マキアヴェッリ『君主論』

はじめに

Santi di Tito - Niccolo Machiavelli's portrait.jpg ロレンツォ・デ・メディチに献上された本書。君主たるものいかに権力を保持すべきであるかについてが、歴史に学びながらきわめて実用的に描かれている。

 現代なお輝きを失わない、マキアヴェッリのすぐれた人間洞察が光る。その深い人間理解において、本書はこれからも一級の思想書であり続けるだろう。


1.君主政体について(いかにして権力を保持するか)

 本書前半部では、君主政体にはどのようなものがあり、それぞれどのような特徴を持っているかが論じられる。

 たとえば、世襲の君主政体は保持が楽だが、新興の場合は困難であることなどが論じられている。しかしその際も、もし支配地の言葉や風習が同じであれば、次のことを守れば支配は盤石になるとマキャヴェッリは言う。

「新たな政体を獲得した者が、そこを保持したければ、次の二点を守らねばならない。その一は、古い君主の血筋を抹消してしまうこと。その二は、住民たちの法律も税制も変えないこと。そうすれば、彼らにとって古くから続くことになる君主政体と、ごく短期間のうちに、そこは一体化してゆく。」

 そして、もし支配地の言葉や風習が違ったものであれば、次のことを守れとマキアヴェッリは言う。

「最上かつ最強の手当の一つは、支配地を獲得した人物がみずからそこへ赴いて住みつくことだ。」
「最上の手当のもう一つは、新しい支配地のいわば足枷となるように、一、二箇所に植民兵を送り込むことである。」

 そして次の有名な言葉が述べられる。

「ここで注意しておくべきは、人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうかだ。なぜならば、軽く傷つければ復讐してくるが、重ければそれができないから。したがって、そういう誰かを傷つけるときには、思いきって復讐の恐れがないようにしなければならない。」

 マキアヴェッリが述べる、 支配や権力の保持のための格言を、あといくつか紹介しておこう。

「病気の初期において治療は易しく発見は難しい。だが病いが進むにつれ、初期の発見が遅れて治療も施さなかったがために、症状の発見は易しくなるが治療は難しくなる。それと同じような事態が政体に関しても起こる。」

「他者が強大になる原因を作った者は、みずからを亡ぼす。」

「なるべく少なく味わうことによって、なるべく少なく傷つけるように、加害行為はまとめて一度になされねばならない。けれども恩恵のほうは少しずつ施すことによって、なるべくゆっくりと味わうようにしなければならない。」

「人間は、危害を加えられるであろうと思い込んでいた相手から恩恵を施されると、そういう恩人にいっそうの恩義を感じてしまうものである」



2.軍隊について

 続いて本書では軍事理論が展開される。

 最初の命題は、「自己の軍備を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない」である。したがって傭兵は厳しく拒否される。

 そして言う。君主たる者、軍事のこと以外にうつつを抜かしては決してならないと。

「君主たる者は、したがって、戦争と軍制と軍事訓練のほかには何の目的も何の考えも抱いてはならない、また他のいかなることをも自分の業務としてはならない。なぜならば、それこそは命令を下す者がなすべき唯一の業務であり、それこそは力量の大きさによって、単に君主の身に生まれついた者たちにその座を保持させるばかりか、私人の身分に生まれ落ちた人間をしばしばあの地位にまで昇らせることさえあるのだから。そして逆に、君主たちが軍備よりも甘美な生活のほうを重んじたとき、彼らが政体を失ってきたことは、現に見られるとおりだ。」



3.冷酷さについて

 本書後半では、君主はどのようにあるべきかが論じられる。
 まずマキアヴェッリは言う。君主たるもの冷酷であれ、と。

「君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と掠奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下すだけで、彼のほうがはるかに慈悲ぶかい存在になるのだから。」

 慈悲のゆえに国全体が乱れるよりは、一部の者たちに対して冷酷であることで秩序を保った方が有益である。そうマキアヴェッリは言うのである。

 しかし彼は、次のように付け加えることも忘れない。

「だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。」



4.獅子と狐

 では、君主はどのような存在であるべきか。マキアヴェッリは言う。君主は獅子を手本とすべきである、と。

「君主たる者には、野獣と人間とを巧みに使い分けることが、必要になる。」
「なかでも、狐と獅子を範とすべきである。なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないがゆえに。したがって、狐となって罠を悟る必要があり、獅子となって狼を驚かす必要がある。」
「だが、必要なのは、この狐の性質、これを巧みに潤色できることであり、偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである。」



5.軽蔑と憎悪

 またマキアヴェッリは次のようにも言う。君主は軽蔑憎悪を避けなければならないと。

 軽蔑を避けるにはどうすればいいか。マキアヴェッリは言う。

「軽蔑を招くのは、一貫しない態度、軽薄で、女々しく、意気地なしで、優柔不断な態度である。これを、君主は、暗礁のごとくに、警戒しなければならない。そして自分の行動が偉大なものであり、勇気に溢れ、重厚で、断固たるものであると認められるように努めねばならない。」



6.運命をねじふせよ

 最後に、運命についてのマキアヴェッリの有名な言葉を紹介しておこう。

 確かにわれわれは、運命の前に無力であると言わざるを得ない。しかしそれは、運命に前もって立ち向かう準備をしていない時だけである。

「運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、すなわち土手や堤防の築かれていない箇所であることを承知の上で、その場所へ、激しく襲いかかってくる。」

 さらにわれわれは、運命をねじふせることさえできるはずである。運命とは女神である。そして女は、荒々しく果敢な若者にこそ身を任せるからである。マキアヴェッリはそのように言う。

「慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。そして周知のごとく、冷静に行動する者たちよりも、むしろこういう者たちのほうに、彼女は身を任せるから。それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。なぜならば、彼らに慎重さは欠けるが、それだけ乱暴であるから。そして大胆であればあるほど、彼女を支配できるから。」

(苫野一徳)



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