題をめぐってすべてが回っているように見えるが、本来のより深い問題は、欧州がいかに連帯できるのか、いかに連情すべきなのか、いかに連帯しなければならないのかということなのである。」



3.ヘーゲル的シナリオと、シュミット的シナリオ


 そこでベックは、先述したような、EUがこれから向かいうる2つのシナリオを挙げる。


 1つは、ヘーゲル的シナリオ、すなわち、いかにして民主的な仕方でトランスナショナルな協調を進めていくのか」を問題の核心に置くシナリオだ。


 もう1つは、シュミット的シナリオ、すなわち、例外状態、つまり『際立った困難の場合』、『国家やそれに等しいものの存続が危険にさらされている』場合には、公共の福祉を擁護するために、現行の秩序を停止することは正当なのであるとするシナリオだ。


 ベックが選ぶのは、言うまでもなくヘーゲル的シナリオだ。


 現在、グローバルなリスクが世界中で台頭している。


 世界金融危機しかり、原発の危機しかり。


 こうしたリスク社会にあっては、人びとは安易に民主主義のルールを無効化しようと考えやすい。


 しかしこうしたグローバルリスク社会だからこそ、私たちはこのリスク回避のために、連帯・協調することができるはずだ。


 それが、ベックが長らく訴え続けてきたテーマだ。



リスクは目を開かせ、ポジティブな結果への希望を同時に呼び起こす。このことが、グローバルなリスクにより勇気づけられるという逆説なのである。



4.ヨーロッパのための社会契約


 そのために、欧州は新しい社会契約を必要とする。本書の最後でそうベックは主張する。


 ここでいう社会契約とは、ルソー『社会契約論』の現代的拡張だ。


「解答の可能性への手がかりは、二五〇年前に刊行されたジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』に見出せる。今日まで魅力的なこの構想において、ルソーはいかに人間が自然状態を克服することを望み、社会契約を通じて共同体において自由とアイデンティティを見出すことができるかを描いたのであった。」


 社会契約を通じた、共同体における自由。


 その獲得に向けてヨーロッパを構想し直そう。


 ベックはそう言うのだ。


 合い言葉は、次のようになる。



 欧州を拡大して、さらに自由を拡大しよう。
 欧州を拡大して、さらに社会保障を拡大しよう。
 欧州を拡大して、さらに民主主義を拡大しよう。

 一般論ではあるが、これからのヨーロッパを構想する時、このことを十分自覚しているかどうかは重要になってくるだろう。


5.サブ政治

 その際、ベックは彼が長らく着目している「サブ政治」を再び重視する。

「超国家的なリスク対立を理解するためには、(政党、政府、議会といった)制度化された政治と、社会運動という制度化されていないサブ政治との区別をすることが意義深い。」

  
 この点については『世界リスク社会論』により詳しく論べられているが、ベックが言いたいのは要するに次のことだ。


「彼らは国境を越えて協力し、〔中略〕下から、政治による社会民主主義的な原則の義務を負った連合のために闘わなければならない。このことだけが、惨状の原因に効果的に対処できるからである。」


 暴走する資本主義、それに伴う排外主義や非協調主義。

 そうしたものに、既存の政治システムの範囲内で立ち向かうのは中々むずかしい。


 今こそ、サブ政治が大きな意義を持つときである。ベックはそう主張する。


 ネグリハート『マルチチュード』ほどには過激でないにしても、ベックもまた、グローバルリスク社会においては、こうして民間の社会運動に期待を寄せるのだ。



(苫野一徳)


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