ケイ『児童の世紀』

はじめに

エレン・ケイ スウェーデンの思想家ケイは、フェミニズムの先駆者であり、また教育においては、20世紀初頭における新教育運動にも大きな影響を与えた人として知られている。

 彼女が運動家として世界に与えた影響は、今後も高く評価されるべきだろう。しかしその思想的質は、わたしの考えでは残念ながらおそろしく低い。


 素朴な進化論信奉と、母性原理主義。彼女の思想は、自身の思い込みをナイーヴに絶対化してしまう、ドグマ主義以外の何ものでもないとわたしは思う。



1.素朴な進化論信奉

「進化の思想は、わたしたちが今後辿るべき道にも光明を投げかけ、わたしたちが肉体的にも常に変化する状態にあることを示している。」


 エレン・ケイの思想の基盤は、ほとんどすべて、適者生存を唱える素朴な進化論にある。


 人類は、進化の過程を経てより優れた存在になっていく。そしてそのためには、優生学の思想に基づいて、精神的・肉体的異常者をなくしていかなければならない。ケイは本気でそう論じる。


「まず第一に、犯罪的タイプ——その特性を認定することのできるのは科学者だけである——の遺伝を妨げ、その特性が一切子孫に継承されないように処理することが必要である。第二番目に出てくる要求は、肉体または精神の遺伝疾患に罹っている者が、これをさらに遺伝として子孫に残さないことである。」
 
 あまりに怖ろしい主張というほかない。
 
 素朴な科学信奉者は、科学は絶対であり、したがって科学的に正しいこと=善である、という考えに陥りやすい。
 
 しかし、そもそも科学は仮説以外の何ものでもない。進化論もまた、ひとつの仮説であることに変わりはない。
 
 それ以上に重大なことは、科学絶対主義は、容易に危険なファシズムへと結びついてしまうということだ。
 
 「劣性」遺伝子を根絶することは、科学的に正しいことである。そのような主張が、科学の名を借りて叫ばれることになりかねない。そして実際、ケイは本書でそのように主張するのだ。


 存在(事実)から当為(価値)を直接的に導き出すことはできない。これは現代科学の「常識」である(ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』のページ参照)。
  ケイには、残念ながらそのような基本的視座すらない。

2.母性原理主義
 
「母となった者または母となるべき者が国民のうちの最も尊い部分である。」


 エレン・ケイにとって、最も価値あるものは母性子どもだ。


 理由は簡単で、進化論的に言って、子どもは未来のより完成された人類であり、母性はその子どもを育てる力であるからだ。


 だからこそ、彼女は女たちに、


「病弱で肉体的欠陥のある世間から相手にされないような子どもを産んではならない」


 といってのける。そしてそれが、子どもの親を選ぶ権利であり、これは母親の個人的自由にさえ優先すると主張する。

 健康優良児を生み育てること。それが女の義務なのだ。

 こうした「信念固執型」とも言うべき思想は、わたしの考えではすぐれた思想とは決して言えない。すぐれた思想は、常に「信念検証型」であることを自らに課す。

 しかし「信念固執型」の思想は、同じ信念をもつ人たちの心にしばしば強く訴える。

 実際彼女の思想は、その後の女性解放運動に大きな影響を与えた。日本においても、平塚らいてうら、多くのフェミニストたちに力を与えた。

 社会への影響という観点からすれば、だからエレン・ケイの仕事はきわめて重大なものであったといっていい。

 しかしその思想の原理的な部分については、やはり徹底的に批判される必要があるとわたしは思う。

 

(苫野一徳)



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