サンデル『リベラリズムと正義の限界』

はじめに

 2010年、NHKで放映された「ハーバード白熱教室:正義Justice」で、一躍時の人となったサンデル。その巧みな話術によって、学界以外からも多くのファンを獲得した。

 本書は、サンデルが30歳になる前に書き上げたもの。現代リベラリズムの旗手ロールズを、これでもかというほどに批判しまくったものとして有名だ。

 いわゆるリベラル・コミュニタリアン論争と呼ばれるものに火をつけたものとされている(もっともサンデル自身は、自分はコミュニタリアンではなく共和主義者であると言っている)。

 大雑把に言うと、リベラリズムとは、諸個人を自由で平等な独立した個人と見なし、各人がそれぞれどのような価値観をもっていようが、「正義」はそれとは無関係に中立であるべきだと説く。

 それに対してコミュニタリアニズムは、「正義」はそれだけが独立して存在しうるものではなく、それぞれの多様な価値観を根底にすることでしか論じ得ないと説く。

 
 以下、サンデルによるロールズ批判を見ていこう。


1.基本問題:正は善に優先するか?

「基本的問題は,正[権利]が善に優先するかどうかである。」

 第2版の序文で、サンデルはまずこのようにいう。

 ロールズはその『正義論』において、「善に対する正の優先」を説いた(ロールズ『正義論』のページ参照)。

 諸個人はそれぞれに多様な「善」の価値観を持っているが、「正義」は、これら多様な「善」のうちの、どれか1つを掲げるようなことがあってはならない。「正義」は、あらゆる「善」に対して中立でなければならない。そうロールズは主張するのだ。

 しかしそんなことは現実にありうるのか?

 これがサンデルがロールズに突きつけた根本問題だ。

 一切の「善」から独立した「正義」など、ほんとうにあるのだろうか。

 以下サンデルは、そんなことはあり得ない、ということを逐一論証していく。


2.ロールズの人格理論批判――負荷なき自己などあり得ない

 まずサンデルが執拗に批判するのは、ロールズが依拠する人格理論だ。

 ロールズからすれば、われわれは皆自由で平等な、独立した人格である。だからこそ、それぞれの固有の「善」をいわば無視して、あらゆる「善」に対して超越的な「正」を義務として受け入れる必要がある。

「義務論的な自我であるためには,私のアイデンティティが,私の持っているものから独立して,すなわち,私の利益・目的・他者との関係から独立して,与えられている主体でなければならない.この個体化の観念は,所有の考えと結合されることによって,ロールズの人格理論を力強く完成させるものである.」

 しかしそんな自己(負荷なき自己)などあり得ない。サンデルはそう主張する。

「より徹底した反省を可能とするためには,われわれは,前もって個体化され,自らの目的に優先して与えられた,まったく負荷なき所有の主体ではありえず,自らの中心的な大望や愛着によって一部が構成され,自己理解が修正されるに従って,発展し,変容していくことに開かれ,実際に影響を受ける主体でなければならない。」

 われわれは、ある家族、地域、国家、伝統、文化といったコミュニティの中に生きているのであって、まったく透明な、独立した人格としては存在し得ない。

「このような構成的な愛着が可能でない人格を想像することは,理念的に自由で,合理的な行為者を構想することではなく,まったく性格も,道徳的深みもない人格を想像することである.」


3.再び「善に対する正の優先」は正しいか?:ロールズの変化を踏まえて

 だから、「善に対する正の優先」を唱えるロールズに反して、われわれは、あくまで多様な「善」からしか「正(義)」を導くことはできないといわなければならない。そうサンデルは主張する。

「問題となるのは,権利が尊重されるべきかどうかではなく,善き生のいかなる特定の構想も前提とはしない仕方で,権利が同定され,正当化されうるかどうかである.」

 こうしたサンデルの批判を受けて、ロールズは後に、『政治的リベラリズム』において自らの主張に若干の変容を加えることになる。

 簡潔にいうと、それは、われわれは生き方においては「負荷なき自己」ではあり得ないが、「政治的」企図においては、そうした文化背景を括弧に入れて考えなければならない、というものだ。文字通り、「政治的リベラリズム」と呼ばれる思想である。

 確かにわれわれは、現実にはさまざまなコミュニティの価値観を背負った「負荷ある自己」だ。しかし多様な人たちが共に集うこの政治社会においては、これら価値観を括弧に入れて、「重なり合う合意」を見出さなければならない。そうロールズは主張する(ロールズ『公正としての正義 再説』のページ参照)。

 サンデルは、このロールズの「修正」に対しても厳しい批判を投げかける。

 まず彼は次のようにいう。

「その公共的理性のヴィジョンは,あまりに貧弱であり,活気に満ちた民主主義的生活にある道徳的活力を含むことばできなくなっている.」

 現実問題として、政治とはまさに多様な「善」がせめぎあう場所である。これを括弧に入れることなどできるはずもない。そうサンデルはいうわけだ。

 サンデルはこのように、徹頭徹尾ロールズを批判した。


 ちなみに私自身は、以上述べてきたようなリベラル−コミュニタリアンの対立の解消は、実のところそう困難なことではないと考えている。

 さらにいうと、ロールズもサンデルも、共に社会構想を考えるにあたっての原理的な思考の始発点を見誤ってしまっていると考えている。


 この点についてここで詳論する余裕はないが、関心のある方がいらっしゃれば、拙著『「自由」はいかに可能かー社会構想のための原理』をお読みいただければ幸いだ。




(苫野一徳)

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