フランクル『死と愛―実存分析入門』



はじめに

 ユダヤ人として、ナチスによって強制収容所に入れられた体験をもつフランクル。その体験を元にした著書『夜と霧』は、今もなお世界中の人の心を震わせ続けている名著だ(詳細は『夜と霧』のページ参照)。

 本書『死と愛』の原著タイトルは、Aerzliche Seelsorge。直訳すれば、医療における魂(精神)のケア、となるだろうか。

 しかし邦訳タイトルにみられる通り、内容はまさに死と愛の本質を洞察するものとなっている。

 また、邦訳副題の「実存分析入門」にもみられるように、精神分析に対してフランクルが打ち立てた独自の心理療法(ロゴテラピー/実存分析)の、核心を論じたものでもある。

 従来の精神分析のような、心理告白を通した抑圧からの「解放」、すなわち抑圧「からの自由」だけでなく、自らの意識性責任性を深く自覚することで、より実存的な可能性へとめがけられるような、自己発見「への自由」へと患者を成熟させていく。

 そうしたフランクルの独自の心理療法は、心理療法の世界に、その後大きな影響を与えることになった。

 時に、あまりに理想主義的な記述が見られる感はある。価値ある生き方は個々人に委ねられている、と言いつつも、おそらくはハイデガーの影響も少し受けながら、各人が本来的な生き方をするべし、といった、若干要求の強すぎる主張をしている感も否めない。人によっては、少し圧迫感を感じることもあるかも知れない。

 しかしそれでもなお、人が自らの意志によって自らの豊かな生を生きていこうとする、その力を支えようとするフランクルの深い人間愛には心を打たれる。

 『夜と霧』と並ぶ、フランクルのすばらしい名著だろうと私は思う。


1.精神分析からロゴテラピーへ

 精神分析は、自己を語ることで無意識を自覚し、そのことによって抑圧から「解放」されることを目的としている。

 しかしフランクルは言う。ただの解放では、十分でない。なぜなら、人間存在は意識性存在と責任性存在を意味する」からだ。

 つまり、ただ解放されるだけでなく、自らの生を意識し、これに責任をもって主体的に生きていこうとすることができて初めて、われわれは十分な人間性を獲得できるのである。

 こうした生へと向かう心理療法を、フランクルはロゴテラピーと呼ぶ。それは、精神分析のように無意識にだけ着目するのではなく、人間の精神性(意識性)に着目した心理療法である。そして、これがさらに先の責任性と結びついた時、フランクルはこれを実存分析と呼ぶ。

 要するに、ただ無意識にのみ目を向けてきた従来の精神分析に対して、フランクルは、より意識的な「実存」に目を向けた心理療法のあり方を提唱したのである。


2.死の意味

 以上を踏まえながら、フランクルはまずの意味について考える。

 彼はまず次のように言う。

「一人の人間の生命責任は、それが時間性と一回性という点に関しての責任であると了解される時にのみ、真に理解されうるのである。」

 自らの生が1回限りであるということ、このことを十分自覚した時に、私たちは自らの生への責任を理解する。つまり、死はそのような生の責任を理解させてくれるような本質を持っているのだ。

 このあたり、ハイデガーの流れを若干汲んだ、フランクルらしい言い方になっている。(ハイデガー『存在と時間』のページ参照)


3.苦悩の意味

 続いてフランクルは、苦悩の意味について考える。彼は言う。

「われわれがそうあるべきでない状態になお苦しむ限り、われわれは一方では事実的な存在、他方ではそうあるべき存在との間の緊張の中にあるのであり、その限りでは理想を見ているのである。」

 苦悩は、われわれに理想を知らしめる。フランクルは続けて言う。

「われわれが苦悩する限り、われわれは心理的に生き生きとしているのである。また更にわれわれは苦悩において成熟し、苦悩において成長するのであり、苦悩はわれわれをより豊かに且つ強力にしてくれるのである。」

 実は苦悩こそが、われわれを成熟させ成長させてくれるものである。


4.愛の意味

 次に、の意味である。フランクルは言う。

愛は他者をそのすべての独自性と一回性において体験することに他ならないのである。

 そして言う。

「愛は何の『功績』でもなく、恩恵なのである。」

 そのような愛は、私たちに永遠を知らしめる。フランクルは言う。

われわれが真の愛を体験する瞬間に、われわれはそれを永遠に妥当するものとして体験するのである。ちょうどそれはわれわれが認識した真理そのものをわれわれが永遠の真理と呼ぶのと同様である。われわれは生きて行く限りそれを「永遠の愛」として体験せざるをえないのである。

 だから、ほんとうの愛には嫉妬などない。

嫉妬する者は、彼が愛していると思っている人間をあたかも彼の所有物であるかのように取り扱うのである。〔中略〕真の愛は人間がその一回性と独自性において、すなわち他人と根本的に比較できないことにおいて捉えられるのを前提とするから、嫉妬は原則的に根拠がないのである。愛の関係において嫉妬する者が恐れるのは、競争相手と比較されるという可能性である。しかし真に愛されるということにおいては、競争は存しえないのである。」


 フランクルの言葉は、冒頭でも書いたように、時にあまりに理想主義的に響くこともある。しかしそれでもなお、彼の思想は、私たちの胸を打ち続ける深い人間愛に支えられている。


(苫野一徳)

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