レーヴィット『ヘーゲルからニーチェへ』


はじめに
Löwith

 1941年刊行。近代哲学の完成者ともいわれるヘーゲルから、現代思想の先駆けとなるニーチェにいたるまで、哲学はいったい何を問題とし、どのような変遷をたどったのか。

 これが本書の問いである。

 その際レーヴィットは、ヘーゲルとニーチェの間に現れた、それまでほとんど無視されてきた青年ヘーゲル派(本訳書では少壮ヘーゲル学派と訳される。ヘーゲル左派とも呼ばれる。フォイエルバッハシュティルナールーゲバウアーらを指すが、レーヴィットはここにキルケゴールも含める)に着目する。

 そして、彼らからニーチェに至るまでの思想史的意義を明らかにする。

 青年ヘーゲル派に共通する思想、それは「実践」「実存」の思想である。

 レーヴィットによれば、ヘーゲルは「体系」「鑑照(テオリア)」の最後の哲学者である。そしてその後を批判的に継いだ思想家たちに見られるのが、「実践」と「実存」へと向かう思想のあり方である。

 『ヘーゲルからニーチェへ』というタイトルから、レーヴィットは、まさに後者の、「実践」と「実存」の哲学を志向する者だろうと誤解されてきたところがある。

 しかし実のところ、本書はレーヴィットにとって、より壮大な哲学的計画のための予備考察にすぎなかった。

 この点について、『ヘーゲルからハイデガーへ』と題されたレーヴィットの論文集を翻訳した村岡晋一氏は次のように言っている。

「レーヴィットによれば、アウグスティヌスからへーゲルまでのすべての歴史哲学は、キリスト教的救済史の世俗化にすぎず、したがって、哲学とキリスト教のへーゲル的宥和の否定によって生まれてくる青年へーゲル派の「歴史認識」も「実存」も、そうした世俗化の完成である。レーヴィットの哲学史的・思想史的研究のねらいは、こうした歴史哲学的展開の前提がもつ問題性を告発し、それが二千年にわたって放棄し忘却してきた真の始源を浮かびあがらせることにある。つまりレーヴィットは、そのすぐれた歴史感覚と歴史批判の技術とをフルに駆使して、歴史と歴史哲学を突き抜けた向こうがわにあるギリシア的コスモスとギリシア的鑑照へ立ちもどろうとするのである。」



 身近な、ある意味経験的な実践や実存にではなく、「真の始源」を浮かびあがらせようという哲学的意図、これはある意味では、彼の師ハイデガーに近い問題設定だったのだろう。(レーヴィット自身は、早い時期からハイデガーを批判していたが。『ヘーゲルからハイデガーへ』のページ参照)

 私自身は、レーヴィットは哲学者としてはそれほど高く評価できないと考えている(『共同存在の現象学』のページ参照)。しかし本書は、レーヴィットの思想史家としての名声を不動のものとした、思想史研究としては一級の書であると言っていいだろう。


1.ゲーテとヘーゲル

 本書では、同時代を生きたゲーテとヘーゲル(ゲーテの方が先輩)の比較から始まり、その後、ヘーゲル哲学、ヘーゲルを批判的に継承した青年ヘーゲル派、そしてニーチェの哲学へと考察が繰り広げられていく。

 まずはゲーテとヘーゲルだ。

 2人の共通点、それは、対立するものを綜合しようとする精神的力にある。レーヴィットは言う。

「二人は常に「現に在るもの」を認め、建設的基本的なものを目指していた。それ故かれらは破壊的なだけで世界形成的でないような特性の要求を否定した。」

 しかし、2人には大きな差異もある。

「それにもかかわらず、ゲーテは直観された自然の側から、ヘーゲルは歴史的精神の側から統一を把握するところに、両人の差異が存する。ヘーゲルが「理性の奸智」を、ゲーテが自然の奸智を認めるのは、これに対応する。それ(奸智)はどちらの場合にも、人間の行動をその当人の知らぬ間に全体の用に供しているというところにある。」

 ヘーゲルは世界を「絶対精神」の内にみる。これはほぼ神と同義だと考えていい。世界は神の内にあり、われわれ人間はこの神の精神を分有している。そしてこの精神は、歴史を通して自らを実現する。……これがヘーゲルの壮大な形而上学体系だ。

 このブログでもさまざまなページで論じているのであまり繰り返さないが、このヘーゲルの形而上学は、完全に検証不可能な「物語」であって、私たちは今日これを真面目に受け取る必要はない。(ヘーゲル『精神現象学』『法の哲学』のページ等参照)

 私の考えでは、ヘーゲル哲学の「すごさ」はその人間洞察とそこから展開された社会原理論にあるのであって、上述したヘーゲルの「絶対精神」をめぐる形而上学は、もはやほとんど捨ててしまっていい。レーヴィットが問題にするのはこのヘーゲルの形而上学的体系だが、私自身としては、今日においてはもはやこの問題にはあまりかかずらう必要はないのではないかと考えている。

 ともあれ、ヘーゲルが以上のように「絶対精神」を表に描き出したとするなら、ゲーテはむしろ「自然」を表に描き出した人である。ゲーテはヘーゲルのように、大上段に「絶対精神」を前提しその道筋を描くなどということをしない。むしろ「自然」は、世界の精神的事象を解く鍵なのだ。ゲーテはそう考え、「自然」のもとに留まり続けた。

 もう1つ違いがある。ヘーゲルがキリスト教と哲学の融合を試みたのに対して、ゲーテはキリスト教の危機を読み取っていたという点である。


2.青年ヘーゲル派

 先述したように、ヘーゲルの哲学は、対立するものを綜合する懐の深い体系をなしている。

 しかしその後彼の弟子たちは、そうしたヘーゲルの哲学を再び深刻な分裂へと引き裂いていくことになる。

「ゲーテとヘーゲルは共々に「超越」を担否し、人間が自己を失わずにいられるような世界を打ち建てることができたのに、その次に来る弟子たちは既にその中に安住することができなくなり、その師の平衡を単なる調和化の所産だと見誤った。――ゲーテの自然は中庸の中から生き、へーゲルの精紳は媒介の中で動いたが、この中庸と媒介はマルクスとキェルケゴールにおいて再び外面性と内面性の両極端に対置せられ、最後にニーチェは新しい企によって近代性の無の中から古代を取りもどそうと欲し、その実験をしているうちに精神錯乱の闇の中に消え失せた。」

 ではヘーゲル以降の哲学、特に青年ヘーゲル派の哲学とは、どのようなものであったのか。

①フォイエルバッハ(18041872


 まずフォイエルバッハだが、彼はヘーゲルの絶対精神を、神学の死せる霊と呼び軽蔑した。それは、一人一人の人間、他者を見損なってしまう体系である、と。

 そこでフォイエルバッハが提唱するのは「愛」である。愛において、我と汝の関係を回復せよと彼は説くのだ。

 さて、しかし実はこの「愛」の思想は、ヘーゲル自身が若い頃に希求した後、軟弱なロマン主義であるとして自ら克服したものである。

 一言で言えば、愛は結局排他性を拭い切れないのであり、愛の原理のみによって人間同士のつながりを創造しようとするのは、土台むりな話なのである。

 若きヘーゲルは、こうして愛の哲学を断念・克服し、より力強い、より現実的な哲学を探究することになった。

 実はフォイエルバッハら青年ヘーゲル派の哲学者たちは、ヘーゲルのそうした若き日の思索を知らなかった。愛と宗教を探究した若きヘーゲルの論文は、1905年、ディルタイの『ヘーゲルの青年期』によって知られ、その後ノールによって出版され広く人々に知られるようになったものなのだ。

 しかしともあれ、そうした意味では、フォイエルバッハの思想はヘーゲル自身によってすでに乗り越えられてきたものであったとも言える。レーヴィットも次のように言う。

「人間を結合する愛をかように要求することにより、ヘーゲルの批判者フォイエルバッハは著しく青年期のへーゲルに接近する。そのヘーゲルの精神の概念は愛の「生きた関係」における差異の止揚から出発したのである。後にヘーゲルはその思索の全力を挙げて精神の概念をその不同の諸規定(「感覚的」、「知覚的」及び「悟性的」意識としての、「欲求する」そして「反省された」、「奴隷的」及び「君主的」、「精神的」及び「理性的」自意識としての規定)に哲学的且つ具体的に分析することを心得ていたが、フォイエルバッハの「愛」はその哲学の統一的二重原理、即ち「感覚性」と「汝」の二重原理であるにも拘わらず、何の明確さもない感傷的な冗語にとどまる。」


②シュティルナー(18061856


 シュティルナーは、人間にはおよそいかなる普遍的「使命」も「課題」も無いことを主張しヘーゲルを批判した。

 『唯一者とその所有』において彼は言う。現代は、それぞれ唯一の自我が各自の世界の所有者になるような新しい時期の始まりであるのだと。「唯一者」の思想である。

 しかしレーヴィットは、これを次のように批判する。

「シュティルネルの解放された自我は、あるがままの世界を使えるだけ勝手に使うため、自分自身の無の中に帰るより仕方がない。」



③バウアー(18091882


 バウアーの主張は次のようだ。

「人々は現存するものに関わる必要がなく、政府の暴力に対しては新しき自治体の萌芽として自己を主張しなければならない。

 レーヴィットによれば、

「この批評は何物をも絶対的に妥当なるものと措定せず、自己自身をもまたすでに自身の批判的措定において否定するが故に、絶対的である。」


 しかしこの哲学は、マルクスが『ユダヤ人問題によせて』において批判したように、結局現実政治において何も生み出すことのできない単なる否定性にすぎないと言うべきだろう(マルクス『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』のページ参照)。


④キルケゴールとマルクス


 キルケゴールはヘーゲルを次のように批判する。

「かれは一本の木を無視して森全体を眺め渡すのである。」


 ヘーゲルにとって大切なのは、絶対精神という森である。しかしキルケゴールにとって大切なのは、私たち一人一人、個別的存在という木である。

 マルクスによるヘーゲル批判は次のようである。

「へーゲルの非難すべきは、かれが近代間家の本質を叙述するからではなくて……かれが現に在るものを国家の本質だと明言するからである。」

 ヘーゲルの『法の哲学』では、国家、特に当時のプロイセンという国家が、一種の完成体として描かれている。ここにおいて自由は現実のものとなるのだと。

 しかしマルクスからしてみれば、国家は資本主義と結びつき労働者を搾取する元凶にほかならない。現に在るものをもってよしとするヘーゲルの考え方に、マルクスは激しい批判を浴びせかけた。

 ただし余談だが、ヘーゲルがプロイセンの御用学者であり国家主義者であったという批判は、今日ではかなり退けられ始めている。この点はジャック・ドント『ヘーゲル伝』などに詳しいが、当時、専制君主国家プロイセンにおいて反国家的言論活動をすることは、逮捕・死刑の危険さえあった。実際ヘーゲルの友人なども逮捕されている。ヘーゲルはそうした中、何とかして自分の自由主義的哲学を守りながらも、命の危険を避けなければならなかったのだ。ヘーゲルを単純に御用学者とする批判は、今日では実証的観点からも当たらないと言えるようになってきただろうと私は思う。

 それはともかく、レーヴィットはマルクスとキルケゴールのヘーゲル批判を受けて次のように言っている。

一八四八年の革命の直前にマルクスとキェルケゴールは或る決定の意志を表明した。〔中略〕即ちマルクスは『共産党宣言』(一八四七年)において、キェルケゴールは或る『文学的告知』(一八四六年)においてである。一方の宣言は「万国の無産者は団結せよ」をもって終り、他方の宣言は、各人は自分自身の救助のために努めなければならない、これに反して世界の進歩に関する予言は高々冗談として聞かれるに過ぎない、ということで終っている。〔中略〕マルクスが問題にする自己疎隔は人間にとって資本主義であり、キェルケゴールが問題にする自己疎隔はキリスト教徒にとってキリスト教世界である。


 マルクスは資本主義における不平等の問題を大きく取り上げ、キルケゴールは、キリスト教世界の崩壊においていかにキリスト者として個別的存在として生き抜くかを問うた。どちらも、ヘーゲルにおいて融和させられたかに見えて、その実融和されていなかった問題の極限だった。

「等しくへゲルの理性的世界との分裂を基礎としていながら、へーゲルが結合したものを両人は再び分離せしめる。マルクスは博愛主義的「人間的」世界に与し、キェルケゴールは現世を無視したキリスト教、「人間的に見て」「非人間的な」キリスト教に味方する。


3.ニーチェ

 こうしてレーヴィットは青年ヘーゲル派やマルクスの思想について考察しながら、ついにニーチェにたどり着く。キリスト教的ヘーゲルから反キリスト教的ニーチェに至るまでは、前述してきた青年ヘーゲル派が橋渡しをしていていたのだとレーヴィットは言う。

 ニーチェの思想の本質を、レーヴィットは次のように述べる。

ニーチェの本来の思想は、その初めに神の死が、その中間に神の死から生じたニヒリズムが、その終りに永遠回帰をめざすニヒリズムの自己克服が位する一つの思想体系である。それに対応するのがツァラトゥストラの最初の演説にある精神の三重の変化である。キリスト教的信仰の「汝はすべし」は「我は欲す」という自由になった精神に変ずる。無を目ざす「その自由の沙漠」において、「我は欲す」から、破壊と創造におけるあどけない遊戯の実在、永遠に回帰する実在への、最後にして最も困難なる変化が――即ち「我は欲す」から「我はあ」への、しかも存在の全体における「我はある」への変化が、行われる。

 バウアーやマルクスが考えたように、そしてキルケゴールが最後の望みを託したにもかかわらず、神はすでに死んでいる。

 ここにおいて、人々はニヒリズムに陥ることになる。

 人はいかにしてこのニヒリズムを超克しうるか。 

 神の死を受け入れるばかりではない。永遠の命などというキリスト教的世界ではなく、この世界がたとえ「永遠回帰」するのだと言われたとしても、そのことに耐えられる思想が必要だ。

 ニーチェはそれを、「運命愛」の思想として描き出す。

 ツァラトゥストラは言う。「すべてのこうあったを、私がこう欲したに作り変えること――これこそ私が救いと呼びたいものである。」と。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』のページ参照)

(苫野一徳)


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