エマソン『エマソン論文集』




はじめに

 私とエマソンとの出会いは、大学3年生のときのこと。

 ゲーテをこよなく愛していた私は、3年生時のゼミ論文の課題にも、ゲーテの教育思想をテーマとして選んでいた。

 大学院進学を決めたとき、指導教授の市村尚久先生が、エマソンを紹介してくださった。市村先生は日本を代表するデューイ研究者の一人だが、同時に教育学にエマソンを最初に持ち込んだ先駆者でもあり、私は先生の教育への熱い思いに、いつも感激させられていた。

 エマソンは、私にとってアメリカのゲーテとなった。その熱いロマン主義に感動した。彼自身もゲーテを最高の詩人と尊敬し、憧れていた。

 ゲーテをドイツ語で読むことは当時の私には難しかったが、エマソンの英語なら読めた。大学院で研究するからには、ちゃんと原書で読めたほうがいい。

 そう思って、大学4年生のときから、エマソンを研究することにした。

 実は私には、愛する人を自分と同一視してしまう傾向がある(あった)。

 そんなわけなので、私にはエマソンの言っていることが(実はゲーテの言っていることも)全部わかった。

「エマソンは僕なんですよ。だから何でもわかるんですよ」

 そう言って、大学院の先輩方にずいぶん叱られた。研究対象を客観的に見られなければ研究ではない、と。

 しかしほんとうにわかってしまったのだから仕方がない(笑)。

 ともあれ、エマソン。超越主義といわれる思想を確立し、そのリーダーとなった。アメリカ最初の偉大な哲学者と言われている。

 日本ではあまり知られていないが、明治・大正期の知識人には多大な影響を与えた。アメリカでも、おそらくはデューイより尊敬されているのではないだろうか。

 近年では、ニーチェへの多大な影響も注目されている。

 本書は、エマソンのエッセイを上下巻に編纂したもの。訳者の酒本雅之氏はエマソン研究の第一人者だが、なかなかいい論文を集めてくださったとうれしく思う。

 いくつか選んで散歩してみよう。


1.『自然論』

「広漠とした大地に立ち、——頭をさわやかな大気に洗わせ無限の空間の中に昂然ともたげれば、——すべての卑しい自負心は消え失せる。私は一個の透明な眼球になる。私は無でありすべてを見る、普遍的存在の流れが私の全身をめぐり、わたしは神の一部だ。」

 エマソンのデビュー作。

 この有名な「眼球」のくだりから、しばしばこの著作は、自然=人間=神という、一元論的世界を宣言したものだと解されている。

 確かにエマソンには、すべてのものは大いなる「一」においてつながりあっている、という、神秘主義にさえ近いロマン主義的構えがある。実は私も、彼のこのようなロマン主義的思想を、絶対的な実感を伴って経験したことがあった。だからこそ、エマソンの言っていることはすべてわかる、と、思っていたのだ。

 しかしエマソンの本領は、このような素朴なロマン主義にはない。彼は次のように言う。

「自然が、外部の実質的な存在であったとしても、精神の黙示であったとしても、それは私にとって、同じように有益であり、同じように尊敬に値する。自然が何であるにせよ、私が自身の感覚の正確さを試すことができない以上、自然は私にとって観念的である。」

 エマソンの超越主義は、カントの超越論哲学から影響を受けている。

 カント哲学の大前提は物自体の認識不可能性だが、エマソンもこれを十分に継承している。

 つまり、ロマン主義的世界観においてはすべては「一」において結ばれあっているとは言え、しかし認識論的に言って、そのことの真理は決してわからない。「自然」それ自体の実在性すら、実はわれわれの「観念」においてそう妥当しているということしかわからないのだ。

 そうしてエマソンは次の有名な命題を提示する。

「自然は精神の象徴である」

 われわれは「自然」が、われわれの存在とは無関係に実在しているように考えている。しかし実はそれがほんとうかどうか、われわれには決してわからないのだ。ただいえることは、われわれの精神が、自然をこのようなものとしてみているということだ。つまり自然は精神の象徴なのである。

2.「アメリカの学者」

「われわれの依存の時代、他国の学問に対するわれわれの長い徒弟時代は、今終わろうとしています。」

 1837年の、ハーヴァード大学における講演。

 新興国家アメリカは、学問においても、ヨーロッパ諸国に追随するのが精一杯だった。

 エマソンはアメリカ人たちに言う。外国の学問をただまねるだけの時代は終わった。自ら「考える人間」となろう。

 後に「アメリカの知的独立宣言」と言われる本講演は、非常に多くの人々を勇気づけ励ましたといわれている。

3.「自己信頼」

「あなた自身の考えを信じること、あなたの心が真実だと思うものは、万人にとっても真実であると信じること—それが天才である。あなたの心に秘められている確信を語れ。そうすれば、それは普遍的な考えとなる。」

 『自然論』のように、私に言わせればカント哲学フッサール現象学をきわめて美しく詩的に描いたエマソンの著作も、それはそれなりに秀逸ではあるのだが、しかしエマソンの本領は、実は人々の情熱を心の底から掻き立てる、その言葉の力強さにあったのではないかと私は思う。

 このエッセイは、初期エマソンのロマン主義に満ち、そして大志ある若者たちを鼓舞する力に溢れている。

 「世間の中にあって、世間の意見に従って生きることは容易い。孤独の中にあって、己自身の考えに従って生きることは容易い。しかし偉大な人間は、群集の真中にあって、孤独の時の独立心を、完璧な温和さをもって保ち続ける人なのだ。」

 読むたびに心を熱くしてくれる、名作だと思う。

4.「運命」

「君たちが運命にすりより、運命こそすべてなのだというなら、私たちはこう言う——運命の一部は、人間の自由なのだ、と。魂の中には、選択と行動の衝動が永遠に湧きあがって来るのだ。知力は運命を無力化する。人間が思考する限り、彼は自由なのだ。」

 中期以降のエマソンは、初期のロマン主義が影を潜め、現実主義的になっていくと言われている。しかしこの一文に、エマソンの情熱的な生き方がなお垣間見える。

 「人間が思考する限り、彼は自由なのだ。」というエマソンの思想の根底には、彼の現象学的な認識論があると私は考えているのだが、それはともあれ、エマソンの言葉はいつも私を勇気づけてくれる。

5.その他のエッセイ

 本書には掲載されていないエッセイからも、エマソンの、特にニーチェに影響を与えた印象的な言葉をいくつか取り上げておこう。

 実は昨今、ニーチェによるエマソン盗作説まで持ち上がっている。確かに、ニーチェにはエマソンの言葉がそっくり使われているような言葉も多い。

 しかしだからと言って、私はそれがニーチェの価値を貶めるようなことにはならないと思う。エマソンも次のように言っている。

「わたし自身の道において出会う魂のみが、わたしの友になることができるのである。その魂は、わたしが身をかがめることなく、わたしに身をかがめることもなく、同じ天空の下にあり、その経験の中に、わたし自身の経験を、繰り返してみせるのだ。」(「精神の法則」より)

「詩や美しい想像力、高貴な思想を好む若者は、この養分を求めてやまず、そして自分より学識ある友人のために——彼もまた自らの宝を分け与えることに同等の喜びを見出すのだが——まったく世界を忘れてしまうのである。」(「教育論」より)

 偉大な魂は、相互に浸透して溶け合うものだ。彼らは、どちらがオリジナルかなどと言って騒がない。相互浸透をこそ悦び、互いの価値を認め合うのだ。

偉大さとは何か?〔中略〕それは戦士ではない。人間の最高の力を代表する、アレクサンダーやボナパルトでも、モルトケでもない。強い手なのではない、そうではなく、叡智や文化や、また制度、文学、芸術の創造こそが偉大なのである。これらの高貴さを、われわれは「人間性」と呼ぶのである。」(「偉大さ」より)

肯定する人間は、人々の敬意を一手におさめる。彼らこそが、あらゆる偉大な功績を創造し遂行するのである。」(「力」より)

「われわれの哲学は、あらゆる影が太陽を意味するように、肯定的で、そして否定的事実の証言ですら、喜んで受け入れるのである。」(「精神の法則」より)


(苫野一徳)



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