フロイト『快感原則の彼岸』

はじめに

 性の欲動(リビドー)に加えて、死の欲動(タナトス)の存在を主張した本書。

 『性理論三篇』のページでも書いたように、フロイト自身、これが仮説であることを十分認めている。

 しかしこの理論が、後期フロイト理論の重要なキー概念になっていく。

 人間存在をリビドーとタナトスの葛藤から考えるという後期フロイトの理論は、やや極端にも思えるが、人間洞察の一観点としては今も十分示唆的である。


1.反復強迫

 フロイトは本書で、まず次のような反復強迫にとらわれた人たちに着目する。

「他者との関係がいつも同じ結末に終わる人がいるものである。庇護した相手に去られて、恨みを抱く慈善家たちは、その他の面ではさまざまに異なるとしても、どれも忘恩の苦渋を味わう宿命を背負っているかにみえる。どんな人と友情関係を結んでも、最後に友人に裏切られる人々。ある人を自分や世間にとっての大きな権威として祭り上げながら、しばらくするとこの権威を自ら崩し、別の権威を祭り上げることを繰り返す人々。女性との愛情関係が、つねに同じ経過をたどって、同じ結末に終わる人々。」

 そして言う。

「反復強迫を想定するのは妥当なことと言える。反復強迫は快感原則を凌ぐものであり、快感原則よりも根源的で、基本的で欲動に満ちたものと思われる。」

 一般に、人は快感原則によって生きていると思われている。しかしフロイトは長い臨床経験を通して、実は快感原則のほかに、いや、むしろもっと根底に、快感原則をもしのぐような欲動があるのではないかという着想を得た。


2.無意識の探究

 そこでこの欲動を探るべく、フロイトは無意識について考察を深めていく。

 まずフロイトは次のように言う。

「無意識のプロセスを研究しているうちに、意識は心のプロセスのもっとも一般的な特徴ではなく、その特別な機能の一つにすぎないという印象が生まれる。」

 つまり私たち人間を大きく拘束しているのは、実は意識であるよりも無意識なのだ。

 そこでこの無意識的な欲動を、人は何とか克服しようと様々な方法を(無意識的に)採用することになる。フロイトは言う。

「この拘束がうまくゆかないと、外傷神経症に似た障害を引き起こすことになる。拘束に成功した後に初めて、快感原則の支配(およびそれを現実原則に修正する作業)が妨げられずに貫徹されよう。」

 内的な欲動をうまくコントロールできるようになって、人は正常な快感原則や現実原則に従うことができるようになる。対してこれに失敗すると、人は異常な快感を求めたり、うまく現実になじめなくなったりしてしまう。そうフロイトは言うのである。

 さて、この快感原則をより根底で支える欲動を、初期フロイトは性欲動(リビドー)に見出していた。ところが後期になって、彼は次の驚くべき仮説を提示することになる。


3.死の欲動

 「死の欲動」(タナトス)がそれである。

 フロイトによれば、これは生命体である以上不可避的に持たざるを得ないものである。

「過去のある時点において、現在もなお想像できない力の影響によって、生命のない物質の中に生命の特性が芽生えた。〔中略〕最初の欲動が生まれた――生命のない状態に還帰しようとする欲動である。」

 生命は、できることなら、生命のなかったあの原始の頃に戻りたいと願うのだ。そうフロイトは言う訳だ。

 これは、検証することが決してできない、完全に仮説の域を出ない考え方だ。実際フロイト自身、次のように言っている。

「わたし自身がここに示された想定を信じているかどうか、またどの程度まで信じているかが問われることがあろう。わたしは、〈わたし自身はこれを信じていないし、人にも信じてもらいたいと考えているわけではない〉と答えざるを得ない。正確には、わたしがこれをどの程度まで信じているか、自分でもよくわからないのである。」

 しかしこの死への欲動を想定することで、様々な現象にうまく説明がつくようになる。そうフロイトは言う。

 つまり、様々な性倒錯は、性欲動と死の欲動のせめぎ合いとして考えることができるのである。

「性欲動は固有の生の欲動である。性欲動は、死に導く機能をもつ他の欲動の意図を阻むものであり、性欲動と他の欲動の間には対立関係が存在する。」


 こうしてフロイトは、「快感原則の彼岸」に死への欲動を見出した。「快感原則は実際には、死の欲動に奉仕するものと思われるのである」

(苫野一徳)


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