『荘子』

はじめに

 老荘の思想といえば、「無為自然」

 『荘子』において、この思想は、『老子』に比べてさらにラディカルに展開されている(『老子』のページ参照)。

 すなわち「無為自然に遊ぶ」

 どこまでも、徹頭徹尾天衣無縫を貫く思想態度がそこにある。


 自我などにこだわらず、どこまでも「万物斉同」「道」の世界に己を委ねよ。作者の荘周はそのように説く。

 「万物斉同」とは、世界には実は一切の区別などなく、すべては「同」であり「無」であるという意味である。

 このことをよく知り、この世界と一になれ。

 荘子はそのように説く。


 本書は、内篇・外篇・雑篇から構成されている。従来、内篇のみが荘子の自著で、外篇、雑篇は後世に付け加えられたものとの解釈が主流だったが、必ずしもそうとは言えないらしい。ただしそれぞれの篇において、思想の趣はかなり違うところもある。

 しかしいずれにせよ、本書は「読み物」としてもとても面白い。豊富な寓話を使って思想を伝えるその手法なども、実に見事だ。


1.万物斉同

 荘子は言う。

「彼れという概念は、自分の身を是れとするところから生じたものであり、是れという概念は、彼れという対立者をもととして生じたものである。」

 われわれは普段、私とあなた、こちらとあちら、右と左、といった区別を自然に行っている。

 しかしそのようなものは、どこまでも人為的な区別にすぎない。

 本来世界は「同」である。

 したがって、

「相対差別という人為を越えた立場からみれば、是れと彼れとの区別はなく、彼れと是れとは同じものになる。

 そして言う。

このように彼れと是れとが、その対立を消失する境地を、道枢という。」

 「道枢」、それは、一切の区別を内に包含し、すべてを「同」のもとに見ることのできる境地である。

 哲学徒としては、どうしてもヘーゲル弁証法を思い出さずにはいられない。弁証法もまた、一切の対立を止揚(アウフヘーベン)して、より高い次元において統一してしまう思考法である。

 思想形態としてはまったく異なる両者だが、思考類型としては親和性がある。

 そして荘子は言う。この「道枢」の境地こそ、最高の境地なのである、と。

究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従うことさえ怠識しなくなること、これが道の境地である。


2.内篇の寓話

 本書の「内篇」で展開される興味深い寓話を、ここでいくつか紹介しておきたい。

 ちなみに『荘子』雑篇「寓言篇」には、本書の10分の9は、「他事にかこつけたつくり話」すなわち「寓言」から構成されている、とある。

 さまざまな寓話やたとえ話によって、その思想をより分かりやすく伝えようという姿勢が伝わってくる。



 まずは、有名な「朝三暮四」の話。


「あるとき、猿まわしの親方が猿どもにとちの実を分配しようとして、『朝に三つ、暮れに四つでは、どうか』と相談した。すると猿どもは腹をたてて『それでは少なすぎる』といった。そこで親方が『それなら朝に四つ、暮れに三つでは、どうかね』といったところ、猿どもは大喜びをしたという。名実ともに何の変わりもないのに喜怒の情がはたらくのは、自分自身のあさはかな是非の心に従うからである。」

 あるいは、次のような「美女」のたとえ話もある。

「毛嬙(もうしょう)や麗姫(りき)は、人間がこれをを絶世の美女だとするけれども、魚はその姿を見ると、恐れて水中深く沈み、鳥はその姿を見ると、驚いて空高く飛び去り、鹿のむれはその姿を見て、一目散に逃げ出すだろう。」

 美もしょせんは相対的なもの。万物斉同の立場から見れば、一切に区別などない。荘子はそう言うわけだ。


 さらに有名なのは、「胡蝶の夢」の話だろう。

「いつか荘周は、夢のなかで胡蝶になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。

 ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。
 いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、
からない。
 けれども荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるはずである。それにもかかわらず、つかないのは、なぜだろうか。
 ほかでもない、これが物の変化というものだからである。」

 デカルトの「夢」のたとえを思い出さずにはいられない。(デカルト『方法序説』のページ参照)

 デカルトもまた、実は私が今現実だと思っているこの世界もまた、夢かも知れないと言った。そうして、確かにわれわれはこうして一切を疑うことができるけれども、今そのように疑っている私自身(コギト)だけは疑い得ないのだ、と。

 デカルトはコギトにたどりつき、荘子は万物斉同にたどり着いた。

 ちなみに、私は荘子の思想がきわめて好きで、さらに言えば気質的シンパシーも限りなく感じるのだが、哲学的には、どちらかと言えばデカルト(より正確に言えば、このデカルトのコギトをコギタチオとして鍛え直したフッサール現象学)の方が原理的だと言わねばならない。(詳細はフッサールのページ参照)

 「万物斉同」もまた、この「私」の確信であると言うべきだからだ。

 どれほどこの世界は一切が「同」であり「無」であるといったところで、それは決して検証できない「世界観」である。

 したがって、万物斉同もまた、「私」(荘子)の信憑・確信として提示された思想であると言うほかないのだ。

 その意味で、「万物斉同」や「道」の思想は、検証不可能な形而上学であると言わざるを得ない。


3.純粋理性批判(?)

 さて、とは言うものの、『荘子』の中には、この「形而上学」の不可能性を「証明」した、カント『純粋理性批判』にさえ近いような文言がある。


「万物には、その『はじめ』があるはずである。『はじめ』があるとするならば、さらにその前の『まだはじめがなかった時』があるはずである。さらにはその「『まだはじめがなかった時』がなかった時」があるはずである。
 また、有があるからには、まだ有がなかった状態、すなわち無があるはずである。さらにその前に『まだ無がなかった状態』があるはずである。さらにはその「『まだ無がなかった状態』がなかった状態」があるはずである。
 このようにして、ことばにたよって有無の根源をたずねようとすると、それははてしなくつづき、けっきょくその根源をつきとめることはできない。」

 世界の始源を、私たちの理性は決してとらえることができない。

 これが、カントが『純粋理性批判』において展開した「アンチノミー」の議論であった。(『純粋理性批判』のページ参照)

 荘子もまた、言葉(理性)によって世界の始源を問うても、私たちは決してそこに行き着くことがない、と説いたのである。

 親友であり論敵であった、詭弁家恵子との論争を通して、荘子はこのような洞察を得たのかも知れない。

 荘子には、どれだけ理屈をこらしたとしても、形而上学的世界を証明することは不可能であるという洞察があった。だからこそ、一切の理屈を超えて、「万物斉同」の無為自然へと、一足飛びに超越してしまったのだろう。

 繰り返すが、私は個人的にはこの思想がとても好きだ。しかしそのさらに次の一歩まで考え抜いたのは、残念ながら、おそらく西洋哲学者たちの方だった。

(ただしこのブログでもしばしば書いているように、それは決して、西洋の方が偉いとか優れているとかいう意味ではない。西洋哲学には、歴史的にみて、そのように哲学を徹底する「条件」が整っていたのである。そして私は、許されるなら、これからさらに哲学が深く進展する「条件」は、今や欧米より、日本に備わっているのではないかと言いたいと思う。その理由については、本ブログのいくつかのページや、拙著等を参照していただきたい。)


3.外篇・雑篇の寓話

 外篇・雑篇で展開される寓話についても、いくつか紹介しておくことにしたい。

 荘子の妻が死んだ時、親友にして論敵であった恵子が弔問に行った。すると荘子は、悲しみに泣き暮れるどころか、盆を叩いて歌を歌っている。

 いくらなんでもそれはないんじゃないかという恵子に、荘子は次のように言う。

「せっかく天地という巨大なへやのなかで、いい気持で寝ようとしている人間に向かって、わしが未練がましく大声で泣きわめくようなまねをするのは、われながら天命をさとらぬしわざに思われる。だから、泣くのはやめたのだよ」

 「蝸角(かかく)の争い」という故事成語のもとになった寓話も、『荘子』に登場する。

 恵王に、戴晋人という男が言った。蝸牛(かたつむり)の左の角に、触氏という国がある。右の角には、蛮氏という国がある。ある時両者は戦争をし、屍が国中に広がった。

 なんだそれは、つくり話ではないか、という王に向かって、戴晋人は答える。

「たかが人跡の及ぶ範囲のうちに魏の国があり、その魏の国のうちに梁の都があり、その梁の都のうちに王様がおられるわけです。とするならば、王様と蝸牛の右の角の上にいる蛮氏とでは、どれほどのちがいがありましょうか」



4.寓言・重言・卮言


 有名な、寓言(ぐうげん)、重言(ちょうげん)、卮言(しげん)についても紹介しておこう。

 荘子は言う。


「この書物で私が語ったことばのうち、寓言――他事にかこつけたつくり話が、十分の九を占め、重言(ちょうげん)――古人のことばを借りて重みをつけたことばが、十分の七を占める。卮言(しげん)そのときの便宜に従う臨機応変のことばは、日ごとに口から出て尽きることがなく、すべてをひとしくみる自然の立場で和合させるのである。」

「最後にあげた、臨機応変の卮言というのは、毎日のように口から出てきて尽きることがなく、万物をひとしいとみる天倪の立場によって和合させ、自由無碍の境地のうちに包容するものであって、これこそ真に永遠に生きる道を示すものである。」




5.荘子の死



 荘子の死期のエピソードは、雑篇の「列御寇篇」において次のように記されている。



 荘子が言う。




「わしは天地を棺桶とし、日月を一対の玉飾りとし、星を方円の珠玉のきらめきになぞらえ、万物を送葬の贈り物とするものだ。これで、わしの葬式の道具だてはじゅうぶんそろっているではないか。これ以上、つけ加える必要はあるまい」



(苫野一徳)




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