ヒューム『市民の国について』

  はじめに

 18世紀を代表する、いわゆるイギリス経験論の哲学者ヒュームの、政治、経済、さらには芸術・学問にいたるまでの、社会問題にかんするエッセイを集めた書。1742〜58年のエッセイが収録されている(「政治的支配の起源について」という1本だけは、ヒュームの死後1777年発表)。

 ヒュームは、その経済思想においては進歩的、政治思想においては、比較的保守的と言われている。実際本書においても、経済的自由主義を主張する一方で、君主制にかんしては、その慣習的伝統を重んずるという立場をとっており、ロックなどと比べればかなり保守的だ。

 とは言え、ヒュームはもちろん絶対王政を擁護したわけではなく、「自由」を重んじる自由主義者であったことは間違いない。彼の死の前年に始まったアメリカ独立戦争についても、彼はこれを大いに支持した。

 ヒューム政治思想の核心をつかみとるための、重要なエッセイ集である。


1.原始契約(人民の合意)説に対する批判

 「原始契約(社会契約)説」とは、ロックらに代表される政治理論で、国家(政府)は人民の合意によって生み出されたとする考えだ。

 ホッブズロックルソーがその系譜にあるが、それぞれこの「合意」に込める意味はかなり異なっている。そして私の考えでは、しばしば言っていることだが、ルソーの『社会契約論』は、残念ながらこれまで大きな誤解にさらされ続けてきたものの、今日なお政治原理論としての最高峰にある。(ちなみにヒュームは、1766年、絶対王政の国フランスから逮捕状が出されていたルソーをスコットランドにかくまうが、その後ルソーの被害妄想のために絶交することになってしまう。)

 さて、ヒュームはこの「原始契約説」を激しく批判するのだが、私の考えでは、これはルソーらのすぐれた「社会契約説」に対する批判ではなく、いわば俗流社会契約説に対する批判であると言うべきだ。(ただしロックに対してはかなり厳しく批判している。またルソーの『社会契約論』は、本エッセイ集が出版された後、1762年出版である。)

 ヒュームの批判は次のようである。

「彼らは、誕生したばっかりの赤ん坊のほやほやといった政府が、人民の合意ないし自発的黙諾から、生じたと主張するばかりでなく、完全な青年期に到達した現在でさえ、政府の基礎は、これのみであると主張します。」

 しかしそのようなことが現実にあるはずがないではないか、とヒュームは言う。

「しかし、もしもこれらの理論家たちが、世の中を広く見渡すならば、彼らの考えに少しでも合致するもの、あるいは、かくも精妙で哲学的な理論を保証し得るようなものには、全然出くわさないことでしょう。」

現存の、あるいは、史上に記録のある政府の起源は、ほとんどすべて、権力僭取かそれとも征服か、あるいは、これらの両方かにもとづいており、人民の公正な同意とか自発的な服従とかを口実にするものは、これまで全然ありませんでした。

 そして返す刀で次のように言う。

「国家的事件において、人民の同意が最も尊重されなかったときをもしも選ぶなら、それは正に新政府樹立のときでしょう。すでに確立された政治組織においては、人民の意向が間々考慮されます。しかし、革命、征服、大動乱といった激情の時代には、軍事力ないし政治的術策が議論を決定するのが普通です。

 人民の「合意」を主張する革命新政府こそ、実はまったく「合意」なき暴力ではないか。皮肉たっぷりに、ヒュームはそう言うわけだ。

 ただ私の考えでは、原始契約説に対する、そんなものは「現実」にはなかったのだというありふれた批判は、実は無効、あるいはより正確に言えば、無意味である。

 と言うのも、原始契約説は――それが俗流契約説でなかったならば――歴史的な理論ではなく「正当性」の理論であるからだ。われわれが国家・政府を「正当」と言いうるその根拠は、王の意志などでは決してなく、人民全員の「合意」にしかない。ホッブズやルソーらの契約説の主眼は、そこにある(天賦人権論を唱えたロックの場合、そこは少し微妙かもしれないが)。

 もちろんヒュームも、そのことは百も承知である。それゆえヒュームは、原始契約説に対するより「哲学」的な批判もまた展開する。

 そのポイントは、社会維持のためには、人民が権威服従することが必要である、ということになる。

政府に対する服従義務の理由をもしも問われるならば、二つ返事で、わたくしは、そうしなければ社会が存続できないからだと答えます。」

 ではその服従すべき権威とは何なのか?ヒュームは言う。

「わたくしたちを長年月の間支配してきたあの先祖からの直系相続者である現在の君主こそそうだ、と答えることができるほどひとびとが幸福である揚合、たとえ史家が、この王家の起源を昔のそのまた昔まで洗い出し、普通起こるように、この王家の最初の権威もやっぱり僭取と暴力とに由来するものであったということを発見したとしても、ひとびとのそのような答は、どんな反駁も全然うけつけません。

 今の王家が、たとえ大昔、人々を暴力によって支配したのであったとしても、今そのことで社会秩序が維持されているのであれば、王に権威を移譲することが適当である。ヒュームはそう主張するのだ。

 こうしてヒュームは、「人民の合意」にのみ政府の根拠をおく原始契約説を批判して、制限君主制を擁護した。

 しかしこのヒュームの思想は、実は社会契約説とほぼ同じものと言えるのではないか。王政が正当な政体として承認されているのは、結局のところ、それが人民の合意を得られているからである。

 ヒュームもまた、明らかにそう考えていた。

 たとえば彼は次のように言っている。

現在の王政は、十二分に、法学者たちからは権威づけられ、神学者たちからは推奨され、政治家たちからは承認され、そして、人民一般からは黙従、いやそれどころか、熱情的に大事にされたものではないでしょうか?しかも、少なくとも一六年間というもの全くこのようであり、したがって、最近にいたるまで、ほんの僅かの不平のつぶやきも争論も起こらなかったのではないでしょうか?そんなに長期間にわたるそのような一般的同意は、たしかに、一つの政治組織を合法かつ有効なものにするのに十分なものであるにちがいありません。もしも一切の権力の源泉が、人民派が主張するように、人民にあるとするならば、このような人民の同意は、望むことができる、あるいは、想像することができるもっとも十分で完全な条件をそなえるものです。


2.民主政体は専制へ向かう?

 「市民的自由について」というエッセイにおいて、ヒュームは次のような興味深いことを言っている。

「君主政体には〔自由へ向っての〕進歩を促して止まぬ或る原因が秘められており、他方、民主政体には〔専制へ向っての〕退歩を誘なって止まぬ或る原因が秘められており、その結果、両政体は、早晩、同質的なものへと今日よりもさらに一層近づいてゆくことになるのではないか」

 君主政体は自由へと向かい、民主政体は専制へと向かうのではないか。ヒュームはそう問い、その理由を次のように言う。

「自由な政体の国々において看取される専制への退歩原因は、〔国家が〕債務を負い歳入を抵当に入れるという慣行のうちに存在します。というのは、そのために、租税が全く堪えられぬものとなり、その国のありとあらゆる財産が国家の所有となるという事態が起こり得るからです。」

 絶対君主は、国家の債務を帳消しにすることができる。しかし民主政体ではそれが不可能であるから、人民の財産を国家の所有にしてしまおうということが起こりうる。そうヒュームは言うわけだ。

 後に民主主義における「多数派支配」を大きく問題視したのはトクヴィルだが(『アメリカのデモクラシー』参照)、この問題については、よく知られているように、トクヴィルに先駆けてバークもまた指摘している(『フランス革命についての省察』参照)。

 ヒュームもまた、どうやら同じような問題意識を持っていたらしい(ちなみに2人は知り合いだった)。


3.芸術および学問の進展について

 「芸術および学問の生成と進展とについて」というエッセイにおいて、ヒュームはこれらが進展する条件について次のように言っている。

「第一は、学芸が始めて生成する場合、如何なる国民においてであれ、その国民が自由な政体のもたらす恵みを享受するのでなければ、それは不可能である、ということです。」

 学芸の発展には、精神の自由な交流が必要なのだ。

「第二に指摘したい事実は、多数の国家が互いに近接し合いながら相互に独立を保ち、商業活動と政策とによって結ばれ合うという事態ほど芸術と学問との生成にとり好都合なことはない、ということです。」

 これもまた、国や地域を超えた自由な精神の相互触発についていったものだ。創造性とは、多様性の相互触発にほかならない。

「第三の考察とはこうです。それらの高貴な植物が生成し成長するのに適した唯一の場は自由な国家であるとはいえ芸術という植物も学問という植物も移植ということになるとそれは如何なる政体にも移植することができますそして、共和制の国家は学問の発達に最も適しており文明的な一人支配制君主制の国家は芸術の発達に最も適しています。」

 君主制において、君主は芸術を保護し、共和制は、学問の自由ゆえにその創造的な精神の相互触発を可能にする。そうヒュームは言うわけだ。

 その上でヒュームは言う。

「芸術と学問とは、いかなる国においてであれ、その国において完成に到達すると、その瞬間から自然に、いやむしろ必然的に、衰退へと向い、しかも、かつて芸術と学問とが支えた国においてそれが復活し再び栄えるということは殆どありません。」

 ある国において芸術がその最高峰に到達すると、あとはたいてい、衰退の一途をたどることになる。それはなぜか。ヒュームは言う。

「もしもそのひと自身の属する国が既に、修辞と雄弁とにかんし、数多くのすぐれた典型的な作品を保持しているならば、自然の成り行きとしてそのひとは、自分自身の若年未熟の習作をそれらの作品と比較して、全く比較にならぬことを嫌という程思い知らされ、それ以上やって見ようという気力は失せてしまいます。」

 最高峰の芸術は、人々に、もはやそれ以上のものを創ることは不可能である、と思わせてしまうのだ。



(苫野一徳)


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