プラトン『ソクラテスの弁明/クリトン』



はじめに
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 古代ギリシア・アテナイの青年たちを悪に導く者として、アテナイの有力者たちから訴えられたソクラテス。あまりにも有名な本書『ソクラテスの弁明』には、そのソクラテスの裁判における弁明、そして、しかし結局のところ死刑を宣告されることになる、その模様が生き生きと描かれている。

 岩波文庫に続けて収められている『クリトン』には、死刑を待つソクラテスを牢獄に訊ねた友人クリトンが、ソクラテスに脱獄を勧めるが結局ソクラテスに論駁されてしまうことになる、そのスリリングなやりとりが描かれている。

 西洋哲学の祖とされるソクラテスだが、その大きな理由は、彼が、古代ギリシアにおいて初めて「人間」を問い、そして「いかに生きるべきか」を問うた哲学者であったからだ。

 ソクラテス以前の哲学者、たとえば、イオニア自然学派のタレスアナクシマンドロスアナクシメネスといった人々、あるいは、ヘラクレイトスパルメニデスといった人々が問うていたのは、主として「世界とは何か」「万物の根源は何か」といった問いだった。

 そうした問いは、古今東西どこにおいても、最初の哲学的問いである。人間的思考は、まず外界の不思議に心打たれるところから始まるらしい。

 しかし、これまた古今東西どこにおいても、こうした問いはたいてい、やがてある時点において、この世界を問うている「人間」それ自体への問いへと変わっていく。

 驚くべきことに、世界中どこにおいても、そのような哲学的思索は、ほぼ同時期に大きく花開いている。

 インドでは、それまで特にウパニシャッド哲学が世界それ自体を問うていたが、やがて釈迦が現れ仏教が興る(『仏教の思想1』のページ参照)。中国でも、やはり同じ時期に孔子が現れ、人間はいかに生きるべきかを説き儒教が興った(『論語』のページ参照)。

 さて、しかしどこまでも人間的生の本質を探ろうとするソクラテスの言動は、多くの人に脅威をも与えることになった。歯に衣着せぬ物言いは、有力者たちの気分を大いに害することになった。

 裁判における彼の「弁明」も、脱獄を勧めたクリトンに、「悪法もまた法なり」と言って自ら死を選んだその時の理屈も、正直言ってかなり強弁に近いところがあると言わざるをえない。プラトンのとりわけ初期作品群を読むと、ソクラテスは、ソフィストたちを批判しながらも、実は彼こそが実に見事な詭弁論理の使い手であったと思わされることしばしばだ。

 しかしそれでもなお、本書は、命をかけて「哲学」したソクラテスの、類まれなる気魄が伝わる名著だと私は思う。



『ソクラテスの弁明』


1.無知の知

 ソクラテスが訴えられた理由は、次の通りである。

「ソクラテスは罪を犯す者である、彼は青年を腐敗せしめかつ国家の信ずる神々を信ぜずして他の新しき神霊を信ずるが故に」

 しかしソクラテスは言う。これは事実無根の訴えであり、私が訴えられたのは、結局のところ、アテナイの多くの有力者たちの機嫌を損ねたからであるにすぎないと。 

 なぜソクラテスは、多くの有力者たちを怒らせたのか。ソクラテスは言う。

 ある時、カイレフォンという青年が、デルフォイ神殿に赴きソクラテス以上の知者はいるかと訊ねた。その問いに、神託を授かる巫女は、ソクラテス以上の知者はいないと答えた。

 これに驚いたソクラテスは、そんなはずはない、と、国中の知者たちのもとを訪れ対話することにした。

 しかし彼はある時気づく。どの知者たちも、自分が何でも知っているかのように振る舞っているのだが、その実自分が何も知らないということに気がついていないのだ、と。

 そこで彼は思った。少なくとも私は、自分が無知であることを知っている。その意味において、確かに私以上の知者はないと言ってもいいかもしれないと。有名な「無知の知」である。

 しかしそのことが、多くの知者たちを怒らせた。

「私は、彼は自ら賢者だと信じているけれどもその実そうではないということを、彼に説明しようと努めた。その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることとなったのである。」


2.メレトスへの反駁

 こうしてソクラテスは、メレトスアニュトスリュコンという3人によって訴えられることになる。本書では、このうちメレトスに対して反駁するシーンなども描かれているが、実のところ、そこで展開される論理にはかなりの飛躍がみられるように私には読める。


 一応その理屈を紹介しておくと、まず1つめは、「悪に導くのがソクラテスだけだというなら、彼をわざわざ訴える必要なんてないじゃないか」となる。ソクラテス以外のアテナイの知者は皆賢人であるとメレトスは主張するのだが、だったらソクラテスなんて放っておけばいいじゃないか、とソクラテスは言うわけだ。

 ソクラテスのねらいは、メレトスが、青年を堕落させる者ソクラテスと言って彼を糾弾しておきながら、実はメレトス自身青年たちのことを考えているわけではなく、とにかくソクラテスを糾弾したいという動機があるということを明らかにすることにあった。

 しかしソクラテスの反駁は、あまり理屈として通っていないように思える。たとえ国のたった一人が悪であったとしても、法はそれを裁くものであるだろうから。

 2つめの反駁は、「メレトスはソクラテスは青年たちを故意に悪へ導いているというが、誰が好んで悪をなし、故意に自らを禍害へ招くことがあるか?」というものだ。

 そして3つめの反駁は、「メレトスは結局のところソクラテスがいかなる神も信じていないと主張するが、それは、ソクラテスが国家以外の神を信じているという訴状内容に矛盾するじゃないか」というものだ。
 
 いずれも、何となく瑣末な、そして強弁であるように私には読めるが、どうだろう。

 しかしいずれにせよ、ここでの議論のやりとりには、ソクラテスの性格が実に生き生きと描かれている。相手との対話を重ねながら、時に辛辣な皮肉を交えて巧みに自身の理屈を通していくそのやり方は、実際のところ、多くの人に「やりこめられた」という実感を与え、憎悪されても仕方ないという印象を与える。

 しかし、それはまた同時に、人の御機嫌取りなど考えもしない、どこまでも愚直に真理を探究しようとした、そんなソクラテスの性格の現れであるとも言えるだろう。


3.私は神からつかわされた者

 さらにソクラテスは、私は神からつかわされた者であるとまで言ってしまったものだから、人々の反感たるや最高潮に達することになる。

「思うに諸君にしてもし私を死刑に処したならば、他に再び私のような人聞を見出すことは容易ではあるまい。その人間というのは、少し滑稽に響くかも知れぬが、まさしく神から市にくっつけられた者である

私が神によって本市に遣わされた者であることは、諸君も次の事実から看取し得るであろう。すなわち私は、私自身に関することは一切これを顧みず、多年の間家事の荒廃を平然傍観して、始終諸君のために力を尽しつつ、父もしくは兄の如く何人にも個人的に接近して、徳を追求するようにこれを説きつけて来た者であるが、これはけだし人間業とは思われないのである。もっとも私がそれから何かの利得を得、またこの教誡に対して報酬でも受けるのだったら、私のしていることは理解出来るともいい得よう。しかし諸君自ら現に見られる通り、他のすべての点ではあんなに無恥に私を訴えた私の告発者たちも、私がかつて誰かから報酬を受取ったかまたは請求したと主張してその証人を挙げて来るほど厚顔ではあり得ないのである。何となれば私は私の主張の真実について、私の思うところでは申し分のない証人を挙げることが出来るからである。それはすなわち私の貧乏である。


4.最後の言葉

 こうした発言が、裁判官たちの気分を害し、ソクラテスには最終的に死刑が宣告されることになる。

 結果を受けて、ソクラテスは最後に言う。

「死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また人の言う通りに実際すべての死者がそこに住んでいるのならば、裁判官諸君よ、これより大なる幸福があり得るであろうか。」

「私はむしろ今死んで人生の困苦を遁れる方が明らかに自分のためによかったのであると思う。〔中略〕そういうわけで私としては、私に有罪を宣告した人々に対しても、また私の告発者に対しても少しも憤りを抱いてはいない。」

 取り乱すことなく運命を受け入れたソクラテスの泰然たる姿には、一種の感銘を覚えざるを得ない。



『クリトン』

1.脱獄を勧める理由

 本書は、死刑宣告が下されたソクラテスを、友人のクリトンが牢獄に訪ね、脱獄を勧めるところから始まる。

 どうやらこの時期のアテナイにおいては、賄賂などによって脱獄することはそうそう珍しいことではなかったらしい。別に殺人などを犯したわけではないソクラテスであってみれば、脱獄はむしろ当然の選択とさえ考えられていたようだ。

 クリトンが脱獄を勧める理由は、愛する友を失いたくないという理由に加えて、2つある。

 1つめはこうだ。

「僕はもう決して二度と見出すことの出来ぬような親友を失う外に、また君や僕をろくに知らぬ多くの人からは、ただ金を使う気さえ僕にあれば君を救い出すことが出来たはずなのに、僕がそれを怠ったように思われるだろう。」

 そして2つめはこうである。

「もう一つ、ソクラテス、君がしようとしている事は、僕には正しいとも思われない。君は自ら救うことが出来るくせに我とわが身を犠牲にしようとしているのだ。それは、君の敵が君を滅ぼすために実現したいと思い、また実際その実現に努めて来たようなことを、君自ら一生懸命自分に対して実現しようとしているものに外ならないのだ。なおその上に、君は君自身の息子達を裏切る者のように思われる。君は扶養しまた教育してやることができるのに、なお彼らを見棄てるのである。」


2.自ら死を選ぶ理由

 これに対して、ソクラテスは言う。

 まず1つめの理由について、別に大衆がどう思おうといいじゃないか、と。大切なのは一部の理解ある人の意見であって、万人の意見なのではない、と。

「万人の意見が尊重さるべきではなく、一部の人の意見は、尊重さるべきであり他の者の意見は尊重さるべきでない」

 そして2つめの理由については、次のように言う。

「一度下された法の決定が、何の実行力もなく、私人によって無効にされ破棄されるようなことがあっても、なおその国家は存立して顛覆を免れることができると思っているのか

 われわれは、アテナイという国によって生かされているのだ。その国法を、一個人の都合で蹂躙することは正義にもとる。そうソクラテスは言うわけだ。

 そもそも、アテナイの法では、もしもアテナイが気に入らなければ、財産をもって出て行ってもかまわないとある。にもかかわらずアテナイに留まることを選択し続けてきたわれわれは、やはりアテナイの法に従わねばならないのだ。そうソクラテスは言う。

 このソクラテスの議論に、クリトンは自説を引き下げ牢獄を後にする。

 この後、ソクラテスは自ら毒杯を飲み干し息絶える。


(苫野一徳)


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