ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

はじめに

 20世紀哲学に、最も大きな影響を与えた1冊であるといっていい。

 ウィトゲンシュタイン自身の独特なカリスマ性も手伝って、本書は今なお多くの読者を魅了し続けている。

 論述ではなく、各命題を断片的に描いていくという独自のスタイルもまた、何か深遠なことをいっているに違いないという期待を抱かせてくれるに十分だ。

 本書の内容を大ざっぱに要約すると、以下のようになる。

 ウィトゲンシュタインによれば、世界の出来事をひたすら分解していけば、不変で単純な対象と、それらの間の関係に還元することができる(この対象と対象との関係を、ウィトゲンシュタインは「事態」とよぶ)。

 たとえば、リンゴという対象と机という対象があり、「リンゴが机の上にある」という事態が成立する、といった感じだ。

 そしてウィトゲンシュタインは、この命題は真か偽であるという。リンゴが机の上に本当にあれば真、なければ偽、というわけだ。

 とこうなれば、あらゆる真の命題を記述しつくせば、「世界は完全に記述される」ことになる。

 そしてこの観点からいえば、意味や価値は真偽がはっきりしないことといわなければならない。それゆえ、「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」。

 以上が本書の要点だが、実はウィトゲンシュタインは、後期になってこの主張をすべてくつがえしてしまうことになる。

 その詳細については、後期の『哲学探究』のページをお読みいただければと思う。


1.7つの命題

 本書は7つの命題からなっている。

第1命題 世界とは出来事たる一切である。
第2命題 出来事たること、すなわち事実とは、事態が存立していることである。
第3命題 事実の論理的図像とは思考のことである。
第4命題 思考とは有意味なる文〔=命題〕のことである。
第5命題 命題は要素命題の真理函数である。
    (要素命題はおのれ自身の真理函数である。)
第6命題 真理函数の一般形式は下記の通りである——
[\bar p,\bar\xi, N(\bar\xi)]これは命題〔=文〕の一般形式である。
第7命題 語ることのできないもの、これについては沈黙しなければならぬ。

 以下、これらの意味するところをみていくことにしよう。


2.事態と事実と図像

 世界は出来事の総体、つまり存立している事態である、というのは、とにもかくにも、世界というのはわれわれの存在とは無関係にある事態で満ち満ちているということを意味している。

 この事態を、われわれは言葉で切り取る。そうして切り取られて言明された命題が、事実である。

 たとえば、「この花は赤い」という命題が事実として事態から切り取られる。

 しかしこの命題は、いわばわれわれが切り取ったものだから、絶対確実な事実というよりは「図像」である。

「われわれは自分のために事実の図像を作る。」

 「この花は赤い」という命題が、ほんとうに事態と一致していれば、それは「真」である。つまり現実である。

 存立している事態とは、さしあたっては絶対客観のことと考えればいいだろう。

 そしてこれを、われわれは何とかして把握しようとして切り取って命題とする。それが事実=図像だ。

 ということは、われわれはある事態を、言葉=論理によって切り取って図像を描くわけだ。第3命題の意味は、そういうことだ。

 「この花は赤い」という命題は、言葉による思考であるというわけだ。これは真でもあり偽でもありうるが、もしも真の命題をひたすらに積み重ねていくことができれば、われわれは世界を全部記述することができることになる。

「真なる要素命題すべてを挙げれば、世界の完全なる記述となる。要素命題すべてを挙げ、加えて、要素命題のいずれが真、いずれが偽であるかを挙げれば、世界は完全に記述されたことになる。」


3.哲学的問いは無意味

 ということは、われわれが語ってよいことは、言葉によって図像とされた事実(命題)が、ちゃんと存立している事態(現実性)と一致しているものだけである、ということになる。

 だから、価値や倫理の問題は語りえぬことに属する、とウィトゲンシュタインは言う。

「哲学的な事柄について書かれてきた大方の命題や疑問は、偽ではなく、無意味なのである。」

「世界のなかでは一切は在るがままであり、一切は生起するがままに生起している。となれば、世界のなかに価値はない」
 
 このようなわけで、彼がいいたかったことは次の一文に帰結する。

「もともと哲学の正しい方法とは以下のごときものであろう——語れることしか、すなわち自然科学の命題しか、つまり何ら哲学と関りないことしか語らないことであり、そして、誰かが形而上学的なことを語ろうとすれば、そのつど当人に、君は自分の命題内の記号のこれこれに何の意義も与えていない、と指摘してやることである。」
 
 先述したように、ウィトゲンシュタインは後期になって、以上述べてきた内容を自ら覆してしまう。詳細は『哲学探求』のページを参照していただきたい。

(苫野一徳)



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