ジンメル『愛の断想・日々の断想』


はじめに

 社会学者であり、また「生の哲学者」としても知られるジンメル。

 今回は、本書から特に「愛」についての深い洞察をご紹介したい。

 個人的には、ところどころ「そうかな?」と思うところもあったが、また同時に、「なるほど確かに」と唸らされる部分も多かった。

 そうした見事な洞察を、以下一部抜粋してご紹介しよう。


1.愛は生殖から独立している

「生命の増殖だけに役立つ性的本能に、生命のことなど全く忘れた愛が結びついて来た――これは、生命からの素晴しい解放である。」

 しかしまた同時にジンメルは言う。

「愛は、愛を知る人において再び一つの生命になる。」

 人間的愛は、決して単なる性的衝動生殖の目的に従属するものではない。


2.愛は生きる意味を与える

「如何なる場合にも、愛を知る人は、各瞬間、自分が何のために生きているかを知っている人である――この何かが実現されることがなくても。」

 私なりに、こう言ってみたい。

 絶対的な生きる意味など、ない。

 しかしそれでも、人は愛を知った時、「ああこれが生きる意味だったのだ」と思うことができるようになる。
 

3.愛されたいだけの人は愛することができない

「彼らは、何時も万人から深く愛されたいと思っているが、事に当って、それに相応しい態度に出ないのみか、一般に人を愛さない人たちである。こういう人たちにとって、愛は確かに存在するけれども、その愛は、愛を得たいというところにだけ現われる。」


4.愛は性に従属しない

「固より、原理的問題は次の点にある。曰く、すべての愛は、その源泉及び永遠の実体としての性的なものから発しているのか、それとも、愛は、魂の根本的な独立の状態であるのか。内容的にも発生的にも性的なものと関係のない愛が存在するという単純な事実が、後者の正しさを告げている。――」


5.愛は拘束だが真の自由


愛というのは、道徳と全く同じように、魂を拘束するものである。魂には、まだ愛を知らなかった時のような落着きも自由も、もう無い。〔中略〕自由と自由の制限とを一つのものと感じるのには、二つの方法しかない。即ち、命令として規定されたものが、自我から生じていなければならない、そうでなければ、自我が、命令として規定されたものから生じていなければならない。
真に自由な人とは、愛を知る人だけである。なぜなら、愛を知る人のみが、如何なる現象に出会っても、過去の因縁や既成の事実によって何一つ制限されぬ能力や傾向のままに、現象に即して、或いは受容し、或いは評価し、或いは現象の全価値を残りなく感得するという態度で対するから。」

 これはとても興味深い洞察だと思う。

 愛は確かに、人を拘束する。それは自らを相手に捧げることだから。

 しかし、それがいわば真の自由なのである。

 それは、自らが望んで自らに課した拘束だから。その意味で、拘束と自由を一体のものとなしうることを知る者、そうした「愛を知る人」だけが、真の意味で「自由」を知る人と言えるかも知れない。


6.愛を求め続けよ

 最後にジンメルは言う。

「日々、愛を獲得して行かねばならぬ人だけが、『自由や生命』を得るのみならず、愛をも得る。


(苫野一徳)

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