『論語』

はじめに
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 儒教の始祖、孔子の言行録。

 時は中国春秋時代。乱れに乱れた社会をいかに立て直すか。これが当時の思想に課せられていた使命だった。

 そこで孔子が打ち出したのが、の思想だ。国を、人々を苦しめ罰することで治めるのではなく、徳と仁の心をもって治めよう。彼はそう主張した。

 個人的な話だが、私は18歳の頃、南画家だった亡祖父の代理として、孔子の生まれ故郷、中国は山東省曲阜に、孔子77代直系子孫、孔徳懋(こうとくぼう)女史を訪ね面談したことがある。

 女史は中国では大変な尊敬を集めておられる方で、祖父とは儒教を通して親友関係にあった。

 訪問の折、女史をはじめ関係者の方たちは、口々に、「有朋、遠方より来たる、亦楽しからずや」と『論語』の冒頭の言葉を贈って下さった。


 「伝統」は諸刃の剣だが、その悠久のスケールをもって、異質な人同士の関係を時に大きく包み込んでくれることがある。そう思って、ちょっとした感動を覚えたのを記憶している。

 以下、貝塚茂樹氏の現代語訳で、本書の内容を見ていくことにしたい。


1.孝・忠・友愛

 儒教が説く道徳といえば、まずは親孝行であり忠君であり友愛である。

 個人的には、かなりプラグマティックなところのあった孔子にとっては、これら徳目は、不安定な社会を安定させる、どこかしら方法的な思想だったのではないかと思っている。

 しかしそれが教条主義的なものとして理解されるようになると、その後の封建主義の思想的基盤といわれても仕方のない面が出てきてしまう。

 ともあれ孔子は言う。

「いったい賢人とはどんな人なのか。父母につかえて力の限りをつくし、君主につかえて一身をささげ、友だちと交わって、一度いったことをけっしてたがえない。」

「死後三年間、亡父のやり方を改めない、これが実行できたならば、たしかに孝行だといえるのだ」


2.徳治主義

 儒教の政治思想といえば、徳治主義である。孔子は次のように言っている。

政治を行なうのに道徳をもととしたら、まるで北極星が天の頂点にじっとすわって、すべての星がこれをとりまきながら動いているように、うまくゆくにちがいない

「法令によって指導し、刑罰によって規制すると、人民は刑罰にさえかからねば、何をしようと恥と思わない。道徳によって指導し、礼教によって規制すると、人民は恥をかいてはいけないとして、自然に君主になつき服従する」

 
3.君子

 孔子が説く理想的人物像は、君子と呼ばれる。

 君子とはどのような人物か。孔子は言う。

「りっぱな人間は親しみあうが、なれあわない。つまらぬ人間はなれあうが、親しみあわない」

自分の知らないことは、他人に知らないと答えなければならない。これがほんとうの知るということなのだ」


「君子というものは、心配したり、こわがったりなどしない」


 それはまた、「仁」の人である。では「仁」とは何か。

「自己にうちかって礼の規則にたちかえることが仁ということである。」


 まさに、一般にいわれる「聖人君子」のイメージだといっていいだろう。孔子は次のように言っている。

「正義をもって本質とし、礼にしたがって実行し、謙遜なことばでいいあらわし、信義をたがえないことによって完成する。このような人こそまことの君子だね」


4.その他名言

 以上、ほんのかいつまむ程度にしか紹介できなかったが、最後に有名な言葉もいくつか引用しておくことにしたい。(特に有名な言葉は書き下し文で引用した)

「弁舌さわやかに表情たっぷり、そんな人たちに、いかにほんとうの人間の乏しいことだろう」

過ちがあれば、すなおに認めてすぐさま訂正することだ


他人が自分を認めないのは問題でない。自分が他人を認めないほうが問題だ

「子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。」


もし人が少しでも仁を行なう意志をもつならば、他人から憎まれるはずはない。

子曰わく、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。

 後継者にと考えていた愛弟子顔淵が死んだ時、孔子はわが子を失った時よりも嘆き悲しんだと言う。その時の有名な慟哭が以下である。


「顔淵死す。子曰わく、噫(ああ)、天予を喪ぼせり、天予を喪ぼせり。」


(苫野一徳)



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