ウェーバー『社会学の根本概念』



はじめに


 ウェーバーの死後出版された、『経済と社会』の巻頭に掲載された論文。

 未完に終わった作品だが、ウェーバーが社会学をどのようなものと考え、そしてどのような概念装置を作ることで社会を理解しようとしたかがよく分かる。

 相変わらず怜悧な思考が光る名著だと思う。


1.社会学とは何か

 社会学とは何か。ウェーバーは言う。

 それは、社会的行為を解釈によって理解するという方法で社会的行為の過程および結果を因果的に説明しようとする科学」である、と。

 一般に、理解社会学と呼ばれる。

 要するに、人々が社会関係において織りなすさまざまな事象の意味連関を、一定の法則のもとに解釈し理解しようという営みである。


2.方法の基礎

 ではこの理解社会学は、どのような方法概念を用いて社会を理解しようとするのだろうか。 

 まずここでおさえておくべき概念は、「意味」である。理解社会学は、社会事象の「意味」をある法則性において理解しようとするものであるからだ。

 この意味には、大別して2つある。

 1つは、人々が主観的に抱いている意味、もう1つは、社会的にある類型となって現れた意味である。

 前者は個々人が他者や社会や趣味などさまざまなものに対して抱く主観的な意味だが、後者の類型化された意味は、たとえばウェーバーが好んで分析した「プロテスタンティズムの精神」などが当てはまるだろう。それは禁欲的で勤勉で、それゆえ労働の過程において資本を蓄積するという「意味」をもった。

 言うまでもなく、こうした「意味」というのは、目で見てつかめるようなものではない。したがってそれは、どこまでも「仮説」、あるいは「物の見方」であることを自覚しておかなければならない。

 ウェーバーはこれを、「理念型」と呼ぶ。『客観性論文』などでも提示されている重要な概念だ。

 「理念型」とは、あくまでも、絶対的真理などではなく理解を助ける「考え方」「物の見方」のことである。ウェーバーはそのことを、いたるところで強調している。

 次の重要概念は、「意味適合的」「因果適合的」という概念だ。

「「意味適合的」とは、行動の諸部分の関係が、思考や感情の平均的習慣から見て、類型的な(普通は、「正しい」という)意味連関と認められる程度の連関性ある過程を辿る行動のこと一を指す。これに対して、「因果適合的」とは、経験的規則から見て、いつも実際に同じような経過を辿る可能性が存在するという程度の諸過程の前後関係のことを指す。」

 要するに「意味適合的」とは、人々の感情や思考と行動に、相関関係があるということだ。

 しかしそれを「社会学的法則」と呼ぶためには、単なる弱い相関関係ではなく、時間軸における一定の因果性が認められる必要がある。ウェーバーはそのように主張する。

「或る社会的行為の理解可能な主観的意味に対応する統計的規則性のみが、ここでいう理解可能な行為類型、つまり、「社会学的規則」なのである。

 こうしてウェーバーは、改めて社会学を次のように定義する。

「社会学は、類型概念を構成し、現象の一般的規則を求めるものである。


 以下、ウェーバーは社会的行為とは何か、とか、正当なる秩序とは何か、とかいった社会学的テーマにおける重要概念を次々と定義づけていくが、その内容は、『支配の社会学』『宗教社会学論選』など、ウェーバーの他の著作と重複するのでここでは割愛する。


(苫野一徳)

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