テイラー『〈ほんもの〉という倫理〉』

はじめに

 90年代、ほんとうの自分という言葉が現れ、バブル崩壊後、自分探しといった言葉とともにまた流行した。

 本書は、そうした流れにおける社会批評の1つとして、社会学の領域でもずいぶん読まれているものだ。

 近代は、ほんもの」「ほんとうという感度が爆発的に解放された時代である。自分にとっての「ほんとう」を、各自が自由に追求することができるようになったのだ。

 しかしだからこそ、ここに新たな問題が起こってくる。


 テイラーは本書で、その問題の本質と解決策を提示する。


1.現代の3つの不安

 「自由」が解放されたことで、現代のわたしたちは次の3つの問題(不安)を抱えることになった。


 1つは個人主義の蔓延だ。

「懸念の第一の源泉は個人主義individualism)にあります。」

「個人主義には何ごとも自己を中心にするという暗黒面があって、それがわたしたちの生を平板で偏狭にし、意味の乏しいものにし、他者や社会に対する関心を低くさせているというわけです。」
 
 2つは道具的理性。現代のわたしたちは、一切を費用対効果で考えるようになってしまったのだ。

「つまり、別の基準ではかられるべきことがらが、効率や「費用便益」分析の観点から決定されるようになることへの危倶の念であり、わたしたちの生を導いてゆくべき〔効率性から〕独立した諸目的が、出来高を最大化せよという要求に侵食されてゆくことへの危倶の念です。」

 そして3つは、こうした個人主義・功利主義のゆえに個々人がばらばらになることで、中央政府による「穏やかな専制」が現実化されていくという点だ。


 個人主義者は他者に興味をもたないので、選挙にも行かず、団結しようともしないというわけだ。

「わたしたちがいままさに失わんとしているのは、自分たちの運命を政治的に支配する力であることになります。」


2.ほんものという理想

 そこでテイラーはいう。わたしたちはは「ほんもの」という理想を復権させる必要があるのだと。

「わたしたちがしなければならないのは、この〔ほんものという〕理想を回復する作業であり、またそうすることによってこそ、わたしたちはこの理想の助けを借りて、自分たちの実践を立て直すことができるようになるのです。」

 しかしこの「ほんもの」は、個々人にとっての「ほんもの」を絶対化することではない。

「わたしの示したい点は次のようになります。(a)わたしたちには他者とのきずなが要るということを顧みずに、あるいは(b)人間誰しももっているような欲求や憧れ以上のものから、もしくはそれらとは別のものから流れ出るさまざまな要求を顧みずに、ただ自己達成だけを選び取るような文化の様式は自滅的だということ、すなわちそうした流儀は、当のほんもの〔という理想〕自体を実現するための諸条件を破壊してしまうということです。」

 また、この「ほんもの」の理想を全部相対化するポストモダン的やり方も無意味だ、とテイラーはいう。


 なぜなら、価値はそれぞれ平等だ、といって、たとえばマイノリティの権利を擁護しようとしても、それはつきつめれば、そうした差異それ自体が重要ではない、といっているのと同じことになってしまうからだ。

 そこでテイラーはいう。「ほんもの」という理想を支える条件は、社会的公正さ親密な関係である、と。

 各人は社会的公正さにおいて、何を「ほんもの」と考えても基本的にはよい。

 しかしそれは、親密な関係、共有された価値をもつ人たちの間でこそ育まれていくものだということを、わたしたちは十分自覚しておくべきだ。

 こうしてテイラーの結論は、現代社会で最も大切なことは、共同の精神を育んでいくことなのだということになる。
 

 わたし自身は、このテイラーの思想には大きな弱点があると考えている。その詳細は、テイラー他『マルチカルチュラリズム』のページ等を参照していただきたい。


(苫野一徳)



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