オウエン『社会にかんする新見解』

はじめに

 エンゲルスによって、空想的社会主義者と批判的に呼ばれたオウエン(エンゲルス『空想より科学へ』のページ参照)。

 しかし私の考えでは、彼の思想は現代から見てもなお新鮮かつ現実的だ。むしろ、時代が彼に追いついていなかったとさえ言えるかもしれない。

 オウエンが生きた19世紀初頭のイギリスは、資本主義の矛盾が噴出した時代だった。

 一部の資本家に従属する、劣悪な環境で日夜働かされる工場労働者たち。オウエンは、自らニュー・ラナーク工場の共同経営者、すなわち資本家であったにもかかわらず、時代の趨勢に逆らって、労働者の生活環境の向上や児童労働の廃止などのために大きな働きをした。協同組合の父とも言われている。

 劣悪な環境から労働者を守る、世界初の1819年イギリス工場法の立役者もまた、オウエンである。(もっとも、私有財産を否定する共産主義にまで踏み込んだオウエンの草案は、政財界の工作によって骨抜きにされた。)

 そんなオウエンが社会変革のために最も重視した事業こそが、教育だった。教育によってこそ、われわれは子どもたちの堕落と犯罪への誘惑を絶つことができる。自ら性格形成新学院を設立したオウエンは、環境こそが人をつくるという環境決定論を唱え、子どもたちの健全育成のための教育環境を整えることに精力を注いだ。

 時代の常に先頭を駆け抜け続けたオウエンは、1858年、87年の長い生涯を閉じた。


1.性格形成論――第1エッセイ

 オウエンは、まず本書で次の原理を提示する。

「どのような一般的性格でも――最善の性格から最悪の性格まで、最も無知な性格から最も啓蒙された性格まで――どんな社会にも、世界全体にさえも、適切な手段を用いることによって与えることができる。そしてこの手段は、そのほとんどが、世事に影響力をもっている人たちの支配、統制下にある。」

 影響力ある人々が作り出す環境によって、世間の人々の性格は形成される。それゆえ、社会を変革しようと思うのなら、まずこの環境が人々の性格形成におよぼす影響について考察し、これを変革しなければならない。オウエンはそう言うのだ。

 われわれは、いかにして人々の望ましい性格を形成することができるだろうか。オウエンはこの問いに答えようと、この後論を展開していく。そして、自らニュー・ラナーク工場において実践してきた成果を踏まえて自信をもって言う。

「この諸原理は、実践に移され最大の成功をおさめてきたのだ。〔中略〕それゆえ、ここに示すエッセイ集は、怠惰なる夢想家――書斎のなかで考え、世の中では決して活動しない――を喜ばせるために、単なる思弁の問題として提起されているのではない。」

 オウエンの豊かな経験から導きだされた性格形成論が、こうして以下展開されることになる。


2.ニュー・ラナークでの実践――第2エッセイ

 オウエンがニュー・ラナークにおいて行った実践例は、数多くある。たとえば彼は言う。

「刑罰の代りに採用されたのは、抑制策と他の予防のための規則だった。すなわち、住民がこれまでの非行を改めるならば、いかに直接の利益が得られるかということを、彼らのなかで最良の思考力をもち、この目的のために教育された人たちに、彼は短くわかりやすく説明させた。」

 あるいは教育もまた、オウエンにとってきわめて重要な意味を持っていた。

 オウエンの画期的な教育事業、それは、児童労働を禁止し、代わりに子どもたちに教育を与えることだった。

「六歳から八歳までの子どもたちを工場で雇う習慣は廃止され、両親に対しては、子どもたちが十歳になるまでは、健康に育て教育を身につけさせるように勧めた。〔中略〕子どもたちは、五歳から十歳までの五年間、両親に費用を出させることなく、村の学校で、読み書き算術を教えられた。近年の改善された教育法は、すべて採用されたし、また現に採用されつつある。〔中略〕もう一つの重要な配慮は、すべての授業を彼らにとって楽しく嬉しいものにすることである。彼らは、授業時間が終わるよりも始まるのをずっと待ちこがれる。したがって、その進歩は早い。」

 本書におけるオウエンの主張は、次の一節に集約されると言っていいだろう。

「現に罪を犯しているような性格においても、その責任は明らかに個人にはなく、個人をしつけてきた制度の欠陥からくる。人間性のなかに犯罪を生み出す傾向のあるような環境を除去せよ。そうすれば、犯罪は生まれないであろう。」

 罪を犯す人間が悪いのではない。そのような人間に仕立て上げる社会が悪いのだ。

 オウエンはこのような思想を持って、人々が秩序と規律ある性格を育めるような環境を整備し続けた。


3.新学院の設立――第3エッセイ

「人間の性格は、ただ一つの例外もなく常に環境によって形成される。」

 オウエンはこの思想のもとに、ニュー・ラナークに新学院(ニュー・インスティテュート)を設立する。この学校の基本方針について、彼は次のように言っている。

「子どもたちは、先ず幼い心にとって、最も親しみやすい事実についての知識から教えられるべきである。それから次第に、それぞれの個人が進むであろうと思われる生活の等級に応じて、それを知ることが最も役にたちまた必要な事実について、教えられるべきである。」

 子どもたちにとってこその教育を。オウエンはそのような教育環境を、自ら整えたのだった。

 さらにニュー・ラナークにおいて、オウエンは養老院の計画も立てていた。

「今、工場施設において雇われている人びとは、病気で働けなくなったり、老齢で退職した時に、その生活を支えるための基金に醸金する。しかしながら、この基金は、最低生活以上のものを与えるようには考えられていない。こういう人びとは、半世紀近くも営々と働き続けてきたのだから、できるならば、豊かに安楽な生活を楽しめることがもちろん望ましい。
 この目的を達するために、現在の村に近い最も快適な場所に、庭園つきの、きれいで便利な住宅を建てるつもりである。そして、周囲には木を植えて静けさを保ち、そのなかに外から入れる公道をつくる。全体は、居住者に最も充実した安らぎを与えるよう整備される。」

 強い使命感と、優れた先見の明のあった人だったと言うべきだろう。


4.政治の役割――第4エッセイ

 以上述べてきたことを踏まえるならば、オウエンにとって、政治の本質的役割は当然次のようなものとなる。

「あらゆる国の政府にとって、他の何よりもやらねばならぬ一つの義務があるとすれば、それは、政府が、個々人と社会にとって最も恒久的かつ実質的な利益を与えるような感情や習慣を、国民のなかに形成する適切な手段を直ちに採用することである。」

 中でもオウエンが重視したのが、やはり教育政策だった。

「イギリス政府が、貧しくて教育のない人びとのために国民教育訓練制度を採用しても安全な時が、今や到来している。そして、この施策だけが、もしその計画が良く練られて実施されるならば、最も重要で有益な改革をもたらすであろう。」

 さらに画期的なオウエンのアイデアは、公共事業による失業対策である。ケインズに先駆ける洞察であったと言っていい。

「求める人すべてに直ちに職を与えるような、真に国民的な効用をもつ恒久的な仕事を供給することが、その臣民の福祉に誠実な関心をもつ、あらゆる政府の最初の義務でなければならない。」
「最も目につきやすく、また、先ず第一に、おそらく最良の雇用供給源は、道路の建設と補修であろう。このような仕事は、この王国全体にいつでもあるだろう。〔中略〕もし必要なら、それに続いて、運河、港湾、ドック、造船、海軍用の資材に、仕事を求めることができよう。」

 結局、時代はオウエンに追いつかなかった。あるいは、オウエンが時代を読み違えたと言うべきだろうか。アメリカのニュー・ハーモニー協同体における、理想主義的(社会主義的)実験の失敗や、資本主義を打ち壊し「新道徳世界」を樹立するという試みもまた、結局のところ失敗した。

 しかし彼の大きな理想と実践は、行き過ぎた資本主義の問題に取り組む、その後の多くの思想家たちに大きな影響を与えることになったのである。

(苫野一徳)



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