テイラー『ヘーゲルと近代社会』

はじめに

 コミュニタリアニズムの代表的哲学者とされる、テイラー。

 本書では、ヘーゲル研究者としてのテイラーの本領が見事に発揮されている。


 近代(社会)哲学の完成者といわれるヘーゲルの思想から、丁寧に形而上学的体系を抜き去り棄却し、そのうえで今日もなお重要な思想を浮かび上がらせる。

 私はテイラーと、かなりの程度ヘーゲル理解を共有している。

 しかしそこから導出された社会原理論については、考えを大きく異にしている(この点については、テイラー他『マルチカルチュラリズム』などのページを参照)。


1.啓蒙主義への対抗

「ヘーゲルの哲学的綜合は、思惟と感性の二つの動向——これは彼の若い頃に起こり、今でもわれわれの文明において根本的に重要である——を取り上げて結合した。」

 近代の啓蒙主義は、2つの人間観を生み出した。

 1つは、利己主義的自己

 人間は利己的で功利主義的だという考えだ。

 もう1つは、原子論的自己

 人間は一個のアトム的個人であるという考えだ。

 このイメージに対しては、歴史的に2つの形で反発が起こることになった。

 1つはロマン主義からの反発。

 人間は原子論的自己なのではなく、もっと全体的で、共同体において自己を表現する存在だとロマン主義は考えた。

 もう1つは、カントを代表とする道徳主義からの反発。

 人間は利己的・功利的なだけでなく、自らの意志によって「善」を欲することができると彼らは考えた。

 しかしこの反発が、新たな対立構造を生むことになる。


 端的にいえば、感性VS理性の対立だ。

 私なりにいうと、感性的(ロマン主義的)にいって、われわれはばらばらの個人ではなく、一個の人間でありながら全体でもある。ところがこの考えは、つきつめればいわば一種の決定論に陥ってしまう。全体があっての個人という考えは、個人の自由を奪う考え方になる。

 一方理性的(道徳主義的)に考えると、われわれは自らの意志で自然法則(利己的欲望など)を乗り越え、「善」をめがけることができる。しかしこの考えは、だからといって一切の自然法則を乗り越えられるわけではないという、現実的難問にぶちあたる。

 ロマン主義は個人の自由を奪い、道徳主義は現実的でない。

 この問題を解消したのが、ヘーゲルだったとテイラーはいう。


 ただし前もって言っておくと、テイラーの考えでは、その解消方法はけっして説得的でない。


2.ヘーゲルによる上記問題の解消

「もし徹底的自律への願望が保たれるべきであるならば、小宇宙の理念はさらに押し進められて、人間の意識は自然の秩序を反映するだけでなく、それを完結もしくは完成するという考えになるべきである。こうした見解によれば、自然の中に展開する宇宙的精神は、意識的な自己知識においてそれ自身を完結しようとしているのであり、この自己意識の場所が人間の心である。」

 ヘーゲルの出した答えはこうだ。人間は、絶対精神(神)の本性のあらわれであり、各自がその本性を分有している。しかしそれはまだ完成されていない。われわれは、歴史を通して、この絶対精神の本性を完成させていくのである。

 つまり、人間はそもそも絶対精神(神)の本性を分有しているから自由であるが、これは未だ達成されていない、とヘーゲルはいうのである。


 ヘーゲルはこのようにして、ロマン主義=全体主義に依拠しつつもそこから人間的自由を守り、また道徳主義=絶対自由主義の非現実性を乗り越えようとした。

 ところがこのヘーゲルの「解決策」は、検証不可能な物語というほかないものだ。それは徹頭徹尾フィクションであって、今日のわたしたちがまともに受け取ることは難しい。



3.ヘーゲル哲学の今日的意義

「ヘーゲルが今日重要であるのは、われわれが原子論的、功利主義的、道具主義的人間観と自然観から起こる展望の幻想と曲解を批判する必要を繰り返し感じているのに、同時にそれらがロマン主義の反=幻想をしぼませながら、絶えずそれを生み出しているからである。」
 
 テイラーがヘーゲルを重要だと考えるのは、今日における原子論的、功利主義的な人間観を批判する文脈においてだ。

 かつてロマン主義と道徳主義が対立したように、現代においても、決定論的自己か絶対自由的自己かという対立が続いている。テイラーはそう主張する。

 決定論的自己像は、ナショナリズム的全体主義へと通ずる。

 一方の絶対自由的自己像は、一切の桎梏を取り払おうとする暴力主義に至る。



4.状況内におかれた自由

 テイラーがヘーゲルから取り出すのは、自由とは絶対的にしばられたものでも絶対に解放されるべきものでもなく、そもそもが状況内におかれたものであるという考えだ。

「状況内におかれた自由のさまざまな観念に共通であるのは、それらが自由な活動を、われわれの限定的状況を引き受けることに基づくものと見なす、ということである。」

 ここから、テイラーはいわゆる共同体主義(コミュニタリアニズム)の思想を展開していく。

 本書においても、彼は次のようにいっている。

「近代的民主政体のぜひ必要なものの一つは、有意義な区分の感覚を取り戻し、その結果その政体のもろもろの部分的共同体——地理的なものにせよ、文化的なものにせよ、職業的なものにせよ——が、再びその構成員たちのために、彼らを全体に結びつける仕方で、関心と活動の重要な中心となるようにすることである。」

 「自由」とはそもそも状況内にあるものなのだから、われわれが重視すべきは共同体における共通価値であって、それをこそ涵養していかなければならないのだとテイラーは考えるのだ。


(苫野一徳)



Copyright(C) 2009 TOMANO Ittoku  All rights reserved.