ベーコン『ノヴム・オルガヌム』



はじめに


ファイル:Francis Bacon.jpg 1620年発表の本書。

 当時の学問は、哲学に関しては、答えの出ない神学的論争を延々と繰り広げるだけのスコラ哲学。科学に関しては、錬金術程度の、行き当たりばったりのお粗末な方法しか持っていなかった。

 「知は力なり」で有名なベーコンは、こうした学問状況のていたらくを何とか立て直そうと、自ら学問の「大革新」を訴え研究に励んだ。

 本書は、その壮大な計画の第2部にあたるものだ。(ただし大革新の計画自体は未完に終わった。)

 ベーコンと言えば、「帰納法」「経験主義」といったキーワードがすぐ思い浮かぶが、本書はそのおおもととなったものである。

 人間の知をあざむく4つの「イドラ」という、有名な話も登場する。

 現実感覚に富み、比喩表現も巧みな、ベーコンらしさのつまった名著だと思う。今読んでもなお新しく面白い。


1.帰納法

 ベーコンが学問の方法として重視したのは、いわゆる「帰納法」と呼ばれるものだ。


 それは、個別的な事例から一般的な法則を見いだす推論方法のこと。

 ソクラテスは死んだ、プラトンも死んだ、そしてアリストテレスも死んだ、という個別的な事例から、「したがって人間は皆死ぬ」という一般法則を導くといった感じ。

 反対のやり方が「演繹法」だ。人間は皆死ぬ、したがって、ソクラテスもプラトンもアリストテレスも(私も)皆死ぬ、といった感じ。

 ベーコンは演繹法を全否定したわけではないが、こと科学的法則の発見については、実験を通した帰納法を用いるべきだと主張した。


事物の本性に対してはどこでも、低次の命題にも高次の命題にも帰納法を用いる。というのも「帰納法」とは次のような論証形式と考える、すなわち感覚を保ち〔物の〕本性に迫り、そして実地を目指しかつほとんどそれに携わるものだからである。」

 これはいわば実験的な方法だ。

 経験的に確かなことを、何度も繰り返し確証し、そこから一般法則を見いだそうとする。

 それまで多くの哲学が、実験や観察によらず一足飛びに「真理」なるものを掲げ、そこから世界を説明しようとしたのとは逆の方法をベーコンは主張したわけだ。

 言うまでもなく、近代科学の基礎になった考えだ。


2.4つのイドラ

 しかし帰納法を基礎にしたところで、人間はそうそう簡単に物事の本質にせまれるような生き物ではない。そうベーコンは主張する。

 人間には、大きく言って4つのイドラ(先入見)が忍び込んでいるからだ。

 1つめのイドラは、「種族のイドラ」と呼ばれる。

「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうちに根ざしている。というのも、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それどころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであって、宇宙〔事物〕から見てのこではない。そして人間の知性は、いわば事物の光線に対して平でない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。

 後のカントに先駆ける、画期的な一節だ。

 人間はそもそも感官の諸能力に制限されていて、自然の絶対的真理を知ることなどできない。それは、世界を正しく映す鏡ではなく、人間の感覚や知性によって色付けられた鏡なのである。

 このことを十分に自覚しておかなければ、私たちの学は常に欺かれ続けることになる。そうベーコンは主張する。

 2つめのイドラは、「洞窟のイドラ」と呼ばれる。

 それは各人が自分なりの経験を通してもってしまっている偏見のことだ。

「各人に固有の特殊な性質により、或いは教育および他人との談話により、或いは書物を読むことおよび各人が尊敬し嘆賞する人々の権威により、或いはまた、偏見的先入的な心に生ずるか、不偏不動の心に生ずるかに応じての、印象の差異により、或いはその他の仕方によってである。

 3つめのイドラは、「市場のイドラ」と呼ばれる。

 人々が言葉を交わし、社会で交流する際に生まれる偏見のことだ。

「市場のイドラ」は、一切のうちでも最も厄介なもので、言葉および名称との同盟から、知性のうちに忍びこんだものである。人々は、その理性能力が言葉を支配すると信じているが、しかしまた言葉がその力を知性に向けて働かせ、はね返えすこともあって、これが哲学および諸学を、単に言葉を弄ぶ働きのないものにしてししまう。」

 最後のイドラは、「劇場のイドラ」と呼ばれる。

 それは、人の学説をそのまま無批判に信仰することで起こる偏見だ。アリストテレス哲学に依拠するばかりの、スコラ哲学などが念頭におかれているのだろう。

「「劇場のイドラ」は本有的ではなく、またこっそり知性のうちに持ち込まれたものでもない、諸学説の作り話しと誤った論証規則から公然と導入され、受け入れられたものなのである。」

 こうしてベーコンは、これら4つのイドラを自覚的に排し、順序立てられた計画的な実験・経験を通して、学問を発展させていこうと主張した。


 ベーコンが亡くなったのは、66の時。大雪の日、冷却の防腐効果を調べたくなり実験を始めたのがきっかけだった。途中で気分が悪くなり、数日後気管支炎を起こして急死した。

 ある意味、イギリス経験主義の祖と言われるにふさわしい死に様だったと言えるかもしれない。

(苫野一徳)

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