ボウルズ=ギンタス『アメリカ資本主義と学校教育』



はじめに

 70、80年代に、教育学界を席巻した本書。

 「偉大な平等化装置」たるべく構想されたはずの学校教育が、実は平等を実現するどころか、資本主義における不平等を「再生産」する機能を果たしてしまっている。

 ボウルズとギンタスは、はそのことを鋭く分析し批判した。

 学校における教師と生徒の教育関係は、資本主義社会における資本家と労働者のそれと対応している。学校教育は、資本家に都合のいい労働者を作る機能を果たしているのだ。

 そしてこれまでに行われてきた教育改革は、資本家の都合のいいように行われてきた。

 そう2人は主張する。

 こうした現状を変えるには、リベラル派の穏健な考えではまったくだめで、社会主義革命によるしかない。資本主義は、葬儀屋を必要としているのだ!

 これが2人の結論だ。

 社会主義革命という結論ありきの分析は、今日からしてみれば、少々無理が見られる感もある。

 しかしそれでも、本書は、リベラリズム教育改革の弱点を鋭くついたものとして、今日なお一定の評価を得るに値するだろう。



1.リベラル派の失敗



 社会的不平等を、リベラル派は、教育の充実と政府介入によって是正することができると考えてきた。

 つまり、生まれの不平等を、教育を通して是正していくこと、そして、経済的不平等を、政府の福祉政策によってできるだけ埋め合わせていくこと。こうした戦略を通して、リベラル派は不平等を是正していけるはずと考えてきた。

 しかしそれは失敗に終わった。そう2人は主張する。

「しかし、こうした是正策によっては、はじめに想定された諸問題を解決することはできなかった。不平等、階級分化、人種差別、性差別、地域社会と環境の破壊、労働の疎外、官僚化、細分化は依然として存在しつづけている。」

 それはリベラル派が、そもそもの問題の根源である資本主義それ自体を変えようとはしなかったからだ。

 これが2人のリベラル派批判だ。


2.デューイ批判

 続いてボウルズとギンタスは、リベラル派の1つの代表として、デューイを取り上げ批判する。

「デューイの全体的枠組みはきわ立ってすぐれたものであったと思われるが、デューイの誤謬は、社会的な制度が民主主義的であると規定した点にある。実際には、資本主義的企業のなかにおけるヒエラルキー約分業が、政治的には独裁的となるということを無視したのであった。さらに人格的発達の促進を図ろうとする教育制度の経済的価値にかんするデューイの中心的な命題は、資本主義社会では妥当しない。デューイの考え方は、働くということが内在的動機にもとづいた人間の行動の自然な延長線にあるということを前提としている。しかし法人企業における疎外化された労働は内在的な意欲と相反するものである。」

 教育を通して、社会のさまざまな階層の人びとはある程度平等化されうるはずだ。デューイはそう考えたが、しかしそれは資本主義社会においてはあたらない。ボウルズとギンタスはそのように主張する。資本主義社会においては、平等化の力学ではなく、資本家の独裁的力学こそが支配的になるからだ。


3.「正当化」仮説

 社会は常に、特権階級によって、その特権がいかにも「正当性」をもったものであるかのようにして支配されてきた。ボウルズとギンタスはそのように主張する。

 これを彼らは「正当化」仮説と呼ぶ。

「特権のパターンは歴史を通じて、巧みな装いをもって正当化されてきた。安定的な社会秩序を求める支配階級は、このようなイデオロギー的装いを一貫して育み、その維持に努めるとともに、できるだけ新しいイデオロギーが出現するのを妨げてきた。これが「正当化」とわれわれが呼んでいるものであるが、それは、既存の社会的条件を転換させかねない社会的連帯や批判的意見の形成を防ぐような一般的な意識を人々の間に培おうとするものである。」

 現代アメリカの資本主義という社会秩序もまた、資本家という特権階級によって、その支配構造が「正当化」されている。そう2人は主張する。

 その「正当化」の根拠の典型が、「能力主義」だ。

「能力主義的な発想の特徴は、網の目のように輻輳した社会的生産関係を技術的効率性にかんする少数のルールに還元することである。〔中略〕もっとも有能な人々が、職業的な役割に必要な訓練を受け、準備をおこなう意欲をもつようになるために、給与や地位が、労働のヒエラルキー上の位置との間に密接な関係を保っていなければならない。」

 教育的・経済的成功は、個人の能力に依存している。そう能力主義は主張する。だから、経済的不平等は結局のところ個人の能力不足のゆえなのだ、と。

 しかしボウルズとギンタスは、その主張を退ける。実は能力と経済的成功はそれほど相関関係にない。むしろ、現在経済的に従属関係にある人の子どもは、どれだけ能力があっても、いつまでも従属者たるべく、学校教育において「再生産」されているのだ。


4.対応原理

 こうして2人は、有名な「対応原理」を提唱する。

「階級構造が永続できるためには、ヒエラルキー的分業が、その構成員たちの意識のなかで再生産されるということが必要となってくる。教育制度は、支配的なエリート階層がこの目的を達成するための再生産メカニズムの一つである。」
「教育制度は、その内部的な社会的関係と職場での社会的関係の問の対応を通じて、資本主義的分業を部分的に再生産する。」

 教育制度と職場での資本主義的支配関係は、互いに対応している。この対応によって、子どもの頃から、支配される者は支配される者として育てられているのだ。


5.高等教育の矛盾

 続いて2人は、アメリカの教育史を概観し、それがいかに資本家たちの意のままに改革されてきたかを論証する。そして現在、高等教育までもが、経済的不平等の「再生産」の現場になっていることを告発する。

「高等教育はアイビィ・リーグの教育機関や大州立大学を頂点として、権威のもっと低い州立大学、州立カレッジがつづき、いちばん下にコミュニティ・カレッジが存在する。この制度は、学生の家族の社会的地位とともに、それぞれのタイプの学生が卒美してから入ってゆく、労働関係のヒエラルキーを反映するものである。」

 このような高等教育の現状は、ある矛盾を生み出している。

 高等教育を受ければそれなりの将来が待っていると思っていた学生たちが、実はそうではなかったことを知ってしまうという矛盾である。

 そして、そもそも「リベラル」な価値を追求するはずの高等教育が、実はその理想とはかけ離れた、虐げられた「労働者」を生み出しているのだという矛盾。

 しかしこのような矛盾を抱えた場にこそ、ボウルズ=ギンタスは来るべき社会主義革命の温床を見出している。

「多数の非エリート・カレッジの学生のなかに、少なくとも不平等と辛苦を味わったことがあり、政治的に活動し得るだけの年を取ってはいるが、いぜんとして夢をもち危険を目して進むだけの若さをもっていて、共通の体験と、場合によっては共通の住居を通じて、日常的なべースで統合された人々の集団が形成されてきた。」


6.教育改革の理由=資本家の都合

 これまで、教育改革(教育の充実や拡大)は、次の3つの理由で進められてきた。

 すなわち、民主主義社会においては当然のことだから。②大衆が要求してきたのでもあったから。そして、③社会で生きていけるための技術を学ぶためにも必要なことだから。

 しかしボウルズ=ギンタスは、こうした3つの解釈を批判する。

 なぜならそれは、すべて資本家階級が、自分たちの都合のいいように改革してきたものであったから。

「資本家階級が、労働者階級の労働力を高め、同時に、労働の果実を資本家の利潤に転換することを可能とするような社会的条件を再生産するような制度として求めたのが学校教育であった。


7.社会主義革命

 以上のような問題を克服するには、もはやリベラル派のような穏健なやり方では不可能だ。

 それは社会主義革命によってでなければならない。つまり、学校を変えるのではなく、経済制度を基盤とした社会それ自体を変えてしまうのでなければならないのだ。

「したがって、われわれの分析からも演繹されるように、平等で、自由な教育制度は、経済制度の転換のために展開された、支持層の広い運動からはじめて生成されることができる。このような運動は、重要な生産的資仮の私有制は廃止されるべきであり、生産過程の管理は労働者階級の手に委ねられるべきであるという意味で社会主義的である。」

 その理由として、ボウルズ=ギンタスは、資本主義それ自体が取り替えられるべき矛盾を抱えていることを指摘する。理由は7点挙げられているが、その根本は次の通りだ。

「資本主義体制の正当性は歴史的に、人々の消費の必要をみたす能力をもっていることが検証されているということによって少なからず支えられてきた。大量の消費財、サービスが絶えず増大して、すべての人々に対して幸福の水準が絶えず高まってゆくことを可能にしているようにみえた。しかし、このプロセスの成功自体が、消費者の欲求の緊急性を弱める結果を生みだしていった。」

「それは、たんに消費財やサービスの生産をふやしてもみたされないということである。」

 どれだけ生産性が上がっても、ほんの一部の資本家にその富は独占され、多くの労働者はただコマとして働くだけで生きがいを得ることができない。それが資本主義の最大の矛盾なのだ。

 こうして2人は、本書を次の言葉で締めくくる。

「アメリカの人民は、病的な資本主義体制のために医者を必要としない。必要なのは葬儀屋である。」


(苫野一徳)



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