セン『合理的な愚か者』

はじめに

 アジア人として初めてノーベル経済学賞を受賞した、インドの経済学者。

 1943年のベンガル大飢饉を経験した彼は、なぜ貧困が起こるのかを探究、ひたすら利益追求だけに勤しむ人間を前提とした経済学を、各人が健康で幸福に生きていける世界の構想に寄与しうるものとして、再構築しようとした。

 その真摯で真剣な学問姿勢に、感銘を受ける。

 彼の厚生経済学の考えは、今日哲学にも、そしてまた、国連の施策にも重要な影響を与えている。

 行き過ぎた資本主義、広がる貧富の格差、非人道的な虐殺や紛争。

 大きな問題を抱える現代にとって、センはとても重要な思想家だ。


 ただし哲学の観点から言うと、その倫理思想には若干の難がある。

 乱暴に言ってしまうと、センの思想は「他人を思いやりましょう」というものだ。

 これはカントを祖として、現代でもロールズレヴィナス、その他多くの思想家たちに共通の態度だ。

 要するに、みんなほんとうに「生真面目」なのだ。

 これは決して、さげすんでいるわけではない。むしろ、他者へのやさしさを思想の根底に据えられるのは、強さだとすら言っていい。

 しかし、「人にやさしくしましょうね」と言って、それで誰もが仲良くやさしくなれるわけではないことくらい、小さな子どもたちでも知っていることだ。

 「思いやり」の思想は、心がけたい態度としては素敵だけれど、倫理思想としては弱い。人間の本質を見抜き、その上で多様で異質な人同士ができるだけ仲良くやっていける現実的な条件を洞察すること。

 それが力強い倫理思想であると私は思う。


1.コミットメント

 本書最初の重要概念が、コミットメント。これは次のように定義されている。

「コミットメント〔という概念〕は、一つのやり方として、その人の手の届く他の選択肢よりも低いレベルの個人的厚生をもたらすということを、本人自身が分かっているような行為を〔他人への顧慮ゆえに〕選択する、ということによって定義しうる。」

 要するに、別の選択肢を選んだほうが得するんだけれど、それが他人のためになるんだったら、ということで、大して得にならないことを行うこと。これをセンはコミットメントというわけだ。

 センのもくろみは、この概念によって、それまでの利己的人間という経済学が前提としてきた人間像を刷新することにある。

「このことは、〔経済学の〕モデルが本質的に〔これまでとは〕異なった仕方で定式化されることを要求するのである。」

 そして言う。経済学がこれまで前提としてきた人間は、合理的な愚か者であったのだ、と。

「純粋な経済人は事実、社会的には愚者に近い。しかしこれまで経済理論は、そのような単一の万能の選好順序の後光を背負った合理的な愚か者(rational fool)に占領され続けてきたのである。」

 どこまでも利己的な人間像から、他者のよき生にコミットしようとしうる人間像へ。

 センは経済学の前提を問うたのだ。



2.潜在能力(ケイパビリティ)

 次の重要概念が、潜在能力だ。これはセンが独自に提示した平等論のアイデアだ。

 センはこれまでの平等論を、次の3つに分けて論じている。

 1つは功利主義的平等論

「その最も単純な事例は『純粋な分配問題』、すなわち与えられた均質なケーキを人々の集団に分けるという問題であろう。〔中略〕功利主義の目標は、分配のあり方を考慮しないで効用の総計値を最大化することにあるが、その際に全員の限界効用――この場合なら、各人がケーキの一単位分の増加から得るであろう、効用の増加分のこと――の平等という要求も掲げられている。」

 要するに功利主義は、分配の結果最大の効用を得られることを平等とする。

 この場合、たとえば、普通の能力の子に教育を行うより、より能力の高い子どもに集中的に公的資金を投資して、その子が将来社会の生産性を上げてくれれば、効用の総計が最大化されたとしてよしとなる。

 そこでセンは、功利主義的平等論を次のように批判する。

「たとえ効用が重要度の唯一の基礎であると認めたとしても、ある人が享受している効用の総量と関係なく決められる、限界効用の大きさが道徳的重要度の指標として適切なものであるかどうかは、依然として問題になる。」

 一人一人の効用を無視して、社会全体の効用の総計によって平等を論じるのはむちゃだ、というわけだ。


 2つめの平等論は、効用主義と呼ばれる。

「効用主義(welfarism)とは、ある事態の善さがその状態における諸効用から見た善さによって、余すところなく判定されうる、と見なす見解である。この立場は、諸効用の善さがそれら総計値によって計られなければならないという条件をさらに加えてはいないので、功利主義よりも要求度が低いといえる。その意味で、功利主義は効用主義の特別の事例の一つに他ならず、それの分かりやすい例解を提供してくれる。」

 功利主義のように効用の総計で平等を判断するのではないが、効用主義も結局は、効率性の高い低いが判断の基準になる。

 そこでセンは、効用主義を次のように批判する。

「非-効用情報が、道徳判断を行うにあたって無視しえない重要性(relevance)を有していること、これが効用主義を論駁する際の中枢的な論点である。」

 効率第一主義は、道徳問題に対処し得ない。そうセンは言うわけだ。時には効率性を無視してでも、助けなければならない人たちがいる。


 そこで3めに提示されるのが、ロールズの平等理論だ。

 ロールズの平等理論、つまり格差原理は、不平等は、もっとも恵まれない人の利益になる場合にのみ正当化される、という。これは、単なる効率性だけで判断しようとする先の2つの理論に勝る点だとセンは評価する。

 しかしこのときにロールズが提示する基本財という考えを、センは批判する。それは、基本的人権だとか財産だとか、人間である以上最低限必要とされる財を意味するが、それはあまりに抽象的すぎる、と言うわけだ。

「実際のところ、人々はそれぞれの健康状態、年齢、風土の状態、地域差、労働条件、気質、さらには(衣食の必要量に影響を及ぼすという点で)体格、の違いに伴って各人各様に変化するニーズをもっているのではなかろうか。だから、少数の難しい事例を無視しようとしているところだけでなく、事実人々の間できわめて広く見られる種々の相違を考察の対象から見落としているところ、ここに格差原理の問題点がある。」

 人間に必要な財を、もっと各人多様に見直していくこと。センはこうして、自らの潜在能力のアイデアを提示するのだ。

「これまで検討してきた、三つの理論枠組みの全部に欠けているもの、それが『基本的潜在能力』(basic capabilities)――人がある基本的な事柄をなしうるということ――についての何らかの観念である、といってもおそらく間違いなかろう。」

 もちろんこの概念は、かなりあいまいなので次のような問題をもつ。

「とりわけ、基本的とされる一群の潜在能力を指標化することは、難問の一つである。」

 ある車椅子の障がい者にとっては、社会ができるだけバリアフリーになることが潜在能力の平等につながるだろう。一方、1日1食しか食べられない途上国の人たちには、十分な栄養が確保されることがその平等の基本になるだろう。

 潜在能力は、あまりにも多様すぎて、指標化するのが難しいのだ。

 それでもわれわれは、このアプローチによって、よりきめの細かな、行き届いた平等を実現していくことができる。

 センのケイパビリティアプローチの理論は,こうして、世界的問題に取り組むときの、今日最も重要な理論となっているのだ。

 最後に、センにはカント的道徳主義の節がある、と先に書いたけれど、ごりごりのカント主義者というよりは、かなりバランス感覚に富んだ人であるということも述べておきたい。

「基本的潜在能力の平等こそが道徳的な善に到るための唯一の指針となりうる、と私は主張しているわけではない。」

 何が何でも、多様な潜在能力の平等を成し遂げろ、とセンは言っているわけではない。世界の不平等をなんとかするために、このようなアプローチはかなり有効になる、という、新たな考え方を提示したわけだ。

 もっとも哲学的には、ではどのようなときに潜在能力の平等理論が有効かつ正当化されるのか、とさらにメタレベルで追求する必要がある。

 ヘーゲルなど優れた天才哲学者たちは、その底の底まで考え抜いた。

 残念なことに、センをはじめ現代倫理思想はなぜかヘーゲルを無視してしまっており、せっかくの倫理思想の最高峰が忘れ去られてしまっているヘーゲル『精神現象学』『法の哲学』のページ参照)

 しかしそれはともあれ、センのケイパビリティアプローチは、今日最も有効な理論の1つであることに間違いはないだろう。


(苫野一徳)



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